獣の標的
「えっと、次はどうします?」
「そうだな……」
郁未と優綺を降した正吾は今の勝利に少しだけホッとしたようだ。
まだまだ訓練の足りない郁未はともかく、久し振りに会った優綺の成長には驚いたのだろう。この年頃の子の成長は日進月歩だ。それを身をもって知ったのだろう。
良治の予定では二人が正吾と模擬戦をした後、反省点と負けた原因を洗い出し、その後それを踏まえた訓練をしようと思っていた。
しかし優綺の様子を見ていて何故かこのままで終わりたくないと思ってしまった。
この感情は何なのだろうか。良治は自分ではよくわからなかった。
「……正吾」
「はい?」
「俺とも一戦やってみるか。物足りないだろう?」
「え? ……えっ?」
正吾が驚くのも当たり前だ。そんな予定はなかった。
それでも良治は感情のままに口をついた言葉を翻すことなく彼の反応を待つ。
「本気、ですか?」
「ああ。模擬戦やろう」
「……わかりました」
良治が引く気がないことを悟ったのか、苦笑交じりに受けてくれる。良治の頑固さを彼も良く知っていたからかもしれない。
「ありがとな」
「いえいえ。じゃあやりましょうか」
感謝を伝えながら良治は早速転魔石で自分の木刀を喚び出す。そして軽く二、三度振ると道場の中央で正吾と向かい合った。
そこでちらりと二人の弟子に目をやる。
郁未は女の子座りでこれから面白そうな見世物が始まるのを期待するような、嬉しそうな表情でこちらを見ている。
対する優綺は疲れているだろうに立ったまま、何一つ見逃したくないかのように、食い入るように凝視していた。
(二人の糧になるような攻防が出来ればいいな)
微かに笑うと良治は正眼に構える。剣術では一番オーソドックスなもので、正吾も同じ構えだ。
それもそのはずで、良治の剣術の基礎は正吾と同じ碧翼流。正眼は最初に覚えるものだ。
色んなことを覚えすぎて混じり、とても碧翼流とは呼べなくなってしまった良治だが、それでも基本となる最初の構えはほとんど変わっていなかった。
「いくぞ」
「はい」
正吾の返事が合図となり、良治は前に出た。
普段はまず相手の出方を伺うことが多いが、正吾の手の内はほぼ全て把握している。待つ理由は特になかった。
「ッ!?」
驚いたのは良治と同じタイミングで先手を取ろうとした正吾だ。てっきり今までの経験から先手を譲ってくるだろうと考えていたので、思いがけないタイミングで二つの木刀が交差した。
「ぐ、っ!」
体格、筋力共に上なのは正吾だ。しかし僅かに上体をのけ反らせたのはその正吾だった。
正吾が前に出て来ることを予想の範疇に止めていた良治と、全くの予想外だった正吾。その差が一合目を良治優位にした。
「っ!」
予想外の一合目に、正吾は鍔迫り合いを嫌って反った上半身を生かしてコンパクトに振り下ろす。これはしっかりした体幹と鍛えられた足腰の成せる業だ。良治はバランス感覚はともかく筋力には自信がない。簡単に真似出来ることではない。
良治は正吾の振り下ろしを一歩下がりながら彼の木刀の先端を狙って打ち払う。
そして、正吾の身体に隙が生まれる。木刀を弾かれた方と弾いた方。次の動作に入るのが速いのは意思を持って弾いた方、つまり良治だ。
しかし、絶好のタイミングに良治は動かなかった。
「……どうして」
「続けたくてね。まだこんなもんじゃないだろう?」
「……まったく。後悔させたいですね、その余裕――!」
模擬戦開始時点よりも近距離で始まった第二ラウンド。それは間合いを詰めたままのインファイトのようだった。
木刀同士が激しくぶつかる音が道場の中心から、数えるのも馬鹿らしくなるほどの頻度で響き渡っていく。
一撃の重さは正吾、見切りと技術では良治が上回る。正吾は反撃を受けないよう細心の注意を払いながら打ち込み続ける。
良治も良治でミスをしないようにしながらきっちりと受け続けるが、それでも僅かずつだが腕にダメージが蓄積されていき動きがほんの少しずつだが確実に鈍っていく。
(正吾の集中力は長続きはしない。それは優綺との戦闘でわかっている)
攻撃を続ける方は自分のタイミングで一呼吸入れなければならない。
だが優綺との模擬戦でのあれは隙をわざと作って誘い込んだという側面が強い。本来休息するタイミングはまだ先だろう。実際今現在既にそのタイミングはとうに過ぎている。
(――引くか?)
一際強めの一撃で良治の右足が一歩後退するべく床を離れる。正吾が一息つくために引くならここしかない――はずだった。
「はぁッ!」
引くと思われた正吾の木刀が振り下ろされる。
良治の予想を外し、正吾はここで、このまま決めるつもりだったのだ。
力強い振り下ろし。しかしそれは力を入れる分一瞬動作が遅れた。
良治は後ろに下がっていた右足を左足の後ろ側を巻くようにして動かし、床に着いた瞬間右足を軸にくるりと回転した。
「――!」
「――ッ!?」
正吾の渾身の振り下ろしは回転途中の良治の左肩を掠めて床を叩く。
そしてその直後、正吾の右半身の方から回り込んだ良治の木刀が彼の背を叩いた。
「……まさかこの距離で躱されるとは思ってなかったですよ」
互いに動きを止めた数秒後、先に言葉を発したのは妙にすっきりした顔をした正吾だった。
「まぁギリギリだったけどな実際は。ほら、左肩見てみろよ。お気に入りだったのにダメになっちまった」
暑い日だったが着て来たお気に入りの黒シャツは左肩の袖が付け根から半分以上破れていて、中々ワイルドになっていた。ビリビリになっており縫うのは難しいかもしれない。
「手応えはなかったですけどね。……まだ届きませんか」
「ぼちぼちブランクもなくなってきたからな。負けるのはまだまだ先にしたいかな」
ほぼブランクの消えた状態という感覚はあるので年下には負けたくない。出来るなら同世代にも負けたくないと密かに思っていたりもする。良治はあまりそうみられないが、実はかなり負けず嫌いの面があった。
「身体的にもう差がある年齢じゃないのに、悔しいですね」
「単純に体格を比べたら正吾の方が上だけどな」
「尚更悔しいですね。というわけでもう一勝負――あ」
「ん? あ」
正吾の視線を追って目を向けるとそこは道場の入り口。いつの間にか開け放たれたそこに立っていたのは三人の女性だった。――三人の、女性だった。
「お疲れ様、良い勝負だったわね」
「到着が遅れて済みません。東京支部の仕事は全て終わらせてきました」
「ただいま。久し振りだったから見入っちゃった」
「二人ともお疲れ様。仕事が片付いて何より。まどかはお迎えありがとうな」
「えへへっ」
入り口に立っていたのは東京支部での仕事を終えてから来た結那と天音。そしてその二人を車で迎えに行っていたまどかだ。
まどかは良治たち三人も迎えに来てくれたので短時間に二往復してくれたことになるが嫌な顔一つしていない。
「ね、ね、良治。次は私とやらない? ちょっと身体動かしたくなっちゃった」
「やだよ。俺は今のでもういっぱいいっぱいだ。軽くならともかく結那は本気で来るだろうし」
「うー、残念。……じゃあ」
良治にすげなく断られた結那は視線を彷徨わせるとロックオンしたのは――優綺だった。
ちなみに天音はすぐに視線を明後日の方に向けていたし、まどかは道場の外に逃げていた。今まで戦っていた正吾はそ知らぬふりをして木刀を拭いている。
そうなると残りは弟子の二人となるが、さすがにまだまだ見習いもいいとことの郁未よりも付き合いが長くそれなりに形になってきた優綺を選ぶのは妥当と言えた。優綺には可哀想だが。
「優綺、ちょっと付き合ってよ」
「えっと……はい。私で良ければ」
優綺は結那の誘いに一度良治の方を見てから頷いた。良治は特にリアクションをしていないが、その表情に反対の色が見えなかったので承諾したのだろう。
「優綺、知ってはいると思うけど結那は手加減からは無縁だから怪我しないように気を付けて」
「なによー、それじゃ私がまるで獣みたいじゃない」
「あまり間違ってないと思うんだけどな……」
幼い頃から格闘技と共に育った結那はしなやかな野生の獣に似ていると思うことがあったりする。
「――大丈夫です、先生」
「お」
棒を片手に優綺は真剣な表情で道場の中央に立つ。
自信も慢心もない。劣等感も卑屈さもなく。
ただあるがままを受けとめるように、そこに居た。
「たぶん負けます。でも、私は今の自分の力を試したい、確認したいです」
「いいわね、それ。――それじゃ確認なさい、自分の実力を」
優綺の言葉に滾ったのか、戦闘モードに切り替わった結那が歩き出す。
途中良治とすれ違ったがもはや彼女の目に映るのは優綺だけだ。獲物を見つけた獰猛な野生獣。
そして。
結那が棒を構えた優綺と対峙したきっかり三秒後。
「――ッ!」
「!」
結那は走り出し、模擬戦というには物騒な戦いの火蓋が切って落とされた。
【手加減からは無縁】―てかげんからはむえん―
良治の結那を評した言葉。彼女を知る大多数は否定できないらしい。
しかし親愛の情から言われることが多く、何事にも全力で挑戦する彼女を体現する言葉の一つと言えよう。
悪い意味で語られる時に出されるエピソードに『道場の真ん中を拳で穴を開けた』『魔獣討伐の際に公園の噴水を砕いた』『うっかり取り壊し予定のビルを倒壊させた』などがある。




