ただいま
「わかったわ。起きてるかどうかわからないけど」
「それでいい。頼む」
結那が携帯電話を再び操作して耳に当てる。良治の胸には幾ばくかの緊張が去来していた。
色々と思うところはある。電話の相手、都築和弥は紛れもなく親友だった。苦楽を共にした戦友だった。
しかし、当時はともかく今彼がどう思っているかはわからない。何せ良治は彼に何も言わずに白神会を飛び出したのだから。裏切り者と言われても、縁を切ると言われても仕方ないという気持ちはある。
だが。それでも良治は、あの友人は少なくとも話くらいは聞いてくれると信じていた。
「――あ、起きてた? うん……それで良治が代わってって」
どうやら深夜にも関わらず起きていたようだ。白神会の危機ということは京都本部でも認識されているようで、そのことに少し安心した。
「はい、良治」
「ありがとな、結那」
「いいわよ、これくらい」
差し出してきたピンクの携帯電話を受け取る。皆がこちらに注目しているのがわかる。それを理解した瞬間、腹が決まった。
「もしもし」
「リョージ、久し振りだな。元気してたか?」
懐かしい声が耳に、脳に届く。あの頃と変わらない声。そして変わらぬ呼び方。何とも言えない感情が襲うが、それは決して悪いものではなかった。
「……ああ。そっちも相変わらず元気そうで何よりだ」
「それでどうした。何かわかったのか?」
感傷に浸ったり昔話をする余裕はない。良治はそれを理解していたが、どうやらそう感じていたのは和弥も同様らしい。挨拶もそこそこに本題に入る。
「霊媒師同盟の目的がわかった気がしてな。多分京都本部襲撃だと俺は読んだ」
「詳しく頼む」
「戦った相手の発言から、少なくとももう一つ動かしてる部隊がある。で、福島と宇都宮を落とした方が陽動で、居場所のわかってない方が本隊だ。でも現状部隊を動かしたらバレないわけがない状態だ」
「そうだな」
和弥も現状を把握しているらしい。返答に迷いがない。
「ああ。だからきっと空路か海路で来る。京都には空港がないから個人的には海路の舞鶴港が怪しいと思ってる」
「確かに空港はないな。ただ伊丹空港からなら一時間くらいだから可能性は捨て切れないか」
「まぁな。だから正直絞り切れはしてない。そっちに人手があるなら両方を警戒するのをお勧めするが」
この推理は良治が霊媒師同盟の指揮官だったら、という仮定に立って思いついたものだ。なので京都本部への経路は断定は出来ていない。むしろしたらそれ以外の経路で来てしまった場合非常に危ない。だから素直にわからないと伝えた。
「そうだな、一応手分けするか」
「あとこれもあくまでも予想なんだが、恐らく白神会の事情をある程度知っている奴が一枚噛んでる可能性が高い」
「どういうことだ?」
「入念な調査の上で行動している可能性はあるけど、今まで霊媒師同盟の動きに気付けなかったのなら元々白神会のことを知っている人間が向こうにいる可能性があるってことだ」
話をしているうちに気付いた可能性も伝えておく。情報伝達や今どんなことを考えているか、そういうことをちゃんと言葉にしておくことは重要だ。突発的な事態に対応もしやすくなるし、相手が何故そんな行動を取ったのかも推測しやすい。そうしておかなければ不要な不信感が生まれやすくなり、組織的な行動を阻害することになる。
「確かにそんな報告が上がってきたことはないな。了解、心に留めておくよ。ありがとな」
「いいよ別に。で、だ。俺にこのまま任せてていいのか? 京都本部として」
これが一番気になっていたことだ。結那に頼まれてここまで来たが、それは彼女の独断だ。加奈にはああ言ったが、本部がそれを許可したわけではない。むしろ許可は出し渋るはずだ。
「あー、そうだな……いいらしいぞ。許可は貰ったから好きにするといい。まぁ終わったら色々と話は聞くことになるけどって」
「……誰に許可を?」
あっさりと許可が出てしまい、眉根を寄せる。
「綾華と隼人さん」
「いるのかそこに」
「ああ、スピーカーで聞いてるし。まぁそんな感じだから」
どうも良治が組織を離れてからも相変わらずのようだ。
白神会総帥の隼人は行動力と決断力がある反面、ノリと腰が軽い。しかしその妹で和弥の妻になった綾華は思慮深く冷静な女性だ。彼女も許可を出したのなら大事にはならないはずだ。
「……適当で流れに任せるようなところは変わってねぇなぁ……。まぁいいや。とりあえず好きにやらせてもらう。経費は後で請求するからな」
「おっけ。領収書を忘れずにって綾華が」
「了解した」
「任せたリョージ」
五年前まではよく聞いていたフレーズに頬を緩ませ通話を切った。
「どうだった?」
「変わらないな、和弥は。立場はだいぶ変わったろうに」
最初に会った時、和弥はただの高校生だった。五年前良治が白神会を抜けた時は京都で隼人に稽古をつけて貰っていた。
そして今は綾華と夫婦となり、白神会のトップに近いところにいる。
「そうね。でもそれだけ努力したってことよ。和弥は良治を目標にしてたから」
「俺を?」
「ええ。いなくなったあと、そんなこと言ってたわ。冷静で状況判断が出来て、みんなを引っ張っていけるような、そんな人間になりたいって」
「そりゃ過大評価だよ。俺はそんな大層な人間じゃない。むしろ俺があいつのような人間になりたいって思ってたよ……いや、ちょっと違うか。憧れていたって言う方が正確かな」
自分の信じたことを最後まで信じられて、そしてそれを貫ける強さ。どんな逆境でも覆せる力強さ。彼について行きたいと思えるカリスマ性。どれも良治にはなかったものだ。
だからこそ良治は彼に憧れ、尊敬し、助けになりたいと思っていた。
「なんだか妬けるわね。二人からそんな話聞くと」
「なんでだよ」
「まー良いけど。それで、あとはどうしたらいいのかしら」
和弥のというか京都本部の許可は得た。これでだいぶ自由に動ける。
「鷺澤さん、川越支部の人に連絡を。指示は二つ。ますは重要な書類などの持ち出しと安全な場所への保管。そして、明日あるであろう襲撃の備えです」
「えっと、備えって具体的にはどんなことを?」
「川越支部は空にしますが、人がいるように見せかけてください。灯りをつけておくとか結界を張っておくとか。簡単な罠とか作れたら最上です。重要なのは今日の夜、東京支部に襲撃を来させないことです」
川越支部を時間通りに襲撃すれば、その日のうちに東京まで来て再襲撃の線は薄くなる。罠の一つでもあれば建物内の把握に時間がかかる。そうなればぐっと可能性は下がるだろう。
「ああ、それとあと一つ。襲撃時間に合わせて川越支部を見張ってください。出来たら複数地点から。襲撃があった時点で連絡、離脱で」
確実に相手の行動を把握しておきたい。しかし危険は犯したくないので離れた場所からの見張りに留める。
「わかりました。そう連絡しますね」
「お願いします」
揺れる車内を前の方に移動して電話をかける薫。それを目で追っていた良治は横から視線を感じて振り返った。
「……なんですか」
「いえ……その、あの和弥さまに普通にお話してて凄いなって」
「え?」
躊躇いがちに言う、ちょっと眠そうな蒔苗の言葉の意味がわからず声が出る。そんな良治に苦笑しながら眞子が座席越しに助け舟を出した。
「あのね、蒔苗ちゃんや若い人にとって和弥さんは英雄なのよ。《暴炎の軍神》、《魔王殺し》、《光浄の翼》……ただの高校生から退魔士になって、魔王を倒し、綾華さまと結婚して白兼家の一員になった、ね」
「なるほど……確かにそう聞くとその通りですね」
聞き覚えのある二つ名もあるが知らないものもある。良治がいなくなってから増えたものだろう。《魔王殺し》は正確には正しくないが、撃退したのは確かなのでわざわざ訂正することもないだろう。話には尾ひれがつくものだ。
「だからそんな和弥さんと対等に話をする貴方に驚いたのよ。ね?」
「は、はい。びっくりしました……」
「納得しました」
これからは気を付けなければならない、かもしれない。昔と違って今の良治の立場などないに等しい。ただのフリーの退魔士くらいなものだろう。更に言うならその退魔士としての仕事もこの五年まったくしていないので、厳密には元退魔士だ。
それに引き換え和弥は先程眞子が言ったように英雄としての道のりを歩んでいる。良治とは比べ物にならない。
「私も周囲に誰かいる時は気を付けるくらいだしね」
「結那でもなのか」
「そりゃそうよ。少なくとも公私の区別はつけないといけないくらいには向こうは偉くなったんだから。だって今は『白兼和弥』よ?」
都築から白兼へ変わった苗字。その意味は大きい。
現総帥の隼人は結婚しておらず子供もいない。その意思すら感じられない。だからもしかしたら、和弥が隼人の後を継ぐのではないかと思われているようだ。良治もその可能性はあると感じている。
「まぁ反対する人がいなけりゃいいとは思うけど。それにあいつがそれを望むかどうかわからないさ」
「まぁそうね」
和弥が自分から望んでトップになることはきっとない。それは良治や結那など近しい人間なら思うことだ。しかし周囲から期待されたり望まれたりしたらわからない。和弥はいつも誰かの為に戦ってきた人間だからだ。
それがわかっているからこそ、彼に負担を強いることはしたくない。
「あ」
「寝ちゃったわね。まぁこれだけ治癒術使ったの初めてだろうし、こんな経験したこともなかったろうし当たり前かしら」
気付けば隣でうとうとしだしていた蒔苗にそっと肩を貸す。治療してくれた彼女にささやかなご褒美だ。
「ああ、そうだ結那。まどかにも連絡頼む。これからそっちに行くって。あと東京支部で防衛することも」
「おっけー」
小声で指示を出す。これであとは東京支部に到着してからの仕事だけだ。今できることはしたはず。
(……あ)
完全に寝てしまった蒔苗を見て一つ思いつく。東京支部にはこれだけの人数の布団はないはずだ。
宇都宮支部員はもちろん、それ以上に福島支部から戦い続けてきたメンバーは疲労がピークだ。丸一日猶予が生まれるはずなので、そこでしっかり休養は取らせたい。
(便利な世の中だな……)
ポケットから取り出した携帯電話からネット注文をする。東京支部のメンバーは除くとして、今移動している人数と新発田から来る人数をざっくりと計算して数字を入力した。これで昼過ぎくらいには東京支部に大量の布団セットが届く。かかった費用は経費としてあとで請求すればいい。
(銀行にも行かんとなぁ。あ、食料も必要か)
軍を維持するにはお金がかかる。きっと軍の指揮官は昔からこんな苦労をしているのだろうなと溜息を吐く。これを最後にしたいと心の底から思った。
休息を取れる環境と食事。とりあえずこれでなんとかはなるだろう。あとは単純に防衛出来る戦力と戦術だ。質では明らかにこちらが劣っていた。倍の人数がいても、良治が最後に戦ったような一騎当千を地で行く猛者がいれば蹂躙される。
もっと戦力が欲しい。しかしこれ以上望むのは難しい。人数だけ集めても被害が多く出るだけだ。
(一応一つの案として考えておこう。来てくれるかどうかはわからないが連絡くらいは……)
一つだけ浮かんだ案を頭の片隅に置いて、良治は僅かな眠りに落ちた。
「あ、起きた?」
「……どれくらい落ちてた?」
マイクロバスの揺れで目を覚ました良治は、前の座席から身を乗り出してこちらを見ていた結那に尋ねた。寝るつもりはなかったが、どうやら思った以上に疲れていたらしい。
だが考えてみると昨日は朝から工事現場の仕事をこなし、それから宇都宮支部に来て戦闘になった。久し振りになる退魔士の仕事も疲れの要因だろう。
「結構寝てたわよ。いきなり意識失ったから死んだのかと思ったじゃない」
「まぁ治して貰ったとは言え腹刺されてたからなぁ……」
運良く内臓までは達していなかったので何とか動けるようにはなった。もっと深手だったら病院に運ばれていたところだ。
隣の蒔苗はまだ眠っている。起こさないように身体を動かさないように気を付けながら少し声を潜めた。
「で、あとどれくらいで東京支部に着く?」
「そうね、あと十分くらいかしら」
「了解、さんきゅ」
身長にポケットから携帯電話を出して時間を確認すると四時前だった。窓から外を見ても冬の夜明けは遅くまだ暗い。
だんだんと外の景色が見覚えのあるものに変わっていく。小さな頃から過ごした風景だ。暗くても見間違えるものではない。
良治は戻って来たくて戻って来たわけではない。流れで来てしまったと言える。自分の意志ではないことに少し、悲しくなった。
(いつか戻るとしたら、それはきっと色々覚悟が出来た時だと思ってたのにな)
覚悟はまだ出来ていない。自分から距離を置いた人たちと向き合う自信もない。
自分は弱い。肉体的にも精神的にも。特に精神面は昔逃げ出したことからも顕著だ。仕事に限れば問題ないが私生活はあまり上手くコントロール出来なかった。そしてその結果逃げ出すことになり、今まで逃げて来たのだ。
あれから少しはマシになったとは思うが、それは開き直りだと良治は思っていた。
(……でも、もうこれが限界なのかな)
運命など存在せず、神を信じない良治だが、それでも立ち向かう時が来てしまったのかと思い始めた。心の何処かで何か切っ掛けを欲していたのかもしれない。
「良治、着くわよ」
「ああ。……ほら、蒔苗さんそろそろ起きて」
「ん……え?」
とろんとした目をした蒔苗が起きたのを確認して、後ろの座席に座っていた加奈たち三人に視線を送る。
加奈と眞子はまだ集中力を保っているように見えるが、一番体力のなさそうな佑奈は疲労の色が濃い。
「大丈夫ですか、佑奈さま」
「あ……はい」
「なら良いのですが。無理はなさらぬように」
「ありがとうございます……」
俯きがちな彼女に不安を感じたがそれ以上の言葉は控える。あまり喋らせるのも悪いだろう。
幹線道路を曲がってすぐの砂利道を通ると駐車場を兼ねたスペースが広がる。そして、その先にあるのは目的地である白神会・東京支部だ。門から少し離れた場所に付けて、バスはその動きを止めた。
「では加奈さま。行きましょう」
「ええ。全部任せます。何とかしましょう」
「はい。全力を尽くします」
皆が立ち上がるのを確認してから良治も席を立ち、先にバスを降りる。上の立場の加奈は最後、実際に動く立場の良治はそれよりも先に降りた方がいい。あまり気にする者はいないだろうが、それでも気を付けられるところは気を付けておきたい。
バスを降りると周囲には別の車で移動してきた者たちが待っていた。特に指示を出していなかったので全員が集まるまで待機していたのだろう。
そして、東京支部の前に静かに立っている人たち。懐かしさを感じると同時に後ろめたい気持ちがこみ上げる。
「大丈夫?」
「大丈夫だよ」
真後ろについて来ていた結那に、振り返らないまま真っ直ぐ歩き出す。
「――お久し振りです、葵さん。すいませんが協力を……?」
姉のように慕っていた葵の前に出て話し出した良治に、彼女は静かに首を振った。何か間違えただろうか。それともやはり飛び出した時のことを怒っているのだろうか。
不安に駆られる良治に、南雲葵は微笑んでこう言った。
「――違うわよ、良治君。『ただいま』でしょ?」
――ああ、なんて言葉だ。
思わず泣き出してしまいそうな気持を押し込んで、良治はその気持ちに応えた。
「――ただいまです、葵さん」
「うん、おかえりなさい」
戻ってきて良かった。きっと、いつだって戻ってきて良かったのだ。
雨でも降ればいいのに。そう思いながら良治はまだ残る星空を見上げた。
【二つ名】―ふたつな―
一人前以上の退魔士、もしくは著しい結果を残した者に与えられる異名。称号。
誰ともなく周囲から呼ばれることが多いのだが、行った結果を吟味して二つ名を決定しているのは京都のある流派のメンバー。
若干中二病チックではあるが、それは命名者の趣味である。