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天井裏の暗殺者

 良治たちは綾華の部屋を出て、離れの一軒家から京都本部の母屋へ向かう。少々遅くなったが彼女たちは特に不満もなく待っていてくれたのが地味に嬉しい。


「お兄さま大丈夫だったんですか」

「ああ……って何が」

「いえ、お仕事の件などお話されていると思ったので」

「いや大丈夫だよ。さすがに今することじゃないし、緊急の案件は他の人に回してあるから」

「そうですか、失礼しました」


 どうやら崩はもっと時間がかかるものだと思っていたようだ。確かに本来なら綾華と打ち合わせしたいことは多いのだが、出産した直後に時間を取ってでもすることではない。


 この中で一番京都本部に詳しいのは良治だったので先頭に立って進んでいく。崩といろはは二度目、優綺も陰陽陣の時と新年会の時とで今回が三度目、郁未に至っては初めての来訪だ。

 郁未はどうしても周囲が気になるらしく、しきりにツインテールを振るように頭を動かしていた。その動きがなんとなく面白かった。


 時折皆ちゃんとついて来ているか背後を見ながら隼人の待つ大広間に到着する。


(……着いてしまったか)


 襖の前で大きな溜め息を吐いてしまう。


「どうしたんですか、先生」

「いや何でもない。行こう」


 ここで止まっても意味はない。諦めて襖をゆっくりと開けることにした。


「やぁやぁ意外に早かったね。もう少し来る足が鈍ると思っていたよ」

「……いえいえ。まさか総帥をお待たせするなんてこと、するはずがないですよ」


 ――気乗りしていないのはわかっているけど予想よりも早かったね。

 ――どっちにしろ会わないとならないなら早く済ませたいんで。


 要約するとこんな感じになるだろう。お互いに笑ってはいるが、隼人は本当に面白がっていてのに対し良治は作り笑いだ。そしてそれを二人とも理解している。


 そんな挨拶をしながら前に進み、用意されたテーブルにつく。

 良治は迷ったが素直に隼人の正面、テーブルの中央の席に座ることにした。

 本来なら一番立場が上なのは他組織の盟主である崩だが、話があると呼ばれたのは良治だ。失礼に当たったらあとで謝ろうと思ったが、当の崩は何の疑問も不満もなさそうに良治の右隣に優雅に座る。これなら必要なさそうだ。


「お久しぶりですね、崩さま。霊媒師同盟そちらはあれからどうですか」


 しかし隼人はきちんと礼節通りに崩から声をかけた。こういうとことはしっかりと出来ているのが小憎らしい。


「こちらこそ。この度は綾華様の御出産まことにおめでとうございます。こちらをどうぞ」


 崩の挨拶と同時にその隣に座っていたいろはが大き目の紙袋を取り出し、それを隼人に渡す。


「これはお気遣いどうも。ありがとうございます」

「いえ、お気になさらず」


 中身をちらりと見て隼人は紙袋を横に置く。おそらく中身は普通の土産だろう。もしかしたら産まれた子供に必要なものかもしれない。さすがにこのタイミングで重要な何かを持って来ていることは考え難かった。


「それで隼人さま。お話はなんでしょうか」

「ああ、そうだね。話をしよう。良治君は無駄話は好きじゃないからね」


 見透かされてることが嫌だが極力顔に出さずに笑みを浮かべる。その瞬間何故か左隣に座っていた優綺が微かにビクッとした。


(気付かれたか。というか俺が未熟なだけだな……)


 良治はあまり感情をコントロールするのが上手い方ではない。むしろ短気な方だ。

 だからこそそれを表に出さずに上手いこと隠したいのだが、未だにそうはなっていない。もう二十代も半ばで直っていない以上今後も期待薄だと諦めかけていた。


「さて、じゃあ本題だけど……というか話したい事は幾つかあるんだ。一つずつやっていこう」

「幾つか、ですか」

「はは、そんな微妙な顔をしないで。ほらほら、お茶淹れてあげるから」


 長い話になりそうなのが顔に出て、逆に隼人が笑顔になる。調子に乗って自らお茶を淹れだす始末だ。


「それは私が」

「いやいや優綺くん、気にしなくていいよ。私がやりたいだけだから」

「は、はい……」


 身を乗り出した優綺を制して順番にお茶を出していく。ここだけを見れば日本最大の退魔組織の長だと誰も思わないだろう。ただの軽いノリのお兄さんといった感じにしか見えない。


「さてさて、じゃあまずは……魔眼封じの話から入ろうかな。紹介も兼ねて」


 隼人は今も郁未が装着している『魔眼封じ』と呼ばれる眼鏡の話から切り出した。フレームのないその眼鏡はこの京都本部から借り受けたものだ。もしかしたら返却の要請かもしれない。


「失礼しました。……郁未、挨拶を」

「ひゃ、ひゃいっ」

「郁未さん、落ち着いて」

「う、うん」


 優綺のフォローに郁未は深呼吸をする。頭の痛むその光景を隼人はにやにやと相変わらずの笑みで眺めていた。


「え、ええと……生方うぶかた郁未、です。初めまして……」


 がちがちに固まって視線を泳がせながらなんとかそれだけを絞り出す。良治は今後はある程度常識的な対応というか挨拶や言葉を教えていくべきか真剣に悩みだした。


(こういったこと、優綺は何の問題もなかったから完全に見落としてたな……)


 こればかりは生まれ育った環境も影響する為一概に言うことは憚られた。郁未の家庭環境は三宅島の事件の時に少しだけ聞いている。一般家庭と比べることは出来ないだろう。

 それは優綺も同じだが、彼女の場合は常に周囲に複数の大人がいたことから礼儀作法や敬語など必要なことは教えて貰っていたようだ。姉代わりとも言えるまどかや結那、天音がいたことも大きな要因だろう。特に天音は普段から丁寧な口調で、彼女が教えていたのなら安心できる。


「うん、初めまして。まだ入ったばかりでわからないことも多いだろうけど、良治君の教えはどうかな。厳しい?」

「えっと、大変ですけど、そこまで大変じゃないっていうか……厳しいけ、ですけど、ちゃんと優しいっていうか……」


 しどろもどろでちょっと赤い顔をしながら言う郁未に良治の方が居心地が悪くなってきてしまう。二人の様子を交互に見ている組織のトップのせいなのは言うまでもない。


「うんうん。上手くやっているようで何よりだよ。良治君も頑張ってるみたいだね」

「どうも、ありがとうございます」


 棒読みで返すか嫌味で返すか少しばかり迷ったが、結局普通に返すことにした。どんな言葉でも隼人を面白がらせるだけだろう。それならかける労力は少ない方がいい。


「はは。それで『魔眼封じ』はどうするかな? まだ必要かな」

「そうですね……もうしばらくは。急ぎの用件があるのならお返しいたしますが」


 郁未は最近はもうかなり安定して魔眼を扱えるようになってきている。まだ多少の不安はあるが、今返却を要求されてもなんとかなるだろう。

 しかしあともう少しで自力で切り替え出来る自信が付きそうで、そうなるのもそう遠くないはずだ。そこまで借り受けていたい気持ちがあった。


「あの、センセ。私……もう大丈夫。――うん」

「郁未?」


 そっと細い指で優しく『魔眼封じ』を外していく。そして感謝の念を感じるほど丁寧にそれをテーブルの上に置いた。


「いいのかい、郁未くん。まだ別に持っていても構わないけど?」

「大丈夫、です。その、ずっと一緒に、持っているわけにはいかないし、ですし……今日がきっと、その時なんです」


 先ほどとは違い懸命に、真っ直ぐに隼人の視線を見つめ返す。


 ――今日がきっと、その時。


 その言葉に良治は郁未が強くなってきていることを感じた。


 相変わらず突発的に起きたことに対して慌ててしまうところはあるが、それでもすぐに立て直し、状況を把握したり自分の気持ちをはっきりと言えている。

 それも自分にとって非常に大事なことで、簡単には受け入れ難いことのはずだ。自分の人生を一変させた、一変させてくれたかけがえのないものをその場で返すという決断。


 郁未はそれを誰に言われるというわけでもなく、自らの決断で行った。


「――ふむ。じゃあ返してもらうことにしようか。良治君もそれでいいかな」

「はい。郁未が決めたことを尊重致します」

「……っ!」


 自分の言葉が良治に認められたからか、ぱぁっと郁未に笑顔が広がる。独断だったので怖かったのだろう。見ていてとてもわかりやすい。


「うん、じゃあ返してもらうことにしよう。ちなみに今、透視の魔眼は発動しているのかな」

「あ、ほんのちょっと、だけです。テーブルの下がなんとなく薄っすらと見える……くらいです」


 透視の魔眼と退魔士の力は別物で、少なくとも良治には透視の魔眼が発動しているかどうかを確認する術はない。

 だが今では魔眼を使おうとすると自然と両目に力が集まっていくので、強めに見ようとしている時だけはわかるようになっている。しかし今のように特に見ようとしていない状況ではまったく感知できない。


「なるほど。じゃあ天井の向こう側を見ることは出来るかな」

「え、はい……ッ!?」

「なるほど。本物みたいだね。疑ってはいなかったけど、実際に見るとまた感慨深い」

「あ、ああああの人は……っ?」

「ああ、気にしないでいいよ。私の護衛みたいなヒトだから」


 そこでようやく良治は天井裏に誰かがいることに気が付いた。といってもここは京都支部、それも白神会総帥のいる部屋だ。総帥の身近に護衛の一人や二人いない方がおかしな話だろう。


 ――納得していた良治だったが、その次の郁未の言葉に驚愕してしまうことになる。


「あ、ああ……上見たら黒い服の、なんかまるで……墨一色みたいな人がいたからびっくりしたぁ……」

「――!」


 墨一色の人――墨一色・・・の男。白神会総帥直属の護衛。京都支部。

 複数の単語が良治の頭に羅列されていく。そして途端に皮膚から冷や汗が噴き出したような感触が身体中を覆っていく――


「うーん? どうかしたのかな、良治君」

「……いえ」

「まぁこれで郁未くんの魔眼が本物で、それも強いものだと理解出来たよ。さて、じゃあ次の話は――」


 その先の話を良治はあまり覚えてはいない。

 緊張とこの先の未来、展開が見えないことの恐怖がもたらす動悸。それが彼の思考の大半を奪っていた――











「奇遇でしたね、まさか同じ日に京都ここに来てたなんて」

「だな。っと祥太郎もほら」

「ありがとうございます。……うん、いいですね。今日の酒は一段と旨い!」


 良治の前でご機嫌に酒盃を傾けるのは一人の青年だった。どうやらかなりの酒好きなようで、とても心地良さそうに良いペースで盃を空けていく。見ていて、一緒に飲んでいて気持ちいいくらいだ。


「祥太郎さん、もうちょっとゆっくり飲んではどうですか。そんなんじゃ潰れますよ」

「いやぁ今日は本部に泊まるんだし、潰れてもいいかなって。こんなに楽しい酒は久し振りなんだよお」

「もう……」


 もう酔いが回ってきている祥太郎の横で溜め息を吐くのは、彼の妻である加奈。前福島支部の支部長で先代の蓮岡家当主だった彼女だ。


 二人も良治たちと同じく綾華の出産祝いに京都を訪れ、隼人と話をして帰ろうとしたタイミングで偶然出会うことになっていた。

 綾華との話が終わったらたまには酒でも、という祥太郎の誘いを少々迷った末に受け、この日は京都支部に泊まることになった。当然隼人の許可は得ている。


 まだ新婚半年の二人は初々しい――と思っていたがそこまでではないようだ。それもそのはず、遠距離とはいえこの二人は付き合い初めてもう十年近く経つはずだ。まどかが祥太郎と始めて会ったのが約九年前で、その当時既に付き合っていたと聞いたことがある。


(その当時って二人とも中学生だったんだよなぁ……凄い)


 中学生同士の遠距離恋愛など、良治には想像がつかない。大したものだと思える。そしてそれは実を結び、晴れて結婚をしたのが半年前、去年の年末で、良治が祐奈を振った直後のことだ。


「白神会の皆様とお酒を頂けること、とても喜ばしいことと思います。さ、奥方様も」

「あ、はい……でも、そのように呼ばれるのは。加奈、と、そうお呼びください崩さま」

「そうですか……わかりました加奈さま」

「あの、さまもなしで……」

「では加奈さんで」

「はい、それで。崩さま」

「私だけさま付けは」

「いえ、これだけは……」

「そうですか、残念です」


 小さなテーブルを四人で囲んでいる為、良治から見ると彼の左に祥太郎、そして更に加奈、崩という順番に座っている。崩はなかなか歳の近い同性が身近にいない為か、先ほどからずっと加奈に話しかけている。親族としてこれはこれでとても微笑ましい光景だが、さすがに加奈は困っているようで、ちらちらとこちらを見て助けを求めていた。


 ちなみに良治と崩以外の者たちは別室で食事をしているはずだ。この場は祥太郎と加奈のプライベートという意味合いが強いのだろう。祥太郎が速いペースで飲んでいることからもそう思えた。


「まぁ、崩さまもその辺で。そんなにお酒弱かったでしたっけ?」

「いえ、そんなことはないですよお兄さま。確かにお酒は好きですけれど」


 矛先が良治に向き、ほっとした表情をした加奈。それをやはり機嫌良く祥太郎が眺めていて、夫婦仲は良好なのだなと良治は感じた。


 ――この席が決まるまで皆色々思うところはあったはずだ。良治はそう思っていた。


 祥太郎が良治と一緒に飲みたいと言い出したのは本心だろう。だがそれだけでもないように思えた。そしてそれが正しかったと実感したのはこの部屋で酒に口をつける前のことだった。


 ――『どんな言葉や態度を持ってしても許されざる行いを致しました。深く、深く――お詫び致します』


 霊媒師同盟の盟主はそう言って、加奈に正座をして頭を下げたのだ。

 先年の霊媒師同盟からの福島支部襲撃事件。その加害者と被害者。これは避けては通れないこと。


 ――『――はい。確かに承りました』


 加奈は静かに、だが確かにその謝罪を受け入れた。

 彼女も当事者の一人として事件の詳細な経緯を教えられている。だから崩の意思として襲撃が行われていないことは理解していた。

 しかしそれでも霊媒師同盟が福島支部を襲い、多数の死傷者を出したことは事実。責任を追及していけば最終的に下の者を、クーデターを起こすことになってしまった管理能力のなさを指摘されることになる。


 だが加奈はそれをしなかった。後見人だった叔父を、家族同然だった支部員を失ってなお、感情的にならずに静かにそう発しただけだった。


(まぁ、穏便に済むのが一番ではあるけど)


 加奈がどんな気持ちでいるのか、それは良治にはわからない。だがしかし、二人が笑顔で言葉を交わしている今がとても尊いもののように良治は感じ取れたのは確かなことだった。


「どうしたんですか、お兄さま。あ、私と一緒にお酒を飲むのが嬉しいんですね……!」

「みんなで、ですよ」

「――そう、ですね」


 一瞬だけ感情が抜け落ちた表情に良治は察した。彼女の裡にも複雑な感情が残っていることを。


「……まぁ、笑って飲もう」

「はい。――ありがとうございます」


 今日は深酒になりそうだ。でも記憶をなくすまで飲むのは控えたい。


 ――今日のこと、忘れたくはないな。


「さ、良治さんももう一杯」

「ん、さんきゅ」


 空いたのを見計らっていた祥太郎が更に酒を注ぐ。


 あの時言ったように手を取り合っていけているはずだ。もちろんこれからもそれは続く。そう信じたい。


 そして良治はぐっと酒を飲み干した。



【白神会総帥直属の護衛】―はくしんかいそうすいちょくぞくのごえい―

白兼隼人の最も近い位置に存在する護衛。そしてそれは最も彼が信頼する者でもある。

影そのものとも呼ばれる彼の姿を見た者は一握りしか存在しない。

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