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再会は一瞬の交差で

「こっちはもう大丈夫かな」

「あ、良治おかえり。うん、あとは良治が一人の時のこと引き継げばそれでお終いよ」


 ひらひらと手を振る結那。どうやら彼女も仕事がほぼ終わり達成感に浸っているらしい。実際結那はもう帰るだけでそれも仕方ないのことだ。


 攫われた二人の部屋にはその二人と結那、そして高村の部下の女性の方だけがいた。なんとなくどころではなく居心地が悪い。その理由は複数あって解決できる見通しはなく、手早く簡潔に見たこと、起こったことを伝えて去るのみだ。


「引継ぎを。……あの、もう一人の方は?」

「今向こうの扉から地下に。そちらは調べましたか?」


 やや憔悴した表情で、しかし仕事をきちんと行おうとしていることに好感を持つ。壊滅と言っていい状況で生き残ってくれたことがなんとなく嬉しかった。有能な人物には長生きしてもらいたい。


「調べました。……その、こっちで」

「? あ、はい」


 部屋の外まで彼女を誘って出る。攫われた二人に聞かせるような話ではない。


(まさか結那、その場で話してたりはしないよな……?)


 そこはかとない不安が湧き上がる。

 結那ならあり得ることだ。豪胆というか周囲をあまり気にしないというか。


「あの、結那はあの場で説明を……?」

「あ……いえ、部屋の端で、小声で行ったので聞こえてはいないと思います。……ちょっとわかりにくかったですけど」


 質問の意図を察した女性が苦笑いをする。

 結那の行動は少しどうかと思うが、そのお陰で彼女の固まっていた表情が僅かばかりだが緩んでくれたのは喜ばしいことだ。


「なるほど。ありがとうございます。では――」

「え……?」

「失礼」


 安心したところで良治はズボンのポケットから取り出したハンカチに、自分の力で作り出した水を湿らせて彼女の頬にあった血痕を丁寧に拭き取った。

 メモとペンで両手が塞がっていた彼女は、なす術もなく固まってされるがままだ。拭きやすくて助かる。


 おそらく前の仕事場から今まで気にするような余裕はなく、そしてもう一人の男性も同様だったのだろう。そうでなければお互い顔に付着した血痕を指摘し、ここに来るまでに拭くくらいはするはずだ。


「あ、あの」

「はい、失礼しました。これはあげるんでもう一人の方にも」

「……ありがとうございます」

「では――」


 彼女の怪我の有無も気になったが、さすがにそこまでは踏み込みし過ぎだろう。今まで動作におかしな部分は見えなかったので、今すぐここで治療しなければならないレベルの負傷はないはずだ。


 良治は地下室にあったもの、見た光景をまずありのままに語り終えると、そこから自分なりの見解を交えて説明をする。

 事実と個人的見解は分けた方がいい。良治の意見は彼女が自分で取捨選択してくれるだろう。


「あの陰神の研究者が……わかりました。ありがとうございます」

「いえ。もし何かあれば連絡を。高村さんにそうお伝えください」


 これで良治の仕事は終わりだ。あとは結那と共に帰って、明日中に報告書に纏めれば一先ずこの件に関しては終了になる。


(これはこれで終わったとしても、またやらないといけないことは増えた気がするけど)


 おそらくいるであろう支援者の正体、そしてそれとは別件で黒猫の動向も気になる。

 後者は偶然を装った彼女がいつ良治の前に姿を現すか次第の為動きようがない。出来るのは心構えと心の準備だけだ。


「あのっ」

「……はい」


 部屋にいる結那を呼んでもらおうと口を開きかけた良治を遮ったのは、意を決したような上目遣いの彼女。その視線を正面から受け取ってしまった良治は逃げることは出来ず、言葉を促した。


「――どうしたら、強く……なれますか?」


 彼女の言葉は重く、悲しく、切実なものだった。

 それがここに来る前に起こった、起こってしまった出来事を発端としているのは間違いない。


 彼女のこの想いの根源はなんなのだろうか。

 複雑な感情が絡み合って一言では、一つには絞れないとは思うがそれがとても気になり――良治は彼女の瞳の奥にある感情を読み取ろうとした。


(……ああ、この子はいい子なんだな)


 同じくらいの年齢の女性にする評価ではないが、その中に憎悪や復讐心が見えず、ただ悲しさをバネにしているように感じて良治は自分の予想が見当違いだったことを反省した。

 自分と同じように身近な者を殺されたことで噴き上がる復讐心。それが強くなろうと決意する根源だと思っていたが違うようだ。


 だがそれならそれでいい。その方がいいのだ。

 復讐心で力を手に入れても力は力。そこに違いはない。

 しかし身を焦がすような復讐心に駆られて進んでいけば、辿り着くのは自身の破滅だ。

 良治が今ここでまだ生きていられるのは周囲に恵まれた人々がいたという幸運以外の何物でもない。


「……そうですね。今の気持ちを、悲しさを忘れなければ。きっと貴女は強くなれると、そう思いますよ」


 もう彼女は強い。心の強さを持っている。それがある限り、彼女に力が追いつくだろう。


「この気持ちを……つらい、ですね。でも……頑張ります。ありがとう、ございます」


 気持ちの整理にはまだ時間はかかるだろう。整理した気持ちをこの先持ち続けることもつらいだろう。

 だがそれを厭わず、前を向いていこうとしている彼女は、きっと大成する。


「……」

「……」


 一人の退魔士が決意を持った瞬間、それはどんなものにも代え難い、貴重で高潔な瞬間だ。

 それが良治にはとても嬉しく、そしてもっと強く、自分もちゃんとしなくてはと再認識する瞬間でもある。


「――ねぇ」

「……結那か。どうした」


 不意に交わす言葉もなく見つめ合っていた二人の空気を壊したのは眉間に皺を寄せ、拳を握り締めた結那だった。

 怖い。一歩後ずさりそうな足を固めて良治は何事もなかったように――実際何もなかったのだが――声を返した。


「まぁ、いいけどね。それで……あのコが良治と話がしたいって言ってるけど、どうする?」

「…………」

「良治?」

「ああ、いや。ちょっと待って」

「……珍し。そんな悩むことなんだ」


 結那が不服そうに言うが良治は何も返せない。

 地下室に向かう頃から考え出していたことだが、結局答えは出ていない。彼女、莉子と話すべきか否か。


 そもそも何を話せばいいのか。それもわからない。

 昔付き合っていて、数年振りに再会した彼女とどんな会話をすればいいのか。


「――行ってくる」

「そ。じゃもう一人のコを連れてビルの入り口にいるから」

「助かる」


 結那は手をひらひらとさせて部屋に入り、すぐに捕まっていたもう一人の女子高生と一緒に出ていく。


「では私も。終わったら入り口で。彼女も送っていかないといけないですから」

「わかりました。ありがとうございます」

「はい。それでは」


 高村の部下の彼女ももうここですることはないようだ。廊下でツナギ姿の男たちが何度も行き来していたが、今夜中に地下室のものをすべて運び出すのは無理だろう。一旦運び出す機材などを準備して出直すことになりそうだ。


 もう一人いた高村の部下の男性も地下室から上がって来て、彼女と一緒に入り口に向かっていく。彼女が彼にハンカチを渡すのを横目に良治は覚悟を決めて部屋に足を踏み入れた。


 部屋の中央で両手を前に重ねたスーツ姿の女性。髪の毛は肩にかかる程度。


(昔はそんなことなかった気がするな)


 長くなった髪が別れた歳月を思わせた。たった二年しか経っていないというのに。


「……お疲れ様。大丈夫か?」

「うん、大丈夫。助けてくれてありがとうね。……ふふ、やっと言えた。さっきはすぐ行っちゃうんだもん」

「仕方なかったんだ。仕事だからな」


 喋りながら傍まで近付き言葉を交わす。立ち止まった良治に、莉子は苦笑いを浮かべた。


「……もう。良治さんは嘘が本当に苦手ね。さっきすぐにいなくなったのはそれだけが理由じゃないでしょ?」


 動揺してどうしたらいいのかわからなかったから、仕事を理由にしてその場から逃げ去った。

 そのことを自覚はしていたがそれをそのまま口に出すのは憚られ、つい言い訳じみた言葉を口にしてしまう。だがそれも彼女にはお見通しらしい。


「まぁ、そうだな。それで話っていうのは」

「うん……そのさ、率直に言うんだけど、やり直さない?」


 バツの悪そうな苦笑の莉子は、上目遣いにそんな――頭が真っ白になるようなことを言って、良治はよろめいた。


 予想外にもほどがある。

 新宿に来たのも唐突な仕事で、更に敵の研究所アジトに来てみたらそこに捕まっていて、そして挙句の果てにやり直そうだなんてそんなことを言われるとは。


 てっきり今まで何をしていたのか、隠し事はこのことだったのか。そんなことが話題になると思っていた彼にとって、彼女の言葉は背後から頭部を殴りつけられたような衝撃を持っていた。


「なに、を」

「あの時、私から振っておいてこんなこと言うのは、っていうのはわかってる。……私に隠し事、してたよね。あの頃」

「……ああ」


 あの頃。つまりは付き合っていた当時の話だ。

 良治は退魔士としての生き方を捨て、普通の人間の生活を求めていた。退魔士ではない生き方がしたかった。


 しかし退魔士として過ごしてきた過去の記憶は消えることはない。

 ふとした瞬間によみがえることもあったし、物事をつい退魔士視点で見てしまうこともあった。

 無理やり記憶の奥底に押し込めてはいたが、身近にいた莉子からは隠し事をしているように感じられたのだろう。


 そして実際そうだったのだから良治に何かを言う資格はないように思えた。彼女がそれを理由に別れを切り出すのも、当時も当然と思ったくらいだ。


「それはきっと、このことなんだよね?」

「……ああ。知り合う前から、それこそ生まれた時からこんな世界にいた。あの時はそれを全部捨てて生きていこうとしてたけど、結局俺にはこの生き方しか出来ないみたいだ」


 一度は捨てた世界。だが結局出来なかった。

 これが運命なんてこと良治は考えたことはなかったが、この生き方が一番自然だと、今はそう思えている。


 ――ああ。答えなんて最初から決まってるじゃないか。


「莉子、無理だよそれは。俺はこっちの世界で生きていく。莉子とは同じ道は歩けない」

「……そっか」


 それだけを言って顔を伏せた莉子だったが、すぐに笑顔で顔を上げる。切り替えの早さは彼女の長所だったことを思い出しだ。


「でもさ、それだけじゃないよね? 今、彼女いるんでしょ?」

「……まぁ。なんでわかった」

「だって良治さんいい人だもん。あれからずっと一人でいるなんてないもの。あ、もしかしてさっきの人?」

「……大したもんだよ、ほんと」


 苦笑しか浮かばない。洞察力もそこからの推測も本当にいいものを持っている。――だからこそ惚れたのだ。あの時の感情の欠片に、ほんの少しだけ触れた気がした。


「ありがと。……良治さんちょっと変わったね」

「そうか?」

「うん。自然に自信があるのがわかるっていうか、そんな感じがする。カッコよくなったよ、前よりも」

「ん、ありがと。莉子も綺麗になったと思うよ」

「……もう。振ったあとにそんなこと言うのって酷いよ?」


 冗談っぽく言って莉子は良治の隣をすり抜けて扉の方へ歩いていく。ゆっくり、ゆっくりと。


 ――ここが最後の分岐点。

 そう理解する。


(――幸せになってくれ)


 言葉にしない、出来ない、するべきでない言葉。


「――さ、行こう?」


 扉の前で振り向いた彼女。

 涙と笑顔。


「ああ。もう、行こう」


 それぞれ違う人生みちへ。


 交差したのはほんの一瞬で――二人はまた別々の方向へと歩き出した。












「良かったの? あれで」

「良かったと思うよ。きっともう会うこともないさ」


 帰り支度をした結那が、高村の部下たちが用意した車に乗り込む莉子と女子高生を見ながら尋ねてくる。莉子がどんな話をして、良治がどんな選択をしたのかは察しているらしい。

 女性はなんでこんなに察しが早いのかと思いながら、良治は疲労に苛まれた身体を引きずるように歩き出した。


「タクシー? それとも何処か泊まる?」

「タクシー。早く帰って風呂入って寝たい」

「りょーかい。本当に今日はお疲れ様。大変だったわね」

「まったくだ。何も考えずにとりあえずゆっくりしたい」


 お互いの服装に問題がないかチェックし合い、そしてタクシーを探しに大通りへと歩き出す。これで今日の仕事は終わりだ。


(ゆっくりじっくり教えていく時間は……ないかもな)


 あの研究者の男ほどの者はそうそううろうろしていていいレベルではない。弟子の二人が遭遇してしまえば待つのはデッドエンドだ。

 郁未の件で戦うことになったあの小太りの男も気になる。いつ何時なんどきまた戦闘になるかわからない。今まではこの男のことだけを考えていればよかったのだが、今回それ以外にも見知らぬ実力者が敵対している可能性が生まれてしまった。


(……訓練メニューを練り直すか)


 厳しい訓練になるが、それでも死ぬよりはいい。あとはそれを彼女たちが理解してくれるかだ。そこまでの信頼関係が構築出来ていることを切に願う。


(そして――)


 知ってしまった予想外の事実。

 あの黒猫と次に出逢ってしまった時、どうしたらいいだろうか。


「あ、来たわね。乗りましょ」

「ん、さんきゅ」


 何も考えずにとは言ったが考えなければならないことはいくらでもある。そのどれも、後回しにすればきっと後悔することだ。


(全部やんなきゃな……)


 タクシーに乗った良治は静かに目蓋を閉じた。

 そっと手を握ってくれた結那に感謝をしながら。











「――ええ、はい。上手く進行してますよ。有力な協力者も増えましたから。まぁその分支出は増えますが……はい、わかりました。そちらは気付かれないように慎重に……はい、はい。それでは」


 通話を切った後、その男は深い溜め息を吐いた。

 我が儘で尊大な小物。それが彼の電話の相手に対する評価だ。おそらく彼と話したことのある大概の人間はそう思うだろう。


「さて、少なくとももう数人は欲しいか」


 人材確保は手間も金も時間もかかる。有名どころの実力者はこんな計画には参加してくれず、むしろ密告されてしまうのが関の山だ。人選は慎重に選ばなければならない。

 その点一か月ほど前に見つけた男などは完璧だった。実力もさることながら、何よりも白神会に恨みを持っていた。これなら裏切る心配はない。


 金銭面に関しては問題はない。あの男から引き出せばいいのだ。先の男の協力には多額の金銭と十分な研究施設が必要だったが、それも間抜けな男からの援助で賄える範囲だった。


 柊良治という男の抹殺。それが唯一の目標だ。

 罠を仕掛けることも一つ考えはしたが、それは熟慮の末に除外することにした。

 一発で殺害、もしくは致命傷を与えることに失敗した場合、それは白神会全体との敵対になる。有力な敵対組織のない現状、何をしてでも自分たちを殺すことを優先するだろう。そうなれば生き延びる可能性はぐっと下がる。


 柊良治殺害を成功しても敵対関係は変わらないが、やはりそこで彼がいるいないは大きい。男にとって柊良治は一人の退魔士以上の存在だ。彼を手段を選ばずに行動させるような理由付けは避けたかった。


 やはりそうなると罠という誰の目にも卑怯な手段は避け、相手側以上の戦力を用意しての勝負ということになる。

 この退魔士という世界は実力がものをいう世界だ。真っ当な勝負なら負けた方が悪いという風潮もある。そこまで恨みは買わないはずだ。少なくとも何に代えても、どんな行為をしてでも報復しにかかるという事態は避けられるだろう。


 そう考えた末に男は協力者を募ることにした。

 現在戦力として考えられるのはまだ二名で、その他にも数名いるが彼らはもっぱら情報収集や連絡係だ。

 まだまだ十分とは言い難い。


(正直逃亡生活は飽きてますしねぇ)


 自分で作成した候補者リストを眺めながらその男は口の端を吊り上げ、気味の悪い笑みを浮かべた――



【お互いの服装】―おたがいのふくそう―

仕事を終えた後に行う大事な確認。これを怠ると不慮の事故が起こることも。

以前これを忘れた結那は服に魔獣の血液が付着したまま帰宅しようとし、すれ違う人に奇異な目で見られた経験がある。まどかは服の脇部分が裂かれていることに気付かず下着が見えた状態で帰宅したことがあり、気付いた瞬間顔を真っ赤にして崩れ落ちたという。

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