敗走と真の狙い
(――ちくしょう……!)
宇都宮支部を飛び出した良治の胸は悔しさで一杯だった。ここまで惨めな敗走を彼は今まで経験したことがなかった。
作戦でも一対一の戦闘でも完膚なきまでに負けた。自分の価値が全部なくなったかのような喪失感と敗北感。死にたいとも思ったが、それでも死ぬなら何らかの結果を残したい。それだけが彼に死を選ばせなかった感情だった。
走りながら左肩の傷に手を当て止血をする。あの場面で逃げたからには必ず生き残って借りを返さなければならない。折られて鞘にしまった村雨は辛うじて握るくらいは出来る左手に持っていた。刀身が折られて転魔石で送り返せなくなってしまったが、捨てる選択肢はなかった。
数分道沿いを走り、決めてあった集合地点に辿り着く。良治が殿を務めて時間稼ぎをしたので恐らく車は残っていないと思っていたが、そこには一台のシルバーの軽自動車があった。傍には一人の女性が立っている。結那だ。
「良治っ!」
「悪い、助かった……すまん、車を早く。追手が来るかもしれない」
「おっけ!」
結那は助手席のドアを開けてから運転席に回り込んで乗り込む。ドアを開けてくれたことが地味に助かって嬉しい。良治も助手席へ身体を放り込んだ。
「ぐ……」
「大丈夫……って怪我してるじゃない! 早く手当しないとっ!」
「いいからとりあえず車を出せって。応急処置はしてあるから」
「う、なら良いけど……行くわよ」
一応納得してくれた結那が車のエンジンをかけてアクセルを踏む。足元に置いた村雨がガチャリと揺れて音を立て、良治は改めて苦い感情に襲われた。
ただの敗北ならばまだいい。良治は自分が強者だと思ったことはない。自己分析では中の上と言ったところだ。だから負けることもあると認められるし、相手よりも劣ったところも多くあると思える。ならば負けることもあるだろうと。しかし武器を、それも愛刀を折られて負けたのは初めての経験だった。
最初は悔しさ。しかしそれが過ぎると来たのは無力感、劣等感だった。自分はとても脆弱でちっぽけな存在だと思い知らされた。
「ね、もしかしてだけど、村雨……」
「ああ。折られた」
南下しているであろう車中、最後を言い淀んだ結那に返した言葉はやけに乾いた、感情の薄いものだった。良治は自分の声色に少し驚いて自嘲気味に笑みを浮かべた。落ち込んだ気持ちを、劣等感を隠そうとして出たのがこんなに無感情な声音だとは。これでは意味がないじゃないかと。
「ええっと。その、待ち合わせの場所に向かえばいいのよね」
「ああ。頼む」
それ以上触れることは駄目だと思った結那が話題を変える。その気遣いに申し訳ないと感じながら答える。まだ完全に塞がっていない傷がじくりと痛んだ。
宇都宮支部から逃げ出すことになった場合の集合場所は二つ決めてあった。一つは結那がいた駐車場、もう一つが今向かっている神社だ。神社は宇都宮支部から車で三十分ほどの場所。これは敵から離れた場所で一度落ち着きたい、その後の方向性を決められればという考えからだった。もしもの場合の取り決めだったが、それが活かされてしまうことがまた自分の無力さを助長させた。
「……ああ、そうだ結那。途中でコンビニ寄ってくれ。水が欲しい。結那も何か買うといい」
「そうね……見かけたら寄るわ」
良治の様子に水が必要だと思ったらしく素直に応じる。数分走らせると見慣れたコンビニの灯りが見えてきた。遠くからでも見える強いライトがこんなにほっとしたのは初めてだった。
「じゃあちょっと行ってくるわね。他に必要な物ある?」
「タオルも頼む。あと今何も手持ちないから小刀でいいから貸しといてくれ」
「そうね、丸腰じゃ落ち着かないもんね。はい」
「さんきゅ」
加奈の治療の時に借りた小刀を再度借り受ける。そしてコンビニに小走りに向かう結那を見送った。
「……さて」
店内に入った結那を確認してからゆっくりと車を降りる。
戦闘の熱で忘れていた冬の空気を胸いっぱいに吸い込んで大きく伸びをした。都会よりも空気が澄んでいてとても心地良い。伸びをしたついでに少し身体をほぐす。
――そして右手に握ったままだった小刀を背後に突き刺した。
「ぐ、ぅっ……何故、わかった……!」
「可能性を追っただけだよ。あと襲う瞬間に殺気が漏れた。慢心したな、忍者」
確信があったわけではない。ただの憶測に過ぎなかった。もしかしたら追手がかかっているかもしれない、と。
その結果がこれだ。闇に溶けやすい恰好と言えばこれが一番適切と言わんばかりの忍者服。目の部分だけが覗いた、あの格好だ。時代錯誤ともいえるが、相手が霊媒師同盟の退魔士ならばその中身も本物の忍者の公算も高い。
「ッ!」
「ちっ!」
小刀は武器を持った右手を刺していたが、忍者は無理矢理それを抜いて苦無を振るう。
大した根性だと思いながら、良治はそこで意表を突き距離を詰めて攻撃を躱し、今度は太腿に切り傷を負わすと体当たりをして距離を開かせる。
全て上手くいったかと思った瞬間、腹部に焼けるような痛みが走る。体当たりした際に貰ってしまったようだ。
「……もうそろそろ戻ってくるが、どうするよ」
「……ッ!」
痛みを顔には出さず、ちらりとコンビニに目を向ける。結那の性格なら最初に決めてある物以外は買わずにすぐに店を出るはずだ。レジも混んではいないだろう。そうなると数分で買い物は終わり、そろそろ出て来てもおかしくはない。
一瞬迷いを見せた小柄な忍者だったが、後ろに大きく飛ぶとそのまま灯りの届かない闇に走って消えていく。一人を不意打ちならともかく、二人を真っ向勝負はさすがに分が悪いと判断したのだろう。
「ふぅ……」
「ふぅ、じゃないわよ何考えてるの良治っ!」
入れ替わるように慌てて戻ってくる結那。忍者の去り際くらいは見たのだろう。だとすると忍者も結那が見えていたはずなので素直に撤退したのも納得できた。
「良治大丈夫!? なんなの今のっ」
「尾行してたみたいだな。まぁそれなりに深手を負わせたからもう追ってはこないはずだ」
腕と足に深手を与えたのでこれ以上の追跡はないはずだ。大人しく引いてくれたことからあの忍者は単独行動の可能性も高い。これで安心して他の人たちと合流できる。
「もう、本当に無茶しないでよ……!」
「ごめん」
「良治のそういうとこだけは嫌いよ」
「ごめんて」
「……ふん」
「悪かったって」
「いいわよもう。それよりも早く合流するから乗って。……こんなことなら渡すんじゃなかったわ」
ぶつぶつと言いながら車に乗る結那。これ以上怒らせないように良治もすぐに乗り込む。きっと小刀がなくても同じようなことになっていた可能性が高いことは言わないでおくことにした。
腹部の怪我はそれなりに深いようで、これは自分の手には余りそうだなと客観的に思った。しかし結那は治癒術は使えないので、良治が出来る限りの応急処置をしなければならないのは変わらない。
「本当に自分勝手で悪いんだけど、なるべく早く頼む」
「……ほんっと自分勝手ね。性格変わった?」
「変わったと自分でも思うよ。我慢はしなくなったからな。だから嫌だと思ったら言ってくれ。考慮はするから」
自分が我慢をして周囲を上手く回すことに疲れてしまった。それが今の性格になった大きな要因だ。だが別に誰かを傷付けたいわけではなく、譲れるところは譲ってもいいとは思ってはいる。ただちゃんと自分の意見は常に持って、言葉にするようになったということだ。
「……なんか前よりもはっきりとものを言うようになった気がするわ。相談なく無茶をするのは変わってないけど」
「うん、それで間違ってないと思う」
「まったくもう……」
溜息と共に車が走り出す。今が夜で、そして自分の服が黒くて良かったと思いながら良治は少しだけ目を閉じた。
「ああ、柊さん……!」
下野市にある神社の脇に車を止めて降りると、すぐに鷺澤薫が駆け寄って来た。ずっと待っていたのだろう。もしかしたらもう会えないと考えていたのかもしれない。声には再会を喜ぶような響きが多分に混じっていた。
「すいません、自分の拙策のせいで……」
「生きてるだけで十分ですよ……!」
「ありがとうございます。あの、加奈さまたちは?」
「マイクロバスに乗ってます。こっちです」
薫に連れられて近くに止めてあったマイクロバスに向かう。後ろには結那も付いて来ている。一人ではちょっと心許なかったので有難かった。
バスに乗るとすぐに血臭が鼻を突いた。自分のものでない臭いに思わず顔を顰めてしまう。苦手なものはやはり苦手だ。
「柊さん、御無事で何よりです」
「加奈さまたちも。……被害は?」
加奈はバスの一番奥の座席に座っていた。部屋で見た薄手の浴衣ではなく、水色のワンピース姿だ。脱出する可能性があったので前もって着替えておいたのだろう。
良治はまず一番先に自分の行いの結果を知らなくてはと思った。それがどんなものでもだ。罪状を告げられる気分とはこういうものなのだろう。
「亡くなった方が三人、怪我人は二人です。……こんなことを言うのは亡くなった方を含めて思うところはありますが、あのスピードで落とされたにしては被害は少なかったと思います」
「……そもそも防衛じゃなくて逃げていればと思いますよ」
「その提案を受け入れるのは難しかったと思います。私たちは仇を討ちたいと考えていましたから。きっと私が拒否していました」
「……そうですか」
慰めではないのだろう。加奈の視線は良治に向けられたままだ。ただ少し悲しそうなだけで。加奈の隣に座る眞子の態度も変わらないままなので、それも含めて信憑性はあった。
「それでこれからについてなんですが、許されるならこのまましばらく指揮権を預けて頂けたらと。本当に許されるなら、ですが」
「何か作戦があるのですか?」
「作戦と言うか、色々と気になるところがありまして。被害を出した自分をもう一度信頼してくださるならと」
無理を言っているのは理解している。通らなかったら通らなかったで自分の気付いた点を加奈に投げて、あとは一兵卒として戦闘に参加するだけだ。むしろ考えることをしなくていいだけそっちの方が楽と言える。しかし良治の中にはそれ以上にこんな負けたままで降りたくはないという気持ちがあった。
「……そうですね」
言葉を溜めて加奈が口を開く。隣の眞子や逆隣りの佑奈、周囲にいる薫、結那、そして一や遥たちも息を止めて見守っている。彼女がどんな判断をするのかと。良治自身の予想も半々でどっちに転ぶかはわからない。
「――このままお願いします。宇都宮支部の件も、きっと私たちがやっても結果は変わらなかったと思いますし。それは柊さんの落ち度ではないでしょう」
「ありがとうございます」
先程よりも深く頭を下げて感謝する。後ろからほっとした、弛緩した空気が流れたのがわかった。どうやら周囲の皆もこの結果を求めていたようで安心する。
ただ加奈の内心は微妙なものだろうと考えていた。先程亡くなったと言った三人は間違いなく支部の北を担当していた福島支部のメンバーなのだから。思うところはあるはずだ。だがそれを表に出さないで穏便な雰囲気のまま任せてくれたことは本当に有難かった。ここで罵倒などあれば雰囲気は悪くなり、方針を巡って分裂してしまう可能性すらあったのだから。
「では……とりあえず移動しましょう。時間が惜しいので。結那、キーを誰かに渡して車を運んでもらってくれ。こっちで話に参加してほしい」
「あ、うん」
「じゃあ俺が。運転は得意なんで」
「それじゃ高坂くん頼んだ。あ、一応途中で連絡するかもしれないし、瀬戸さんも一緒に……って瀬戸さんは大丈夫だったか?」
運転中は電話に出ることが出来ないので、連絡役に遥を指名しようとして彼女が怪我をしていたことを思い出した。あの時は一が抱えて行ったが実際どの程度の怪我だったのかは良治にはわかっていなかった。
「あ、大丈夫です。任せてくださいっ」
「大丈夫なようで良かった。じゃあお願いします」
「柊さん、主だった人はこっちで固まった方が良いですよね?」
「はい、お願いします」
薫が他の人に指示を出しに行く。移動しながら打ち合わせをすることを理解してくれて助かるなと、良治は彼女の評価をまた一つ上げた。
少し足に力が入らなくなってきた良治は、加奈たちの一つ前の列の席に座ると蒔苗に声をかけた。
「あ、蒔苗さんちょっと今手空いてますか?」
「あ、怪我した人たちの手当は終わってるので空いてますよ」
「じゃあすいませんけど俺の怪我診て貰って良いですかね。ちょっと腹やられてて」
「あ、はい……って結構出血してますよっ!? 早く診せてください!」
慌てた様子で良治のシャツを剥ぎ取って傷を確認し、手が血で汚れることなど構わずに治癒術を始める蒔苗。そこに一人の医術士の姿を見た。
「ってか良治、それさっきのあれでしょ? そういうのは言ってよ本当に」
「まぁ致命傷じゃなかったし、ある程度血を止めれば蒔苗さんたちに合流出来そうだったし」
「っとにもう!」
「柊さん、横から失礼かもしれませんが、そういうことは言った方が良いと思いますよ」
「……そうですね」
まさか加奈にまで言われるとは思っていなかったので驚く。余り干渉しないタイプだと考えていた。逆に言うとそれだけ大事なこととも受け取れるが。
「怪我してるなら連絡くらいは……というか合流前に一度連絡くらいは欲しかったですよ」
「すいません。それに関しては完全に頭から消えてました」
戻ってきた薫からも言われてしまい謝るが、それはきっと身を案じてのことだ。この一年ほどはそんな心配されることなどなかったので少し気恥ずかしい。
「もう。それじゃ出発しても良いですか?」
車内を見回す。
現在マイクロバスに乗っているのは加奈と佑奈、眞子。薫に蒔苗、良治と結那と横になっている怪我人が一人。あとは運転手だけで、怪我人と運転手は二人とも宇都宮支部の支部員だ。
「はい。お願いします」
「行き先は川越支部ですよね」
「川越支部の連絡先ってわかりますよね?」
「はい。固定電話はないので直接になってしまいますけど」
「連絡が取れるなら大丈夫です。じゃあ行き先は東京支部で」
「川越支部は素通りですか?」
「はい。それについてはこれから説明します。とりあえず出発しましょう」
「わかりました」
ちょっと驚いたような薫だったが、良治の説明にひとまず納得して外に出ていく。結那の車とミニワゴンに行き先を伝えに行ったのだろう。
良治は治療を続けてくれている蒔苗に配慮しながら、皆の顔が見られるように座席から身を乗り出した。
「じゃあまずは情報の共有からしましょう。きっとあまり時間はないですし、やらないとならないことも多いですから」
「そうですね。柊さんの持つ情報と、そこから考えられた作戦を知りたいです」
「作戦なんて大層なものじゃないですけどね」
マイクロバスが走り出す。気が付けば既に薫は戻ってきていて、他の人たちと同じように話を聞く態勢に入っていた。
「まず今回襲撃してきたのは霊媒師同盟の退魔士に間違いないと思います。噂に聞く『霊媒』の能力で昔の剣豪や侍といった人の魂を降ろしているように感じました。実際そんな風なことも言ってましたから」
「確かにね。ここ数年は組織同士の大きな戦いもなかったのに、凄く殺し合いに慣れていた気がするわ」
刃物を持って人間に向かい、その相手を殺そうとする。それは酷く心に負担をかけるものだ。本来退魔士の敵は悪霊や魔族であり、人間ではない。普段から行われるようなことではないのだ。それが躊躇いなく行われたということは、それを行った意識は人殺しに慣れた魂という可能性がある。
「そしてあれだけの人数が組織立って来たということは霊媒師同盟そのものが敵に回ったと判断出来るます。つまり福島支部、宇都宮支部の襲撃は霊媒師同盟から白神会への大規模な侵攻だと言えます。そしてそれはここで終わらない。まだ続く。だから俺たちはそれを止めなければなりません」
宇都宮支部の防衛は失敗した。しかし侵攻はそれで終わりではない。
「あと戦った相手が『こちらに期待はしていないだろう』と言っていました。恐らく降ろされてきた魂が身体の持ち主に言ったと思います。つまり、宇都宮支部を襲撃した部隊とは違う別動隊が……いや別動隊はこっちになるので本命は向こう、本隊が存在する可能性があります。――ということで結那、新発田にいる天音に連絡してくれ。向こうに何か変化があったか確認したい」
「おっけ」
結那が携帯を片手に少し席を外す。今のうちに両方のパターンの対応を説明しておくことにする。
「もし新発田周辺に襲撃や何かしらの変化があったならそれが本隊の仕業だと思われます。しかしもしなかったなら、宇都宮、新発田以外の何処かに本隊がいる可能性が高まります」
新発田が襲撃されていれば居場所が判明する。宇都宮と同規模の部隊が襲撃していたなら防衛は難しいかもしれないが、それでも相手の居場所と人数が判明するなら大きな情報を得られることになる。最善は新発田で襲撃があり、尚且つ防衛に成功しているパターンだ。
「良治、向こうは変化なしだって」
「最悪だな。本隊の居場所は特定出来ないか」
「で、天音が私たちはどうすればいいかって。天音個人としても、長野支部の人たち含めるとしてもって言ってるけど」
「じゃあ天音たちは……ってそこまで俺が指示を出していいのか。というか素直に指示を仰ぐなよって思うんだけど」
結那のサポートとして宇都宮支部に行ったはずなのに、何故か大事になってしまっている気がして苦い表情を浮かべる。腹部の治療を続ける蒔苗が小さく笑っているのが見えて溜息を吐いた。色々おかしいよなと。
「良治の要望を伝えておくだけでもいいんじゃない? 実際にそう動けるかどうかはわからないし」
「そうですね。向こうにも向こうの都合があるでしょうし。こっちの意向を伝えて連絡を取っておくだけでも十分かと」
「まぁそうですね」
結那と加奈の意見に頷く。こっちの意見を聞いたからと言って、実際にそう動けるかどうかは今新発田支部にいるメンバー次第だ。こちらにはわからない事情もあるだろう。
「多分新発田支部というかそっち方面が襲撃される可能性は低いと思うので、何処か他の場所か、もしくは東京支部に来て欲しいですね」
宇都宮支部まで落とされた以上、新発田支部に固執する理由は特にない。襲撃があるかどうかわからないがら空きの新発田支部が落とされるよりも、まず間違いなく来る東京支部の防衛の方が重要だ。
「他の場所って例えば?」
「可能性を言えば長野支部あたりなんだろうな。あと心当たりはありますか加奈さま」
「いえ……この周辺にはもう支部はありません。やはり新発田に時間差で襲撃があるのでは?」
近所に他の支部はない。それなら新発田襲撃の可能性は残る。
だが良治は新発田は人的被害が出ないのなら放棄しても良いと考えた。やはり東京支部が何よりも大事だろうと。東京支部を落とされてしまえば白神会内外に与える衝撃は計り知れない。
「かもしれませんね。ただ個人的には新発田が落ちてしまう可能性よりも、東京支部の防衛を強化した方が良いかなと」
「そう言えば川越支部はよろしいんですか?」
「はい。申し訳ないのですが川越支部は囮にして東京支部防衛の時間稼ぎにします。今日と同じような感じなら少なくとも丸一日稼げるでしょうから」
深夜一時を律儀に守ってくれる保証はないが、もし明日の深夜一時に川越支部に襲撃があった場合、特に戦闘がなかったとしてもそこから東京支部に襲撃するには時間が足りないと思われる。
この仮定が成立するなら、東京支部襲撃するまで二日弱。何とかこちらの態勢を整えることは出来るはずだ。
「なるほど。宇都宮支部よりも小規模ですし、守り切るのも難しいと思うのでそれも良いと思います」
「ありがとうございます」
加奈の同意を得られるの大きい。他のメンバーを説得しやすくなる。
「うーん、じゃあ向こうには出来たらこっちと合流して欲しいって伝えれば大丈夫?」
「ああ、それで頼む。どっちにしろ昼までには一回連絡を――」
「来るって」
「即決かよ!」
「天音が良治の言うことを聞かない訳ないでしょ」
「仕事なんだからそれはどうかと思うんだけどなぁ……」
嬉しい反面それでいいのかとも思う。確かに有難いのだが。
「話聞こえてたって。で、天音も同意見だって」
「なら良いけどさ」
これで新発田支部にいる天音と長野支部員たちが東京に来る。良治たちと東京支部にいるメンバーがいれば互角に戦えるはずだ。あの男が言っていた、宇都宮支部襲撃に参加していた後備えの規模がどれくらいのものかわからないが、襲撃した部隊の倍以上ということはないだろう。良治は全部で二十名前後だと予想している。
「じゃ、そーゆーことで。……不謹慎だけど楽しみね。東京支部にこれだけ集まるのは」
「それだけ危機的状況だってことなんだけどな……っと、蒔苗さんありがとうございます」
「これが私の仕事ですから……肩も見せてください、怪我してますよね」
「止血だけはしてあるから大丈夫ですよ」
「ダメです。診せてください」
「……はい」
意外な強引さを見せる蒔苗に負けて、まくっていたシャツを脱ぐ。薫がびっくりしているところを見ると珍しいことなのだろう。もしかしたらこれも成長なのかもしれない。
「よーし、じゃあ東京支部防衛に全力って感じね」
「本隊の動向も気になりますが、それはわかりませんからまずはそこに集中しましょう」
「……あれ?」
「どうしました、柊さん」
加奈の言葉に本隊の行動に意識が戻る。
冷静に考えれば、福島と宇都宮を襲撃した部隊が陽動だということは、それ以上に重要な行動をしているのが本隊だということになる。
「結那、東京支部は今夜襲撃されていないんだよな?」
「ええ、良治を待ってる間にまどかに連絡したから間違いなくなかったはずだわ」
「サンキュ」
これで宇都宮支部襲撃部隊が陽動で本命は東京支部という可能性は消えた。これから東京支部に向かうので、明日川越支部と同時に東京支部襲撃なら対応できる。
福島から宇都宮、そして東京支部襲撃までが陽動だとする。なら当然東京支部よりも重要なことが目的となる。
「……加奈さま、今目立った行動ってすぐわかるようになってますか?」
「ある程度なら。福島支部襲撃から宇都宮支部襲撃までは時間がありませんでしたが、周囲の白神会寄りの寺社の退魔士の皆さんには連絡が行ってます。確実とは言えませんが何かあれば連絡が来るはずです」
「事前に彼らのいる場所を知る術はないですよね」
「そうですね。綿密な調査が必要だと思います。特に関東はほぼ白神会と親密なところしかありませんから」
福島や新潟と違って接する組織がない以上、長い物には巻かれよ精神で影響下にある寺社は少なくない。そこを情報なしですり抜けながら突破するのは至難の業だ。――陸路なら。
「――結那、電話してくれ。本隊の目的地がわかったかもしれない」
「何処に? 誰に?」
良治が霊媒師同盟の指揮官なら、目的は一つだ。シンプルで、一番効果的で、それさえ成せば全てが終わる。
「――和弥に。霊媒師同盟の目的は、多分京都本部だ」
告げたのは昔の親友の名。そして、白神会の中枢・京都本部だった。
【京都本部】―きょうとほんぶ―
日本最大の退魔士組織『白神会』の本部。白神会当主の流派・神刀流唯一の道場、四流派の一つ・黒影流の本部、医術士の一族である宮森の本家なども同じ敷地内に存在する。