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予想外の情報

「あ……確か柊さん、でしたか。その、遅れて申し訳ありません」

「……ああ、あの時の――ってどうしたんですか」


 ビルに到着して良治たちに挨拶をしたのは数日前上野支部に来て世良の背後に立っていた、あの太い眉が特徴的な男性だ。しかし今はあの時にあった自信は皆無で、むしろ喪失している。


 短い髪の端には泥と血が付着しており、彼の右手には包帯が巻かれている。よく見れば衣服も汚れており何かあったのは明白だ。


「それは……」

「その、すいません。その話はあとで。今は……」


 言い淀んだ彼の後ろから口を挟んだのは、これもまたあの時に顔を合わせたあの冷静そうな女性。帰り際に挨拶をされたこともありよく覚えていた。


「――わかりました。あちらへ。攫われた女性二人は奥の部屋です」

「ありがとうございます」


 結那に目で合図をして案内を頼む。僅かに頷いた結那が二人を促すように歩き出した。


(……仕事帰りか。いや、でも)


 良治の脇を通り過ぎて行った彼女の頬にあった小さな血痕、そして乱れの見えた長い髪。彼と同じ様子で、それらは戦闘の痕を思わせる。


 何処か別の仕事が終わってからこちらに来た。普通に考えればそうだろう。しかし彼らからは仕事を終えた達成感や、追加で新たな仕事をしなければならなかった不満を感じ取れなかった。


(あれじゃまるで負けたような、仕事を失敗したような……)


 負け戦のあとの表情。きっとそれが一番近い。そこで良治はありそうな、それでいてあまり嬉しくない予想が浮かんだ。


(世良さんが指揮してた向こうの仕事が失敗した。もしくは成功したが甚大な被害が出た。……少なくとも世良さんが電話に出れなくなるほどの負傷、もしくは精神的に出れなくなるくらいの被害。あとは高村さんが失敗を理由に処罰、謹慎にしたか……あとは最悪の可能性、くらいか)


 世良のことは好きではないが嫌いでもない。失敗してほしいとはほんの僅かでも思っていない。

 ある意味同じ仕事の同業者だ。仕事をしくじれば一般人に被害が及ぶ。それは嬉しいことではない。


 二人が結那に連れられて奥の部屋に行ったあと、ビルには十人ほどの男が入って来ていた。全員が帽子に深い緑色のツナギを着ていてこの部屋の巨大な死体二つを調べている。

 彼らは事後処理専門の部隊で、きっと何回も会ったことのある人間もいるはずだ。残念ながらその判別はつかないが。


「あ、すいません。調べたら持っていく前に少しだけいいですか」

「……どうぞ」


 死んだような目が目深に被った帽子の下から覗く。平坦な声音からは不満を持っているのかはわからない。ここにいる皆が同じような目をしているのを、良治は経験上知っていた。


 仕事の邪魔をして悪いなと思いながら良治は転がっていたあの男の頭部を見る為にしゃがみ込む。

 そして割れた眼鏡を外し、虚ろな目を閉じさせ正面を向かせると自分の携帯電話を取り出した。


 そっと背後を見るが調べていた男は何も言わない。なら大丈夫だろうと判断して写真を撮った。場違いなフラッシュと音が響くが誰も何も言わない。良治の行為に彼らは興味がないように思えた。


「どうも、ありがとうございます」

「……」


 調べていた男は何も言わずに黒いビニール袋に男の頭部を入れてそのまま運んでいく。良治はその背中を見送ってから携帯電話を操作し始めた。


(この時間だし、時期も時期だしやめておくか。となると……)


 別にあの男を辱める為に写真を撮ったわけではない。ただ必要だったから撮っただけだ。

 ――この男は何者なのか、それを知る為に。


 手早く文面を作成し、最後にタイトルに【生首注意】とつけてメールを送信する。

 深夜という時間帯ですぐに反応があるかは半々だ。だがきっとそう時間はかからずに返信があると感じている。

 そして、やはりすぐに反応はあった。


「もしもし。早いな。もし起こしたならごめんな」

「ううん、起きてたから大丈夫」


 てっきりメールを返してくると思っていたので電話がかかってきて驚く。さすが黒影流の二番手だ。


 高めの声の主は京都にいる義妹の彩菜だ。

 仕事でわからないことがあった場合今までは綾華に連絡をしていたが、時間帯と添付した画像が出産を控えた妊婦にするものではないことは良治でも理解している。家族とは言え年下の女の子に送ることでもないが、こういったことは黒影流が一番情報を持っているのは確かで、そして連絡が取れる黒影流は彩菜しか存在しない。


「まずいきなりあんな画像送ってごめん。すまない」

「見慣れてるから気にしないで、にぃ。それであの男の正体を知りたいんだよね?」

「ああ。知ってたのか?」


 見慣れているのも、だいぶどうかと思うが職業柄どうしようもない面もある。特に白神会の暗部を担う黒影流は表に出せないような仕事も多いはずだ。


 良治は小学生低学年まで京都にいたが、それからは東京支部に預けられたので詳しい時期は知らない。しかしそれでも彩菜が小学生高学年の頃にはもう黒影流の一員として活動していたことは知っていた。


「うん。あの写真の人は黒影流で探してた人の一人だから。もう十年くらい前から」

「十年……ってことは」


 十年くらい前にあった出来事。そのことに良治は心当たりがあった。それは――


「うん。あの人はあの陰神かげがみ所属の研究者なの。それもかなり上位の」


 陰神が滅ぶことになった事件――第二次陰神戦は良治が高校二年の頃の出来事だ。

 陰神は大きな組織で多数の外法士がおり、良治と面識はなかったがその中にあの男もいたということだろう。


「調べた限りじゃ陰神壊滅後は他の研究者と一緒に逃げたみたい。でも拠点にしてた研究所が合成獣キメラの暴走で壊滅したあと行方不明。死んだか逃げたかわからなかったけど、一応黒影流うちの手配リストには入ってたの。だからちょっとびっくり」

「なぁ、逃げた先の研究所がキメラの暴走で壊滅って」

「あ、にぃたちがそこで暴走したキメラの討伐したんだっけ。確か和弥さまたちと一緒に」

「やっぱり」


 あの頃の記憶を脳内から引っ張り出す。

 確か研究所の名前は『加賀見研究所』、研究者のリーダーが加賀見という名前だったはずだ。

 何かのミスで彼が魔獣に殺され、そこから魔獣が這い出してきた事件。その魔獣たちはすべて合成獣で、四人で担当したにも関わらず良治は死ぬ寸前まで追い詰められ、最終的に増援に来た葵や結那、天音たちに助けられる大事件だった。


(なるほど。道理で見覚えがあるわけだ)


 同じ組織、同じ研究所にいれば研究する内容も似る。

 となればやはりあの魔方陣の用途も同じと考えるのが自然だろう。


 そして何よりあの男が白神会に恨みを持っていた理由も納得が出来た。あの男にしてみれば自分の組織を潰した敵だ。白神会に加わったり捕らえられたりするのは我慢ならないことだろう。


「これで一つ懸念がなくなってよかった。ありがと、にぃ」

「まぁただの偶然だけどな。問題はこいつを支援してた人間がいるかもしれないってことだ。研究は一人じゃ難しい」

「うん。それはこっちでも調べてみる……けどあんまり期待しないでくれると嬉しいかな。今人手不足で」


 申し訳なさそうな声。現場もそうだが黒影流も人手不足は同じらしい。組織としてまずいのではないかと思う。


「了解。……ああ、そうだ。黒猫さんあたり暇そうだし、彼女に――」

「――え?」

「ん?」


 軽い気持ちで発した言葉だったが、彩菜の固い声にその提案が間違いだったことに気付く。もしかしたら仲が悪いのかもしれない。真面目な彩菜と気まぐれそうな黒猫とでは確かに相性は悪そうだ。


「あの、今『黒猫』って言いました? 人の名前ですよね?」

「あ、うん。黒影流の」

「その人の特徴教えてください」

「え、ああ。ええと、小柄なたぶん二十代女性。黒い猫耳のついたパーカー姿。猫っぽい語尾。あと結構な使い手だと思う」


 今日見た彼女を思い出しながら羅列していく。

 言っていて気付いたが、おそらく彼女が衣服を変えて口調を変えて初対面を装ったら気付けない自信がある。


「……間違いない。あの黒猫が東京に……!」

「え、ちょっと彩菜。悪いんだけど事情を」


 電話の向こう側から恨みの籠った低い声が響いてきて、良治は電話を少しだけ離しながら説明を求める。

 義妹のこんな声など今まで聞いたことがない。仲が悪いなどという生易しい状態ではないはずだ。


「……あの人は裏切者なんです。三年ほど前、単独での仕事中にそのまま帰還することなく姿を消しました。……彼女も手配リストに入っています」

「仕事を投げ出して、白神会を抜けたってことか?」

「はい。まさか東京に潜伏してるなんて……絶対に捕まえなければ」


 完全に仕事モードに入っていて、普段良治と話すような口調ではななくなっている。やはり怒らせると怖い類だったかと良治は心の中にチェックを入れた。


「ちなみに、なにか具体的な被害とかは出たのか? それがないのなら別に……でもないのか。情報か」


 黒影流所属という時点で相当の情報を持っているはず。それを持ったままその行方知れずになるというのは懸念に値するのは間違いない。

 他の組織に流されたら困る情報はいくらでもあるのだから。


「情報もそうですが……ううん、そうだけど、それよりももっと、大問題があるの」

「大問題?」

「うん。……あの黒い数珠。黒猫はそれを持ったまま逃げてるの」

「あ」


 それだけですべてが理解出来たような気がした。


 黒い数珠、それは手にした人間が任意の場所に空間移動出来るというある意味魔法のアイテムだ。他の組織にはなく、白神会の大きな優位点と言えるだろう。


 それを持ったまま逃亡された。黒影流の最秘奥の一つと呼ばれる技術の流出。看過することは不可能だ。

 もし他の組織に持ち込まれ解析、復元、量産されるようなことがあれば致命的な状況を生むかもしれない。


「その反応は説明しなくてもいいってことだよね? うん。そういうことだから出来るだけ早く捕まえてこれまでの行動を尋問……聞きたいの。だからもしもまた見つけたら――捕まえてくれると嬉しい、な」

「……心得た」


 最後の一言にゾッとする。笑顔の裏に憎しみを感じるような、そんな声。そしてそれはきっと間違っていない。


「うん。ありがとう、にぃ。あとはもう大丈夫?」

「ああ、大丈夫。こんな時間に悪かった。ありがとう」

「ううん。じゃあ仕事頑張ってね。おやすみなさい」

「おやすみ」


 余計な地雷を踏んだ気はするがそれでも多くの、想定以上の情報は入手できた。特に黒猫の件は大きい。胡散臭いとは思っていたものの、まさか裏切者だとまでは考えていなかった。

 やはりあの黒い数珠を持っていたことで、自然に黒影流の者だと思ってしまっていたのは良治のミスだ。

 少なくともすぐに彩菜に確認をすべきだった。それを怠ったのは怠慢だが、救いは知る限り今のところは良治の周囲に影響が及んでいないことだ。もし何かあっていたら後悔するどころでは済まなかった。


(――さて)


 周囲を見ればあの巨体二つはもう運び出され、奥の部屋に移動していた。

 電話をしながら少し見ていたのだが素晴らしい手際で、黒い袋に詰め込むとツナギを着た者全員で運び出していった。まるで統制の取れた引っ越し業者のようだ。

 彼らは既に次の作業としてあの蟻を同じように袋詰めしているらしい。


 すぐに結那と合流して、高村の部下二人に引継ぎをして帰るのが妥当な線だ。もう良治たち退魔士の仕事は終わっている。誰も文句は言わないはずだ。


「……」


 しかし迷った良治は手に持ったままだった携帯電話を操作し始め、電話を耳に当てることにした。

 そして、数度のコール後に彼は電話に出た。


「――まぁ、そりゃ電話くらいしてくるわな」

「そりゃそうですよ高村さん」


 苦笑交じりの声の主は中年のくたびれた男性、高村だ。

 仕事が完遂されていない、警察の判断を仰ぎたいという状況以外で連絡をするのは以前の支部創設の件以来二回目だ。


 普段しない電話をするくらい聞きたいことがある。そしてそれを聞かれることを高村は予想していた。


「まぁ柊には嘘は吐けんし、話せることだけを端的に。話はあれだろ、寄越した二人についてだろ」

「それも含めて、ですね。俺が聞きたいのは、世良さんはどんな失敗をしたのか、です」

「……そこまで予想済みか」

「状況証拠を重ねたらこうなっただけですよ」


 どうやら良治の予想は正解だったようで高村が嘆息するのが聞こえる。外れていて欲しかったというのが正直なところだったのだが、正解してしまったようだ。


「……わかった。と言っても俺も現場にいたわけじゃないから報告書にあったことだけしか話せないがな。……どうやら世良ちゃんが育てて指揮してたあの部隊、ほぼ壊滅したらしい。十五名中、十一名が殉職、重傷と軽傷それぞれ二名だ」

「……」


 絶句。

 生き残ったのは四名。重傷の具合はわからないが戦線復帰出来ないとなればもはや部隊とも言えない。高村の言葉通り、壊滅ということだ。


 軽傷二名がこっちに来た二名なのだろう。通りであんな酷い、暗い表情なわけだ。仲間も死を間近で見てきた直後。当然だ。


「……まぁそんなわけだ。しばらく……と言ってもいつまでになるかわからんがまたそっちに仕事を振ることになる。すまんが頼む」

「はい……わかりました。それで二つほど聞きたいんですが」

「ん、なんだ」

「世良さんの状態と、その事件について」


 教えてくれるかわからない。世良の状態に関しては良治には関係のないことだと言える。だがそれでも興味本位でなく、ただ心配という気持ちで尋ねてしまった。


 最悪の結果という可能性は濃厚だ。退魔士の大半が死んだ現場に彼女はいた。退魔士でない彼女がどうなったのか。祈るような気持ちで言葉を待つ。


「世良ちゃんは無事だよ。少なくとも怪我とかはない。ただ……ちょっとショックだったみたいでな。しばらくは誰にも会わせられん」

「……そうですか。まずは生きててくれて良かったです」


 いつからか力の入っていた肩から力が抜ける。

 命さえ残ればやり直しの利くことは多い。まずはそのことを喜びたかった。


「で、今回の件だが魔獣退治だ。まぁよくある、よくそっちに振ってる仕事だな。魔獣自体は退治に成功した。……全体では成功とは言い難いけどな」

「ではそちらの件は決着がついたと」

「ああ。あとは後処理だけだ」

「了解です」


 魔獣討伐という結果は得たがそれに見合わぬ代償を払うことになった。そのことを高村も重々承知しているだろうが決して暗い声は発していない。

 ――彼はきっとこれから現場に復帰する。そうなれば落ち込んでいる時間はないのだ。


「……その、何かあれば声をかけて下さい」

「はは、まさか柊からそんな言葉を聞けるなんてな。まぁ何かあったら頼むわ。とりあえずはしばらく仕事が忙しくなるだろうが、それだけなんとかしてくれれば助かるよ」

「はい。……では」

「おうっ」


 最後に殊更元気な声。だが良治に出来ることは少ない。それも向こうから頼られなければ出来ないことしかない。


 だが良治には、高村が実際に何か言ってくる可能性は低そうに思えた。



【黒影流の手配リスト】―うちのてはいりすと―

黒影流内部に流通している、白神会と敵対関係になった退魔士のリスト。そのほとんどが外法士。

その数は三十人を超えるが、中には死体が確認されていないだけで生死不明の者も含まれている。

リストのほとんどは生死問わずとなっているが、中には発見次第刺激せず即刻報告せよと厳命されている人物もいるらしい。

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