見舞いと目覚め
「ほら、プリンくらいなら食べられるだろ」
「うん……その、出来たら食べさせてほしいなぁって」
「…………まぁ、病人だしな。仕方ない」
「えへ、ありがと」
「まったく」
苦笑しながら良治は、魔眼封じの眼鏡をかけた郁未の口へ掬ったコンビニのプリンを運んでいく。
たまらなく嬉しそうな彼女に、良治は心の中で溜め息を吐いた。
何故郁未の自宅で彼女にプリンを食べさせているのかというと、それは二時間ほど前に遡る。
『おはよぉ柊ちゃん。今日暇だったりする~?』
「……おはようございます店長。こんな時間に、ってほどは早くないですけどどうしました」
『この間来た時、いくみちゃんお休みしてたでしょ? この一週間くらいずっと体調崩してお休みしてるの。だから良かったら様子見てきてほしいなぁって』
「話はわかりましたけど、なんで俺が」
『だっていくみちゃん、柊ちゃんのこと頼ってるみたいだし。私も仕事抜けられないし、出来たら行って欲しいなぁって』
「事情もわかりましたけど、さすがに俺が行くのは」
『行ってくれたら『ゲーム代サービス券』五枚あげちゃうけど?』
「……郁未さんに俺が行っていいのか許可を得てください。もし大丈夫なら住所を」
『はぁい。すぐに折り返すわね』
結局三分後にかかってきた電話で彼女の住所を教えて貰い、総武線沿線の郁未の自宅に来ることになった。
「それにしても本当に来てくれるなんて思わなかった」
「俺も最初に話を聞いた時には来るとは思ってなかったよ」
店長の出したサービス券に釣られたからではない。そんな条件を出してまで行って欲しいという店長の気持ちを汲んで、良治は決めたのだ。
買い物をして到着した良治を迎えた郁未は熱も高くなく、ただ非常に重い倦怠感があるらしい。
ふらふらとしていた郁未をベッドに追いやり、良治は買ってきたプリンを食べさせたとところに戻る。
「それ、何買ってきたの?」
「プリン、水、ポカリ、栄養ドリンクにレトルトのお粥ってとこかな」
「ありがと。でも、レトルトのお粥ならここでお粥作ってくれても……あ、作れないとか?」
「作れるよ。自炊はしてる……いやしてたし。ただ他人の家の台所に立つのはなんとなく気後れするんだよ」
自分が料理をしていいのかという遠慮が先に立ってしまい、出来るだけ他人の家の台所は使いたくない気持ちが良治にはあった。それが家人の許可を得ていたとしてもだ。
作ってくるという選択肢は、電車で移動することがわかった時点で完全に排除されている。
「……ね、この間聞き損ねたこと、聞いてもいい?」
「話せる範囲なら」
結局最後まで自分でスプーンを持つことなくプリンを食べ終わった郁未は真剣な瞳でそう切り出した。今日はいつものツインテールを下ろしていて尚更真剣な雰囲気を感じる。
(あの男のことか。それともあの戦いのことか)
どちらも退魔士の世界に直結する内容だ。話してしまえば興味を持たれる可能性はある。
あの日から十日ほど経ち、良治は何の情報も伝えないという方向性からやや軟化していた。危険から逃れる為、避ける為にある程度教えてもいいのではないかと。
聞かれたことに関して、その方向性に合うものなら話そう。
そう良治が決めた瞬間、郁未は口を開いた――
「――あの時居た女の子とは、その、どんな関係なの?」
「そっちか!」
予想を外されたショックも相まって思わず大きな声を出してしまう。
「びっくりした……で、どうなの。答えられるの?」
「そうだな……」
優綺のことを話しても、結局のところ退魔士に関しての話になる。
そこを濁して話すと説得力に欠ける気がしてしまう。
「あの娘は弟子なんだ」
「……弟子?」
「ああ。あのビルで戦ってたの見ただろ? ああいうのを教えてるんだ」
「ナイフとか刀とかの戦い方ってこと?」
「そうそう。そんな感じ」
特別な力を含めずに説明出来た気がして心の中でガッツポーズする。戦闘技術を教えているのは間違いない。ただそれだけではないということだけだ。
「なる……でもそれだけじゃないわよね。それだけじゃあのビルから飛び降りて無事だったことに説明つかないし」
「……あれはあれだ。特別な技術を覚えればあれくらい出来るようになるんだ」
どんな技術を覚えれば出来るようになるのか、それは良治にもわからない。
「嘘。柊さんって嘘苦手でしょ」
「まさか。嘘は得意なつもりだよ?」
最初から騙すつもりなら大概の相手は騙せる自信はある。だが今回はそれに当て嵌まらなかっただけだ。
郁未から視線を外すと、可愛らしい小さなタンスやTVなどが目に入った。
全体的に家具や荷物などは少ないが、どれも自分で選んだのか可愛らしいものがほとんどだ。
「あの子、まだ中学生くらいに見えたけど大丈夫なの? 親とか」
「あと二週間くらいで高校生になる。親はいない。孤児だよ」
「あ……ごめん」
「俺に謝られても。別に本人はあまり気にしてないと思うから郁未さんも気にしないであげて」
「うん……」
優綺は孤児院出身だ。身寄りのない彼女は孤児院に居た時に退魔士としての力を発見され東京支部に引き取られている。
だが当人はそれを気にしている節はない。きっと周囲に似たような境遇の者が多いせいだろう。姉代わりであるまどかも孤児院出身だ。
「――あれ?」
「どうしたの?」
微妙な空気になってしまい沈黙が下りた部屋。
なんとなく郁未の方を見ていた良治は微かな変化に気が付いた。
「ちょっと失礼」
「え、ちょ――!?」
ずずいとベッドに膝を乗せ近寄り、掌で郁未の首筋に触れる。
体温は平熱だろう。特別熱いような感覚はない。
「え、えっ」
布団の中で上半身だけを起こしている郁未に逃げ場はない。
良治は構わず長い金髪をそっと除けて今度は背中に手を添える。その感触でパジャマの下には何も着けていないことに気付いてしまったが、今はそれは大事ではない。少しばかり汗ばんだパジャマも大事ではない。
「ちょ、ちょっと待ってっ、まだ心の準備が――!」
慌てながらも拒絶しない郁未の様子に、その反応は駄目だろうと心の中でツッコミを入れながら掌を押し当てて郁未の身体の状況を確認する。
「……」
「え、あの、急に動きが止まるとこっちもどうしたらいいか困るんだけど……」
郁未の倦怠感の原因に予想がついてしまった。
だがこれはよくない。とてもよくないことだ。
なんと説明したらいいのかわからない。
「この症状が出始めたのは?」
「え? えーと、一週間くらい前から……?」
「症状は倦怠感だけ?」
「うん……あとは今までより見え方がブレるっていうか不安定になってるっていうか。今は眼鏡かけるようにしてるから気にならないけど」
「……ありがと」
端的に言ってしまうならば、彼女は退魔士に目覚めつつある状態にある。
良治は高校生の頃、同じような状態になった先輩を見たことがある。
その先輩は良治や和弥たちと魔界に行くというとんでもない事態に巻き込まれ、それから三か月してから体調を崩し力に目覚めることになった。
郁未はたった十日、もしかしたら数日で目覚め始めたのかもしれない。
郁未と先輩との共通点は退魔士の戦闘に巻き込まれたこと。
違う点としては魔眼のあるなしだ。二人ともに最低限の素質はあったとして。
(――まずい。放っておけなくなった)
心情的にではない。このままではまたあの男に見つかってしまう可能性がある。
退魔士は周囲の気配に敏感だ。それ故に気配の消し方を、一般人に紛れ込む方法を心得ている。それが出来なければ敵対組織の退魔士などに狙われることがあるからだ。
「どうしたの……?」
良治の動きが止まり落ち着いた郁未だったが、逆に不安そうな視線を投げかけてくる。
(――どうしたものか)
退魔士の話をすべきか、せざるべきか。
最初の予定とはもう状況が違う。
再度考え直し、良治は――決断した。
「――ごめん、事情が変わった。理解出来ないことが多いかもしれないけど、全部話すから聞いてほしい」
「……わかった」
郁未の身に関わることはすべて話そう。
良治の真剣な眼差しに、郁未は静かに頷いた。
「全部、嘘じゃないのよね」
「ああ」
「そう……」
一度説明することを決めれば滑らかに言葉は流れる。
元々誰かに何かを説明するのは苦手ではない。そうでなければ優綺の先生など出来ていない。
三十分ほど喋り続け、自分用に買ってきた水で喉を潤す。
郁未は説明中何度か質問をしてその都度更に説明を重ねたが、すべて終わった今もう一度自分の中で消化しているらしい。
説明したのは退魔士という仕事、白神会という組織についてのこと。そして郁未の現在の状況だ。判断に必要な情報は与えたつもりだ。
「……このままじゃまた危ない目に合いそうっていうのはわかった。それで、私に出来ることはなんなの?」
出来ること。
郁未が一人で可能なこと。
「それは選ぶことかな。郁未さんは幾つかの選択肢から選ぶことが出来る」
「それは?」
「一つは何もしないまま、このまま過ごすこと。だけどあの男や似たような輩にまた会うかもしれない可能性はある。
二つ目はさっき言った組織に入ること。そうすれば守ってあげられるし、気配の消し方や力の使い方なんかも教えられる。これのデメリットは、まず間違いなく普通の生き方が出来なくなること、そして退魔士としての仕事を行う以上常に命の危険が付き纏うこと。
最後に三つ目。これは二つの中間になる。俺が出来る範囲で手助けすること。気配の消し方とか教えはするけど、基本的に自己責任。教えてる最中に何かあるかもしれないし、そうなったらきっと今度は助けられない。ただこれは今までとそれほど変わらない生活を続けられるというメリットもある。
たぶん選べる大きな選択肢はこれくらいだと思う。でも、もしこれ以外に何かあるならそれでもいい」
良治は思いついた三つの選択肢を提示し、そのすべてに選んだ時のメリット・デメリットを忘れず付け加えた。
しかしどれを選んだ方が良いなど、自分の意見を言うことはない。必要なのは情報だけであって、良治の主観ではないのだ。
冷たいようにも聞こえるが、大事なことは自分自身で選び取るものだと良治は考えている。幼い頃何も選べなかった良治はそう、考えている。
「どれを選んでも、私を助けてくれるの?」
「郁未さんが望めば、俺に出来る範囲で」
「なる」
絶対に助けるとも、協力するとも言わない。良治はあまり絶対という言葉が好きではなく、無責任なことは言いたくはなかった。
「……あの子は柊さんの弟子なのよね? それで一緒に住んでると」
「ああ、そうだよ」
「住み込みの弟子……」
「あの、郁未さん?」
なんだか不穏な雰囲気を感じ取り声をかける。
しかしそんな良治の言葉は届いていないようで、郁未は何かを考え込んでいる。
「――ね」
「……なんでしょうか」
思考が纏まったのか、顔を上げてこちらを見つめてくる郁未。
今から楽しい悪戯をしようとするような表情で彼女は。
「私も弟子になりたいなって言ったら――どうする?」
そんなとんでもないことをのたまった。
「……弟子?」
たっぷりと間を空けてから良治は郁未の言葉を聞き返した。
そんな選択肢はあっただろうか。良治は提示していない気がする。
いや、提示した三つの中から選ばなくてもいいとは言った。しかし良治の思考の網からすり抜けるような案が出て来るとは思っていなかった。そのことに一瞬言葉を失ってしまった。
「うん。教えて貰うなら弟子になるってことでしょ? どうせならちゃんと教えて欲しいし」
「まぁ、そう……思うのは普通か……?」
三つ目の案の場合、週に二回くらいの頻度で教え、気配の消し方を覚えて貰ったら基本的にはもう接しない方向でいこうと考えていた。
二つ目の場合は白神会に引き取り、東京支部か人手の欲しい支部に預けようかと思っていた。
だが彼女の出した案ではどちらにもなりようがない。
良治が教え、そしてその後も面倒を見ていくという話になる。なってしまう。
(基本的に素質があって退魔士希望の者は一度京都本部に連れて行かないといけないんだけど……隼人さまか綾華さんに会ってこの話をされたらまず間違いなく俺が預かる展開になる……)
彼女の希望をそのまま通せば良治に逃げ道はなくなる。
現在優綺という弟子を既に持っていて、これ以上負担は増やしたくないのが素直な気持ちだ。
だが知り合ってしまった以上、最初に接したのが自分な以上それなりに責任は感じている。だからこその選択肢の提示だったのだが、その答えは予想外のものだった。
「どう? 駄目?」
「駄目じゃ、ないけど。だけどそれは今までの生活をすべて捨てて、簡単に命がなくなるような世界に身を投げ出すことだよ。正直俺は勧めない」
「柊さんの言う通りすぐ死んじゃうような大変な世界だと思う。でも」
すぅっと息を吸い込み、彼女ははっきりと口にした。
決意の言葉を。
「でも、私は自分の選びたい道を選びたいの。私の力を、何一つ気にせずに使って、それを認めてくれる人たちと一緒に――生きていきたいの」
今までの世界では透視の魔眼は無用の長物どころかあって余計なものだった。そのせいで人は寄り付かなくなり、郁未はそれならと自分から壁を作って身を守るようになった。
変な人だと思われるのはいい。だがそれを仲良くなった人に思われるのは酷く傷ついてしまう。
だから生方郁未は人と壁を作る為に髪を染め、見た目で分かるような壁を作ったのだ。
「……わかったよ」
「! やったっ!」
ぐっと拳を握り締める郁未に苦笑いをする。
認めたくはないが、良治は彼女を説得出来るような材料や理論を見つけられなかった。
つまり良治は、見捨てることが出来ずに諦めた。
「でも条件がある。それがクリア出来たらだ。駄目だったらこの話は白紙に」
「えぇ……条件って?」
ぱぁっと咲いた花が瞬時に曇る。
だがその条件は提示しないわけにはいかない。良治にとって最低限のものだからだ。
「まず優綺――俺の弟子であるあの娘に許可を得ること。そして組織の上の人間にも許可を得ること。この二つがクリア出来たならその時は、弟子として認めてもいい」
「うん、わかった」
「先に言っておくけど退魔士としての訓練は並大抵のものじゃない。手を抜けばその対価は自分の命になるからだ。俺も手を抜くつもりはないし、その辺だけは覚悟しておいてくれ」
それについてこれなければ元の生活に戻ってもらう口実になる。
本来なら、戦闘向きではない退魔士は事務などの仕事を振られることになるが、短い期間しかいなく、戻る場所がある場合ならそちらの方がいいに決まっている。
「――わかったわ。説得してみせる」
隼人は問題ないが優綺はどうだろうか。
難しい判断を委ねることになってしまった可愛い弟子に、良治はごめんなさいと心の中で謝った。
【心の準備】―こころのじゅんび―
何かを行う、もしくはされる場合の心構え。
大概の場合それが最後の関門なので、それさえクリアされれば受け入れるということを表す。




