ツインテールの追跡行
「なんだ、今の」
切れた携帯電話を見詰め、良治は頭を高速で回転させる。
今の電話にはおかしな点しかない。
電話の相手は昨日も行った雀荘『Thank You』の店員、いくみ。
内容は何故か助けを求めるものだった。
(なんで俺に。なんで番号知ってたんだ)
電話番号は店長に渡してあるので彼から教えてもらった、もしくはそのままメモを受け取ったかのどちらかだろう。
それは理解できる。
店長も彼女の様子が変わったことはわかったはずだ。それを見て彼女に何かの時の為にとメモを渡したと考えても齟齬はないように思える。
しかし、知っていたからと言ってもそうそう電話をすることはないだろう。
(つまり、電話をしなければならないほどの何かが起きている)
あの切羽詰まった様子。そう考えるのが普通だ。
良治は着替えながら今自分が取るべき行動を更に思考する。
いくみの居場所はわからない。
電話の様子では走っていたように思え、そうなると外にいると考えられる。しかしそれ以上の情報はない。
(――もしかしたら)
一つの可能性を追い、良治は財布から会員カードを取り出す。
そこにあった電話番号を素早く入力すると、最後に一度確認をして発信を押した。
「はい、お電話ありがとうございます。雀荘『Thank You』です~」
「あ、すいません。店長、ですよね。柊です」
「あ、柊ちゃん? どしたの?」
「あの、答えられたらでいいんですけど……今日いくみさん出勤だったりします?」
聞き覚えのあるオネエ口調に安心しながら、答えてくれるかわからない質問をする。
店によっては店員の個人情報に厳しいところもある。女性店員ともなれば尚更だ。
「……緊急事態なのね?」
「はい。先ほど電話があったんですが途中で切れてしまって。かなり焦った感じでした。ああ、あと彼女に電話番号教えました?」
「メモはそのまま渡したわ。……わかったわ。責任は私が持つわ。今日は十時から出勤の予定だけど、まだ来てないわ」
いつもとは違う低い声。これが地声なのだろう。
決意を感じる気迫に良治は感謝をする。
「ありがとうございます。その、もう一つだけ。……JRとメトロ、どっち使ってます?」
「……メトロよ。あとで説明よろしくね。デートでもいいけど」
「説明は出来る限り。本当にありがとうございます」
ここまで話すことには相応の覚悟が必要だろう。ともすれば彼女の身の危険を招く。
それを言ってくれたということは、良治の言葉を信じ、彼女が今危険なことに巻き込まれていると判断してくれたからに他ならない。
電話を切って身支度の確認をする。
部屋を出る前にベルトに転魔石の入った皮のポーチを装着した。
「――優綺、今日の予定はキャンセルだ。ここで出来る範囲でストレッチ、それが終わったら力の循環の練習を」
「え、あの、先生は?」
髪の毛に櫛を入れることは諦め、手櫛を数回通しながら急いで玄関に向かう。
そんな良治の後ろから、当然何が起こったのかわかっていない優綺が追いつく。
「これから急用で出る」
「それなら私もっ」
「これは仕事じゃない。私用だから。優綺はここで待っててくれ」
それだけ告げ、良治は玄関の鍵を彼女任せにして走り出した。
「……っ」
そこには悔しそうな一人の少女が残され、そして静かに扉が閉じた。
「はっ、はっ、はっ――」
どうしてこんなことに。どうして――
金色のツインテールを揺らしながら走るいくみ――生方郁未はそんな思いで頭がいっぱいだった。
背後からは何者かが追いかけてくる。さっき見たのが初めての、小太りのサラリーマン。しかしその雰囲気から真っ当な人間にはとても感じられなかった。
いつも通りの時間に出勤しようと、いつも通りに起きていつも通りに家を出た。
いつもと違うのは眼鏡と、彼女自身の気持ちのあり方。
(あんなに幸せだったのにっ!)
浮かれ過ぎていたのかもしれない。そのせいでこんな目にあってるのかもしれない。
今日出掛けに見た星座占いは珍しく一位だった。待ち人も来て、恋愛運なんて最高だった。
いつ来るかわからない頭痛の日常。不意に無理やり見せられる裏側。
それらから解き放たれた郁未にはすべての光景が輝いて見えた。
そんなことは気のせいだ。それはわかっている。しかし本当に郁未にはそう感じられた。
軽い足取りで上野駅で地下鉄を降り、地下から地上へ、外の風を感じた、その瞬間に。
郁未は、何かおかしな気配を感じて周囲を見回した。――見回してしまった。
「ん……?」
違和感。
それが何なのかを確かめようと、彼女は『見よう』として、良治から貰った大事な眼鏡をずらしてもう一度周囲を見た。
それは、致命的なミスだった。
「――!」
見回した郁未とばちりと合う視線。
その瞬間、郁未の肌は泡立つような感覚に襲われ、しまったという後悔の念が押し寄せた。
見るべきではなかった。見てはいけなかった。
――アレはいけないものだ。
何かのオーラのようなものを纏った、小太りでスーツ姿の男はこちらに真っ直ぐ歩いてくる。
その不気味な笑顔には嫌悪感しかない。
『――見つけた』
彼女には、男の口がそう動いたように見えた。
「ひっ……!」
眼鏡をかけ戻し、足を縺れさせながら男とは逆の方向に向いて走り出す。
走り出した先は高架下の横断歩道だったが、幸いにして青信号だった。
怖い。近づいてはならない。捕まったらおしまいだ――
走って、走って、気が付いたらよくわからない路地に郁未はいた。
ようやく落ち着き、冷静になって考えたことは助けを呼ぶことだった。
(でも……)
何か普通のことではない気がする。
おかしな気配がして周りを見たら男と目が合って追いかけまわされている。
もっと冷静になれたなら、男に追われてるということだけで警察なり、店長なりを呼んでも何かしら意味はあったと思えたはずだった。
しかし今の彼女にはその判断が出来なかった。
そして導き出された答え。それは昨日店長から受け取った電話番号に連絡を取ることだった。
周囲を注意しながらボタンを押していく。
三回ほど押し間違えてからコールしたその連絡先。しかし繋がりこそすれ電話の主は出てくれなかった。
(どうしようどうしようどうしよう――!)
何度コールが続いても一向に出る気配がない。
仕方なく一度切り、もう一度かけ直そうとした郁未の背後に――
「――イヒッ、もう追いかけっこは終わりですかな?」
「ひっ!」
振り向くと不気味な笑顔のあの男。ぞくりとする声に携帯電話を落としそうになりながら郁未は再度走り出した。もう何処に向かっているのか、ここが何処なのかもわからない。
ただ男から逃げることだけしか頭になく、何かを蹴飛ばしながら足を動かすだけだ。
「あっ――!」
手に握り締めた携帯電話が大好きなアイドルのメロディを奏でだす。着信を示すその音楽は先ほどかけた番号と同じものだ。
救われたような気持ちになりながら急いで電話に出る。
「あの――」
「あぁっ、ひ、柊さん、ですかっ!?」
待っていた声を耳にして上擦った声が響く。
「え、あ、そうですけど。どちらさ――」
「私ですっ、『Thank You』の、いくみですっ!」
「えっ?」
「今追われてっ、た、助けっ、あっ!?」
手から零れ落ちる携帯電話。
持ち直そうとしたが、慌てていたせいか音を立てて滑っていく。
携帯電話を拾い直そうとして、郁未は戻ろうとしたが――諦めるしか選択肢はなかった。
「――イヒッ」
「あ、ああ……!」
気持ちの悪い笑みの男の足元に転がった携帯電話。それを男は空気の抜けるような笑いとともに振り上げた足で踏み砕く。
逃げるしかない。一刻も早く。少しでも遠くへ。
「あっ――!」
再び走り出した彼女は路地に置いてあった小さな木製の看板に足を引っかけて転倒してしまった。
慌てて背後を見るが、まだ男の姿はない。携帯電話を落とした場所から十分以上は走ったはずなので、少しくらいは余裕があるはずだ。
倒れた看板が目に入るが、そんなものはどうでもいい。問題なのはぶつけた脛と転んで痛めた膝の状態だ。
「う、うそ……」
ずきりと疼く痛みはこれ以上走ることを拒否している。
このままではすぐに追いつかれてしまうだろう。そうなった場合、実際にどんなことになるのか、郁未にはわからないがとても良いことには思えなかった。
「はっ、はっ――!」
痛くとも足を動かすしかない。
そんな彼女の目に映ったのは蹴飛ばした看板の転がった先にあった古びた雑居ビルの階段だった。
(隠れないと……!)
足も痛い。息も絶え絶えだ。
こんなことならもっと運動をしていればよかった。
二十歳になったことに浮かれて趣味を酒になんてするんじゃなかった。
色々なものがごちゃ混ぜになりながら、郁未は足を引き摺り階段を上っていった――
昼間は行動に制限がかかる。
どうしようもないことだが、良治はそのことに僅かな苛立ちを覚えていた。
これが夜ならば視界も悪く人通りも少ない為、周囲を確認しながらになるが身体強化をして素早く行動が出来る。時には建物の屋上を伝いながら駆ける場合もある。
「ここから何処に行ったか、だな」
出来るだけ人通りの少ない道からメトロの上野駅の出口に辿り着いた良治は周囲を確認する。
この出口は雀荘から一番近い出口。普通ならこの高架下の出口を使うはずだ。
(……出ない)
ここに来るまでもずっとかけ続けているが一向に電話は繋がる気配がない。コールすらしてくれない。
充電が切れたか壊れたか。追われていることを考えると後者の可能性もある。そうなっているならかなりまずい状況だ。
それでも。それでも追いつかなければならない。
それが出来なければ最悪の結果が突きつけられる可能性もある。
(動こう。まずは――)
誰かが目撃していたかもしれない。
どの段階から彼女が走って逃げるようになったかわからないので、駅前に目撃者がいるかは不明だ。
それに人の往来も激しく、目撃していたとしてももうこの場にはいない可能性も高い。
――あの人なら。
可能性のありそうな人物を見つけ、良治は髪を乱しながらもまた走り出した。
無駄だった。すべては無駄だった。
「あはは……」
冬だというのに汗まみれになった身体。せっかく整えた髪も走り回ったり転んだりしたせいで酷い有様で、お気に入りのコートもぼろぼろだ。
本当なら腰あたりに来るはずの屋上の縁。
郁未はそこに背を預けてへたり込んでいた。
「――もう、終わりですかな。追いかけっこは」
蝶番の金属が軋む嫌な音をさせて男は笑う。
ここまで走ってきたはずなのに汗一つかいていない。
理不尽だ。
汗をかいていないことも、怪我をしたことも、こんなガラクタばかりで汚い雑居ビルの屋上で意味もなく、意味もわからず追い詰められていることも。
――信じられないし、こんなこと受け入れらない。
「――んで……」
「ん?」
「なんっで! なんでこんなこと、私を追いかけてくるのよっ!?」
そう思った瞬間、彼女の中で何かが爆発した。
納得いかない。理解できない。
何よりも、こんなところで死にたくない。
「ああ、そうですね。貴女には協力してもらおうと思っているので、それくらいはお話をしておくべきですね。いやはや怖がらせたようなら申し訳ない。――私は特別な力を持つ者。大きく分ければ貴女と同類です」
「同類……?」
「はい。私のこの『力』が見えるでしょう?」
持っていた茶色い鞄を置き、男は両手を見せつけるように掲げる。
郁未は眼鏡を外して男を見ると、やはり駅前で見た時と同じで何かオーラのようなものが見えた。
つまり今見えているものが男の言う『力』なのだと彼女は理解した。
「だ、だったらなんだって言うのよっ!」
「やはり素質はあるようですね。私の探索に反応しただけはある。……ああ。それで本題ですが」
手を掲げたままゆっくりと歩いてくる。
まるで死へのカウントダウン。それに抗うように郁未は傷付いた身体を奮わせて両足だけで地面を踏み締めた。
「――私の目的に協力してください。貴女には利用価値がある。きっと今以上に力をつけることが出来る。強力な力で無能で無力な人々を支配することも出来るでしょう。貴女にはそのポテンシャルがある」
あと数歩の距離で立ち止まった男は、そこで更に口角を釣り上げた。
「――でも、もしそうでなくても安心してください。ちゃあんと別の使い道も考えてありますから! イヒッ、イヒヒヒヒヒヒッ!」
「こ、このぉっ!」
「おっと。お転婆ですね。でも活きが良いのは素晴らしいことです。何せ、壊れにくいというのはそれだけで長所ですから!」
駄目だ。何を言ってもこの男には届かない。意味がない。
放ったビンタもあっさりと躱され、その手は空を切る。
「イヒッ!」
「あ、あ……!」
その手を掴もうと伸びる男の手。
ぶくぶくと丸みを帯びた指に、郁未の身体に一斉に鳥肌が立つ。
「むッ!」
「――え?」
触れる直前、短く叫んだ男がその身体つきからは想像も出来ない軽やかさと素早さで、まるでボールのように跳ねた。
理解が追いつかない。
ただ目の前の男がいきなり飛んで距離を取った。起きたことを見たままそれだけだ。
「――ほう。まさか、まさかこんなところでこんな展開になるとは!」
男の言葉は郁未に向けられたものではなかった。
彼女とはまったく違う方向、開け放たれたままだった鉄の扉へ向けてだ。
「誰だか知らないけど、その娘は俺の知り合いなんだ。手を引いちゃくれないかな」
「ああ……っ!」
僅かに息を切らせた男性が乱れた髪の毛を掻き上げる。昨日一昨日と見た姿とはまるで違うワイルドさを郁未は彼に感じた。
「そちらは知らなくとも私は知っていますよ。――《黒衣の騎士》ッ!」
「その名を知っていて俺に敵対する奴には手加減する理由はないな。
――その娘、守らせてもらうぞ」
「ここで我が望みが叶うとは。さぁ、来てくださいッ!」
何かに興奮している男に彼は冷たい目を向けると、次に郁未に向けて柔らかな視線を送る。
「――ちょっと待ってて。すぐに終わるから」
ずるい。
そして次に郁未は思った。
(今日見た占い、これから一生信じていこう)
そう、心に決めた。
【星座占い】―せいざうらない―
朝の情報番組などでよくあるコーナー。しかし行っている人間がそれぞれ違う為各番組で結果は大きく違ったりする。
そのまま鵜呑みにする人は少ないと思われるがその日一日なんとなく気分が良くなったり憂鬱になったりしてしまうもの。特に女性に多い傾向にあるらしい。
郁未は今後この日見た番組のものしか信じなくなる模様。
ちなみに良治は一切興味がない、ように見えてラッキーカラーくらいは合わせられたら合わせるらしい。




