五年振りの実戦
「……なるほど。鷺澤さんありがとうございました」
「いえ、これくらい気にしないでください」
良治と結那は薫の案内で宇都宮支部を一回りしてみて、建物の状況はだいたい把握できた。
まず宇都宮支部自体は東京支部と同規模の、大部分が木造の平屋二階建てだ。塀はなく、代わりに生垣がある。これは来る途中に見たものだ。あれが支部のほぼ全体を囲んでいる。囲んでいない残りはというと、そこは崖だった。下には川が流れている。
(しかし守備はこれで大丈夫って思えるほどじゃないのが微妙だな……)
高さにして十mもない。下には狭いながらも河原もある。普通の人なら無理だと思えるが、退魔士なら不可能ではない。間違いなく塀のない三方から攻めたほうが楽だが、こちらから来る可能性は否定できない。悩ましいところだ。
宇都宮支部の正面は西にあり、東は鬼怒川、北は田んぼで南はゴルフ場と何処からでも攻められるような立地にある。考えれば考えるほど難しいミッションだと思えてくる。
「道場に寄っていきますか?」
「そうですね。結那もいいよな」
「ええ。顔合わせも大事だしね」
「じゃあ行きましょう」
結那の同意を得て廊下を曲がり道場へ行く。道場の広さも東京支部と同じくらいだ。もしかしたら参考にしたのかもしれない。
「あ、来たわね」
「ええ、一通り見終わりましたので」
道場に入った一行に声をかけたのは眞子だ。あの後部屋を出て、指示通り一緒に来た福島支部のメンバーに説明をしていたのだろう。行動が早くて非常に助かる。以前と変わりなく有能な女性だ。
「みんな、さっき言った現場の指揮をする柊良治くん。知ってる人もいるだろうけどよろしくね」
「はい、柊良治です。皆さまよろしくお願いします。何か疑問に思ったりすることがあれば遠慮なく言ってください。――宇都宮支部の皆様もよろしくお願いします」
少し離れた場所に集まっていた宇都宮支部の人たちにも頭を下げる。一緒に支部を守る大事なメンバーだ。礼儀を失することはできない。
口々に挨拶や返事があり、どうやら好意的に迎えられそうだなと安心する。これも常日頃から培われた眞子や薫への信頼ゆえだろう。
「お久し振りです、柊さん。磐梯山の事件以来ですね」
「お、お久し振りですっ」
「ああ、久し振り。……高坂くんと瀬戸さん」
挨拶をしてきた二人組のことを思い出すまで少しかかったが、なんとか思い出した。
先にフランクな感じで挨拶をしてきたのは高坂一。ぼさっとしたやや茶色の髪の毛の落ち着いた雰囲気の青年だ。彼の言う事件の時に一緒に戦ったことがあった。
もう一人は瀬戸遥。肩まであるクセッ毛の少女でやや緊張しがちな面がある。彼らは中学の同級生だったと聞いたことがあった。
「まさか柊さんが来るとは思ってもみなかったですよ。予想外にも程がありますよ。どうしてここに?」
「まぁ成り行きとかそんな感じだよ。二人とも無事で良かった」
「ありがとうございます。でも勝夫さんが……」
「……聞いたよ。本当に残念だ。それととても悔しい。なんとか仇を取りたいところだ」
蓮岡勝夫は福島支部の双璧と称えられる程の実力者だった。年老いてはいたが下の者の面倒見も良く、彼を慕っていた者は数知れない。良治も世話になったことがあるので本当に痛ましい思いだ。
「はい。その為にも頑張ります。何か指示があるならすぐに言ってください」
「私も、頑張ります!」
「ありがとう二人とも。頼りにさせてもらうよ」
二人とも幼い頃からこの世界にいる退魔士だ。以前見た戦闘から十分に戦力になると期待している。特に一の方は頭の回転も早く機転も効く。中々の人材だ。
「じゃあ早速色々決めようか。鷺澤支部長、支部の見取り図ありますか?」
「あ、はい! 持ってきます!」
「お願いします」
走って道場を出ていく薫。おそらく私室に行ったのだろう。急いで持ってきて欲しいとは言っていないのだが、こちらの意図をちゃんと理解してくれている人間がいると助かる。
「じゃあ戻ってくるまでに、と。この中で前線で戦闘が出来る人ってどのくらいいます? 出来る人は挙手をお願いします」
良治の声に、まばらに手が挙がる。勿論その中には一と遥の手もあった。
「結那は挙げなくてよろしい」
「てへっ」
「あざとい……」
宇都宮支部と福島支部、両方合わせて挙がった手の数は十一。前もって聞いていた数と合う。挙手をしなかった数人は怪我人と、普段雑用をメインにしている人なのだろう。
実戦に参加できないような力しかない人でも需要はある。前線に出られる人材は出ずっぱりになりがちなので、支部の事務作業などが滞ることがある。それを解消するのに最適なのが実戦に向かない人たちだ。退魔士としての力を持っているので業界の知識があることが大きい。何の力もない一般人が関わるような世界ではないし、理解も難しい。基本的に関わりはさせないようになっていた。
「持ってきましたっ」
「ありがとうございます、鷺澤支部長。じゃあ皆さん集まってください」
結局帰りも走ってきた薫に苦笑いしながら見取り図を受け取る。そして皆を集めてそれぞれの持ち場を決めていく。配置場所は見回りの最中に既に当たりをつけていたのですんなりと決まっていく。
良治の中で決まっていなかったのは人数だけだ。なので後はそれをパズルのピースのように当て嵌めていくだけだ。
「――こんな感じでお願いします。あと結界を張れる人っています?」
「あ、それなら俺がやりますよ。このくらいの規模なら大丈夫です」
「よし、じゃあ結界は高坂くんに任せる。防音、耐衝撃、認識阻害で」
「わかりました。出入り禁止はなしでいいんですか?」
「大丈夫、それを入れると殲滅戦になるから。あくまで追い払うのが目的ってことで」
逃げ場のない戦場になってしまえば、後は死ぬまで戦い続けるしかない。そうなれば死傷率は跳ね上がり、望まない殺し合いが起こりやすい。それは良治の望むところではなかった。
どうしても必要な命があったり、殺し合いがあることを良治は認めてはいるが、それを率先して行いたいとは思っていない。そもそも良治は血が苦手だ。
「わかりました。結界を張るタイミングは?」
「……零時五分前で。一応襲撃想定時刻は一時だけど、予想通りに来るとは限らないから」
「はい」
前回と同じ時間に来てくれた方が楽だが、それはこちら側の都合だ。本当なら今から待機しておきたいところだが、さすがにそれは負担が大きすぎる。
「それでは皆さん、零時前を目処に指定の場所にお願いします。これはこの支部を守り、福島支部の借りを返す戦いです。――気合い入れていきましょう!」
「はいっ!」
「おうっ!」
士気の高さを感じる返事に手応えを掴む。誰もが上手くいく、そんなイメージを持っているに違いない。
「では鷺澤支部長、眞子さん、結那。加奈さまのところへ戻りましょう。細かい部分の詰めを」
「あ、はい!」
やっぱり一番元気がいい薫の返事に笑みが零れる。彼女も皆と同じように自信があるのだろう。
――それに水を差すのが少しだけ心苦しかった。
「……え?」
加奈が横になっている部屋に戻って良治が今後のことを説明して、最初に声を上げたのはやはり薫だった。
「あの、なんでですか。なんで逃げる話なんですかっ」
「逃げる話じゃなくて、もしも逃げることになったらの話だよ。リスクマネージメントはしておきたいんだ。戦闘は何が起こるかわからないから」
「それは、そうですけど……いえ、そうですね。ごめんなさいです」
不服そうだったが考え直してくれたようでほっとする。ここら辺はさすが支部長というところだろうか。理解が早い。
いや、そもそも不満を感じたのは彼女がこの宇都宮支部の支部長という立場からなのかもしれない。この場所を放棄することに大きな拒否感があったのだろう。少しだけ申し訳なく思う。自分の居場所を捨て去ることは痛みを伴うこと。それは良治も良く知るものだった。
彼が指示をしたのは加奈の脱出ルートの確保と集合場所、宇都宮支部に置いてある重要な資料や書類の纏め作業。そして全員が逃げられるよう車の確認だった。
弱腰と言われるかもしれない。だが最低限のことはしておきたい。やる気になっていた彼らの前で言えば彼女のように異議を唱える者もいるだろう。それはこれから一致団結して戦うことにマイナスになってしまう。だから良治は戻ってからこれらを提案したのだ。
「ではすいませんが鷺澤さんは書類の纏めを。車はあるんですか?」
「うちの支部にあるのはミニワゴンだけです。乗れるのは八人くらいの」
「あとは俺たちが乗ってきたのか。あれは四人乗りか」
「うん、詰めればもう一人くらいは乗れるけど」
さすがに大人数を輸送するには足が足りない。と思った良治の目に、手を挙げた眞子が目に入った。
「あ」
「気付いたみたいね。私たちが乗ってきた福島支部のマイクロバスがあるわ。あれなら二十人くらいまでなら乗れるから」
「全員乗れるくらいの広さはありそうですね。メインの逃亡手段はそれで行きましょう。眞子さん、目に付きにくい場所に移動させておいてください。南から逃げることを考えて、その周辺で」
「わかったわ」
逃げるなら南方だ。もし宇都宮支部に襲撃があった場合、その次は川越支部と予想できる。その先にあるのは――東京支部だ。
「そういえば水戸にも支部ありましたよね。そっちは?」
「去年人数不足でなくなっちゃったわよ。最近本当に人数足りないのよ」
「まじかよ。人材発掘や育成はどうなってんだ……」
「事件自体も多くなってるし、このまま先細りよ。そしてそれを誰もしない、というかやり方わからないから」
このままではそう遠くない時代には数えるほどしか退魔士はいなくなってしまうかもしれない。これも時代の流れとも思えるが、それでは魔獣や魔族に対抗する力がなくなり命を落とす人々が増えるのは目に見えている。
「綾華さんとか和弥は何か手を打ってるのか?」
「打ちたくても打てないんじゃない? 京都の仕事で手一杯って感じみたい」
「あー……」
良治はわかる気がした。きっと良治が開けた穴を埋めているのは綾華で、それに忙殺されているのだろうと。総帥の隼人も新たに京都に配属された和弥も事務作業は苦手だ。彼女ともう一人くらいしか事務作業が務まる人材に心当たりはなかった。
「……まぁそれは俺が考えることじゃないし、今みんなが考えることでもない。じゃあ眞子さん車の移動を。結那も一緒に。鷺澤さんもミニワゴンの移動させたいので誰かに頼んでください」
「わかったわ」
「はい」
返事をして三人は仕事をしに部屋を出ていく。特に薫の仕事量が多くなってしまうがこればかりは仕方ない。宇都宮支部の彼女にしかわからないことも多い。どうしても頼らざるを得なかった。
「では俺もちょっと出てきますね」
残されたのは加奈と佑奈の姉妹と良治の三人だけだ。正直居づらいので席を外させてもらう。ここにいるよりも道場で一たちと話をしていた方が楽だ。
「……柊さん」
「なんでしょうか加奈さま」
そんな彼の心情を理解した上でかそうでないかはわからないが、立ち上がった良治に声をかける加奈。普段なら可愛い女性に話しかけらることは嫌ではないが、今は正直嬉しくない。
「勝てると思いますか?」
「……そうですね」
本当に嬉しくない、聞かれたくないことだ。黙るのも良くないので一言言ってから次の言葉を考える。
「気を遣わなくてもいいですよ。本当のことを言ってくだされば。……佑奈も覚悟はしているはずです」
「……はい」
俯きがちな上に長い前髪が邪魔で目はほとんど見えない。しかしそこから控えめながらも確かな意思を感じた。以前会った時は守られるだけの存在だった彼女が、自分から前を向こうとしてしている。それが少しだけ嬉しかった。
二人に促されて良治は覚悟を決めた。
「正直今のところはどう転ぶかわかりません。ただここは守るのに適しているとは言い難いです。相手の戦力によっては一気にここまで抜かれる可能性もあります。だからその時の為に脱出ルートと集合地点を確認しておきたかったんです」
予想は五分五分。しかしそれ以上の公算はつかない。福島支部を難なく落としたことを考えると悪い方に傾く可能性もある。それでも五分と思えるのは、眞子をはじめとして一流の退魔士が数人いることにある。
「ありがとうございます、ちゃんと言ってくださって。難しい戦いになるかと思いますが頼みます」
「はい。全力は尽くしますよ。ただ俺が指揮を執ることが不可能になった場合はお願いします。そうしてくれないと俺も全力出し尽くせませんから」
「ふふ、わかりました。あとのことは任せてください。貴方は戦闘に集中してください」
少しだけお互いに心を開けた気がする。元々根が臆病でネガティブ思考な良治にとっては珍しいことで、加奈から歩み寄ってくれたことが大きかった。
「あ、あの……頑張って、くださいっ」
「え、あ……ありがとうございます、佑奈さん」
今までで一番大きな声を聞いた気がする。突然のことで驚いたが、それだけに応援づけられる。前髪から覗く潤んだ瞳が美しかった。
「ではいってきます」
――よし。やれるだけやってみよう。
すっきりした気分で扉を開く。
「いってらっしゃい……っ」
全く気にしていなかったが、そこで初めて自分の士気が上がっていることに気付いた。女の子の応援でやる気が出るなんて、やっぱり俺も単純だ。そんなことに少し笑って、静かに扉を閉めた。
「――そろそろ来そうね」
そう結那が呟いたのは午前一時まであと数分という時間だった。
良治の危惧は杞憂に過ぎず、結局この時間まで何の動きもなかった。だがそれだけに一時襲撃の可能性が増していた。
「来るなら、だけどな」
勿論襲撃があるとは限らない。もう一つ力を入れている新潟方面の可能性も当然ある。絞り切れるような情報がないので現状五分としか言いようがない。
だがもしあった時のことを考えて準備しておかねば、何の抵抗も出来ずにただ殺されるだけだ。
良治と結那がいるのは支部の西に位置する庭だ。木造の小さな正門から建物に続く、特に何もない殺風景な庭で障害物は何もない。普段は道場の他にここでも訓練をしているのだろう。
その庭の北側を二人で担当している良治は大きく息を吸い込んだ。冷たく澄んだ冬の空気。空を見上げると都会とは違う星空が浮かんでいる。何故だか高校生の頃見上げた夜空を思い出した。
(あれからもう十年近く経ったのか)
まだ二十代半ばと昔を懐かしむには早い年齢だが、それでも彼の人生は濃すぎた。いつどの段階で死んでいてもおかしくないほどに。ここ数年の平穏無事な生活がとても薄く感じてしまう。自分が選んだ人生だが、少しだけ手応えや達成感のなさがあの時の選択を後悔させていた。
(だから結那のお願いを聞いてここまで来たのかもしれないな……いやきっとそうなんだろうな)
これは未練なのだろうか。
三人が代わる代わる会いに来た時、良治は何とも複雑な感情が駆け巡った。
彼女たちを裏切って逃げ出して五年。その果てに再会して恨み言を言われるのではないかと身構えた半面、忘れられていなかったという安心感も確かに存在していた。自分は普通の人間ではなく、普通の退魔士ですらないのに。
そこに自分の弱さを自覚させられたことで、結局結那に連れられて来て、更に周囲の期待に応える形で今この場所に立っている。流されたとも言えるが、それでも来て良かったと思えていた。
「来ますっ!」
冬の大気に一の固い声が響いた。既に良治の指示通りの時間から一が結界を張っていた。その結界に反応したのだ。
この西側にある庭は、南側を一と遥が一緒に担当していて北側に良治たちがいる。そして中央に福島支部の一人が連絡役で待機していた。この五人で西側を全て担当しなければならない。実質戦闘は四人と厳しいが、各方面にバランス良く配置した結果何処も手薄になってしまったのは否めない。
眞子は加奈と佑奈に付き、道場にいる怪我人たちには蒔苗とそのサポートに福島支部員が一人。
南の出入り口には薫と宇都宮支部員二人、北には宇都宮支部員が三人。東の崖は悩んだが宇都宮支部の二人を回すことにした。無人にしておいてそこを突かれたら致命傷になり得るからだ。
良治はベルトに紐で括り付けていた小さな石を握り締めた。すると一瞬にして彼の右手に長めの日本刀が出現する。良治が一人前の退魔士となった日からずっと戦場を駆けた愛刀・村雨だ。これだけは白神会を抜ける時に隼人から許可を得て貰い受けいていた。手早く鞘をベルトに結び付けるとスラリと鈍い光を放つ刀身を抜き放った。懐かしい重みが両手にのしかかる。
「やっぱ、様になるわね」
「ありがと。そういう結那も相変わらずだ」
結那の武装は鉄板の仕込んである赤いグローブだ。膝にも同じようなプロテクターを付けている。彼女の攻撃は拳打だけではなく蹴りも相当なものだ。
生垣を飛び越えてきた影が庭に降り立つ。その数は六つ。着地に音はなく、そのどれもが一流以上の手練れだと感じ取れた。
だが負けるわけにはいかない。
「――さて。結那、行くぞッ!」
「おっけぃ!」
そして、五年振りとなる退魔士としての戦闘の火蓋は切って落とされた。
【結界】―けっかい―
外界と内部を遮断する壁。基本的には発動した場所から球体上に広がる為、地面に立って張る場合半球の形になる。他に石や何かしらの媒体を使用すれば四角形など形を変えることも出来る。
結界の条件付けは様々で、防音、耐衝撃、人避けなどがある。条件付けや規模によって負担や求められる技量は大きくなり、四つ以上となると「結界士」と呼ばれる専門職扱いになる。
仕事の際には一人確保しなければならないが、だいたいは魔術型の者が任されることが多い。