よれたトレンチコート
「よう、こっちだ」
良治が官庁街にある少しお洒落な喫茶店に入ると、そこにはもう待ち合わせ相手が席に座っていた。
昼過ぎということもあって店内は女性客でほぼ満席。入り口から見える場所に居てくれたことに感謝する。
「お久し振りです、高村さん」
「ああ、柊もまぁ元気そうで何よりだ」
店員にコーヒーを注文して、くたびれた顔の中年の男に挨拶をする。
男は五年前に会った時よりも少し印象が変わっていた。だが四人掛けの席に掛けてある、見覚えのあるよれたトレンチコートを見て変わってないなと感じた。
「高村さん老けましたね」
「ああ、髪の毛真っ白になっちまったからなぁ。まぁそう見えるよな」
髪の毛を触りながら苦笑する。本人も気にしているらしい。
この髪が真っ白で茶色のスーツの男は高村といい、警視庁に務めていて、白神会と繋ぎを取っている人間だ。
謎の生物やそれに伴う被害、人間業にはとても見えない死体などが発見された際に白神会へ依頼を通すのが仕事で、良治は一人前になった時から高村とは付き合いがあった。
「すいません、呼び出してしまって」
「いいよ気にすんな。むしろここまで呼んで悪かったよ」
「今は近いんで気にしないでください」
ここまで、というのは警視庁の傍までという意味だろう。
だが良治が住んでいるのは上野なのでそう遠い場所ではない。電車に乗れば三十分もかからない。
以前は東京支部のある八王子からか、自宅のあった神奈川からだったのでそれなりに時間がかかることが多かった。
「ああこっちに引っ越したんだっけな。……なぁ、柊。この五年間何してたんだ?」
「むしろ何もしてませんでしたね。普通に暮らしてたって感じです。それがなにか?」
「いや疑うわけじゃないんだが……いや疑ってるな。すまん、職業病みたいなもんだ。よくわからないことははっきりさせておきたいだけだ」
高村の立場や職業柄それも仕方ないかと良治は思った。
力を持つ者が不意にいなくなり、またふらりと現れる。それだけを聞けば何かしらの予兆にも聞こえるだろう。
良治だったらそう思う。
「まぁ仕方ないです。でも本当にそうですし、何かするなら最後まで消えてますよ。少なくとも白神会には復帰してません」
「柊の言うことはもっともだ。その通りだと思う。だけどな、お前さんならその理屈を隠れ蓑にしててもおかしくないって思っちまってな。……ああいや、これはお前の性格とかじゃない。お前はそれくらい頭が良くて思慮深くて、そして計画を立てられるって高い評価故のことなんだ」
後半やや慌てたようにフォローをする高村に苦笑する。
信用されているのかいないのか。
「凄く複雑な気持ちなんですが」
「いや、ホントに悪い。ああ、そうだ。支部の新設の話だよな」
話を本題に切り替えるさまに少し笑えてしまう。
だが今日の目的はそれなので、これ以上突っ込むことをやめて話の流れに乗った。
「はい。何か手続きとか」
「……実のところ手続きとかってのはないんだよ。あくまで非公式だし、表沙汰には出来ないことしかないからな」
「ああ……まぁそうですよね。じゃあどうしたら」
「支部の住所、連絡先、支部長以下の構成員一覧……それくらいか。それ以外の記述はしないで、そっと俺とかに渡してくれればいい。手紙でもFAXでもいいが、出来たら手渡しがいいな」
「なるほど」
公式には存在しない書類。当然それは手渡しが一番だ。
わかる者だけがわかればいい。組織外に流出してもそれが何を示すのかがわからなければ問題ない。
「ちなみにどの辺にするつもりだ?」
「東京支部は八王子ですし、新しいところは山手線の東側とかにしようかと」
あまり近すぎても意味はない。それでいて交通の便も考えるとその辺が妥当と思えた。
そして更にもう一つ理由があった。
「そうなると今住んでる場所の近くか。……まさか通勤が楽だからって理由じゃあるまいな」
「いやだって、通勤に時間かけるのってもったいないじゃないですか」
「まぁ、そうだが」
「それにまず探してみるだけですよ。近くに適切な場所がなかったら範囲を広げるつもりですし」
現在探しているのは彼の住むマンションから徒歩圏内の物件だ。
それで見つからなければ山手線の沿線で探すつもりで、まずは上野、そして御徒町や秋葉原から神田あたりを候補に考えている。
あの辺なら特に交通の便も良い。
「自分に決められる権限があるなら自分にとって楽な方向に決める。まぁ当然だわな」
「はい。夜に急な呼び出しとかもありますしね」
近ければすぐに駆け付けることも出来る。万が一の事態に即対処が可能というのは大きなメリットだ。
「それでその新しい支部には誰を連れてくるんだ。東京支部から選ぶんだろう?」
「そうですけど、よくわかりましたね。東京支部から連れてくること」
「そりゃあな。そうそう簡単に新しい退魔士なんて見つからないからな。そっちも人材不足なのは知ってるよ」
「そっちも?」
高村の言葉に疑問を覚えて、気になった言葉を繰り返した。
「ああ。だがその前に一つ。実は今、俺は現場に出てないんだ。それで実質的な現場責任者は世良ちゃんになってる」
「世良さん、ですか」
世良皐月。それは良治も知る人物だった。
彼女とは数度顔を合わせただけだが顔と名前が一致する程度には認識している。だがそれはあまりいい意味ではない。
「柊は世良ちゃん苦手だったか」
「別に苦手とまでは言いませんよ。ただちょっと自分の価値観を他人に押し付けがちな人っていう認識です。仕事をする分には大丈夫ですよ」
「見ない間に物をはっきり言うようになったなぁ。まるでお嬢さんみたいだ」
「綾華さんと同じ扱いは勘弁してください。で、世良さんが責任者になったことと人材不足とどう関係が?」
綾華にも失礼なことを言いながら先を促す。本題はここではない。
「ああ、それで世良ちゃんの主導で退魔士を育てるんだよ。警視庁の新人から適性のあるのを集めてな」
「それ言っちゃっていいんですか」
「大丈夫だよ。そのうちそっちにも話は行く。どうしたって仕事が被るからな」
現在白神会は民間からの比較的小さな依頼と、政府や警視庁からある比較的大きな依頼を受けている。
しかし大き目の依頼は危険度も高く、そうなれば当然依頼料は跳ね上がる。なのでその経費を減らそうと自前で解決しようと考えるのは自然な流れと言えた。
「まぁそうですけど。……ああ、それで人材不足の話に繋がるんですね」
「そういうことだ。全国から可能性のありそうな新卒を集めたが三十人もいなかった。更にそこから通用しそうな人材は半分くらいだな」
「頑張りましたね、そこまで集められるなんて。正直うちには無理そうな発掘人数ですよ」
白神会には特別スカウトをするような部署は存在しない。
あるのは孤児院や身寄りのなくした子供の集まるような場所への伝手だけだ。
一年に何回かそういった場所を訪問して確認する、そんな活動しかしていない。
ただそれにも理由はある。
白神会は基本的に、積極的に退魔士を集めようとはしていないからだ。
人材不足で困っていることと矛盾するが、良治は仕方ないことと思っていた。
退魔士は現代社会の裏側の仕事だ。世間には言えず、評価されず、そして厳しい訓練と命がけの仕事となる。
それなりに高額の報酬を貰えることもあるが、基本的には安定せず、安定させようとするなら危険度の高い仕事を受けねばならず命を落としやすい。
こんな仕事を、誰が好き好んでやらせたいと思うか。
だから白神会は真っ当に生活が出来る者には声をかけず、切羽詰まってこのままでは潰れてしまいそうな者、そして施設を出ても行き先のなさそうな子供に絞って声をかけていた。
「まぁ予想以上に見つかって世良ちゃんがもっと張り切っちゃってなぁ。そのうちそっちにも挨拶に行くと思うぞ」
「こっちじゃなくて東京支部にお願いします。こっちは東京支部の出張所みたいな感じらしいんで」
「一応伝えておくよ。で、だ。結局誰がこっちに来るんだ」
コーヒーを飲みながら話を戻す。
逸れっぱなしにならないところはちゃんとしているなと少しだけ笑う。
「まだ確定じゃないですけど、天音と結那、あと優綺の三人に来てもらおうかと」
「ん? 柚木は連れて行かないのか。てっきり一緒かと思ったが。あと優綺、ちゃんか? その子は知らないな」
まどかの名前がなかったことに困惑する高村。どうやら予想外だったらしい。
「まどかは東京支部の副支部長ですからね。戦力的にもあまり偏らせたくないですし。この辺が妥当かと。あと優綺は新人です。まだ一人前じゃないのでしばらくはお手伝いですね」
色々悩んだ末の結論で、良治もかなりの日数考えてのことだ。
支部長の葵からは戦力的に偏らなければメンツは任せると言われたのでそこに重点を置いたのだが、そうなるとどうしたところで付き合っている三人を呼ぶことは出来ない。
優綺を呼ぶことは確定で、その後はまず良治は事務作業が出来る人間を呼ぶことを考えた。
そうなると候補に上るのは天音と三咲千香の二人で、そうなると都内で仕事も増えそうなので実戦も出来る天音の方が適している。
千香は退魔士としては実戦に向かず、東京支部で事務と結界を担当しているのでそのままにしておく方が良さそうだと思えたからだ。
そして少なくとももう一人くらいは人手が欲しいと考えて出た結果が結那だ。彼女なら戦闘面に限れば良治の代わりになれる。
こうなるともう戦力的に東京支部から誰も引っ張ってこれない。
東京支部に残ったのは葵とまどか、千香に加え医術士の翔、浅川正吾、そして見習いの小学生二人だ。
良治としては戦力をちょうど半分に出来たと思っている。
「私情を挟んでこっちに呼ぶと思ったんだがなぁ」
「結那とまどかを逆にしようかとも思ったんですけどね。でも結那一人だけ残しておくと独断専行と、勝手にこっちに来る可能性が」
「ああ……」
高村にも事情は伝わったようで苦笑いを浮かべる。
結那は気分屋で、これだと思ったことをすぐに実行する性格だ。千香や正吾では止められないし、葵も押しに強い性格ではない。良治や他の二人のいない状態にはしない方が無難だと思ったのだ。
「そんな感じでこの組み合わせです」
「なるほどなぁ。しかし柚木は納得するかね」
「してもらいたいですね。まぁどうしてもと言うなら結那と交換で。でもなんで、そんなまどかのこと気にするんですか」
高村とまどかの付き合いは良治と変わらない。
もしかしたら自分のいない間に何かあったのかもしれないと、そう思った良治の顔を見た高村はそれを察して苦笑した。
「柊がいなくなった直後は酷かったからなぁ。ぶっちゃけた話、見るに堪えなかったよ。そんな姿はもう見たくないんでね」
「……なるほど」
良治が失踪した直後のことはまどか本人の口からはほとんど聞いていない。ただ情報としては葵や結那、天音から聞いて知っていた。
葵と結那は精神的に参ってたまどかが落ち着くまで一か月以上付きっきり、そして当時白神会に属さずフリーの退魔士だった天音は抜けた良治と仕事が出来なくなったまどかの代わりに仕事をこなし、そのまま白神会に入ることになった。
そんな経緯があったので高村が心配するのも頷けるというものだ。せっかく再会したのに、また離れるとなれば同じことが起きるかもしれない。
「でも大丈夫ですよ高村さん。まどかは成長しましたし、対策も取るつもりですから」
「対策?」
「別に今回また連絡もなしに消えるわけじゃないので大丈夫だとは思うんですけど、一応定期的に連絡をするつもりですし。その辺は心配してませんよ」
そもそも付き合っているので連絡を取らないなんてことは有り得ない。だがそれを知らない高村に説明するにはこう言うしかない。
最初のうちは嫉妬もあって毎日のように連絡があるだろうが、それは仕方ないことだし気分的にも悪くないので許容範囲だ。恋人の務めともいえる。
「柊が言うならまぁ任せるさ。……んじゃ話はこれくらいかね」
「ですね。では改めて今後もよろしくお願いします」
立ち上がった高村に手を伸ばすと、ちょっと驚いた顔をしてから握り返してくる。
「……ああ。少し変わったな、柊」
「そうですか?」
「ああ。仕事一辺倒からいい意味で砕けてきたよ」
それは良治も思う部分ではあるので小さく笑う。
昔の良治は効率や仕事を回すことに大きな比重を置いていた。
しかし今はその場の気分で仕事をしたり、手を抜いても大差ないときは適度に力を抜いている。それが伝わったのだろう。
「ならきっとそれは良い変化なんでしょうね。……今の自分、そんなに嫌いじゃないんで」
小さな頃から退魔士としてしか生きてこなかった。
だからその生活を離れて良治は退魔士ではなくただの『柊良治』になり、そこで初めて自分というものを自覚したと感じた。
「良い変化さ。……ああ、これからなんかあったら世良ちゃんに連絡するといい。そっちの方が早いからな」
「了解です。まどかあたりに連絡先は聞いておきますね」
「それで頼む。んじゃな、《黒衣の騎士》さん」
手をひらひらと振りながらよれたコートと伝票を持っていく。
相変わらずだなと思いながら良治は椅子に座り直し、まだ残っているコーヒーを口にする。
(これで支部創設は場所だけか)
あとは場所を決めて連絡するだけでいい。
もちろんそれに伴って事務作業用の机やパソコンなど、必要なものは多いが最初はなくても問題ない。千香は文句を言うかもしれないが東京支部にやってもらえばいいだけだ。
実際に必要な広さはさほどではないし、探せば見つかるだろうと良治は高を括っていた。
別に東京支部などのように道場などなくていい。事務作業が出来て数人が集まれるような広さでいいのだ。
一つ我が儘を言うならば、仕事上来客を迎える可能性があるので小さめのソファーとテーブルが欲しいくらいだ。
(ま、なんとでもなるだろう。創設費用も気にしなくていいって言われてるし)
支部のことは問題なく片付きそうだなと安心して、良治は冷めたコーヒーを飲み干した。
【トレンチコート】―とれんちこーと―
ダブルの合わせにベルトのついたコート。
高村のコートはベージュで、十年以上着て年季の入ったもの。
彼がこの部署に配属になった当時に買った物で、今では彼のトレードマークになっている。




