逆恨みの復讐者
「くそ、くそっ!」
真冬の寒風が吹き荒ぶ中、その男は道端の小石を蹴飛ばして悪態をついていた。雪が降っていないだけまだマシなのだが、そんなことは男にとって何の慰みにもなっていなかった。
さして広くもない繁華街、その中にある安めのキャバクラを追い出されたのは数分前のことだ。
「……ちくしょう、大して顔が良い訳でもないのに」
怒りに顔を歪めている男の名は宮森成孝。長身で体格が良く、普通にしていればそれなりにモテそうな人物だ。
しかし今はそんな気配は微塵もない。
二週間前に京都本部からこの石川支部に左遷され、毎夜繁華街で飲み歩いていた。そして一週間前に先ほど追い出されたキャバクラを見つけ、一人の女に粘着しだしたのだが結末はこれだ。
金は十分に払っていたし、それなら女の身体を多少触るくらい許されるべきだろう――そんな風に、本気で成孝は考えていた。
実際は、金こそ払っていたが遊び方を知らない面倒な客と思われていたことを彼は理解していなかった。
そして毎日のように来る成孝に店長は昨日、次に同じことをしたらお引き取り願おうと考えていて――そしてそれが今日だった。
「……くっ、おい、ぶつかってそのまま――」
「おや、これは失礼しました」
下を見ながらふらふらと歩いていた成孝の肩に何かがぶつかり、彼は苛立たしく文句を言いながら顔を上げた。
酒も入りまともに前も見ていなかった成孝が文句を言える立場ではないのだが、肩がぶつかってそのまま立ち去ろうとしたサラリーマン風の男に食って掛かる。
「おいっ、お前――ん?」
「もしかして、御同業ですかね?」
茶色のスーツにコート、鞄を持った小太りの男。それだけ見れば何処にでもいるただのサラリーマンだ。似たような男ならそれこそいくらでもいるだろう。
だが酔った成孝にでもわかるくらいに、その男は力を持っていた。そして何よりこの男も成孝を『御同業』と口にした。
この男は、退魔士だ。
「お前、石川支部じゃないな。何処の人間だ?」
「私は流れの者ですので。それにしても荒れていたようですが、何かありましたか?」
にこにこと笑みを浮かべる男に警戒感を覚える。
しかしそれは僅かなもので、愚痴を吐き出したいという欲望で押し流される程度のものだった。
「……ああ、向こうにある店を追い出されて――」
自分がどれだけあの店に貢献して、自分が追い出されたことの不当性を大きな声で力説する。周囲を行き交う人や近所の店の客引きの視線を集めていることにも気付かずに。
「ふむふむ。それは酷いですなぁ」
「お前もそう思うか。やはり私は悪くないっ!」
周りの視線を意に介さず話を聞き終わり、男は何度も頷く。すべて成孝が正しいと言わんばかりだ。
「ではそうですね。私が貴方の鬱憤を代わりに晴らしてあげましょう」
「なんだと……?」
「ここで五分ばかりお待ちくださいな」
そう言うと小太りの男は近くの路地へと入っていく。
成孝が歩いて来た方向とはまったく違う方向だったが、止める間もなく男は姿を消してしまった。
思わず伸ばした成孝の手は宙を漂い、ゆっくりと下ろされた。
鬱憤を晴らす、確かにあの男は言った。だが実際に何をするかはわからない。
だが何か出来るだけの力をあるのだろう。一般的にな退魔士なら普通の人間など相手にならない。近接型であっても魔術型であってもだ。
ただ成孝は実家の秘術である治癒術はともかく、戦闘に役立ちそうな能力には乏しかった。
一人前とされる魔術型の七級を持ってはいるが、実戦で術を使って戦ったことはない。詠唱術もなんとか発動したというレベルだ。
近接型に至っては九級という体たらくで見習いの子供にも見劣りする。
つまり宮森成孝という男は戦闘能力に欠けた、後方で誰かの治療をすることしか出来ない半人前の退魔士だった。
もちろんそれは医術士とのして一人前と言える力量なので、本来なら致命的ではない。
しかし京都本部ならともかく、実戦に出る機会のある他の支部では足手纏いとしか見られない。
「――お待たせ致しました」
「っ!? お、おう。早かったな」
背後からかけられた声にびくりとして振り返ると姿を消した男が立っていた。
五分も経っていない。しかし去った時と同じようににこにことした表情のまま、男は告げた。
「残念ながら私は当事者の女と貴方を追い出した男がわからなかったので――全員痛い目を見てもらいました」
「……は?」
「ああ、安心してください。大事になってしまうと面倒なので意識がなくなるくらいで誰も殺してはいません。この辺が妥当だと思ったのですが、どうでしたでしょうか?」
この男は何を言ってるのか飲み込めない。頭に入ってこない。
しかし男の言葉を理解し終わると、成孝は口角を大きく上げて、笑った。
「は、はははははっ! 素晴らしい! よくやってくれた!」
「御意向に沿えたようで何よりです。鬱憤は晴れましたでしょうか」
「もちろんだ! よし飲み直すぞ。奢りだ、ついてこいっ!」
愉快で愉快で仕方ない。男の背中をばんばんと叩きながら歩き出した。
「ありがとうございます。しかしこの辺ではそろそろ警察も来るでしょうし少し場所を変えましょう」
「ふむ、そうだな。向こうにも店がある。こっちだっ」
大股で気分良く歩き出した成孝の半歩後ろに男はついていく。
五分ほど歩くと小さな居酒屋が見え、がらがらと遠慮なく成孝は扉を開いた。
店の中は中年層を中心にして賑わっていて、二人は彼らに紛れるように席に着いた。
繁華街の端にあるこの店に成孝は一度だけ来たことがあったが、女のいない飲み屋に興味をなくして以来、来ることはなかった。
だが今回ばかりは騒ぎの起こった周辺を避け、こういった場所の方が適切だと思い男を連れてきた。
普通の対応なのだが酔っ払った成孝はこの判断に内心自画自賛していた。
「では乾杯で」
「ああ、乾杯ッ!」
運ばれてきた二つのビールジョッキを合わせて一気に半分ほどまで飲む。最高の美酒、勝利の美酒だ。
「それで貴方様ほどの方が何故こんな場所に」
「ああ、よくぞ聞いてくれた……!」
一月末付で京都本部から地方の石川支部に左遷させられたへの不満をぶちまける。
気に入らない出戻りが大きな顔をし、結婚の邪魔をし、上層部へは都合のいいように報告をして自分を遠ざけたと、身振り手振りを加えて熱く語り切った。
「私は陥れられたのだっ!」
「それは酷いですねえ。恨むのも当然でしょう」
「しかし私の味方になってくれる者も……くそっ、兄なら、当主なら身内を助けるのが当然だろうに!」
その兄と当主を争って不仲になっていることも忘れ、言いたい放題言う。間違いなく自分が逆の立場なら助けないはずなのにだ。
叩いたテーブルが揺れ、置かれたばかりの三杯目のビールの泡がジョッキから零れる。
店員が迷惑そうに見ているが相変わらず成孝は気にする様子はなかった。
「――では、お助け致しましょうか?」
「助ける……?」
男の言葉に成孝は今までの勢いが消えてきょとんとする。言葉の意味がわからなかった。
二杯目のビールに手を付けずに、笑みを浮かべていた男はゆっくりと口を開く。
「その、石川に来ることになった理由となった出戻りの男に――消えて貰えば全部元通りになるのでは?」
成孝は笑みを浮かべたまま、平坦な口調で言う男を凝視した。
笑っている。しかしその目の強さは冗談など言っているようには見えなかった。
「は、ははは!」
見つけた。そう成孝は思った。
従順で、確かな力を持った手下を。
これなら、こいつを使えば目的を達することも可能だと。
「いかがでしょうか?」
「ああ、頼む。手段は任せる、金もある。……だがあいつは相当腕の立つ退魔士だ。時間をかけてもいい。なんだったらお前が誰かを雇ってもいい」
腹の立つことに、標的の退魔士は白神会でも屈指の実力を持っていると噂されている。数年間この世界から遠ざかっていたらしいが、それでも大きく弱ってはいないだろう。
成孝はそう考えて無理な行動はしない方がいいと判断した。
「わかりました。では手を尽くして必ず消してみましょう。明日にでも準備金をお願い致します。どうしてもお金はかかってしまいますからね。その金額次第で策を講じましょう」
「ふん、安心しろ。宮森家は大家だ。必要なだけ出そう」
金を持っているのは成孝ではなく宮森家で、その金を自由にする権利などないのだが、それでもある程度融通の利く立場にはある。
左遷させられたとはいえ当主の弟、口を挟めるのは当主だけだ。
「了解致しました。それで――標的の名前は」
小太りの男は尋ねる。自分の殺すべき標的の名を。
それを成孝は狂気に染まった笑みで答えた。
「柊良治……《黒衣の騎士》と呼ばれる男だ」
翌日、新聞を見た成孝はにやりと笑みを浮かべていた。
あの自分を追い出した店で死者こそいないが怪我人が多数出たことが記事になっていたからだ。
「くふ、ふふふっ」
漏れ出る声。
これで恨みを晴らせると成孝は確信した。
だが彼は気付かなかった。
――何故、店の名前も場所も言っていないのに目当ての店を襲撃出来たのかを。
「あの、俺その話聞いてないですよね?」
「えーと、うん。ごめんなさい、いいかなーって」
「いいかな、じゃありません。葵さん、どうするんですかこれ」
柊良治は顔を顰め、電話越しに苦言を呈していた。
相手は東京支部の支部長である南雲葵だ。
三月になり、弟子の優綺が中学を卒業したので都内に越してくることになったのでその住所の確認をしておこうと東京支部に連絡をしたことが切っ掛けだった。
優綺の保護者でもあり、白神会東京支部の支部長でもある葵が電話に出たので話が早いと思ったのだが、尋ねる良治に葵は歯切れが悪かった。
不審に思った良治が追求すると、葵はとても言い難そうに信じられないことを口にしたのだ。
「いやー、だって優綺ちゃんがそうしたいって」
「だからってうちに同居ってのは。保護者なら止めてくださいよ」
「本人の希望って大事じゃない?」
「そうですけど。でもそれなら俺に話を通して説得するのが筋でしょうに」
「きっとそれじゃ無理だと思ったんじゃないの? 良治君を説得するなんてミッション、そうそう出来る人いないと思うし」
だからと言って騙し討ち、不意打ちというのはどうなのだろうかと思う。
「……はぁ。取り敢えず優綺と話をしてみます。それ次第ってことで」
「うん、わかったわ」
「それで葵さん、どうしてこの件通したんですか?」
最後にそれだけは聞いておかないとならない。
未成年の女の子を良治に預けたことの理由を。
「そうね、あの子が本気だったから、かしら」
「……女の子ってのは怖いですね」
「良治君が言うと説得力があるわね」
「まぁ、色々経験してるんで」
「ふふ、それじゃね」
切れた電話をベッドに放り投げ、深く溜め息を吐いた。
どう考えても無理がある。
いや物理的には問題はない。良治の住むマンションの部屋は2LDKで、一部屋は完全に使っていない。物置にでもしようかと思ったこともあったが、そもそも良治は荷物がほとんどなかったのでただの空き部屋だ。
なんならリビングの横にある広めのウォークインクローゼットも余っている。寝るだけなら十分な広さだ。
「うーん……」
部屋には問題はない。それを理由に断ることは出来ない。
そうなるとやはり倫理観からの説得になるのだが、正直良治には荷が重い。
現在の良治に、どんな倫理観を語れと言うのか。この、女性三人と付き合っている男に。
今の良治には説得力がないのは明白だ。
(じゃあまどかたちに……いや駄目か)
あの三人の顔が浮かび、彼女たちを理由に説得する選択肢が浮かんだがこれも無理だと判断する。
思い出したのは二週間ほど前のバレンタインデーだ。
てっきりまたバタバタした日になると覚悟していたのだが、いつもの三人に優綺を加えた四人でチョコを持ち寄り、見たことはないがなんだか女子会のような雰囲気で過ごすことになった。もちろんそれぞれからチョコは貰ったが。
あの様子を見るに既に三人に根回しは済んでいるように思える。
三人も優綺のことは気に入ってる。
良治は数か月前に出会ったばかりだが、優綺と三人は四年ほど前からで付き合いも長いこともあり、妹同然なのだろう。
「……無理だな」
手持ちに説得できる材料がない。あえて挙げるとするなら良治のプライベートの浸食だが、弟子を取ると決めた時にそれは受け入れている。今更言うことではない。
ベッドに放った携帯電話を手に取り、優綺へ電話しようとしてやめる。何を話せばいいのかわからない。
結局諦めて良治はベッドにぼふっと倒れこむ。
どうやら自分以外に損をするような人物がいないようだ。それなら別にいいのではないか。そんな風に思えてしまった。
女子高校生と同居。まるで何処かのゲームや漫画、小説のようだ。その主人公たちは大体が思春期の中高生だったりするので、嬉し恥ずかしの気持ちで楽しく過ごすのだろうが、もう二十代真ん中の良治には気が重い以外の感情はない。
「むしろ俺との生活が嫌になって出て行ってもらうのが一番か……!」
それは天啓とも思えた。
実際に暮らしてみれば思い描いていたものとのギャップに苦しむだろう。そしてそれはまだ高校生の優綺には変えることは難しい。家主である良治よりも自分の意思を通すことも出来ないだろう。
「よし、仕事するか」
目指すべき目標が定まり良治はベッドから飛び起きる。
やらないとならない仕事はそれなりになる。目下の課題は新支部の創設の許可を得ることだ。
今日の昼に警視庁の担当者と会うことになっている。この話し合いの算段を立てたのは葵だ。
そのことについて礼を言おうとも思ってたのだが優綺の件で完全に頭から消えてしまっていた。
それは仕方のないことだと割り切って準備を始めながらその後の予定を考えだす。
今日の予定はその話し合いと隣の空き部屋の掃除くらいで、時間の余裕はある。
(今日も行くか)
最近の良治に仕事は振られていない。それだけ平和だと言うことだ。優綺との訓練以外は自主訓練くらいしかしていなかった。
そうなると時間を持て余し、その結果白神会を出てから出来た趣味である麻雀に時間を遣うようになった。
最近は週に四日か三日程度通うようになり、行きつけの雀荘と言える場所が出来ていた。
行く方向で調整することを決めたが、まずは話し合いだ。それが上手くいかなかったら麻雀どころではない。
(ま、大丈夫だとは思うけど)
約束をした人物は旧知の人物だ。それだけに安心感はある。
何を話そうか。彼はどう変わったのか。
少しだけ楽しみに思いながら良治はシャワーを浴びに浴室に向かった。
【バレンタインデー】―ばれんたいんでー―
年に一回、基本的には女性から男性にチョコを渡す日。お菓子業界暗躍の日。
良治が当日受け取ったチョコは四種類。
綺麗にラッピングされた手作りチョコ、既製品のウィスキーボンボン詰め合わせ、小さなチョコケーキ、そして手作りのチョコクッキーの四つ。
誰もが笑顔の素晴らしい日、だったらしい。




