最初の一歩
「はい、そこまで」
「は、い……」
雲一つない夜空。しかし東京都心ではビルの明かりでの影響でそれほど星明かりを見ることは出来ない。
まどかとの勝負から十日ほど経ち、あの日以来の優綺の訓練日だ。一月最終週となり、今月二回目、そして今月最後の訓練日。
良治とすればもっと密度の高い訓練がしたかったのだが、どうしても中学卒業を控えた優綺の都合が合わず二度ほど延期になっていた。
優綺の進学先は都内の高校にほぼ決まっていた。
特に白神会が動くこともなく、単純に彼女の学力や内申点だけで普通に推薦入試の権利を勝ち取っていて、二週間後に面接の試験を控えている。
試験直前ということで訓練を迷ったのだが、当の優綺がまったく気にしておらずやりたいと答えたので彼女の意思を尊重して訓練となった経緯があった。
「結構体力ついてきたんじゃないですか」
「まぁ前と比べれば。このまま順調にいけばいいんだけど」
良治の隣に座って話しかけてきたのは肩まで届かない短いクセっ毛の天音だ。どうやら今日は彼女の担当らしい。
天音に会うのは数日前の良治の誕生日祝い以来だが、そのことはあまり思い出したくはない。
非常に疲れた一日だったというそれだけで十分だ。
「なぁ、なんで毎回誰かしらついて来るんだ?」
「まぁ発端は結那さんですけど……そうですね、良治さんと一緒に居たいのと、私たちの妹のような優綺のことが心配、と言ったところでしょうか」
「なるほど」
良治が思っていた以上に優綺は彼女たちに愛されていたようだ。
普段優綺が彼女たちと話す場面はあまり見かけることはない。仲は良さそうだなと思ったことはあるが、想像以上だったらしい。
「あの……」
「ああ、優綺は休んでていいよ。休憩は重要だ」
「あ、はい」
早く成長してほしいとは思うが、それは厳しい訓練を繰り返せばいいということではない。
それにまだ優綺は身体が出来上がっていない。無理をすれば成長を阻害するし、最悪壊れてしまうかもしれない。
「そう言えば天音は勝負しようとか言い出さないんだな」
結那とまどかとは休憩時間に何故か勝負をすることになっていたので、今日ももしかしたらと思っている。
しかし天音は小さく首を振って良治の言葉を否定した。
「私は以前に貴方と殺し合ったことがありますから。……そもそもあの二人が勝負を仕掛けてきたのは私のせいなんです」
「天音の?」
「はい。その、私と良治さんが『殺し合いをした仲』ということを話したら」
「……ああ、納得した。完全無欠に理解した」
なんだかんだ言って負けず嫌いの二人だ。天音にそんなことを言われたら自分もと思うだろう。
仕事の最中に勝負を挑むことは出来ないし、良治も問答無用で断るだろうが、それが優綺の訓練中、そして休憩時間なら可能性は出てくる。
結那がそこまで考えて行動したかはわからないが、結果として勝負をすることになったので目的は果たされたと言えた。
「すみませんでした」
「いいよ、怪我は……したけど治ったし。天音が案外独占欲が強かったのもわかったしな」
「……嫌ですか」
「いーや。そんなことはないよ。むしろちょっと嬉しい」
話の流れはわからないが、三人で話をしている中で天音がそのことを言った理由は独占欲からだろうと思えた。
他の二人にはない自分だけが持つ特別な関係。それを自慢したかったのかもしれない。
わざと言ったのか無意識に口にしたのか、それは良治も予想はつかないが、別にどちらでも構わないと思えた。
「なら良いのですが」
「いいよ。……ああ、優綺。ちょっとこっちに」
「あ、はい」
気を遣って少し離れた場所に座って休息を取っていた優綺に、こちらへ来るように声をかける。もう呼吸は落ち着いたようだ。
「この間の新年会の時に隼人さまと話したこと、覚えてる?」
「はい。どんなことを教えてもらってるか、そんなことでしたよね」
「そうそう。その時に優綺は言ったよね。『俺の教えたいことと優綺の目指したい退魔士像は重なっている』って」
「はい。確かにそう言いました」
迷いなく頷く彼女には自信が見て取れた。天音はその様子をじっと見つめている。
「じゃあ優綺。具体的な説明してくれないか。重なっていると思う、その退魔士像を」
なにかしら彼女の中で想像は出来ているはずだ。そうでなければ新年会の時、あんなにはっきりとは言えないはずだ。万が一なかったとしても、あれから時間が経ち、具体的な想像を作り出すことは出来たはず。
もしそれも出来ていなければ期待外れだ。
「ええと。たぶん良治さんは私に、自分の出来ることすべてを教えて、それをこなせるようにしたいと思っているはずです。なので良治さんが私に求める退魔士像、それは『柊良治』ではないかと。私はそう感じています」
目標は『柊良治』。それは一つの真理だろう。
良治は自分の知ること、覚えていること以外を教えることは出来ない。そして優綺の言うように、良治は彼女に自身の持つ知識、技術をすべてを教えたいとそう思っている。
だが。
「そうだな。理想はそれで間違っていない。でもそれは無理だと俺は思っているよ」
「え……」
「俺の教えたことを全部吸収して、それを実践出来るようになってくれれば言うことはない。更に言うなら教えたことを土台にしてもう一歩先へ踏み出してくれたら本望だ。だけど――」
自分の思っていたことが違い、動揺している優綺。
彼女に良治は言葉を続ける。
「だけどそれは無理だ。まだ教え始めてそれほど経っていないけど、それは無理だと俺は思っている」
「なん、でですか……?」
「簡単なことだよ。人それぞれ向き不向きがあるって、ただそれだけのこと。やり方も理屈も教える。だけどそれを実践出来るかどうかは別問題なんだ」
「あ……」
とても単純なことだ。しかしそのことに最初、良治は気付けないでいた。
同じことを同じ量だけ教えても、出来るようになる人間と出来ないままの人間がいる。当たり前のことだ。
そしてそれを才能と言う。
「間違えて欲しくないんだけど、別に優綺に才能がないって話じゃない。たぶん魔術型に関しては俺よりも上のランクに行ける。だが同時に近接型は俺には追いつけないと思うんだ」
良治の魔術型は七級。一人前相当だ。元から魔術型の適性のある優綺は、今すぐというわけにはいかないがいずれ彼を超えるだろう。
しかし近接型はこのままずっと訓練を費やしても良治を超えることは難しい。
自画自賛するわけではないが、近接型五級はかなりの高ランクだ。数体の魔獣なら一人でなんとか出来る程度の力量が必要なレベルと言える。
「俺と優綺じゃタイプが違う。術をある程度使えるし、棒の扱いも様になってきた。ある意味万能型で、それは俺と同じだけどバランスは違うと思うんだ。俺は近接寄り、優綺は魔術寄りって感じで」
「そうかもしれません。ですけど」
「俺はね、優綺。もう一人の自分を育てようと最初はそう思ったんだ。だから優綺の答えは間違っていなかった。でも」
「でも?」
揺らいでいた瞳が定まり、真っ直ぐに良治を見つめ返す。
「でも、それは無理だしそれじゃ駄目なんだと思い直したんだ。
言っちゃなんだけど、俺は『柊良治』という退魔士をそうそう代わりのいない奴だと思ってる。だからこそ代わりが欲しいと思ってたんだ。そしたら俺は楽が出来るからね」
「確かに、そうですね」
「うん。だけど優綺は俺と同じことが出来ない。俺の代わりにはなれない。そう知った時に、俺には別の目標が出来たんだ。
『柊良治』を目指すのではなく『石塚優綺』という俺とは別だけど、同レベルと認められる退魔士を育てようと」
最初から無理だったのだ。自分とまったく同じことの出来る退魔士を育てようなどと。
そのことを今まで本気で、誰かに何かを教えようとしてこなかった良治は気付くのが遅れてしまった。
遅れてしまったのは反省点だが、気付けたのなら修正すればいい。
そこで決めたのだ。数年後、自分と同じくらいと認められるような『石塚優綺』を育てると。
「――と、俺が今考えているのはこんな感じなんだけど。……って優綺?」
優綺は顔を伏せてしまい、その感情を推し量ることが出来ずに迷う。
もしかしたら良治の考えていた以上にショックだったのかもしれない。
もっと適切な場面、時期、言い方もあったのかもしれないが、それでも新年会に出た話題を持ってくるのに、これ以上の時間を置けなかったという理由はあった。
逆隣りに座っている天音はこちらを見ていない。話を聞いてはいるが口出しをするつもりはないのだろう。
「わたし……」
「ん、なんだ」
「私、ずっと、良治さんに教えて欲しいです。このまま、良治さんに並べるって言えるまで……っ!」
ぎゅっと唇を噛んでから、良治を見上げて優綺は拳を握りしめて言う。
泣いているのかと思った。自分の予想と違ったことを恥じているのかと思った。
だが違った。そんな些細なことはどうでもいいと言わんばかりに、彼女はいつか辿り着ける高みの場所を見つけた喜びに打ち震えていた。
「少なくともその道筋は示そう。いつかそこに行けるように」
「いいえ、そこに着くまでお願いします。――人生かけて、絶対に行きますから」
彼女の視線の先には輝く未来しか見えていない。
だがそれは盲目的なものではなく、必ず訪れる失敗や挫折を含めていた。
それを乗り越えた先に自分と良治の目指す場所があると、今信じたのだ。
「……正直安請け合いはしたくないし、きっといつか俺は何処かに行くだろうから約束はしたくないんだけど。……まぁ一人前になるまでは付きっきりで面倒は見るし、教えられるものは教えるさ」
自分が気分屋なのは理解している。面倒なことも嫌いだ。
こんな性格なのでそれこそ宮森家を敵に回すようなことになったら間違いなく姿をくらます。もしかしたら急に旅に出たくなるかもしれない。
だから簡単に約束は出来ない。
「一人前になった後は良治さんにお任せします。もちろん、ずっと教えて貰えたら凄く、凄く嬉しいですけど」
「じゃあそれで」
優綺も良治の性格がわかってきたのかもしれない。
押せば逃げるが押さなければある程度事情を考慮してくれる。そんな面倒くさい性格に。
「はいっ……その、一つお願いがあるんですが」
「なんだ? 弟子からの頼みなら出来るだけ聞きたいとは思うけど」
「えっと……その、先生って呼んでいいですかっ」
顔を真っ赤にし叫ぶように言った言葉に、後ろから噴き出すような声が聞こえてくる。
天音がそんな笑い方をするのは珍しい。ツボに入ったようだ。
「…………まぁ、いいけど」
「やったっ! あ、すいません。ありがとうございます――先生っ」
「……まったく」
良治は優綺のことを冷静で頭の回転の速い、気遣いの出来る良い子だと思っていたが、どうやら考えを改めないといけないようだ。
(今日だけでたくさんの表情を見た気がするな)
自信に満ちた顔、目標を見つけて真っ直ぐに進んでいくと決めた顔、そして真っ赤になってお願い事をする顔。
そのどれもが魅力的で。
そしてすべてを良治は好きだと言えるものだった。
「頑張ってください、『先生』」
「うるさい天音」
「だって……ふふっ」
「まぁ珍しいから許すけど」
「あ、ありが、ふふふっ」
笑いが止まらない天音を見て苦い表情が止まらない。
とても珍しいことなので本気で怒ることはしないが、そろそろ勘弁してほしいとは思う。
「天音……」
「ああ、はい。失礼しました。……それで良治さん、一つだけいいですか」
「なんですか天音さん」
「微妙に照れてるその表情、可愛いですよ」
「ッ! 天音ぇっ!」
思わず立ち上がった良治から逃げるように天音も立ち上がり、距離を取る。そして手を後ろ手に組み、くるりと回ってこちらを見て無邪気に笑った。
「いいじゃないですか。貴方のそんな表情なんてそうそう見られないんですから」
「見られたこっちは恥ずかしくて何かに当たりたい気分だよっ」
「あ、あの……駄目でしたか?」
天音を捕まえようと歩き出した瞬間、後ろからの声に足が止まる。
優綺の気まずそうな声。
良治は少しだけ迷って振り向いた。
「……大丈夫だ。何の問題もない」
「よかったぁ……」
それを聞いてまた天音が笑うような気配を感じて、良治は優綺に気付かれないようにゆっくりと息を吐いた。
「さて、そろそろ撤収だな」
「はい……今日もありがとうございました!」
最後の締めに良治も棒を使って優綺を相手にし、彼女から棒をはたきおとしたところで今夜の訓練の終わりを告げる。
優綺の集中力も切れておらず、それはきっと体力的に余裕が出てきたことが理由だと思えた。
「天音、帰るぞ」
「はい」
思い出し笑いもようやく収まった天音が返事をしたのを確認して良治は結界を解いた。既に優綺と良治は転魔石で棒を返している。あとは帰るだけだ。
携帯電話を確認すると既に早朝四時。まだ周囲に人影はないが、ぼちぼちとジョギングをする人も出てくるだろう。
「良治さん、もしかしたら」
「ん? ……ああ」
天音が一点を見つめながら固い声を出す。仕事用の声だ。
一瞬気付くのに遅れたのはブランクのせいか、それとも疲れていたからか。
前者だったらまずいなと思いつつ天音と同じ方向を見つめる。
「あの……?」
「優綺、向こうの方にに何か感じないか」
「えっと」
指さした方向を優綺が暗闇をじっと見る。こちらも力が入りそうなくらいに凝視している。
「――あ」
「気付いたか」
「はい……幽霊、悪霊でしょうか?」
「そうだな。たぶん悪霊のなりかけだろう」
悪霊になるには色々な条件がある。
それは複雑という意味ではなく、悪霊になる道が複数存在するという意味だ。
こういった都会で悪霊が出る条件の一つに、無念を抱えた霊が周囲の霊を取り込み力を付けて悪霊化するというものがある。
今回のもおそらくそれだろうと良治は予測した。
「来ましたね」
「案の定か。まだ無害だが放ってはおけないな」
力に魅かれてこちらに寄ってきたのだろうその霊は、白い姿で朧気だ。まだ人を襲うことは出来ないだろうが、このままではそのうち害をなすのは確実だ。
「優綺、出来るか?」
「えっ」
まさか自分が退治するとは思っていなかった優綺が上ずった声で良治を見つめる。
気持ちはわからないでもない。突然すぎる。
「あれはまだ悪霊になっていない、ほぼ無害な霊だ。動きもゆっくりでこんな簡単な幽霊退治もそうそうない」
「ですけど……いえ、やります。やってみます」
「その意気だ」
いつかは通る道だと思い直したらしく、転魔石で再度棒を喚び出す。隣にいる天音がそっと結界を張って、優綺が目の前の霊に集中出来るようにサポートに入る。
「はぁぁぁっ!」
相手の速度と自分の歩幅。それらを考慮して優綺が斜めに棒を振り下ろす。
棒に注ぐ力も十分。速度は問題ない。
振り下ろされた棒は手応えなく霊を通り過ぎ、そして白い影は霧散していく。
優綺は完全に影が消えるまで霊がいた場所を見つめ続け――そして大きく息を吐いた。
「これで、大丈夫ですか?」
「ああ。最後まで気を抜かなかったのも良かった。完璧だ」
「よかった……」
実戦の最初の一歩。
それはとても簡単で大したことではなかった。
だがそれでも本人にとってはとても大きいものだ。
誰もが通る、最初の一歩。
ついに優綺はその一歩を踏み出した。
【良治の誕生日】―よしはるのたんじょうび―
1/26。
当日は部屋に訪れた四人の女性のせい――お陰で混沌に――大いに盛り上がったらしい。
皆が眠ったあと片づけをしたのは、下から二番目のクセっ毛のあの女性。縁の下の力持ち、良妻である。




