宇都宮支部到着
東京を出てから結那の運転する車で北へ走ることおよそ二時間半。良治と結那の二人は宇都宮市郊外にある宇都宮支部、その駐車場に到着していた。
周囲はもう陽が落ちて暗く、灯りがないと先を見通すことも出来ない。予想よりも時間がかかったように思うが、そもそも良治が仕事を終えたのが夕方だったので当然のことだ。
「うーん」
車を降りて身体を伸ばしてほぐす。長時間座ったままだったのでさすがにあちこちが少し痛んでいた。冬間近の冷たく澄んだ空気に、川沿い特有の匂いが混じっていて少し気が晴れた。
「あ。ね、良治、ちょっと両手を広げてじっとしてて」
「ん、ああ」
運転席から降りてきた結那に言われるままに両手を肩の高さまで上げて止める。すると結那が後ろからペタペタと背中を触り出した。少しくすぐったい。
「……訓練を怠ってたって感じじゃないわね。昔と同じくらいに筋肉はついてるじゃない」
「キープはしようとしてたからな。肉体労働もしてたし」
組織を抜けても簡単に出来るトレーニングはかかしていなかった。毎日というわけにはいっていなかったが、工事現場の仕事も合わせてそれなりに身体は動かしていた。肉体労働の日雇いや短期間の仕事が基本的にいつも人手不足だったこともある意味助けになっていた。
そして結那が今度は前に回って胸筋や肩を確認しだす。
「これなら問題なく戦えるんじゃない?」
「無理だって。感覚や反射神経が衰えてる」
筋肉が昔と同じくらいとは言え、実際の戦闘になれば感覚の衰えは隠しきれない。何も出来ずに死ぬだろう。そこまで良治は自惚れていない。
「試してみる?」
「え……っ」
その言葉の真意を測りかねた瞬間、唇に柔らかいものが押し付けられた。意識が一瞬真っ白になり、気が付くと結那のしたり顔が離れていくところだった。
「そうね。確かに衰えてるかも」
「……お前なぁ」
「まぁ報酬の前払いだと思って受け取っておいてよ」
「前払いというかむしろ奪われた気しかしないな……」
結那はこういった悪戯染みたことをすることはあった。しかしキスをしてきたのは初めてのことで、まったく彼の予想外。回避しようと思う間もなかった。
「まぁいいじゃない。誰とも付き合ってないんでしょ? なら問題ないじゃない」
「そういった意味では問題はないけどな。だからと言って、許されるなんて思うなって」
別に嫌だったわけではない。しかし釘を刺しておかないとこの先またするかもしれないし、もしかしたらエスカレートしていくかもしれない。
更に言うならこれが誰かに、特にあの二人に知られたらと思うと少しだけ胃が痛む。
「はーい。じゃあ行きましょ、こっちよ」
「まったく……」
駐車場の砂利を踏み締めながら、歩き出した結那を追う。相変わらず自分のペースを持っている人間だ。そんなところも嫌いではないが。
「ん?」
「いや、なんでもない」
そんな彼女の力に少しくらいはなってもいい。振り返った彼女の笑顔を見てそう思った。
自分の背より少しだけ高い生垣に囲まれた宇都宮支部、その門をくぐる。築は相当経っているようで木製の門も、庭の先に立つ屋敷のような建物もやや古びた印象は拭えない。
結那は支部の戸に指をかけて無造作にがらがらと開く。鍵がかかっていないことに良治は若干の不安を感じたが表に出すのは控える。今は緊急事態で開けていたのだろう、きっと。
開けてすぐ傍を歩いていた、恐らく支部員であろうと思われるおかっぱの少女に結那は躊躇なく声をかける。
「あ、ごめんなさい。東京支部から来た勅使河原ですけど支部長さんいる?」
「え、はい! えっと、お話は聞いてます。こちらへどうぞ」
少女は少しだけびっくりしたようだが、話自体は聞いていたようですぐに案内をしてくれる。二人は靴を脱ぐと建物の向かって右側に進み、木製の廊下を軋ませながら少女の後ろをついていく。
「な、結那。俺は結那のサポートでいいんだよな」
「うん。多分私も支部長の鷺澤さんのサポートだと思うし。それでお願い」
「了解」
廊下を何度か曲がり奥へ奥へと進んでいく。どうやらこっちは生活スペースのようで幾つか部屋の前を通る。そうなると玄関から左側に行くと道場もしくは訓練用のスペースがあるのだろうと予想をつけた。良治は宇都宮支部に来るのは初めてだが、こういった大きめの支部には道場などが必ずある。常日頃から訓練が必要な退魔士にとって大事なものの一つだ。
「――薫さん、蒔苗です。東京支部の勅使河原さんがいらっしゃいました」
「ありがとう、通してください」
蒔苗と呼ばれた少女ががちゃりと扉を開く。ここまで来る最中になかった、ドアノブに鍵のついているところを見ると薫の私室なのだろう。開いた先の箪笥やピンク色をしたテーブルを見て良治は確信した。
鷺澤薫はそのピンクのテーブルの炬燵に入って書類を見ながらメモを取っていた。きっと情報の整理なのだろう。
「久し振りね、鷺澤さん」
「はい、そうですね勅使河原さん。本当に助かります、待ってたんで、す……よ?」
蒔苗と結那、そして良治が部屋に入り順番に目を移していった薫の視線が良治で止まる。固まる。数日前の結那のようだ。予想はしていたが、その通り過ぎて少し笑えてくる。そんな場合ではないのは理解しているが。
「――お久し振りです、鷺澤支部長。今回は勅使河原結那の補佐として参りました。少しでもお力になれたらと思いますので宜しくお願い致します」
「え、ちょっと柊さんっ!? うそ、本物なんですか!」
「本物よ。まぁ鷺澤さんが驚くのも仕方ないというか当たり前だけど」
「うわぁ、本当に柊さん……もう会えないかと思ってました」
「いや、そんな……まぁそうですね。私もそう思います」
良治本人も彼女の言葉に頷く。確かに薫を含めた退魔士たち、その業界に関わる人間に会うつもりはなかったのだから。そう考えてみると彼女の反応もわからなくもない。さすがに少し大袈裟だが。
「え、と。その柊さん? その丁寧な口調は止めて頂けると……柊さんにまた会えただけで緊張するのに、そんな口調で応対されるともうどうしたらいいか」
「そうよ良治。鷺澤さんは貴方のファンというか、憧れの人だったんだから」
「て、勅使河原さんっ!? なんでそれを!」
「まどかから聞いて。良治が居なくなった時に随分落ち込んでたって聞いたわよ」
「ああああ……忘れてください。お願いします」
恥ずかしさのあまり炬燵の上に両手を伸ばしてうつ伏せになる薫。その反応に昔を思い出してまた小さく笑った。懐かしいなと。
「ええと、まずはどうぞ座ってください。暖かいですから」
うつ伏せになっていた薫だが、すぐに立ち直って顔を上げると炬燵を勧める。ここまで廊下を含めて寒かったので地味に有難かった。
「それで、柊さんは手伝ってくれるという認識でいいんですか?」
「はい、鷺澤支部長」
「あの、本当に以前みたいな感じでお願いしたいんですが……」
「じゃあ他に人がいない時なら」
「ありがとうございます……」
ほっとした感じで言う薫。
本来ならやはり最初の良治の対応が正しいのだろうが、それでも年上、それも憧れの人からそういう対応をされるのは居心地が悪いらしい。
逆に良治は白神会を抜けた身。つまり今は引退した元退魔士に過ぎない。もっと言うならただの一般人だ。そんな立場なので白神会という大きな組織、その支部の支部長に敬語を使ったり敬ったりするのは当然だと判断したのだ。抜ける前は良治の方が立場が上だったとはいえだ。
「それでは現状を説明します。福島支部は昨日深夜に襲撃され陥落、死者も出ています。生き残った人たちはこの宇都宮支部で収容、休息中です。彼らの話によると襲撃者が『この後の進路はどうするんだ』『まだわからない』という会話を聞いたということです。なので宇都宮か新潟方面に進撃する可能性が」
「なるほど、生き残りの人たちが聞いたなら信憑性はあるな。じゃあ今防御を固めているってとこか」
「はい、そうなんですけど……正直私、こういったこと初めてで何をどうしたらいいのかわからなくて……」
不安の色を浮かべる薫。それもそうだろう、組織同士の抗争など一番最近でも八年前の対陰神まで遡る。彼女もその時には退魔士だったが第一線で活躍していたわけではない。支部の長として対応しなければならない現状は荷が重いかもしれない。
「大丈夫、手伝うから。なんとかなるよ。それで鷺澤さん、福島支部から逃げてきた中に上の人いた?」
上の人、つまり支部長やその下に位置する人間だ。いるならその人たちにも意見を聞きたい。ここの支部長は薫で、彼女が最終的な決断をする必要はあるだろうが他の人の話も聞くべきだ。
「あ、そうです! 加奈さまと佑奈さま、眞子さまも逃げてきてます! ただ、加奈さまは怪我の具合が少し重くて。蒔苗の力でもちゃんとした治療が出来てなくて」
「す、すいません……」
炬燵に入らずに後ろで立っていた少女が俯いて謝る。治療という言葉に疑問が浮かんだがすぐに答えが出た。良治も東京支部にいた時に大変お世話になったものだったからだ。
「もしかして宮森の人だったり?」
「は、はい、宮森蒔苗と言います。まだここに来て一か月くらいで……」
話を聞いていくと蒔苗はまだ高校生らしい。
宮森家は医術士の家系で、一族秘伝の特殊な術を使い治療を行う。門外不出にし、その特別性によってその家長は白神会でも四流派継承者と同じくらいの発言力がある。大きめの支部には宮森家の者が配属され、けがの治療に当たることが多かった。
以前ここで働いていた宮森の人は高齢を理由に三か月前に引退、その穴埋めとして蒔苗に白羽の矢が立った。まさかこんなことが起きるなんて誰も予想していなかったので仕方ないだろう。
「それは仕方ないですよ。それよりも他の皆さんとも話をしないと。鷺澤さん案内を」
「はい。蒔苗も一緒に来て」
「は、はい!」
三人は名残惜しそうに炬燵を抜けて部屋を出る。福島支部の人たちのいる部屋は更に奥の方にあった。むしろ宇都宮支部の一番奥になる部屋だった。と言っても薫の私室からはほとんど距離はない。
「すいません、鷺澤です。東京支部からサポートの方がいらっしゃいました。お話をしたいとのことでお連れしたのですが、今よろしいでしょうか」
ノックをして聞く薫に良治は大きな成長を感じる。だがそれもそうだ。会わなくなったのは彼女が高校生の頃だ。今はもう立派な女性で一人前なのだ。
扉越しに返事が聞こえ、薫が扉を音をさせないように丁寧に開けて中へ入る。音を抑えた意味に気付いて良治と結那も足音に気を付けて入室した。
「……まだ意識は戻りませんか。それに熱も……」
「ええ、絞ったタオルで冷やしてはいるのだけど。中々熱は引かないみたい」
少し狭い和室に居たのは三人の女性だった。そのうちの一人は横になり、熱にうなされながら眠っている。良治も二度ほど顔を合わせたことのある彼女の名は蓮岡加奈、福島支部の支部長にして白神会四流派の一つ、蒼月流の現継承者だ。良治の記憶にある姿とあまり変わっていない。髪が少し長くなった程度だ。そう言えば薫と同じくらいの年齢だったことを思い出した。退魔士としての、管理職としての重荷を二十歳そこそこの女性に負わせるのはあまりいい気がしなかった。だが逃げ出した良治にそれを言う権利はない。
「お久し振りです、眞子さん。そちらは……佑奈さんですか?」
「久し振りね勅使河原さん。ええ、こっちは加奈さまの妹の佑奈さま」
枕もとで世話をしていたのは伊藤眞子。三十歳くらいになったはずだが、凛としたその目は相変わらずだった。長い黒髪をうなじ辺りで縛っているが、何とも言えない色気を感じる。
「初めまして、佑奈さん。私は東京支部から来た勅使河原結那よ。よろしくね」
「……」
その隣に座るのは紹介された蓮岡佑奈だ。こちらも黒く長い髪だが、少し広がるような感じと前髪が目元を隠しそうなくらい長いので、やや陰気な印象を受ける。紹介されたのが恥ずかしいのか、おどおどしながら頭を下げるのがやっとだ。
「じゃあ話を……って、え?」
「すいません、お久し振りです眞子さん。今回に限り協力することになりまして」
昔の知り合いに会う度に驚かれてしまう。確かに行方不明になっていた人物が五年という歳月を経て突然現れたら当然とも言える。きっと良治だって驚いてしまうだろう。
「積もる話はまたいつか時間が取れた時にでもしましょう。きっと今みたいな短い時間じゃ足りないと思いますし」
「……そうね」
「じゃあ、早速……といきたいのですが、加奈さまの容態がまずいように見えます。少し傷の具合を見せて貰ってもいいですか」
熱に浮かされて息が荒い。頭は冷やしているが、根本的な問題は別にありそうだ。襲撃時に負ったという傷が原因なはずだ。
「良治くんは医術も使えたんだっけね。ごめん、お願いするわ」
「ありがとうございます。すいません、蒔苗さん手伝いを」
「わ、わかりました!」
蒔苗が布団を剥がして加奈の身体を横向きにする。そして着せていた薄い水色の簡素な浴衣のようなものを脱がしていく。すると少し赤に滲んだ白い包帯が見えた。身体の大部分に包帯が巻かれているので結構な傷のようだ。自分の治療でどうにかなる範囲なのか不安になる。
「代わりの包帯とかガーゼその他はありますよね?」
「あ、こっちに用意してあります!」
怪我人が一気に流入してきたことも考慮して、医療物資の不足も考えていたのだがその心配はないようだ。素直に有難いと感じる。
人差し指の先端に僅かに力を込め、包帯を切っていく。ぐるぐる巻きにされた包帯を外していくだけでも労力がかかる。包帯を切り加奈の左腕を上げて包帯を外す最中に、加奈の胸が見えてしまったがそれは仕方ないだろう。下着は着けていなかった。不可抗力だ。一瞬結那の視線がきつくなったのも気のせいだと良治は思うようにした。
全ての包帯を切ると、テープに張られた傷に沿って赤くなったガーゼ。それをぺりぺりとゆっくり剥がしていく。――思った通り完全には血が止まっていなかった。
「……なるほど。もう一回やり直した方がよさそうですね」
「ごめんなさい……」
「いや仕方ないですから。一緒にやりましょう」
背中の左側に、肺の付近から縦におよそ三十cmほどの裂傷。傷痕は酷いものだった。努力した痕跡は見えるが、止血がされきれてない部分が数か所ある。それに皮膚をくっつけた箇所も丁寧とは言えず赤黒い部分が多い。このままなら確実に醜い傷痕になる。
宮森家に連なる医術士だが、それでも蒔苗は修業中の身だ。自分に出来ることを懸命にしたことは伝わってくる。
「一度傷を開きます。ガーゼで血を」
「はいっ」
「結那、ナイフか小刀あるか」
「あるわ。……はい」
「さんきゅ」
もう一度最初からやった方がいいと判断して、結那が転魔石で出した小刀を受け取る。
転魔石とは指定の道具や武器を喚び出す白くて小さな石だ。刀や槍など常時持つと非常に目立つので、これは退魔士なら誰でも持っているものの一つだ。当然良治も持っているが一つしかなく、それは今回使いたい小さな刃物ではなかった。
受け取った小刀の刃に小さな炎を纏わせ、数秒で消す。医療の知識は持っていないが、やらないよりはマシだろう。
「……ふぅ」
小さく息を吐いて集中する。素直なことを言うと良治は血が苦手だった。しかしやらないといけない、そんなことを言っている場合でないことは理解している。
加奈の身体を抑え、傷口を小刀でなぞった。
「……あぁぁっ!?」
「眞子さん、加奈さまの手を握ってあげててくださいっ」
「わかったわ!」
噴き出る血を蒔苗が丁寧に拭き取っていく。しかしそれでも血は流れていく。あまり長引かせるわけにはいかない。
「蒔苗さん、ゆっくりと力を体内で練ってください。そして両手から出るイメージを」
「……はい」
術はイメージ。いつかの友人の言葉を思い出す。
「見ててください」
良治は両手に込めた力を、手で直接触れないように気を付けながら傷口に当てていく。ゆっくりと、丁寧に。
「傷自体は深くありません。だから表面を中心に集中して。細胞の一つ一つを、皮膚の繋ぎ目を合わせるように。ゆっくり、少しずつ。元あった場所に戻すように」
蒔苗に、そして自分に言い聞かせるように言葉を紡いでいく。
「――じゃあ蒔苗さん、交代です。サポートはしますので手を」
「はいっ」
蒔苗が前に出て加奈の身体に手を当てる。良治は蒔苗の後ろから覆いかぶさるように両手を添えてサポートに入る。
「……これで、いいですか」
「大丈夫。でももう少し集中して。残りは半分くらいだ。終わるまで気を抜いちゃいけない。丁寧に、少しずつ。ちゃんと出来てから先に進もう」
蒔苗の治療の邪魔をしないように、綻びが出ないように。そして難しそうな部分は先にやりやすいように手を加えながら。そうして――治療は終わった。
「で、出来ましたぁ……っ!」
「お疲れ様、蒔苗さん。でもまだだよ。塞いだとは言えまだ無理をすれば傷口が開くかもしれないし、血が滲んでいる部分もある。ガーゼとテープで傷口を覆って、その後包帯で固定して」
「す、すいませんっ」
達成感からか気が抜けそうになっていた蒔苗に指示を与える。疲労も相当なものなので責めることはしない。正直良治自身も倦怠感がある。
「じゃあ終わったら呼んでください。ちょっと外にいますから」
そう言い残して立ち上がって部屋の外へそそくさと出る。
包帯を巻くということは身体を起こさないとならないといけない。そうなるとまたうっかり胸に目が行きそうだった。
「はあぁぁぁ……」
廊下に出てから大きな息を思いっきり吐いた。
身体の負担は相当のものだった。五年振りの精密な力の操作、得意とはとても言えない治癒術の使用。精密さを補うために力をかなりつぎ込んでしまった。額には珠のような汗が残っている。
くらくらしそうな頭を無理矢理元に戻す。ここに来てやるべきことはまだ始まってもいないのだから。
「大丈夫?」
「結那か。ああ、これ返すな」
部屋を出てきた結那に額を拭ってから振り返り、さっき使った小刀を返す。ガーゼで血は拭き取ったが、あとでまた手入れは必要だろう。
「別に医療行為だし誰も気にしないと思うけど?」
「避けられるなら避けておきたいんだよ。なんとなく祥太郎にも悪いし……ってあの二人まだ付き合ってるよな?」
加奈の恋人の玖珂祥太郎。彼とも何度か会ったことがある。それも五年以上前のことだが。今から六年前、福島で大きな事件があったときに祥太郎が加奈のピンチに駆けつけ、そこでカミングアウトしたことを思い出してた。
「まだって失礼よ。今も付き合ってるみたいよ。……まぁ相手の顔とか知ってるとちょっと気まずいわよね、なんとなく」
「そゆこと」
部屋には女性しかいなかったこともあり良治は居づらかった。半分くらいは逃げ出したかったというのもある。
「……あ、お二人とも終わりました。加奈さまも意識を戻されました」
「ん、蒔苗さんありがとう」
「いえ、本当にありがとうございました。あの、よかったらまた今度教えていただけませんか……?」
上目遣いで恥ずかしそうに言う彼女の可愛さに、思わず首を縦に振りそうになるが、それは良治の仕事ではない。それにこんな仕事はこれっきりだ。
「医術は宮森の誰かに教えてもらった方がいいよ。俺のは独学だからね」
良治の治癒術、医術は独自に覚えたものだ。基本的に単独で動くことを前提に、必要そうなものは雑多に身につけたことが今生きている。
「そう、ですか。すいません、無理言って。あ、部屋に戻ってほしいと」
「いやいや単純に力になれそうにないってだけだから。了解、ありがとう」
加奈が意識を戻したこともあり、これで詳しい話が聞けるだろう。そうなれば対処方法も見えてくるはず。
これからが本番だ。深呼吸をした良治は気持ちを切り替え、改めて部屋に入っていった。
【治癒術】―ちゆじゅつ―
怪我を治す術。病気は治せない。白神会では宮森家が独占している。しかしこっそりと我流で覚える者も僅かながらいるようだ。
欠損はほんの少しなら、例えば斬られた指を繋ぎ合わせる為に必要な数mmの修復なら出来る者も。
基本的には怪我を負ってすぐに使用するほど効果は高く、傷痕も残りにくい。