手に取る武器は
「こんにちは」
「あら良治君、早いわね」
がらがらと道場の扉を開いて挨拶をした柊良治を迎えたのはこの道場の、支部の主である南雲葵だった。
ショートカットに右目の下の泣きぼくろがチャームポイントの女性で、その両腕にもう赤ん坊を卒業したくらいの可愛い男の子を抱いていた。
「ごめんね、今ちょっと寝ちゃってて」
「気にしないでください。俺が早く来すぎただけですから」
「そう? まぁゆっくり待ってて。三十分くらいで帰ってくるはずだから。それともうちの方で待つ?」
「いや道場で待ってますよ」
「わかったわ。じゃあ戻ってきたら伝えるから」
そう言うと葵は道場を出て自宅の方へ出て行った。子供のためにもあまり長い間寒い道場にはいられないのだろう。
良治としても十二月とまだまだ冬真っ只中という寒さの中、板張りの道場に一人はそれなりに堪える。暖房と炬燵のある南雲家に少しだけ後ろ髪を引かれるが、良治は少し身体を動かしたかった。
冷たい風に吹かれながら自宅からここまでおよそ二時間弱。昼食を食べてから家を出たので三時を過ぎたあたりだ。
明け方東京支部に帰ってきたあの日から、もう何度来たかわからない。それくらいもう馴染んできたと言える。
陰陽陣独立運動の会との交渉から陰陽陣自体との交渉になり、上手い具合に纏めて東京まで戻ってきたのは十日ほど前だ。
それから準備運動くらいのストレッチしか身体を動かしていない。
グレーの上着を脱いで道場に置いてある箱から木刀を取り出す。この箱には何種類もの木でできた武器が収納されており、勝手に使用していい決まりなので遠慮はいらない。
簡単にストレッチをしたあと軽く数度木刀を振るう。
久し振りの感覚に懐かしさと寂しさを感じてしまう。愛刀である村雨を喪ったのはそう遠い過去ではない。
(村雨には悪いけど、俺の未熟さと力不足が招いた結果だ)
根元から折られた村雨は、今は自宅の天袋に置かれている。もう役に立たないのだが、捨てる気にはなれなかった。
「――こんにちは良治さん。優綺さん待ちですか」
「ああ、天音か。そうだよ。何か用か?」
先ほど葵が去った道場と南雲家を繋ぐ廊下方面の扉から現れたのは天音だ。落ち着いた柿色のセーター姿で、きっとこれが彼女の普段着なのだろう。
「今日は一日事務作業をしていたので少し休憩です。……でも自分の彼女にその言い草はどうかと」
「……そうだな、ごめん」
「いえ、わかってくれれば……いえ、今度暇な時でいいので二人で出かけてくれたら許します」
「了解。いつかとは言えないが必ず」
「ありがとうございます」
こんな我儘を言う天音は珍しいのですんなり受け入れる。普段から我慢をさせているはずなのでこういう時くらいは優しくしたい。
天音も三人いるとはいえ良治の彼女だ。あの時以来会っていなかったので少し感覚が薄くなっていたのは否めない。
三人ともに言えることだが、友人の期間が長すぎて付き合いだしたが特にそこまで変わったということはない。
「少し身体動かすか?」
「いいですね。良治さんとお相手するのも暫く振りですし、私も身体を解したいと思っていたところです」
「助かるよ」
どうしても一人でやるには限界がある。良治が確認したいのは型ではなく反射や反応だ。こればかりは誰かがいた方がいい。
天音は箱から良治と同じ木刀を掴み取ると少しだけ距離を取って正眼に構える。悩んだが良治も真似てみる。
「あまり良治さんのその構えは見ませんが」
「まずはバランスを重視かなってな」
「なるほど。――では」
先手を取ったのは天音だった。スッと前に出て横薙ぎから打ち込み始める。
速度はそれほどでもない。良治に合わせて落としているのだろう。その気遣いがありがたい。
徐々に速度が上がっていく。板張りの道場で靴下と踏ん張りの利かない状態だが、それはストッキングの天音も同様だ。間合いと木刀捌きを中心にした戦い方で直撃を避ける。
「――はっ!」
「くっ……」
斜め上から振り下ろしてきた木刀を横から打ち払って跳ね上げる。そしてその勢いのまま回転し、左手一本で持ったまま天音のあばらを砕く――前に寸止めした。
「ふぅ……こんなもんか」
「大して鈍っていないじゃないですか。私じゃそうそう勝てません」
「まぁ天音、木刀普段使わないし仕方ないって」
「それでも不満ですよ」
彼女が普段使用しているのは今持っている木刀よりも大きな鎌だ。まるで死神のような大鎌は相対する者に圧倒的な威圧感を与える。
そしてそれは見かけ倒しではなく、実際に手足の延長のように軽々と振り回す。大鎌の重心をきっちり理解しているので言葉通りくるくると回転させ、漫画のように攻撃することもできる。初見であれを見せられたら驚愕で固まってしまうこと請け合いだ。
「言っちゃなんだが、まだ天音は木刀を腕だけで使ってる感じがするな。もっと身体全部で使わないと」
「それは理解しているんですけどね。普段使わない武器は難しいです。良治さんみたく複数の武器を手足の如く使える人の方が少ないんですから」
「俺はどれも極められないし、自分の限界までやってもそこまで伸びないのがわかっちゃったからなぁ。何かしら俺でも極められる武器があるかと思ったけど、結局どれも無理だったってだけだし」
最初に習ったのは剣術だ。葵の父親から教えられた剣技は並みの退魔士以上のものとなったが、その時の良治には物足りず、更に別の武器へ興味を移していくことになった。
槍や棒、小太刀や弓。果ては格闘術まで手を出した。
しかしどれもスポンジに水が染みるほどの速度で上達したが、その全てが一流はともかく超一流にはなれなかった。
――自分には才能がない。これ以上の上達は望めない。
そのことに気付いた良治が取った行動は、出来る限り手札を増やすことだった。
最強の一枚を手に入れられないのなら、そこそこ強力なカードを複数枚持てばいい。
そして今の、なんでもできる柊良治が出来上がった。
中途半端と言われてしまえばそれまでだが、そんな自分を良治は気に入っていた。
最強の一撃を、技を持ったそんなまるで物語の主人公にはなれないしならなくていい。自分はそれを手助けする便利な仲間になれればいい。――そう思ったのだ。
時は経って主人公から離れた便利な仲間は好き勝手に動き出し、自分にできることだけを無理せずしながら生きている。最も、周囲からの無茶振りは多いが。
「しかしどれも無理だという割には習熟度が高過ぎる気が」
「まぁ最強クラスにはなれないってだけだからなぁ。昔の俺はずっと、もっと上に、強くならなきゃって思ってたから」
良治が強くなろうとした理由、それは母親の敵討ちだ。
母親を殺した魔族をいつか倒す。そのことを糧にまだ小学生にもなっていなかった彼は武器を手に取った。
そして殺すことこそ出来なかったが、その魔族がいた組織は白神会により壊滅させられた。戦後行方不明になり、今まで目撃情報もない。
良治は復讐を果たせた。そう思うことにしてそれまで助けになってくれた人たちに恩返しを、そして『主人公』の行く末を見守ることと、何かあった際に助けになる道を選んだ。
「お互い昔は色々ありましたからね。こんな今があることが信じられないくらいに」
「そうだな。……天音が今笑っていてくれて本当に嬉しいよ」
天音の過去も酷いものだ。だからこそ心からそう思える。
当時陰陽陣に属していた小学生の天音は、魔獣討伐に参加した部隊の唯一の生き残りだ。そう聞けば運が良かった。そう思えるかもしれない。
だが現実は魔獣に襲われて瀕死の状態だった天音の前に一人の魔族が現れ、そして半強制的に、選択肢がないような状態で契約を結ばされてしまった。――それが彼女の悪夢の始まりだ。
死ねば彼女の魂は契約した魔族のモノになり、永劫の苦しみに囚われる。死は救いではない。
生きていても常に魔族の影響下にあり、反抗は許されない。
魔族との契約により大きな力を得てしまった天音は、陰陽陣の暗部、『暗天衆』で頭角を現し――たったの一年で頭目まで上り詰めることになった。なって、しまった。
数年後陰陽陣で『開門士の乱』が起こり、紆余曲折の果て天音は自由になり、良治の傍にいるようになった。
「ありがとうございます。私も、嬉しいですから。今貴方とこうやって、こんな関係になれて」
「そっか。……ある意味まどかと結那とは違う特別な関係だからな、天音は」
「特別、ですか?」
「ああ――殺しあった仲だ」
「ふふ、確かにそれは二人にはないものですね。……では、特別な関係ということで」
敵対していたからこその関係。今では笑い話に出来るこの関係がとても幸福だ。
音を立てずに木刀を置いた天音がそっと良治の胸の中に寄り添う。
「……まぁいいけど、汗臭いぞたぶん」
「気にしませんから」
「少しだけな」
「はい」
彼女の背中に腕を回して抱き合う。
冷たい空気など感じないくらいの熱は二人でいるからかもしれない。
「……あの、良治さん――あ」
「……残念。時間切れだな」
口づけをせがもうとした天音が短く声を上げ、一瞬遅れて良治も気が付いた。誰かが東京支部の敷地内に入ったことに。
誰かと言ってももう目星はついているが。
「……っ!」
「っ……珍しいな」
「そうですか? 私でも、どうしてもキスがしたいときという時はあるんですよ」
「……なるほど」
まだ姿が見えていなかったことで、思い切ってキスをしてきた天音が微笑ましい。出来ることならこのまま抱き締めて続きをしたいところだったが、もう時間はない。
「あ、あの、すいません、遅れました……っ!」
天音との距離を開けた瞬間、息を切らせて道場の扉を開いたのは予想通りの女の子だ。
寒いというのに額に髪を張り付かせた、制服姿の彼女。学校からここまで急いで帰ってきたのは誰にでもわかることだった。
ちなみに彼女は時間に遅れてなどいない。
現時刻は三時半だが、申し合わせた時刻は優綺が学校から帰ってくる時間として申告した三時四十五分。単純に良治が早く来ただけだ。
「おかえり、優綺」
「おかえりなさい優綺さん。取り敢えず息を整えて」
「は、はい……すいません」
道場の入り口で深呼吸をして落ち着こうとする姿が可愛らしい。小動物的な可愛らしさだ。
「優綺さん、一つアドバイスを」
「え、はい……?」
「良治さんと待ち合わせをする時はせめて十五分前には来た方がいいですよ。この人は可能なら三十分前に来る人ですから」
「えっ……じゃあ」
「はい、今日もです」
「ああああすいませんっ!」
頭を勢いよく下げる優綺に苦笑いする。
別に勝手に早く来ただけなので謝ることはないのだが、目上の人を待たせるということが後ろめたいのだろう。その気持ちはわかる。
「いいよ別に。俺が相手を待たせたくないだけだから気に――」
「だから待ち合わせの時間はこちらから指定して、余裕を持って行動することを勧めます」
「はい、ありがとうございます天音さんっ」
「天音……」
「なんですか?」
「いや、なんでもない」
「今後も待ち合わせは多いでしょうから、こういうことは知っておいた方がいいですので」
「なんでもないって言ったってのに……」
天音は天音で優綺のことを気に入っている。そのことがこのやり取りで理解できたし、優綺の方も天音を先輩として尊敬しているようだ。
あまり優綺と三人が絡んでいた場面を見ていないので、どんな関係性なのかいまいちわかっていなかったが良好なようだ。一つ気になっていたことが解消できてほっとする。
「えっと、優綺。取り敢えず着替えたら戻ってきてくれ。ゆっくりで構わないから」
「はい、急いできますっ」
ゆっくりと言ったのに急いで扉の方から南雲家の玄関へ走り出す。
しかしばたばたした感じがないのは日頃から所作を気にしているからかもしれない。
「礼儀作法や所作に関しては私が注意してますから。もちろん気になったら直接言ってあげてください」
「どうして読めるかな……」
「単純ですよ、良治さんは。視線と表情でだいたい掴めます」
「それは怖いな」
「でもちょっと嬉しいでしょう?」
「……ちょっとな」
内心理解してくれる天音が嬉しいが、なんとなくちょっとと口にする。
だがそんな良治の気持ちもわかっているらしく、隣の彼女はただしたり顔で笑みを浮かべるだけだった。
「じゃあ木刀から」
「はい!」
着替えた優綺が戻って来たのは十五分ほどしてからだった。どうやら短い時間でシャワーで汗だけ流してきたらしく、ほんの少し石鹸の匂いがした。
良治は今日東京支部に来た理由を思い出して彼女に木刀を渡す。
今日の目的は天音といちゃいちゃすることではなく、優綺の現在の力量を確認することだ。
天音も興味が湧いたのか端に座って見学をしている。
先ほど見た構えから優綺が木刀を振り出す。
その姿を良治は前から、そして真横からチェックをする。
「優綺は誰から習ってる? 葵さん?」
「はい。でも最近は正吾さんに型を見てもらってます」
「なるほど」
現在優綺の肩書は近接型九級、魔術型八級の第八位階級退魔士だ。つまり良治が昔いた頃の呼び方だと術士タイプとなる。
なので得意分野を伸ばしたいのなら術をメインに鍛錬をしたいところだが、退魔士として最低限の近接戦闘能力は欲しい。術を使用するにも有利な場所への立ち回りや防御能力は必須だ。
「あの、駄目ですか」
「どれくらい習ってる?」
「五年くらい、ですね」
「五年か……」
五年と言えばそれなりに木刀を振るえるようになって然るべきの時間が経っていると言っていい。
だが優綺のそれはどこか不自然で、バランスが悪いように見えた。木刀に振られている感が漂う。
「あの……」
振るのを止めた優綺がこちらを見つめる。元々剣術に自信もなく、さすがに不安なのだろう。
「ちなみに他の武器を使ったことは」
「いえ、ありません。……あのそんなに」
「悪くはないけど良くもない。だからちょっと他の武器を試してみよう。何かもっとやりやすいのがあるかもしれない。……俺も昔そうだったからさ。やってみよう」
「わ、わかりましたっ」
優綺は木箱に駆け寄り、中をごそごそと武器を選び出す。
あの中には普段使っていないような物も多いので迷っているらしい。
「じゃあこれで」
「小太刀か」
「はい。では――」
小太刀を握った優綺が構えるが、どうにもしっくりこないようで何回も構えを変更する。中にはふざけているのかと思うものもあるが本人は至って真剣だ。
「はっ、ふっ、せいっ!」
「……うん。他のにしようか」
「あ、あのっ、もう一本もやってみますから!」
「え、あ、うん」
無理そうなので次を促したが本人は納得がいかないようで、今度は二刀流にする優綺。
だが――
「あの、これって凄く難しくないですか……?」
「当たり前だ。一本でまともに扱えないのに二本は無謀だ」
「う、それはそうなんですけど、それ以上に全然上手くいかないっていうか」
「それはそうでしょう」
「天音?」
座っていた天音が立ち上がって会話に加わってくる。少し自慢げだ。
「間合いが狭ければ狭いほど体術が重要になってきます。身のこなしに長けた良治さんならともかく優綺さんには難しいですよ。それに――」
「それに、なんですか天音さん」
「それに、良治さんは両利きですから」
「えっ」
びっくりしてこちらを見る優綺、良治はそれに溜め息を吐いて天音に苦い口調で抗議する。
「天音、怒るぞ」
「っ……失礼しました」
「ちょっと調子乗ったな」
「すいません……」
割と本気で怒っていることが伝わって頭を下げながら縮こまる。
本人が秘密にしていることを喋るのはマナー違反だ。それが例え彼女であり、相手が身近な者でもだ。
もし何かの拍子で敵にばれた場合、倒せるタイミングで倒せなくなるかもしれないのだ。
何より優綺には自分で気づいてほしかったということもある。
「……まぁ言ってしまったことは仕方ない。でも気をつけてな」
「……はい」
「あの、それって本当なんですか……?」
「ああ」
雰囲気に飲まれておずおずと手を挙げた優綺に、良治は仕方なく答える。嘘をついても意味はない。
「それって生まれつき、じゃないですよね」
「そりゃあね。小学生の頃に右手を怪我したことがあって、その時に両方の手を使えたらいいなって練習したんだ」
「それで実際使えるようになるって凄いですね……!」
「いやそんなキラキラした目で見られても」
良治の身に付けた技術は全て復讐する為に努力した結果だ。誇るようなものではない。むしろ今となっては少しだけ後ろめたい。
「あーもう。ほら優綺、次の武器を選んで。天音も落ち込んでないで立ち直る。あとで頭撫でてあげるから」
「は、はい!」
「……失礼しました。事務作業に戻りますので終わったら声をかけてください」
「了解」
天音が立ち去り道場には二人だけが残された。
「その、喧嘩させてしまって――」
「大丈夫だよ。喧嘩じゃないし後でちゃんと話をするから。それよりも優綺、続き」
「……わかりました」
まだ天音のことが気がかりのようだが気持ちを切り替えてくれる優綺に感謝する。この辺の能力は評価できる。リーダー向きだ。
(もしも本当に上に立つ適性があるなら頑張ってほしい反面、ちょっと可哀想だな)
大人数の上に立ち指示を出す。これはストレスの溜まる仕事だ。良治も率先してやっていることではないが、何故か気付いたら指示を出す側に回っていることが多い。
そんな苦労は優綺にはしてほしくない。
だが適性があるなら伸ばさずにはいられない。良治には可能性の芽を摘むことなど出来ない。
(……だけどまぁ、それは後回しだな)
「えいっ、やぁっ!」
棒を振り回しだした優綺だが、やはりまだまだといった感じだ。
しかし剣と小太刀に比べればややマシに見える。
「おっけー。次行こう」
「はいっ」
この武器の選定作業は日暮れまで続き、この日のうちに優綺の扱う武器が決定した。
その武器は良治にとっては少し思うところがあったが、それでも彼女の使った中で一番まともに見えたものだ。
――まぁ、これも何かの因果か。
そう思いながら帰り道、良治は棒術の訓練のカリキュラムを練り始めた。
【魔族との契約】―まぞくとのけいやく―
魔族と人間の間で交わされる契約のこと。魔族は人間に力に与える代わりに、死後その人間の魂を自由にできる権利を得る。
契約をした人間は並みの退魔士を超える力を得るが、死後どのような目に合っているかは不明。
魔族は少しの力を貸し与えるだけで人間の魂というおもちゃを手に入れられる、ローリスクハイリターンな契約。
純粋な魔族との契約であればその期限は永遠だが、そうではない半魔族と人間の場合は十年ほどで破棄が可能になるという話もある。その場合にはお互いの強い意志が必要らしい。




