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三人の結論

お待たせしました。第二章の始まりです。

「……痛ぇ」


 良治は頭に走る鈍痛で目を覚ました。

 目に映る白い天井に見覚えはない――と思ったが、昨日引っ越してきたばかりなのでまだ見慣れないのも当然だ。


 思考を阻害するこの痛みにも心当たりはある。昨日は珍しく深酒をしてしまった。酒は好きだがあまり強くはない良治にしてはかなりの量を飲んだと言える。寝る前に水を飲んでおけばよかったと後悔した。


「……?」


 そこで良治は両腕が動かないことに気が付いた。身体にも何かが乗っているかのように重い。

 良治が今横になっているのは薄めの布団で、先日の事件で余った布団セットを一セット貰い受けたものだ。上等とは言えない品質だが、そのうち良い物を買うまでの繋ぎとしては悪くない。


 そんな布団で横になっていたのは自分だけではなかった。


「……」


 痛む頭を右に、そしてその光景を認識したくなくて今度は左に。そして現実逃避をするように視線を天井に戻した。


 現実を、見たことをきちんと認識することは非常に重要だ。それが出来ない者は戦場で容易に命を落とす。

 そんなことを良治は深く理解している。理解しているが、この部屋の現在の状況を認めたくはなかった。


「あ……おはようございます、良治さん」

「うぅん……おはよ、良治」


 良治が見たのは、片方ずつ腕枕から起きた天音と結那だった。

 もぞもぞと動く際に二人とも下着姿なのが見え、更に追い詰められた気がする。確認すると自分もTシャツに下はパンツ一枚だった。


「……あのさ、これって」

「見ればわかるでしょう?」

「まぁそういうことね」

「…………」


 今の自分の表情が想像つかない。そんな経験は良治には初めてのことだった。


 酒の飲み過ぎで記憶をなくしたことはない。ただ昨日の夜の記憶が今曖昧なのは確かだ。思い出そうとするが頭痛がそれを邪魔をする。


「とりあえずお風呂にでも入って来たら?」

「そうですね。少しさっぱりした方が良いかもですね。朝食は私たちが用意しておきますので」

「……そうだな。ちょっとシャワー浴びてくる」


 結那は黒で天音は水色。

 そんなことに注目する余裕もなく、良治は風呂場へと向かうことにした。


「……あ」


 部屋から風呂場へと向かう途中の小さなリビング。

 そこには昨日出したテーブルに、横に置いていたはずの椅子が三脚。

 テーブルの上にはお菓子の残骸と、おそらく空いてあるはずの缶ビールや缶チューハイが散乱していた。

 戻って来てから飲んだのは間違いない。


 足元がふらふらしているのは二日酔いだけのせいではないことは言うまでもなかった。








「ええと……」


 熱めのシャワーを浴びながらゆっくりと記憶を探る。

 こういうことは元の事件から思い出す方がきっといいはずだ。


 良治は福島支部襲撃を発端にした霊媒師同盟の事件後、報告の為に京都本部に行き、その後東京に戻って来た。

 そして住んでいた月極のアパートを解約し、白神会の紹介で安くしてもらった2DKのマンションに住むことになった。荷物と共に引っ越しをしたのは昨日のことだ。


「で、飲みに行ったんだよな」


 すぐに必要なものの荷解きを終えて一休みしていた時に結那と天音から連絡があり、そういえば飲みに行く約束をしていたことを思い出して出かけたのだ。


 それぞれの近況報告や今回の事件についての話などをした後、まだ飲み足りないという二人に連れられて二軒目。そして更に二軒目を出た後――


「……そうだ。それでうちに来たんだった」


 コンビニで酒とお菓子を買って段ボールの積まれた新たな我が家に帰宅。そして朧気ながら缶ビールを飲んだ気がした。

 何とかそこまでは思い出せたが、それ以後のことは思い出せない。次の記憶は天井だ。


(――うん。これはまずい)


 昨日のことを思い出してみたものの、夜何かあったことを否定できる証拠が見つからない。逆に言えば何かあった決定的な証拠もないのだが、あの微妙に恥ずかしそうで艶っぽい表情の二人に詳しく聞くのはさすが躊躇われた。

 変な聞き方をして傷つけたくはない。


「……よし」


 大きく息を吐いてシャワーを止める。方針は決まった。


(解決方法が見つからん。出たとこ勝負でいこう)


 人はそれを破れかぶれ、開き直りなどと言う。









「ごちそうさまでした」

「お粗末さまでした」


 風呂から出るとテーブルは綺麗に片づけられていて、代わりに朝食が用意されていた。

 ロールパンにハムと卵のサラダにコーヒーと、さすがに時間がなかったのか好みなのかわからなかったが、普段ほとんど朝食は抜くかご飯の良治にとって洋食は新鮮だった。


「私洗い物するわね」

「では私はコーヒーのお代わりを」

「サンキュ」


 二人が台所に向かう。食事の最中は特に昨夜に関する話題は出なかった。それが逆に怖い。


 そんなことを思いながら天音から出された二杯目のコーヒーを口にする。

 すると不意にインターホンが鳴った。


「あ、私が出ますね」

「え、おい」


 天音がとても自然に壁に備え付けてある受話器を取って返事をし、そしてボタンを押す。このマンションの一階の自動ドアを開けたのだろう。

 昨日越してきたばかりなので、良治自身はまだそのボタンを押したことはない。


「誰なんだ?」

「まぁすぐに来ますから」


 珍しく答えを言わない天音に疑問を抱きながら来客を待つ。

 ふと観察すると、部屋の端に置いてあった最後の四脚目の椅子もテーブルに準備されていて、更に四つ目のコーヒーも既に置かれていた。


 すんなりとインターホンを取った天音、来客を疑問に思っていない結那もきっと知っていたに違いない。

 つまりこの二人が呼んだのだ。


 ガチャリと部屋のドアが開く。前もってどちらかが鍵を開けていたらしい。

 良治の正面に座る天音に目をやるが、目を閉じたままやり過ごされてしまう。言うことはないようだ。


「お、おはよう……」

「ああ、おはよう。まどか」


 ちょっと大きめの鞄と小さなバッグを持ったポニーテールの女性が居心地が悪そうな表情で入ってきた。

 柚木まどか。白神会に復帰した良治の同僚にして元彼女だ。


「ではまどかさん、そちらへ」

「あ、うん」


 ここでようやく理解した。

 良治が後回しにしたいと思っていたことが今から行われるのだ。

 それも大変なことをやらかしてしまった、その翌日に。


(修羅場って言うのかな、これ)


 頭痛がするが最早事態はそれで現実逃避出来る状態にない。緊急事態だ。高速で思考を回転させなければならないだろう。


「――それで、これはどういうことだ?」


 良治の隣にまどかが座ってから良治は口を開いた。ちなみに結那はまどかの正面に座っている。食事の時は良治の隣だったのでまどかに気を遣ったのだろう。


「良治さんの考えを聞かせて頂けたらと思いまして」


 考え。天音は考えと言った。

 この三人と今後どのように付き合っていくかという考えだ。


 約五年振りに再会した女性たち。

 あの頃から好意を持っていてくれて、そして今でも変わらない気持ちを持ち続けてくれた三人。

 彼女らとこれからどうしていくのか。その答えを出す時が来たのだ。



 正面に座る潮見天音は理知的で冷静、状況把握能力に優れ頭の回転も速く、安心して部隊の指揮を任せられる人材だ。

 女性としても小柄でややクセッ毛な茶混じりのショートカットが魅力的で、ここにいる三人よりも二歳年下だがそれを感じさせない落ち着きも良治はとても気に入っていた。


 斜め向かいに座るのは勅使河原てしがわら結那。

 彼女は黒髪ロングで女性としてはやや身長が高く、まるでモデルのようなスタイルの良さの女性だ。三人の中で一番大きい。

 元々格闘技をしていたせいかとてもはっきりとした性格で真っ向勝負を好む。だが無遠慮なわけでもなく、良治とまどかが付き合っていると誤解していた頃は深入りしないようにしていたようだ。

 彼女に振り回されることもあるが、それも含めて彼女の魅力だと良治は思っている。


 最後は隣に座る柚木まどか。ポニーテールがチャームポイントだが、その他は特別目立たない標準的な女性で――良治の元彼女。

 中学生で出会い、良治が半魔族ということを受け入れ、彼の寿命の為にその命を契約のテーブルに差し出した。

 そのことについて良治は感謝しても感謝しきれないほどの恩を感じている。この契約がなければ、彼はもうとっくに死んでいるのだから。

 契約を機に付き合い始めたが、ややメンタルが弱い面が災いして五年前に別れることになった。そしてそれを切っ掛けに即座に荷物を纏めて白神会を辞し、先日まで良治は行方不明状態だったことになる。


(思い返すと本当に酷いことしてるんだよな俺)


 喧嘩の末とは言え、この三人には別れの挨拶すらせずに消えてしまったのだ。やはり恨まれていても仕方ないと思う。

 だが彼女たちは再会した今、こうして自分たちの気持ちを露わにしてこの場にいる。そのことが良治はとても嬉しかった。


 だがいいのだろうか。三人が許してくれているとしても自分自身は許せるのだろうか。また同じことを繰り返すだけではないのだろうか。

 このうちの誰かを選んだら、きっと二人は落胆するだろう。少なくとも幸せと言える気持ちにはならない。ほんの僅かだったが居心地の良いこの関係も泡沫の如く消え失せてしまうだろう。


 誰かを幸せにする自信もない。良治は自分が誰か一人だけをずっと大切にしていけるとは信じていない。

 きっと身近な誰かが困っていたらなんだかんだ言って助けるし、その人が女性で好意を向けられたら完全に拒絶出来るとは思えない。

 良治はその場の雰囲気に流されやすい、とても意志の弱い人間だと自覚していた。


 だから、誰も選ばずに去ることも有力な選択肢の一つだった。


「……良治さんはまどかさんのことは嫌いですか?」


 言葉を発さない良治を見かねたのか天音が聞いてくる。悩み過ぎて言葉が出てこないと思ったようだ。


「――いや、そんなことはない好きだよ」

「それは恋愛感情としてですよね?」

「ああ」


 間違いない。まどかと一緒に過ごした時間はとても楽しかったし、大切でかけがえのないものだったと胸を張って言える。

 今はもうその感情がないのならむしろ悩まないで済むのだ。


「では結那さんは? もちろんそういう意味で」

「……好きだよ」


 躊躇いがあったのはこの後の展開が見えてきたからだ。

 当然結那のことも好きだ。彼女の積極性はとても尊敬できる。


「では私は?」

「天音のことも好きだよ。だから選べなくて困ってる」


 これが本音だ。選べなくて困っている。無理に選んでも幸せにできるとは思えない。そもそも良治には無理にでも選べる気がしていない。


「良治さんはこのうちの一人を幸せにするよりも、三人が少しずつ不幸になる方を選ぶんですか?」

「……結果的にそうなるのかもな。みんなそれぞれ良いところがある。それは比べられない。……誰かを選ぶことが出来ない」


 初めて、考えた末のきちんとした答えを三人の前で口に出した。


 好意を向けられることはとても嬉しく、良治はそれを手放したくないと思うこともあったのは確かだ。

 そしてとても不器用なことに、何も変わらないぬるま湯のような現状維持、誰か一人を選ぶ、誰も選ばず姿を消す、その三つの選択肢の中をずっとループしていた。


「……良治さんの気持ちはわかりました。でも、こうなった以上、なにかしらの答えは出してほしいと思います」

「それは……悪いと思ってるけど」


 結局選べないという答えになる。

 退魔士としての仕事を続けるとしても、彼女たちと会うことはしない方がいいだろう。


「良治さんは、選ばれなかった人が不幸になるのが嫌だ、そして皆同じくらい好きだから選べない。こうですよね」

「ああ、そうだ」


 天音が良治の意見を纏めて結論を出そうとする。それを良治は軽く目を伏せて宣告を待った。


「じゃあ話を纏めましょう。――私たち三人と付き合ってください」

「……は?」


 誰も選べなかったことで三人が出す結論は、良治に愛想を尽かして立ち去ること――だったはずだ。良治はそれ以外の選択肢など考えていなかった。想定していなかった。

 だから静かにコーヒーを啜る天音が今何を言ったのか理解するまでたっぷり三十秒ほどかかってしまった。

 戦闘時なら致命的だったな、などと冷静な部分が囁くが今はどうでもいい。


「それなら何も問題ないでしょう。お二人の気持ちの確認は取っていますから」

「うん」

「ええ」

「……いやいやいや。いやいやいや」


 隣のまどかも斜め向かいの結那も落ち着いて返事をしている。天音の言う通り確認は取っていたらしい。

 だがそれでも素直に納得できることではない。


「結婚してくださいとまでは言いません。まぁしてくれたら嬉しいですけど。私たち三人の総意として、私たちはあなたともっと近くにいたいんです」

「いやそれでも」

「いつか私たちの中から選びたいと思う日が来るかもしれません。でも来なくたっていいと、私たちは覚悟しました。

 もちろん良治さんには過度の負担をかけるつもりはありません。誰にも会いたくない日というものはありますから。やりすぎるとまた逃げてしまうでしょうし」

「……」


 わかってらっしゃる。思わず言いそうになった言葉を飲み込む。

 ここでやっと色々なことが見えてきた。


「なので良治さんのことも考えて、こんな感じに纏めようと思うのですが――いかがでしょうか?」


 あまりにも良治に都合の良い、良すぎる条件。後ろめたささえ感じる。


 しかしこの条件は彼女たちの愛情を示しているとも言えるのではないか。そう良治は考えた。

 自分の我儘な意見を考え、それを含めた上での好条件。ならば自分がするべきことはなんなのか。


「……わかった。それで俺はいいけど……本当に三人はいいのか?」


 愛情には愛情で応えたい。今持っているこの感情を優先する。

 それが――柊良治の決断。


「はい」

「うん、迷ったけど、それでも私は良治と一緒にいたいもん」

「一緒にいられるならどんな条件でもって感じかしらね」


 三人の出した答え。誰かが不幸になるしかないと思っていたはずが、結果的には誰も不幸にならなかった。

 もちろん今後のことはわからない。しかしそんなことを言い出したらどの答えを、誰か一人を選ぶことをしても変わらないのだ。


 未来を嘆くよりも今を楽しみ、未来の可能性を諦めないこと。それが大事なのだろう。


「そっか……わかった。――で、天音。この話し合いの構成はお前だな」

「はい。さすがにわかりますか」


 張り詰めたものが消えて、ほっとした空気になったのでネタ晴らしを要求する。答え合わせと言ってもいい。


「まぁな。切っ掛けは結那か?」

「はい、結那さんの『三人一緒に付き合うとかでもいいのに』という独り言をヒントに」

「いやー、まさか私の独り言からこんなことになるなんてね。言ってみるものね。びっくりよ」


 結那の独り言を切っ掛けにして、着地点を決めてからここまで誘導した天音には舌を巻く。


 この三人での頭脳担当は天音以外には考えられない。

 仕組まれたと感じた瞬間から黒幕は天音だと看破したが、その目的は最後までわからなかった。だが結那の独り言からという答えを聞いてそれはわからないはずだと苦笑した。


「大した奴だよ、天音は」

「ありがとうございます。素直に嬉しいです」


 澄まして言うがほんのり頬が赤い気がする。普段はクールなのに顔が赤くなりやすいのが天音のチャームポイントの一つだ。今度またやってみようと心の中のメモに残しておく。


「ということは昨日は何もなかったってことだな。この話し合いの席に後ろめたさの残る俺をつかせることが目的だろ」


 ここまで見えれば昨夜起きたことも予想がつく。

 なかったことの証拠もあったことの証拠もなかった。

 となればまどかのいない状況で二人が先走ることはない。この二人はまどかのことを何だかんだ言って気遣っている。後々禍根になりそうなことはしないはずだ。


「そこまでバレましたか。このあと言うつもりでしたが。……でも」

「でも?」

「もちろんそういうことも含めてのお付き合いですからね?」

「……おう」


 なんと返事をしていいか迷う。

 二十代半ばの男女のお付き合いということは確かにそういうことを含めているだろう。

 良治としてはまだ若干躊躇があるが、彼女たちが求めてきたら耐えられない。


「さて結那さん、私たちは行きましょう」

「ええ。それじゃまた明日ね、良治」

「え、どういうこと?」


 話は終わったとばかりに天音と結那の二人が立ち上がり荷物を手にする。


「今から明日昼の十二時まではまどかさんの時間ということです。昨夜は私たちで独占しましたし、こういうことになったらまずはまどかさんに、ということで結那さんと話してたんです。ではまどかさん、お任せします」


 上手くいった後のことまで完璧らしい。

 天音は自分たちのコーヒーカップを台所まで運ぶと、玄関で待っていた結那と二人であっさりと出て行ってしまった。


 誰も特に何も言わないということは、やはりきっちり話し合っていたということだ。

 三人の結束は非常に固そうだ。それが嬉しくもあり、少しだけ怖かった。きっと誰に何を言っても筒抜けになる。


「……さて、どうする?」


 残されたまどかに声をかける。彼女自身もついてきていない気がした。


「えっと、その……外、行かない?」

「了解。準備するからちょっと待っててくれ」


 良治は部屋に戻って部屋着から外出着に着替える。

 そして簡単に洗面所で身嗜みを整えるとまどかの小さな手を引いた。


「さ、行こう」

「――うんっ」


 まどかとの関係はまたここから始まる。










「今日は楽しめたか?」


 昔付き合っていた当時の、高校生のようなデートコースから最後は目に付いたバーで軽く飲み自宅へ戻ってきた。

 突発的に行ったせいでよく知りもしないアクション映画を見ることになったが、それはそれでツッコミどころが多く楽しむことが出来た。

 その後の水族館はゆったりとした時間を過ごせ、彼女の穏やかな笑顔を見れたので大成功だと言えるだろう。


「うん。でも」

「でも?」

「まだ、今日は終わってないよ……?」


 酒に弱いまどかには一杯でもそれなりに酔ってしまったようで足元が怪しい。

 彼女の自宅まで送ろうかと提案したのだが反対され、結局ここまで戻ってくることになった。


「……まぁ、そうだな。日付は変わってないな」

「もーう、そうやって逃げるぅ」


 まどかはそう言いながら冷蔵庫を勝手に開けて缶チューハイを手に取る。あれは昨日の飲み残しだ。今朝出かける前に仕舞っておいたのを見られていたようだ。


「まだ飲むのか」

「飲みたい気分なのぉ」

「まったく」


 苦笑して自分も冷蔵庫から一本だけ残っていたビールに手を伸ばす。

 良治も良治でバーでは一杯しか飲んでいないので全然飲み足りていない。あまり強い方ではないが酒は好きで、ついつい飲み過ぎてしまうこともある。昨日の失敗が頭を過るが結局プルタブを開けてしまった。


 椅子に座ってだらだらとした雰囲気の中二人で缶を傾ける。

 こんなことになるとは欠片も思っていなかっただけに現実感がない。


「……ねぇ」

「んー?」


 とろんとした目が上目遣いでこちらを見つめる。


「あのさ、私のこと、好き?」


 その瞳の中に少しだけ不安の色。

 相変わらずの自信のなさ。――それがとても愛おしく思えた。


「好きだよ。あの時は色々あったけど……再会してやっぱり好きだなって思う」


 だから良治は素直に思っていたことを、心から出たそのままの言葉を紡ぐ。


「うん、私も良治のこと好き……その、恥ずかしいから一回しか言わないよ?」

「うん」


 顔が赤いのはアルコールのせいだけではない。

 自分の服を両手をギュッと握り締めて、彼女は自分の願いを口にした。


「……抱いて」


 その言葉を遮る音は何一つなく、良治は立ち上がり潤んだ瞳のまどかに近付く。


「えっと……わっ」


 短く声を上げる彼女をお姫様抱っこし――そのまま寝室へ移動した。


【お姫様抱っこ】―おひめさまだっこー

女性を肩と膝を抱えて持ち上げた恰好。女の子の夢の一つ。

意中の男性にしてもらえると非常に嬉しいらしい。そしてそのまま運ばれる先は大体の場合一か所である。

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