氷の死霊術士
吹き荒ぶ雪に紛れて良治は走る。
現在雪は降っていないが、地面や木々に残っている雪を良治自身の術で風で舞わせている為、彼本人には障害にならない。
全ての気配が良治の後方に置いてけぼりになる。
どうやら走り出した彼を見とがめた者はいないようだ。少しだけ安心して今度は夜の闇に眼を凝らす。
目的の建物は霊媒師同盟の本拠地だ。もうそんなに遠くないことは、先程の襲撃から想像できる。
林の中に残してきた味方たちが気にはなるが、それでもこの現状を危機ではなく好機と捉えた良治の足は鈍らない。
バスでの移動中に襲撃され、横転して爆発したバスから投げ出された状況で味方を見捨てて戦場を離脱する。
こう表現すると非常に悪く思われるが、きっと残された者たちは彼のことをそうは思わないだろう。
(……そうだといいな)
これまで短い期間だが、良治は自らの限界を振り絞って貢献してきた自負がある。きっとそれを見ていた身近な者たちは裏切った、逃げたなどとは思わないはず。
良治は自分が何も言わずにいなくなっても戦線は崩壊しないと彼らを信じた。
(――あれか!)
林を抜ける寸前に長く続く壁が見えてスピードを落とす。林を出ないまま扉がないか、見張りはいないかと周囲の観察に入った。
壁は長く、扉は小さなものが一つだけ。おそらく勝手口だろう。ここからでは正門の場所はわからない。と言ってもそちらの方が警備が厚いだろうが。少なくとも良治の視界には誰もいない。
屋敷から打って出た現在、意識は戦場に向けられているはずだ。今なら隙を突いて侵入することが出来るはず。
良治は最上の作戦から現状への変更を頭で整理する。
(まず襲撃を受けたことからこちらの動向は把握されていた。そしてそれを指示したのは間違いなく真鍋。当然起きて指揮を執っている)
真鍋が起きこちらの状況も掴まれている。
これだけ並べると非常に不利な気もするが、良治はさしてそうではないと感じていた。
まず襲撃の戦力だ。気配を隠していた者もいたかもしれないが、感じ取れたのは十人ほどだ。そしてその中に大きな気配はなく手練れはほとんどいない。
そして襲撃地点。あの場所に来るまでしばらく人気のない一本道だった。もっと早く襲撃しても良かったはず。
そう考えると起きたのはついさっき、指示も適当にその場にいたそれなりの退魔士を襲撃に向かわせたと思われる。
(ならほぼ全ての戦力を何も考えずに向かわせた可能性はある)
警備は薄い。だが結界があるのは感じられる。
結界を破ればさすがに気付かれてしまうが、このまま突破するほかない。
時間を置けば天音たちがここまで来てくれるだろう。だがその場合真鍋はどうするか。
決まっている、真鍋は逃げ出す。勝ち目のない戦闘はしない性格だ。そうなるとまた面倒なことになるのは間違いない。
(やっぱりここで強行突破、気付かれてもいいから真鍋を倒す。これしかないか)
問題は真鍋の居場所だ。登坂は巨大ではないと言っていたが、良治の感覚からすれば十分に巨大な屋敷と言える。都市郊外にあるショッピングモールよりも広そうだ。これは都市部で過ごしてきた良治と地方に住んでいた登坂の違いかもしれない。
(ああいう輩の好きそうなのは一番高い場所の中央部か? まずは一階で階段探すところからか。――いや)
そんな順序良く探すことはしなくてもいい。三階が怪しいと感じたならそこから探せばいいのだ。
(――行こう)
そして良治は勝手口の方へ向かい――そのまま壁を飛び越えながら屋敷の結界を左右の小太刀で切り裂いた。
「――っ!」
どうする、どうするどうする。
良治の頭の中は走りながらその言葉でいっぱいだった。
結界を破って敷地に侵入し、強化した身体能力を使って三階の窓を割って屋敷内に入った。そこまでは完璧だ。言うことはない。
外観からも予想した通り、この屋敷は三階建ての武家屋敷のようなものだった。内装も基本的に和式で狭い廊下に襖や障子が数多く配置されていた。
板張りの廊下の軋みが気になり、気休めだが足音に気を付けて探索を始め、それっぽい豪華な扉を開けるとそこには建物に合わない豪華なベッド。ここだと判断した良治だったが、残念ながら真鍋の姿はなかった。
ただ布団の乱れ具合とわずかに残った温もりからここで誰かが寝ていたことは間違いない。しかしこの後の心当たりはない。登坂が言っていたように虱潰ししかないのか。
そう良治が頭を痛めながら部屋を出た瞬間、霊媒師同盟の女性と鉢合わせしてしまった。
悲鳴を上げた女性にびっくりした良治はどうするか迷ったあと、そのまま逃げた。道がよくわからないまま走り出したのだ。
女性を口封じに殺す選択肢はなかった。殺しても悲鳴は聞こえていただろうしあまり意味はない。
ともあれ走り出した良治に当てはない。逃げる最中にそこにあった階段を二階分降りたので現在は一階にいることだけしかわからない。
屋敷内にはまだ数人の霊媒師同盟のメンバーが残っていた。
しかしその誰もが戦闘向きでないことはすぐに理解できた。ほとんどが女性だったので登坂の話に出ていた『瑠璃』の構成員なのだろう。志摩崩の身の回りの世話を仕事にする彼女たちは、屋敷内に残るしかなかったと思われた。
彼女たちは戦力ではない。良治なら簡単に無力化出来る。
だが彼がそれをしないのは自分より明らかに力のない女性に暴力を振るうことの忌避感だ。
この場にいる以上殺したところで文句など言えるはずもないが、それでもだ。彼の目的である真鍋に直接的には関係がないことも言い訳の一つになる。
「ッ!?」
「えっ」
また鉢合わせか。そう良治は思った。
廊下を曲がろうとしたその先に現れたショートカットの女性にぶつかりそうになり、足が止まる。そして後ろからどたどたと足音が聞こえて来た。これはまずい。
「……こっちへっ」
「っ?」
「はやく!」
どっちみちここにいては見つかってしまう。よくわからないまま女性に言われた通り部屋に入った。
これが罠だったら力ずくで逃げればいい。目の前の女性は非力でとても良治に敵うとは思えなかった。
「ね、あなたは白神会の人よね?」
「ああ、真鍋が何処にいるか知ってるか」
一緒に部屋に入った女性が聞いてくるがそんな余裕は彼にはない。むしろ知りたい情報があるかを聞き返す。
その間に足音が部屋の前を通り過ぎるのが聞こえた。ここでようやくこれが罠ではないかもしれない方向に考えを寄せる。まだ罠の可能性は残っているからだ。
「おそらく崩さまのところかと。……先程慌てた様子で走る姿を見ました。脱出するつもりかもしれません」
良治が逃げ回っていた時間に向こうの戦いが終わったのか。それか良治が侵入したことで追い詰められたのか。
どちらにしろ時間はない。
「――いろはちゃん、いろはちゃん何処にいるのっ!」
その時襖の向こう側から年配の女性らしき声が聞こえた。だいぶ近そうだ。
「ごめんなさい、失礼します」
「ありがとうっ」
部屋から出ていく女性の背中に礼を言う。
襖を閉ざした向こう側で二人の会話が聞こえてくるが、良治は行き場がない。襖は今彼女が出ていった箇所しかない。ある意味閉じ込められたとも言える。ただ不思議と不安はなかった。
「ここを右に行って広間の扉を左に行った先の座敷牢にいる崩さまはどうなっているの?」
「真鍋さまが連れて逃げるみたいっ。私たちは別の道から逃げるようにって!」
「わかったわ。一緒に行きましょう」
そしてどたどたと足音をさせて遠ざかっていく。座敷牢とは別の方向だ。
(感謝しても感謝しきれないな)
あの女性は有難いことに完全に味方なのだろう。信じてみる気になった。
あのわざとらしく大きめの声で言った志摩崩の居場所、そして足音を立てて移動する様子。どちらも良治に向けてのメッセージだ。
――崩さまのいる座敷牢は向こう。私たちは別の方へ行きます。
そんな感じだろうか。
もし全てが上手くいったら感謝の一つでも伝えたいところだ。
もしかしたら彼女が登坂の姉かもしれない。そんな想像もしながら周囲から完全に気配が消えたことを確認して部屋を出た。
言われた通りに右へ。そして正面すぐに大きな扉が見える。これが広間の扉なのだろう。
それを左に曲がり真っ直ぐ行くと、そこには地下へ続く細い石階段があった。
「ここか」
階段から下を覗くと結構な段数があるのがわかる。階段に灯りはないが降りた先にはあるらしく出口に迷うことはない。
不安なのはこの細い階段で挟み撃ちにされたら何処にも逃げ場がないということだ。人ひとりが通るのがやっとの横幅しかない。通路の石が崩れたらと思うと足が止まってしまう。
だがこんなことで躊躇している訳にはいかない。時間との勝負だ。
挟み撃ちを受けないように一気に駆け降りる。敵がいたら勢いそのままに蹴散らせばいい。
最後の数段を飛ばして降りるとすぐに状況を確認する。
殺風景なやや広めの部屋で周囲はやはり灰色の石造り。いかにも地下室と言った風合いだ。
そして――
「なっ……!?」
見つけた。ついに見つけてしまった。
良治の視線の先には更に地下へ続く階段。きっとあの先が座敷牢だろう。
その階段の手前に一組の男女が驚いた表情で良治を見つめている。声を発したのは男の方だ。
女性は簡単な十二単のような衣服の小柄な少女。儚げな美しさを纏っているが、それは憔悴した表情と両手に嵌められた手錠が台無しにされていた。
「久し振りだな、真鍋ッ!」
陰気で痩せ気味、執念深そうな目に喪服のような黒い和装。
昔見たのと被るその顔は、間違いなく良治の知る元黒影流の真鍋だった。
「こ、《黒衣の騎士》だとッ!? く、くそぉっ、死ねええ!」
血走った目で大きく両手を広げると数十もの氷の矢が具現化する。
彼の得意属性が氷だったことを良治は覚えていたので驚きはない。
真鍋を現在の白神会の基準に合わせて評価するなら、おそらく六級くらいになるだろう。
過小評価はしていない。禁忌とされていたが、魂の加工などは技術的にはかなり難しい部類だ。研究者寄りだが、それでもこの量の氷の矢を同時に展開だけでも退魔士としては一流に近い。
一斉に襲い掛かる氷の矢。それを二本の小太刀で撃ち落とすような芸当は良治には無理だ。出来て二本ずつくらいなものだろう。
良治は小太刀をぽーんと中空に軽く投げると、矢の群れに向かって両手を翳した。
「障壁だとっ!?」
「正解」
円形に出現した青白い盾。それは防御障壁と呼ばれるもので、あまり一般の退魔士には浸透していない術の一つだ。
詠唱術クラスになるとさすがに打ち破られるが、それ以下の術なら大半を防御しきれる。攻撃に比重を置かない傾向の良治らしい術だ。
基本的にどうやって魔獣や霊を倒すかを考える退魔士には必要ない。普段使わないような防御系列を覚えるなら、同じ時間を使って自分の得意属性の術を強化した方がよっぽど役に立つ。
「――ッ!」
放っておいた小太刀をキャッチすると、真鍋を睨み付けながら駆け出した。
「くそガアアアアアッ!」
激昂した真鍋が良治の真似のように氷の壁を作り出す。
この規模、密度で瞬時に展開できる真鍋はやはり一流だ。魔術型五級と言えるだろう。
真っ向勝負ではどちらに勝負が転がるかわからない。
だから、良治は五年振りに禁じ手を使うことにした。
――ガキン。
そんな音の直後に真鍋の目の前の氷の壁が砕かれた。
「んなぁっ!?」
真鍋は恐怖した。壁を砕いて現れた白髪金目の男に。
だがそれも一瞬のことだ。すぐに迎撃すべく大きな氷の矢を――
「――遅い」
「が、あ? 腕が、腕がああああ!」
氷の槍を出現させるのと同時に一陣の風が通り抜ける。
どさりと重い音が聞こえたことで真鍋は自分の右手が切り落とされたことを理解した。
「あああああああッ!」
「じゃあな」
「あ……」
叫びながら振り返った真鍋の心臓に左の小太刀が突き立てられる。
真鍋はそれを信じられないといった表情で見つめながら――仰向けに倒れた。
白い髪に金色の瞳に変化した良治は無表情に真鍋を見つめていた。
この男に何度も手こずらされた。しかし終わりはこんなにも呆気ないものかと。
完全に死んだことを確認して小太刀を真鍋から抜き取る。小太刀を血振りして納刀しようとした瞬間、自分の姿が映し出されて苦笑いを浮かべた。
半魔族化。今の良治の状態のことだ。
魔族の父と人間の母を持つ良治は生まれながらにその能力を持っていた。
自由に変化することが出来るが、代償として肉体に多大な負荷がかかってしまう。これを行うと戻ってから体調を崩すことが多く、乱用は出来ない。
そして混血として逃れられない運命として、その寿命がある。
魔族の力は強大でとても人間の身体が耐えられるものではない。それ故ほぼ全ての混血は二十歳を前にして寿命を迎えている。
だが良治はまどかとの契約によって生き延びることを可能にしていた。今でも契約を続けてくれている彼女には感謝しかない。
「あの……」
「ああ、すいません。志摩崩さまですよね。ええと……大丈夫かな?」
一瞬思考が飛んでいた良治は背後からの声に振り返った。
気と腰が抜けたのか、ぺたりと座り込んでいる小柄な女性に声をかける。
間近で見るとその背の小ささから小学生にも見える。だが五年以上前に『志摩崩』を襲名して霊媒師同盟の盟主に就任しているので、さすがに高校生にはなっているだろう。良治もやや童顔なところがあるので少しばかり親近感を覚えた。
「はい、そうです。……あの、子供扱いはやめてもらえると。これでも二十歳は過ぎてますので」
「……それは失礼しました」
頭が真っ白になるくらいの衝撃だったが、なんとか持ち直して謝罪することに成功した。
前髪ぱっつんに腰まである長い黒髪。これで童顔だと本当に子供に見える。良治が知る限り一番幼く見える白兼綾華よりも更に身長が低く、言われなければ子供だと思い込んでしまうだろう。
ランドセルが似合いそうだなと思ったがそれは口にしてはいけない気がして自重した。
「それでその、貴方は……?」
「ちょっとその前に失礼します。手を出してください」
「え? あ、はい」
立ち上がって両手を出した崩の手錠を小太刀で断ち切る。何らかの魔導具だったようだが、真鍋の死体の懐をまさぐることに抵抗があったし、そもそも持っているかもわからない。
そこまで強固なものでなかったこともあり比較的簡単に壊すことが出来た。
「すいません、ありがとうございます。助かりました」
「いえ、無事で何よりでした。それと初めまして、白神会の柊良治と申します」
「白神会の……あの柊さんですか」
あの、という言葉が気にはなるが他意はないだろう。まさかこんな場所にまで悪意のある噂が流れて来ているとは思えない。
「――崩さまっ!」
「ああ、皆さんも来てくれましたか」
声に反応して良治が下りて来た階段の方を見ると数人の女性たちが部屋に入ってくるところだった。先程見た、いろはと呼ばれた女性はその中にはいない。
これで全部が終わった。めでたしめでたしで物語は終わる。
――とはいかなかった。
「――逃げろッ!」
「えっ?」
突如膨れ上がった瘴気に良治は大きく叫んだ。
隣をすり抜けて、おそらく瑠璃所属の女性たちと合流しようと走り出しかけた崩の腕を掴み、引き寄せる。
「あ、ああ……っ」
「走れ、振り向くなッ!」
彼女たちも気付いたのだろう、歓喜の表情から一変して恐怖と絶望に染まる。
近付いて来た彼女たちの前に横たわっていた死体から黒い瘴気が立ち昇っていく。
その瘴気に意識というものがあるのかわからないが、良治はなんとなく意識のようなものが駆け寄ってきた彼女たちに向かった気がした。
「逃げろッ!」
再度叫んだ声に反応して彼女たちが踵を返して逃げ出す。
だがそれを追いかけて、瘴気がまるで手を伸ばすように、虫を潰すように石の床を叩きつけていく。
「こいつ、やってくれるな……」
「でも全員逃げることが出来たようなので良かったです。ただ……」
狙いが雑だったお陰で何とか全員が無事に階段まで逃げ切れた。それはいい。それはいいのだが、良治と崩の気持ちは優れないものだった。
「これはどうしたってあいつを倒さなきゃいけないって感じですね」
「はい。階段があんなことになっていなければ、援軍を待つことも出来たんですけどね……」
あんなこと。それはあの瘴気の塊が腕のようなものを叩きつけた際に崩れた階段部分の石壁のことだ。
完全に崩れており。あの瓦礫をどけるのは簡単ではない。それにその作業を黙って瘴気が――いや真鍋の悪霊が見過ごすわけがなかった。
「来ます。お覚悟を」
「全力を尽くします」
ゆっくりとこちらを向く悪霊。完全に真鍋の死体から抜け出たその瘴気で形作られた姿に、どことなく生前の彼の姿が見えた。
全て終わったと判断して容易に半魔族化を解除しなくて良かった。解除していたらすぐには戻れずに大部分の力を使用して疲れ切った退魔士が残るだけだった。
そう良治は最後に残った希望を糧に一歩前に出た。
これが、正真正銘最後の戦いだと。
【地下室】―ちかしつ―
地下にある部屋。大きな組織にある地下室は大概があまり人には言えないような使い方をされていることが多く、その響きだけで不穏なことが感じられることもある。
ある組織では毒物の人体実験や怪しげな儀式、そして拷問といったことも行われていたことがあるらしい。




