それぞれの帰路
「凄い大会でしたね」
「はい、招待くださった白兼総帥に感謝しなくては」
「ええ」
電車で最寄り駅まで到着し、そこから迎えの車で本拠地である恐山への帰路で霊媒師同盟盟主・志摩崩は静かにここ数日の激闘を振り返った。
(このような経験、またあるといいのだけど)
同意した側近の登坂いろはの言うように、再度大会が開かれたら迷わず行くだろう。だがその可能性はかなり低い。そう思わざるを得なかった。
「零、今回のことは反省しなさい」
「そ、そんなこと言ったってよォ。相手はあの《紅の天災》だぜ?あれが最善だったって!」
「あっはっは、零はまっこと運がなかったなぁ!」
「七戸のおっさんうっせぇ!」
騒ぐ登坂零と七戸光圀のやり取りに彼らの試合を思い出す。
零は決勝トーナメント一回戦で椎名紅蓮に、七戸は準々決勝で良治にそれぞれ敗北した。どちらも強敵もいいところで負けて当然と感じていた。
(それにあれ以上勝ち進んでもやっかみと警戒心が生まれるだけでしょうし。丁度良い塩梅でしたね)
白神会主催の大会に参加し、実力を見せながらも忠実に従う姿勢は見せられただろう。ある程度の融和は図れたはずだ。
だが問題はある。新たに生まれてしまった。
(……今後は更に注視していかないといけませんね。お兄様から情報を得たいところですが、余り露骨にやれば嫌われてしまうでしょうし)
今後も考えること、対処することは多い。それが自分の仕事なのだが見通しの悪さに崩は小さく息を吐いた。
「頭が痛いですね」
「美亜もそう思いますか。いや本当にそうですね」
新幹線を使って姫路まで戻り、姫路で借りている一室に帰ってきた高遠幾真は溜め息交じりに頭に手をやった。同行していた相坂美亜も疲れた表情で同意する。本当は出雲の本宅まで戻りたかったが、考えを纏め落ち着く時間が欲しかった。
今回の武芸大会は陰陽陣という組織にとって目を背けていた課題を突き付けられるという、大きな収穫と共に未来に向けてどうしていくかを真剣に考えなければならない転機となってしまった。
(後進の育成。わかってはいたんですがね。実際に白神会の若手の台頭を見ると焦らずにはいられない)
大会には多くの若手、つまりは自分たちよりも下の者たちが出場し、十代の者も決勝トーナメントまで勝ち上がり結果を出していた。
(柊さんの弟子の石塚優綺さん。特にあの娘は凄かった。椎名紅蓮に真っ向から挑んでいた)
結果を出した、その最たる者は優綺だ。高校一年で伝説の椎名紅蓮と渡り合っていた。柊良治は一人の退魔士としてだけではなく、後進の育成にも大きな才能を持っているらしい。自分と一緒に戦っていた頃よりも遥かに成長している。彼はどれだけ多彩なのだろうか。
「明日は本社で総長に上申しないとね」
「そうですね。でも無理は」
「無理でも今日中に書類を書き上げないと。きっと彼ならそれくらいはやってしまうはずだ」
「……そうですね」
ある程度の戦闘訓練はやり直して参加はしたが、それでも身体のあちこちに軋みがある。普段は書類仕事ばかりなので自業自得なのだが。
(ちゃんと取り組んでいれば自分自身が参加することもなかったはず。自分の不手際と先見性のなさが嫌になりますね)
何が《千里眼》だ。日頃から退魔士の発見と育成に力を入れていれば自分や美亜が参加することはなかった。
つまり本当に白神会主催の武芸大会という場に参加できそうな人材が他に居なかったのだ。
(柊さんたちには人材が足りていない、程度に思ってくれているはずですが、実際は枯渇している。それに気付かれる前になんとかしなくてはね)
この数年が勝負だ。気付かれてしまっても育成状況が好転していれば問題になり難い。
「頑張らないとね」
「はい。私もお手伝いしますから。一緒に頑張りましょう」
「ありがとう、美亜」
少しだけ気が楽になって、高遠は美亜を抱きしめた。
「風花も角龍君も何か収穫は得られたかい?」
帰路を走る車中、神党党首であり四護将の一角でもある立花雪彦は二人にそう訊ねた。ワゴンの前の席で並ぶ二人が振り向いて口を開く。
「あった。これ以上ない収穫だ。私にとっては」
「いや凄かったっすわ。世界の広さを感じましたね」
風花の満足したような表情の大半は昔馴染みに会えたことだろう。十年近く前に初めて会った時とはだいぶ印象が柔らかくなった彼は、一人の人間としても退魔士としても充実を迎えていた。決勝では隼人に敗北したが、それで彼の評価が下がることはないだろう。
そして角龍を連れて行ったことは狙い通りの効果があったようだと雪彦は少しだけ微笑んだ。退魔士世界は狭い。そしてその狭い世界で人生を終える者も多い。だが前途有望な若者には世界の広さを教えてあげたい。少なくともその機会は与えたいと雪彦は考えていた。
「うん、二人ともよかったね」
「ああ」
「はい」
退魔士世界はまた動く。その切っ掛けは既に起こってしまった。
今後荒れるかもしれないこの世界で雪彦は考え、乗り越えなければならない。組織のトップとしても、雪彦個人としても――
「では報告を聞こう」
四国は徳島にある剣山。そのちゅうふくに存在する屋敷の大広間。その上座に四国を統べる老人は居た。
髪と髭は真っ白だがその肉体は未だ衰えを見せていない。厳かな声も重みがあり、誰もが彼に付いていきたくなるような魅力を持っていた。
この老人の名は剣雄斗。四国・北斗七星のトップだ。
「はい。では――」
報告をするのは朝倉俊二。武芸大会では決勝トーナメント一回戦で和弥相手に敗退していた。彼としては情けない結果で、余り触れたくないことだったが触れないわけにもいかない。
予想していたことだが、一対一での報告に溜め息が出そうだった。
(まぁいつも通りに)
彼の主観としての感想を最低限に、見てきた、感じてきた事柄を事実と合わせて時系列順に話していく。その間雄斗は一度も彼から視線を外すことなく話を聞き続けた。並の者では思わず目を逸らしてしまいそうな圧力の中、俊二は最後まで語り終えた。
「それで、これからどうなると考えている」
「はい。少なくとも十年、長ければ十五年ほどは白神会に余裕はないかと。現在の組織力を維持することは可能でしょうが、余力は」
「そうだな。それにしても、あの小僧が、な」
静かに目を伏せる。雄斗が思いを馳せているのは白兼隼人のことだろう。彼を小僧と呼べる人間がどれだけいるのか。目の前の雄斗はその数少ない一人だろう。
北斗七星と白神会は断交状態だ。敵対はしていないが交流はない。それはトップが雄斗になる以前からの方針で、白神会から使者が来たことはあるが方針に変更はなかった。
(どう出るのか。まぁ変わらんよな)
白神会が攻勢には出られない、そんなことになったところで北斗七星の方針は変わらない。老境に居る雄斗が死に花を咲かせようとも思わない限り。だが雄斗はそんな無謀なことを実行する人間ではない。
だから、特に何もないまま、決めることなどないまま報告が終わると、そう俊二は考えていた。
「俊二」
「はい」
「儂は――」
続いた言葉を聞いた俊二は、今自分は時代が変わる、その中心に存在しているのだと、そう思わざるを得なかった。
「……ねぇ」
「ん、どうした」
山道を歩く女性と男性二人。長い黒髪の女性と髭もじゃの男とひょろりとした男の三人が狭い山道を一列になって歩いている。先頭は髭もじゃの男――信乃だ。
「なんで私たちは三人で行動しているの?」
一番後方の女性、西風琉夏がげんなりとした表情で疑問を投げかける。
「なら私たちと別れて別の方向へ行けばいいのでは?」
「それは、まぁそうなんだけどね」
真ん中の男、壮介の言うことは最もだった。別に脅迫されているわけでもない。嫌なら別の道を行けばいいだけの話だ。
(白神会のバスに乗るのがなんとなく嫌だったから適当に歩き出しちゃった、なんて言えない……)
大きな組織への小さな反発。それがこの状況を生み出してしまったことに、琉夏は激しく後悔していた。今から戻っても遅いだろう。それにまた半日かけて元来た道を戻るのは精神的にもつらい。
「お二方はなんでこっちに?」
「知らぬ土地なのでな。少し歩いてみたいと思ったまでよ。我と壮介は流浪の身。旅慣れておるからな」
「かれこれ十年近く経つな。早いものだ」
「あっはっは、時が経つのは早いなぁ!」
豪快に笑う信乃と感慨深げな壮介。なんとなく先を歩いていた二人に付いてきてしまったのはやはり間違いだった。確信してしまった。
(……どうしよう)
アラサーとはいえまだ若い琉夏にとって山道はそこまで困難ではない。退魔士として生きてきた中で経験はそれなりにある。だが先の見えない道を行くのは初めてで体力よりも先に精神力が音を上げそうだ。
「――ん、道に出たな」
「道?」
信乃の声に顔を上げると、確かに舗装されたアスファルトに道、そして民家もちらほらと見えた。助かったのだと琉夏はほっとした。
「なんとかなりそうだな。よかったなぁ」
「なっ、別に助かったなんて思ってないしっ」
「あっはっは」
「なんとまぁ、素直じゃないですなぁ」
「――いいでしょ、もう!」
なんとなる目処が立ち、怒りながらも安心が勝り笑顔が零れる。
(しばらくは旅でもいいかな。あ、でも連絡だけはしておかないとな)
少し東京を離れるとは伝えてあるが、それが長くなれば従姉妹は心配するだろう。歳の近い親戚は従姉妹一人なので出来れば心配はかけたくないし、連絡は密にしておくに越したことはない。住んでいる場所が近ければ尚更だ。
最近失恋の追い打ちがあったという従姉妹への土産は何にしようか。そんなことを考えながら琉夏はアスファルトの道を歩き出した。
「あんな簡単な挨拶で良かったの?」
奈良への帰途の最中、何か考え込んでいるままの親友に山井やわらは心配そうに声を掛けた。別れの挨拶を憧れの先輩である結那と交わしてから様子がおかしい。普段なら大会前のようにハイテンションになるというのに、落ち込んだりはしていないものの表情が硬かった。
「……うん」
「ね、何があったの?」
咲子の顔にあるのは不安、そうやわらには感じられた。
「……なんかね、先輩……私を見ていなかったみたいだった」
「見ていないって、ちゃんと会話してたよ?」
「そうじゃなくて。なんて言うか、私と話しながら他の事考えてたみたいな」
「心ここにあらず、みたいな?」
「そんな感じかなぁ」
空を仰ぐ咲子に少しだけ同情し、そのあと共感した。憧れの存在に気にも留められていない状況で、咲子の方がまだマシだ。
(ほとんど話も出来なかったし、もしかしたら名前ももう忘れてしまったかもしれない。もっと印象付けるようなことすれば良かったのかなぁ)
彼の弟子である石塚優綺と対戦したことで名乗れば思い出してくれるかもしれない。だが正直その程度の希望的観測しか持てない。
(私のペースで戦えてたはずなのに……あの人にも、もう負けたくない)
自分よりも年下の退魔士。親友である咲子は別として、後輩に負けるのは悔しいことだ。
「あー! ぐだぐだ考えない! 私は! 頑張る!」
「……そうだね。頑張るしかないんだよね」
大声で気合を入れ直した咲子に同意する。結局のところ願いを叶えるには努力するすかないのだ。
(今度会えた時に、自信を持って、今度こそちゃんと話せるように)
「今度こそ……」
「どうしました?」
「今度こそ名前を……」
「薫さん?」
「ううん、なんでもない。なんでもないことなんだよ蒔苗ちゃん……」
「……帰りにカラオケでも行きます? お疲れ様会ってことでっ」
「ありがとう、蒔苗ちゃん。朝まで付き合ってね」
「……はぁい」
【今度こそ名前を】―こんどこそなまえを―
初回以降一度も下の名前を呼ばれていない薫の悲哀。天音や結那に負け、諦めた方が良いと感じつつも諦めきれないらしい。




