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武芸大会決勝

「終わりましたね」

「うん」


 夫が負けたというのに、綾華は何処かほっとしたような表情でまどかに話しかけた。まどかも恋人が勝ったというのに勝利への高揚感などはなく、安心感が漏れ出ている。

 二人が思うのは怪我無く無事に試合を終えられたことへの安堵。お互いに退魔剣を放ちながら、ゆっくりとした歩調ながら笑顔でこちらに帰ってこようとしている二人。何かがほんの少しでもずれていればこんな光景は見られなかっただろう。


「まったく、いつまでも心配させることは得意なんですから。もう少しこちらのことを考えて欲しいですね」

「ふふ、そうね。ほんと、そう」


 少しだけ優しい棘のある言葉に、まどかは昔のことを思い出す。綾華が高校生くらいの頃は毎日こんな調子で和弥に文句を言っていた。結婚し、立場が公的なものになってからは影を潜めていたが、どうしてもこの四人になると出てきてしまうようだ。

 それがまどかとしてはとても嬉しい。


「さて、では少しくらいは労いましょうか」

「うん」


 小声で何かを話しながら歩いてくる二人。

 まどかと綾華は笑顔で視線を交わした。















「あーあ。まったく、奥の手も出したってのに」


 負けたことなど感じさせない、明るい口調で言う和弥。悔しさはあるだろう。だがそんなものは気持ちのいい試合を満喫したことで吹き飛んでいるらしい。良治は自分だったらこんな風に振舞えるか怪しいなと思い、和弥の器の大きさを改めて感じてしまう。


「奥の手? 別に出してないだろうに」


 和弥の言う奥の手は天使の翼のことだろう。だがそれは彼の力の一端に過ぎないことを知っている。


「それはお互いに、だろ?」

「まぁそれはそうだが」


 良治としても半魔族化までは使ってはいない。こんな衆人環視の場で使用するつもりはない。きっとそれは和弥も同じだったのだろう。譲歩できる最大限があの翼を出現させるまでだったらしい。

 和弥が本気を出せばこの会場は狭すぎる。ある意味椎名紅蓮と同じだ。問題なのは和弥の力の総量は底抜けとも思えるほど多いことだ。場外負けというルールがなければ先に力尽きていたのは間違いなく良治だった。


「決勝、頑張れよ」

「……まぁ、出来るだけな」


 決勝のことを考えると気が重い。無茶な、とも思う。

 だが最初から負けることを前提に戦うのは良治の主義には合わない。どれだけ実力差があろうと。

 出来る努力を出来るだけ。悔いの残らない程度には努力をしておきたい。


「お疲れ様です。良い試合でしたね」

「二人ともお疲れ様」

「おう、ありがとな」

「ああ、ありがと」


 受付建物前で待っていた綾華とまどかの出迎えに二人で返す。特に心配はしていなかったが、勝敗に関しての蟠りはないようだ。


「決勝戦は午後一時からの開始となります。繰り返します――」

「お、一時からか。リョージはゆっくり休んでおかんとな。邪魔だろうし先に行くよ。――またな」

「ああ、さんきゅ。またな」

「では。御武運を」

「ありがとうございます、綾華さん」


 戦闘後の疲労を最後まで見せないまま和弥たちが手を振りながら建物に入っていく。なんだか勝ったが負けた気分になってしまう。


「――」


 ふと視線を上げるとバルコニーに居た隼人と目が合った。にこやかな表情はいつも通りだが、普段よりもやや好戦的に見えるのは気のせいか。


「良治」

「ああ、行くよ」


 まどかに促されて東京支部の観戦場所まで戻ることにする。時間を無駄にしたくないし、あのまま隼人と見つめ合っていても意味はない。まどかも隼人に気付いていたが、あえて声を掛けてくれたのだろう。


 決勝戦の開始まではまだ三時間近くある。治療と軽い食事の時間と考えれば問題ないが、体力の回復という点で言えば短すぎる。良治の自己判断では完全に回復するまで丸二日はかかる。それだけ和弥との試合は激しく、大怪我はしていないが力はからけつだ。


「ひーらぎさんっ!」

「蒔苗さん? ……ああ」


 既視感を覚えて思い至る。前回の試合後も同じことをした。

 つまり医務室へ行けと言うことだろう。


「気付きました?」

「はい。まぁ今回は素直に医務室行きますよ」

「よかったぁ」


 明らかにほっとした蒔苗の表情に良治は苦笑する。自分はどれだけ心配されているのだろうかと。

 前回こそがイレギュラーで、今回は医務室に行くことに否はない。前回は弟子の試合という何事にも勝る優先事項があっただけだ。怪我をしたら医務室、という行動に忌避感はない。今回は単純に頭にその選択肢が浮かばなかっただけだ。


「じゃあ医務室行ってくるよ。少し寝ておきたいし」

「うん。でも私も行くよ?」

「ん、了解」


 蒔苗を先頭にしてまどかと一緒に医務室へ向かう。東京支部の面々は観戦場所からこちらを見ていたようなので連絡しなくても平気だろう。


「ね、大丈夫じゃないよね?」

「……まぁ」


 歩きながら小声で尋ねてくる。先を行く蒔苗に聞こえないようにという配慮だろう。正直有難いことだ。


「肩、貸す?」

「いやいいよ。このまま行く」

「うん、わかった」


 可能な限り弱みは見せたくない。誰にもだ。歩くのにも苦労して、今にも足が縺れそうでも平気な顔をして進むしかない。少なくとも医務室へと辿り着くまでは強がらなければならない。

 いつか言われたことがあるが、こういうところが見栄っ張りと思われているのかと苦笑する。


「あぁ、こっちに来てくれてよかった」

「翔さん? なんでこっちに」


 遠巻きな視線を浴びながら到着した医務室で待っていたのは翔だった。本来なら妻である葵と一緒にバルコニーに居たはずで、今でも宮森の家の一員の彼が大会中ここで見たことはなかったはずだ。


「必要かなとね。さ、すぐに横になってくれていい。大きな怪我だけ申告してくれたら寝てしまってもいいから」

「それは助かります。怪我という怪我はないですね」

「ならよかった」

「でもまぁ人員は最低限で。眠れないので」

「わかっているよ」


 良治の身体を一番治療したことがあるのは当人を除けば翔だろう。小さな頃から白神会を抜けるまで、東京支部付きの医術士としてずっと診てもらっていた。それは東京支部所属員全員に共通することだろう。


「じゃあ」

「うん、おやすみ。二時間経ったら起こすね」

「頼んだ」


 医務室には他にも数人居たがその全てが宮森家の者で、眠りを妨げるようなことはしないでくれるだろう。ちなみにその中には現当主の娘である宮森萩莉も居たが、良治は特に話もなかったのでそのままスルーして眠ることにした。


(早く寝たかったし、顔見知りに声を掛けていたらキリがない)


 狭い世界、狭い組織。挨拶していたら貴重な時間が勿体ない。そんな余裕は良治にはなかった。

 まどかの声を聞いて、数秒も経たないうちに良治の意識は闇に落ちた。












「翔さん、ありがとうございました」

「力になれて何よりだよ」


 予定通りにまどかに起こされ、決勝戦まで残り二十分ほど。身支度は既に終えてある。身体の不調は特にない。翔の力量はさすがという他にない。


「皆様もお騒がせしました。では」

「あの、柊さん」

「なにか、萩莉さん」


 医務室を出ようとした良治に萩莉は先日見たような雰囲気は薄く、戸惑うような、何処か遠慮するような声で話しかけてきた。

 正直心当たりはある。寝るまでも、そして起きてからも一度も萩莉と会話をしていない。それどころか目も合わせていない。必要を感じなかったからだ。


「ああ、いえ……御武運を」

「はい、ありがとうございます。それでは」


 今度こそまどかと連れ立って医務室を出る。会場までは歩いて五分と掛からないが無駄な時間は過ごしたくない。


「さすがに予想してなかったんじゃない?」

「だろうな。だけど思惑がわからないし、何より試合前だ。集中したいよ」


 前回の治療時や夜道で会った時は普通に会話をしていただけに、今日に限って良治が無視をした理由がわからないだろう。だから困惑したし思わず話しかけたが、それも躱された。もしかしたら試合直前という理由で控えてくれたのかもしれないが。


「じゃあそれは帰ってから?」

「だな」


 これから対戦する相手は全力を尽くしてなお届かない高みだ。

 《暴炎の軍神》和弥を超える退魔士。《紅の天災》椎名紅蓮を破った剣士。悪い冗談だと思う。良治は《剣聖》白兼隼人に勝てると思えた瞬間はない。皆無だ。


(俺に出来るのは、出来ることを出来るだけ。それだけだからな)


 ここに至れば出来ることはない。戦術も捏ねるだけ無駄だろう。剣士としての最高峰。弱点などない。少なくとも狭い土俵の中では。良治には見つけられていない。


「良治さんっ」

「佑奈さん?」


 受付建物から工場正面に出る通路の手前に、何処か覚悟を決めた表情で居たのは蓮岡佑奈。彼女も蓮岡家の当主としてバルコニーで観戦していたはずだ。何故こんなところにと良治は疑問に思ったが、次の言葉を聞いて納得した。


「が……」

「が?」

「頑張ってくださいっ!」

「おお……はい。ありがとうございます。頑張ってきます」

「あ――」


 真正面からの言葉に少しばかり動じてしまったが、気持ちを込めて返答する。前髪から見えた瞳がとても嬉しそうで、良治としても気合を入れ直さないとな、なんて思ってしまった。

 軽く会釈をしながら佑奈を背にして会場前に着く。


「凄いね、佑奈さん」

「それは思うよ」


 まどかの視線に嫉妬の色はない。単純にそう思っているようだ。

 これまで会話の機会はほとんどなく、このまま大会が終わりそうだなと思っていたが、佑奈は自らの意志で機会を作って声を掛けてきた。今までの彼女からは考えられないことで、それがまどかにも伝わったのだろう。


 受付建物、そこには見知った顔が多く居た。少し離れた場所から笑顔でこちらを見ている。鷺澤薫や高坂一、丹羽三郎などの名古屋支部員たち。ふと視線を感じてそちらに目をやると、やや離れた木々の隙間から闇梟も居た。わざわざ姿を晒しているのはどんな感情なのだろうか。少しだけ嬉しいと感じたが彼女の内心はわからなかった。


「先生」


 良治の前に出たのは優綺だった。他には誰もいない。結那も天音も。他の弟子たちも。


「私一人です。結那さんや天音さんが一人でいってらっしゃいって。任せたって」

「なるほど」


 大勢で激励なんて良治の好みじゃない。期待されることが大概重荷と感じてしまう良治にとっては有難いことだ。


「時間もないですし、一言だけ。――カッコいい所、見せてください」


 穏やかに、微笑みながら。一番弟子はそんなことを願った。


(――まったく、俺の一番弟子様は)


 負ける、なんて不安はない。考えていない。真っ直ぐに彼女は信じている。ならそれに応えたい。


「わかった。任せろ。まどか、優綺。行ってくるよ」

「うん、いってらっしゃい」

「はい」


 結界の入り口には既に一人の剣聖が佇んでいた。普段通り涼やかな微笑みを携えて。


「やぁ、いい光景だね。微笑ましい」

「それはどうも。自慢の彼女と弟子です」

「――はは」


 良治の返答が可笑しかったのか、軽く笑う白兼隼人。良治としてはそんな面白いことを言ったつもりではないのだが。


「いいね、素の君が出ているようだ」

「素の?」

「ああ、君は普段は冷静沈着で俯瞰的に物事を見るタイプだけど、今は非常に好戦的で集中しているように見えるよ。私は普段の方は装っているだけで、今の方が君の素だと考えているから」

「そうかもしれませんね」


 良治は自分自身を割と短気で我慢の苦手なタイプだと認識している。なので隼人の指摘に納得する部分は多かったが、それをそのまま認めるのもなんだか癪なので軽く同意する程度に留める。


「決勝戦――京都本部《剣聖》白兼隼人、対戦相手――東京支部《黒衣の騎士》柊良治」


 アナウンスと共に二人で結界内に入り、土俵へ向かう。これも最後だ。そう考えると少しだけ寂しくなる。


(まぁそんな感傷、すぐに吹き飛ぶんだが)


 転魔石で木刀を喚びながら歩く。腰のポーチには準決勝とは違い持ってきている全武器がある。念の為というよりも何が起こるかわからないことへの不安からだ。準備はあればあるほど安心できる。


「副賞の使い道は決まったかな?」

「副賞? ああ、一年の有給でしたか。いえ特には」


 正直それを使う時は白神会を再び離れる時だろう。その口実に欲しいとは思うがそこまでではない。


「まぁそんなものを使う時には、もう君は、ね」

「そういうお館様は決まってるんですか?」


 心の内を見透かされているような感覚を横に置いて、訊ね返す。大会の賞金や景品は隼人が全部決めていたはず。何かしらの意図があるはずだったが、それを聞く機会はなかった。


「決まっているよ。まぁ君と使い道は同じようなものだね」

「同じ?」

「さて、そろそろかな。きっと待たせているだろうし、始めようか」

「――そうですね」


 聞き足りなかったが待たせているとは感じていたので素直に頷いて木刀を構える。

 疲労は残っている。しかし痛みはない。十分戦える状態だ。

 思考を切り替えて、ただ眼前の敵を打倒すことに集中する。


「それでは――はじめ」


 多くの人からの応援を得た。期待という重荷をエネルギーに変換して、黒衣の騎士は現代の剣聖に『勝負』を挑む。


「ふふ、来るといい」

「言われなくてもッ!」


 そして、決勝が始まった――
















「――まぁ、なんだ。勝てるわけなんてないよね」

「どうしました、良治さん。そんな窓から空を眺めて黄昏て」


 まだ午前中ですが、と天音が付け加える。今日もいい天気だ。


 大会終了から三日ほど経った上野支部で、良治は事務作業の手を止めて少しだけ外を眺めていた。


 決勝敗退。それが良治の武芸大会の結果だった。

【副賞の使い道】―ふくしょうのつかいみち―

一年旅に出るくらいならそのまま放浪生活に戻ってしまっても、という内心。それを身近な者たちの一部は察している節がある。

それはそれとして武者修行の旅というのもありかも、という思いもあったりするようだ。

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