待ち侘びた対戦相手
「試合舞台の修繕の為、少々お待ちください。再開時にアナウンスを行います」
隼人と紅蓮の試合後、残されたのは無残に破壊された土俵、そして一部の柵も吹き飛ばされて破られた結界だった。
土俵もそのほとんどが焼け焦げているし、最後紅蓮の居た場所など消し炭になっている。
「物凄い火力でしたね……」
「そうだな。恐ろしいよ。いやホント」
「私、よく生きてましたね……」
優綺の言いたいことはわかる。言葉は良くはないが、もはや紅蓮は人間という枠を超えた存在だ。戦略兵器レベルとも思える。
「それで、どうしますか」
「どうにも。まぁまず目の前のことからかな」
「そうですね」
天音の言いたいことはわかる。先程良治の零した『厳しいな』という言葉に同意したことから既に理解をしているのだろう。
(椎名紅蓮の弱点。いや弱点と言えるほどの弱みではないけど)
それは燃費の悪さだ。
当たり前と言えば当たり前なのだが、あの凄まじい炎を湯水のように使えば『力』もその分消費していく。だがそれを感じさせないくらいには紅蓮の持つ力の総量は非常に多く、実際これまでの試合では誰も考えもしなかっただろう。
(だがこの土俵内という狭い空間、土俵の破壊禁止。そして巧妙な試合運び。全てが揃って《紅の天災》という災害クラスの退魔士を封殺した。……白兼隼人って退魔士は本当にとんでもないな)
相手を消費させつつ、自分は可能な限り節約しながらやり過ごし、相手が力を使い切ったところで勝負をつける。まさに言うが易し行うが難し。良治にも非常に困難、というか無理だと思えることだ。
(単純な力の総量だけなら椎名紅蓮が圧倒していたはず。だが終わってみれば椎名紅蓮は力を使い切り、お館様は余力を残している。技術と戦略の差か)
実際に通用するかどうかはともかく、攻略の方向性が見えた椎名紅蓮とは逆に、白兼隼人の攻略法は一切見えてこないのが現状だ。
(どうしようもないな。各能力全てで上回られているだろうし。打開方法が何も思いつかん。むしろお館様の弱点のなさが浮かび上がったような気がするよ)
仕方なく思考を止め、目の前の光景に思考を変える。
修復に無駄なく素早く動いている黒装束の者たち――黒影流の構成員たちだが、こんなところで姿を晒していいのだろうか。確かに顔まで覆面で隠されているが、一度正体を見知っていれば個人を特定することは可能だ。
(右は朱音、向こう側のは闇梟か)
それぞれ視線を投げた時に微かな会釈、すぐに顔を逸らすなどのリアクションがあったので間違いはないだろう。
そして仕事を終えた彼ら彼女らが波が引くように受付建物の方に姿を消す。準備が整ったのだ。
「――お待たせ致しました。準決勝第二試合――京都本部《暴炎の軍神》白兼和弥、対戦相手――東京支部《黒衣の騎士》柊良治」
先程の第一試合とは打って変わり、静かなざわめきが広がっていく。もうアナウンス前から組み合わせはわかっていた。なので特別歓声など沸かないのも当然だ。
「じゃあ行ってくるよ」
「お気をつけて」
「勝ってきてよね」
天音はいつも通り静かに、そして結那は自分の代わりに勝ってきてくれと言う。
「先生……」
「どうした?」
「いえ……ご武運を」
「ああ」
「センセなら勝てるでしょ」
「師匠、頑張ってください!」
「ん、みんなありがとう」
弟子たちの応援に軽く手を上げ応える。東京支部で残ったのは自分一人。背に受ける期待は大きく重い。
普段は面倒だなと、負担に感じることの方が多いが、今は高揚感の方が勝り、期待を力に変えられそうな気すらしていた。
「まどか?」
「……ね、手前まで付いて行っていい?」
何か言いたげに見えたまどかに声を掛けると、まどかは静かにそう訊ねてきた。微笑んではいるが、その瞳の奥に意志を秘めている。彼女にとって何か意味があるのだろう。それくらいは良治にも理解できた。
「わかった。いいよ」
「ん、ありがと」
まどかの後ろにいる二人に視線を移すと、二人とも微かに頷いて認めてくれる。二人の中でまどかは特別だと認識していることは、言葉で聞いたことはないが良治にも伝わっている。
「緊張してる?」
「ん、ちょっとだけな」
普段よりも少しだけ歩幅を抑えながら二人で歩いていく。観戦者たちが視線を投げかけて来るがそんなものは気にしない。
「頑張れそう?」
「頑張るよ。努力はする」
「うん」
穏やかで、隣にいるのが当たり前のように微笑んでくれるまどか。その存在が有難い。悲しい思いもさせたし、これからも悲しい思いをさせるだろう。だが感謝はしている。彼女のような存在を得ることは、今後ないかもしれないとも思っている。
「――よう」
「おう」
受付建物の前。そこには一組の男女が待っていた。
体格が良い短い髪の男と小柄な長い髪の女。
だがそこにはこれから対戦するという雰囲気はなかった。
「当たるといいなと思ってたが、本当に当たったな」
「なんだ、当たりたかったのか」
「まぁな。リョージと真剣勝負、なんて機会はそうそうないからな」
「それはこっちのセリフでもあるんだがな」
「ま、今は物理的に離れちまったからな。仕方ないんだが」
「そうだな。仕方ないな」
軽口を叩きながら、そんな『仕方ない』を超えて実現することになった対戦に笑いあう。
避けることのできない真剣勝負の場。衆人環視、必ず決着のする戦場。
「楽しみだ」
「ああ。俺もだ」
会場を囲む皆が二人を待っている。そろそろ行かなくてはならない。
「和弥、頑張ってください。良治さんも良い試合を」
「良治、いってらっしゃい。和弥もね」
「ああ」
「いってくる」
綾華とまどかに見送られ、和弥と良治は結界内に足を踏み入れた。
「あの夜の続きだな」
「そうなるな」
京都本部の庭先、縁側で酒を交わした夜。あの時は優綺が来たこともあり有耶無耶になってしまったが。
(あの時戦っていたら負けてただろうな。でも今なら多少確率は上がってるはず。……そう思いたいね)
高校時代は和弥が退魔士になりたてなこともあって良治の方が完全に上だった。しかし和弥はメキメキと実力を伸ばし、卒業時には時々模擬試合で負けることもあった。
(で、抜ける頃にはほぼ互角だった。そして今は向こうの方が上だ。まぁこれに関しては自業自得だが)
退魔士としての道から外れていた時間が、追われる立場から追う立場に変えていた。だがそれを特に後悔してはいない。自分が自分として決断した道だ。後悔したところで今の立場が変わるわけでもない。
「それでは――はじめ」
「いくぞ、リョージ」
「ああ、来いよ」
先手は和弥。アナウンスが終わると待ち侘びたかのように木刀を構えて前に出る。そして良治は待ち構えることはなく、一歩だけ出てそれを――小太刀二刀で重ねて受け止めた。
和弥の長所は接近戦。恵まれた体格とバランスの取れた筋肉、そして神刀流の剣技を教えこまれている。
だから良治としては一番力の発揮できる間合い、タイミングから少しでもずらしたい。案の定和弥は最大威力を発揮するタイミングから僅かに早く止められて振り下ろしきることが出来なかった。
「ッ!」
しかし止められたというのに和弥は笑った。笑っていた。――そうそう、そうこなきゃな、なんて聞こえてきそうな楽し気な笑みだ。
(待っていた、ってことかね。まぁそれは俺もなんだが!)
釣られるように良治も笑みを浮かべながら和弥の木刀を弾く。
和弥の戦い方は王道だ。だからこそお互いの力の差が目に見える。
筋力では和弥が上。速度、技術ではほぼ同じか僅かに良治が上。
しかし速度と技術に関しては負けてはいない程度の認識で、そんなものは筋力の差で簡単に覆ってしまう。
真っ向勝負ならば力で圧す和弥、それを速度と技術で凌ぐ良治。
彼らを良く知る者たちはそんな展開を予想していた。しかし。
「ッ!」
「――!」
和弥は僅かに戸惑い、良治は集中力を高めて打ち合う。
真っ向勝負、それ自体は行われている。だが良治は自身の強みである機動力を捨て、相手よりも劣っていることを認めた上で正面から立ち向かっていた。
(準々決勝もそうだったが、打ち合いは楽しいな。相手の力量が高ければ高いほど!)
準々決勝で戦った上泉信綱とはタイプが違う。しかしトータルで考えればやはり和弥もトップクラスの剣士だ。良治はそれに勝たなければならない。同レベルであろう上泉信綱に勝てたからと言っても、それは何の保証にもならないが、それでも勝てる可能性は存在するはずだ。
(前に――!)
打ち合いながら一歩前に出る。それを見た和弥の笑みが深くなる。そして彼の攻勢が一段階鋭さが増す。
そっちがその気ならこっちだって。そんな声が聞こえてきそうだ。
(さすがに……!)
ギアを上げた和弥に良治が押され始める。分の悪い勝負を仕掛けたのは良治で、前に出た良治に触発された和弥が攻勢を強めたのなら、和弥に天秤が傾き始めるのは自明の理だ。
(ここまでッ!)
追い詰められる一つ前の振り下ろしをすんでのところで躱し、そのまま後ろに跳び退く。
「――ふぅ」
「粘るなぁ。思ってたよりもずっと」
追撃することなく木刀を構えたまま笑いかけてくる友人に、良治も笑みを浮かべて答える。
「は、少し侮ってたか?」
「まさか。でもリョージの強みはそこじゃないだろ?」
その通りだ。柊良治という退魔士の強みは別にある。
近接戦闘が得意分野の相手に、同じように戦うなんてこと普段はしないことだ。
(滾ってしまってるんだろうな。楽しんでしまってるんだろうな。そして俺がそう感じてるってことを和弥は理解していない)
和弥も楽しんでいる。一対一、レベルの高い打ち合い。衆人環視、準決勝という場。
だがそれを同じように良治が楽しんでいるとは感じていない。いや感じてはいるだろうが、それを心の底から、何事にも代えがたいというところまで感じているとは思っていないのだろう。
(さてそれはともかく。考えなしの接近戦はお終いかな。これ以上続けても特に意味はないし)
和弥と正面からの打ち合いたいという欲求は満たされた。それに同じことを繰り返そうとすれば、もう動揺をしない和弥に斬り伏せられるのがオチだ。
(普通の相手なら術を混ぜての攪乱戦、あの、なんだっけ、奈良支部の子。名前が思い出せないけど、まぁあんな戦法に切り替えた方が良いんだけどな)
だがそれで和弥の隙を作れるとも限らない。和弥も良治の策の一つに攪乱戦があるのは知っているし、何より体力的に先に底が見えるのは良治の方だ。ある意味並の退魔士程度の体力しかないというところが良治の弱点かもしれない。
「どうする?」
「ま、今までと大差ないさ」
「おっけ!」
変える選択肢もあったが、結局左右の小太刀をそのまま持って第二ラウンドに臨む。
「普段の、戦い方か!」
「どうかね!」
和弥の初手を回避し右手を振るう。しかし狙いは甘く、簡単に躱されると同時にカウンターが放たれる。
「おっと!」
それを左でいなして右で牽制、和弥の木刀を引かせる。
距離は取らない。しかし打ち合いもしない。
先程とは違ってステップと回避に比重を置き、手数で勝負するスタイルだ。
(これが一番和弥の苦手なタイプ!)
単純に手数が多いだけでは、和弥ならそれごと叩き切ることができるが、そこに回避を織り交ぜることで大振りを控えさせることができる。威力と速度の乗らない剣撃なら、良治の技量と小回りの利く小太刀で対応が可能だ。
「さすがだなッ!」
「さんきゅ!」
回避行動とステップで動きが激しく速くなった分、和弥は力の込めた一撃を放てず、小太刀に比べて長い木刀での取り回しに苦労をし始めていた。
「ぐ――」
(まずは一撃!)
和弥の右の二の腕に今回初めての一打が入る。決定打にも動きを鈍らせるのにも遠い一撃だが、一撃は一撃。
それに僅かに焦ったのか次の和弥の振りがブレる。
(なら!)
「く――ッ!」
今度は左の太腿。もう片方でもう一撃――と考えた良治だったが、和弥の背中が視界に入った瞬間、右足に全力を入れた。
(まずいッ!)
「ハ――ッ!」
次の瞬間烈風が吹き荒れた。
全力で後方へ跳んだ良治の前髪を切り飛ばした和弥は、横に凪いだ木刀を止めた姿で良治に笑いながらも鋭い視線を飛ばしていた。
「さすが、さすがだよリョージ。そうでなきゃな」
恐らくこの数年、隼人以外に複数回の攻撃を受けたことがなかったのだろう。そして身体を一回転させての回転横薙ぎ。あれもそう避けられるものでもないはずだ。
「別に俺が有利ってわけでもないんだけどな」
当たったとはいえ別にそれが戦闘に与える影響は微々たるものだ。正直現状は体力の差で良治が不利と自身では認識していた。
「でも、ま。そろそろだな」
「まぁ、そうなるな」
第三ラウンドが最終ラウンドになりそうだ。少なくともお互いが次で終わらせようと決定打を狙ってくることは確かだ。
「俺が勝ったら」
「勝ったら?」
「しばらくは残ってもらうぞ。綾華が大変そうなんでな」
「しばらくってどのくらいだよ。……まぁ、じゃあ俺が勝ったら好きにさせてもらうさ」
「ああ」
「よし」
和弥が八相の構えをとる。
良治は二刀の小太刀を下段に構えた。
「「いくぞッ!」」
【でもリョージの強みはそこじゃないだろ?】―でもりょーじのつよみはそこじゃないだろ?―
正面からの斬り合いも得手の一つではあるが、良治をトップクラスの退魔士としているのは違うということ。先読みと判断力、対応力を活かしての受け、からのカウンター。それこそが近接型として戦う時の良治の最大の強み。和弥はそれを行わずに前に出た友人に少しばかり驚いた。
そしてそれこそが良治の狙い。




