白神会の《剣聖》
「一段階ギアが上がったな」
「あれで一段階なんですか……?」
「少なくともまだ全力ではないな。余力を残してるよ」
「えぇ……」
結界越しだというのにビリビリと肌を刺す熱気の中、良治の言葉に優綺が呆然と聞き返し、返答に郁未がドン引きしている。
だがそれはそうだろう。数十もの火球を同時に出現させて操るなど簡単に出来る芸当ではない。同じことが出来る退魔士がどれだけいるだろうか。
(数人かな。でもそれは――)
片手に足りる程度は可能なはずだ。だがそれは注釈がつく。椎名紅蓮とそれ以外には決定的な違いが存在する。
「――動く。見逃すなよ」
「はいっ」
「うん!」
火球が揺らめき、隼人へと加速しだした――
「はぁぁぁッ!」
目を見開いた紅蓮が火球を連続で放っていく。火球は直線、弧を描くなど幾つかの違う軌道で隼人に向かっていく。複雑ではないが、それでも同時に違うように操るには並大抵の努力では不可能なことだ。
「いいねぇ!」
まさに天才と呼べる業を目の当たりにして、受けて立つ隼人は歓喜の声を上げた。紅蓮がそうしたように自らも一段階力を開放する。
「んなっ!?」
「はははははは!」
ほぼ同時に多方から、そして間断なく襲い来る火球。それを隼人は木刀一本で捌いていく。一人だけ早回しのような動きで、正確に芯を打ち、時には火球二つ纏めて打ち払っていく。
「二つほど芯を打ち損ねたね――っと」
「!!」
ミスをした二つの火球は地面に当たって爆発、若干の土煙を上げていたが、その中から殺意の塊とも思える紅蓮が凄まじい形相で現れ、渾身の右ストレートが放たれる。
「っで、なんでこれが避けられるのよ!」
「はは、まぁ集中しているからね」
奇襲のはずの一撃を躱された紅蓮だったが、そのまま接近戦を挑む。避けられはしたが懐に、自分の間合いに入ったのには成功しているのだ。ここで引けばまた間合いに入れず、またやきもきする時間を過ごさなければならない。
(ああ、イライラするっ!)
避けられたことも、仕切り直すとまた面倒なことも、自分がそれを面倒だと考えてしまっていることも。そのすべてに不満が溜まる。
その一方で冷静に相手の実力の高さと観察眼を評価する。感情と現実は別個に考えなくてはならない。そうでなければ生きてこれなかった。
「おや、いいのかい。下がってしまって」
「いいのよ。無理だと、少なくとも難しいと思ったから」
土俵全体を移動しながら躱され続け、じりじりと間合いが遠退き始め、完全に紅蓮の間合いから離れる直前に彼女は足を止めた。
これ以上続けても自分の体力を浪費するだけだ。特に策もなく続ければ、それこそ隼人の思う壺だろう。
「で、私がこれからどうするかアンタにはわかる?」
「そうだねぇ。予想はついてるけど、あんまりやってほしくはないかな。でも、君はやるんだろう?」
隼人は苦笑しながら言う。止めても無駄だと。やりたいなら仕方ないけど付き合おうと。
「――ほんっと、アンタのそういうところが……嫌いなのよッ!」
紅蓮が爆発でもしたかと見間違うほどの音と熱を放つ。紅蓮の周囲に炎で出来たもう一つの土俵のようなものが出現し、それは触れた本来の土俵の俵の半分ほどを一瞬にして炭にした。
そして、彼女を中心にした炎のフィールドから背丈ほどに炎が燃え上がり――紅蓮の白い髪を名前のように紅蓮に染め上げた。
「本気だね」
「ええ。――ぶちのめすわ」
「そうかい。それにしても」
「なに?」
「《赤髪》モードも似合うね」
「――死ねッ!」
紅蓮の周囲に作られたフィールドの炎が更に立ち昇り、紅蓮は再度吼えた――
「おっと」
「私がやります。良治さんは少しでも力は使わないでください」
「助かる」
紅蓮から放出される熱気の奔流が、会場を包んでいた結界を一瞬で割る。すぐさま対応しようとした良治を止めて天音が周囲に結界を張り熱気を遮った。
「早く結界を張り直して欲しいところですが、難しそうですね」
「ああ。張り直したところでまた一瞬で割られそうだな。そもそもこの状況の中で張り直せるかも怪しいが」
天音の結界は東京支部とその両隣くらいの範囲だ。範囲と強度は反比例する。紅蓮の余波から耐えられるレベルの強度だとこの範囲が限界なのだろう。良治がやっていたとしても同程度の範囲にしかならない。結界術に関しては良治と天音は同レベルだ。
周囲を見渡せばそれぞれが出来る範囲の結界術で己の身を守っている。それは複数人、個人とバラバラだがなんとか耐えられているようだ。観戦者は皆退魔士だが、観戦自体が命懸けになるとは思っていなかっただろう。
「天音、代わる? それとも手伝う?」
「今のところ大丈夫です。でももしこの状況が続くようでしたら代わって頂けると助かります」
「うん、わかった」
まどかの申し出に天音は少しだけホッとした表情で答える。今現在無理はしていないが、それが続くとなれば別問題だと、そういうことだろう。
(ということはかなり強度に振っているな。となると強度的には結界じゃなくて障壁が欲しいところってことか)
基本半球状に展開される結界よりも一つの面で展開される障壁の方が強度が高い。それは力を注ぐ範囲が狭いことが一つの要因だ。
(結界と障壁の違いと使い分け。これも座学の一つに追加だな。優綺が障壁を覚えたのもいいタイミングだ)
一度に全部を教えようとしても覚えられない。そう考えている良治は段階を踏む、疑問が生まれる、その知識が必要になるといったタイミングで適宜知識を与えてきたが、優綺に関してはそろそろそういった気遣いは不要になりつつありそうだと小さく笑った。
「はははっ、いいねぇ!」
「こんのぉ!」
拳を高速で繰り出す紅蓮だが、その全てが木刀で払われる、躱される、届かないのいずれかに対処されてしまう。
紅蓮は全力だ。後先考えずのガチンコの接近戦。時折蹴りも交えてタイミングを外したりもするが、その全てが隼人に対応されてしまっていた。
(なによなによなによッ!)
得意の接近戦闘で敵わない。糸口を見いだせない。こんなことはそれなりに長く、多くの修羅場を潜ってきた退魔士人生で初めての経験だった。
着流しの裾を掠める、大きな動きで隼人が拳を避ける。そんなことは続くが――決定打までが致命的に遠かった。
隼人が余裕で対処している。紅蓮にはそう見えていたが、その実そんなことはなかった。
(きつい、でも楽しいねぇ!)
熱気で炙られ吹き出る汗が瞬時に乾く。踏ん張り、動き続けている影響でお気に入りの草履は既にボロボロだ。
だが楽しい。隼人の中に溢れるこの感情が全てを押し流し、可能な限りこの時間を続けようともがいていた。
(――でももう終わりかな。残念だけどね)
ギリギリの攻防だがまだ隼人は耐えている。耐えられている。余力的にも精神的にも追い詰められているのは紅蓮で間違いない。そうなると――
「――はぁっ……!」
永遠に続けばと思えた時間が終わる。紅蓮が手を休めて下がったからだ。肩で息をする彼女に隼人は微笑みかける。
「あれ、こんなものだったっけ?」
拳の嵐を受けたせいで両手は痺れるほどのダメージを負っている。だがそれをおくびにも出さずに煽る。最後の瞬間の為に。
「……後悔しないでよねッ!」
両手を胸の前に合わせ、火球を出現させると同時に右足を大きく踏み込んで、低い軌道で突っ込んでくる。――まさに、吶喊。
ここが最後の一合。お互いがそう認識した。故に隼人も前へ出た。
紅蓮の手元の火球が大きくなった瞬間すぐさま凝縮されたように小さくなり、そこから更に――
(膨らまない――ッ!?)
オレンジ色の火球の成長が止まる。紅蓮の脳裏にこの戦闘で使った力のシーンが駆け巡る。
(ガス欠ッ!?)
表情が強張る紅蓮、それを見た隼人が笑みを深めたような気がした。
「――んのォォォ!」
それでも火球をぶつけようとして――その刹那、隼人の一刀が火球を断ち割った――
「終わったな」
「はい」
良治の呟きに天音が静かに同意する。そこにあるのは興奮ではなく寂しさ。最高峰の対戦が終わってしまったという、ある種祭りの後のような寂しさだった。
紅蓮の火球は隼人に直撃することなく、その前に隼人の一太刀が決着をつけた。
爆発の煙が立ち込める中、普段と同じ笑みの隼人と、土俵外で膝をついている紅蓮が徐々に見えてくる。立ち位置、表情、全てが試合の終わりを告げていた。
「勝者――白兼隼人」
アナウンスから一拍置いてから歓声が沸き出す。
しかし良治たち上野支部の面々からの反応は薄かった。
「……厳しいな」
「そうですね」
溜め息を吐いた良治に疑問を挟むことなく天音が再度同意する。考え方、思考パターンが似通っているので改めて言葉にしなくてもお互い通じ合えるのは楽ではあるが、今回は現実を目の当たりにした辛さの方が勝っていた。
「場外ということで」
「……ふんっ」
差し伸べられた手を無視して紅蓮はスッと立ち上がった。まだ足に力が入りきらないが、それでも薄く笑みを浮かべる友人の手を取ることはプライドが許さなかった。
身体からはほんの少しだが煙が上り、自慢の白髪も所々焦げていた。不満も不満だ。勝負も、今の姿も。いいようにされてしまった。
「……帰る」
「最後まで見ていけばいいのに」
「嫌よ。アンタが優勝するところなんて見たくないから」
「そっか、なら仕方ないね。じゃあ一つだけ先に」
「なによ――は?」
このまま帰ろうと歩き出した紅蓮が思わず隼人の顔をまじまじと見つめる。耳打ちされた言葉は彼女以外には届いていないだろう。
「まだ誰にも言っていないんだけど、これはまぁ決めてあってね」
「……責任を放棄するつもり? ――いや、ごめん。これは私が口にすることじゃないわね」
「別に気にしてないのに」
「嫌なのよ、自分が。……でも最低限、綾華ちゃんには伝えておきなさいよ。一番苦労するのはあの子なんだから」
「はは、そうだね。決勝の前には言っておくよ」
まったく罪悪感などなさそうに紅蓮へ笑いかける。だがそれを批難することも止めることも紅蓮には出来ない。――昔の負い目が、それを出来なくしていた。例え本人が気にしていないと言っていても。
「それじゃあね」
「ああ。元気で。また逢おう」
「そんな機会があればいいわね」
そうして《紅の天災》は大会を去った。
振り向かず、白兼隼人の言葉を最後に聞いたまま。
誰も声を掛けられず、誰もその道を阻むことも出来ず。
(次の機会は、必ず勝つ。全力を出せる状況で)
力強く次の目標を定めて、去っていった。
【一番苦労するのはあの子なんだから】―いちばんくろうするのはあのこなんだから―
隼人が白神会を継いだ当初はともかく、陰神との決戦後からは妹の綾華が前線に事務にと和弥と一緒に奔走していた。それは今も同じで、隼人は多少それを悪いとは思っているが組織運営に取り組むことへの情熱が冷めてしまったことから、どうしても一定以上の手助けが出来なくなってしまっている。
そんな綾華を助けてくれている和弥には格別の感謝の念を持っている。




