対戦予想
夜風に乗るように届いた殺気。出所を確かめる為に良治はロッジ近くの林に足を踏み入れた。
足音を極力小さくするが、灯りの乏しい空間で足元は良く見えない。正直なところ無駄な努力だろう。諦めて普通に歩を進めることにした。
「――結那」
少しばかり開けた場所に居たのは結那だった。汗が熱気となり、闘気と混じってファイティングポーズの彼女の周囲を揺らめいていた。
「――良治」
向けられた視線に親愛の色はない。一人の格闘家、敗北した格闘家がそこには居た。
(ああ、そうか)
良治は今の彼女の状態に思い至った。恐らく良治が自室に戻ってから一人で訓練をしていたのだろう。
理由はわかる。理解出来てしまう。和弥に負けたからだ。
「――こんなに悔しい思いをするとは思わなかった」
ぽつりと結那が呟く。普段耳にすることがない声のトーンに良治は緊張した。
「悔しい。悔しすぎて全部壊したい。……自分がこんな風になるなんて思いもしなかった」
いつも快活な彼女から想像もつかない暗い瞳。危うささえ感じしてしまう。
「負けてこんなぐちゃぐちゃになるの初めて。なんでだろ。それだけ本気の本気だったってことなのかな」
「そうだろうな」
同意する。模擬戦で結那に勝ったことはある。だが負けた結那はむしろスッキリとした笑顔を見せていた。今の姿とはかけ離れた姿だ。
それはきっと良治との関係性もあっただろう。模擬戦だからというのもあっただろう。
だが今回は模擬戦というには激しすぎるもので、結那は本気で優勝を狙っていた。絶対に負けたくなかったはずだ。
「負けることがこんなに悔しいものなんて思ってなかった。それにこの先私は」
奥歯を嚙み砕きそうな音が響く。
――衰えていく。
そんな言葉が続きそうに思えた。だがそれを口にすることは彼女のプライドが許さなかった。そう良治は感じた。
それが結那の強さなのか弱さなのか。それはわからない。だがここで終わるような人間でないことを、良治は知っている。
「――結那」
「待って」
「?」
足を動かそうとした瞬間に止められる。瞳にあった暗い色は薄らいではいるが、それでもまだ普段とは遠い。
「今私に近付かないで。襲っちゃいそう」
「……それはどっちの意味で?」
「両方よ」
「……了解した」
まだまだ内心は落ち着いてはいないのだろう。これ以上近付けば言葉通り襲ってくるだろう。結那はそういう人間だ。これもよく知っている。
(気持ちは想像出来ないことはないからな)
自分の得意分野で負けた。これはそれを誇りに思っていればいるほどダメージが大きい。例え相手が同じ分野を得意とする和弥だとしてもだ。
良治は自分の戦闘タイプ故、そういった心境にはなりにくいと考えている。自分の得意分野、胸を張ってそう言えるものが良いのか悪いかわからないがないと思っているからだ。
近接戦闘、遠距離戦闘、そして術。どれもがそれなりにこなす自信はあるが得意と言えるほどではない。
(俺が敗北感を覚えるとすれば――)
年下に実力で負けた時だろうか。油断ではなく、実力で負けたとしたら。
(……それでも悔しさを感じないかもしれない。きっと一生懸命になれないんだろうな、俺は)
結論を付けて小さく息を吐く。
悔しさを感じ、バネに出来るのも才能の一つだ。自分にはない才能。それが少しだけ羨ましかった。
恐らく気が晴れるまで続ける訓練。それが短いことを祈りながら背を向け、良治は元来た林を戻っていった。
「おかえり」
「ただいまです、先生」
「たっだいまー」
結局ロッジからさほど行かないところで二人を出迎えることになった。二人の顔色は特に悪くなさそうだ。
優綺は敗戦のショックはなさそうで、直前に結那のあんな姿を見ていた良治は安心した。郁未も付き添いの疲れはなさそうだ。
「優綺、身体は大丈夫か?」
「はい、大丈夫です。蒔苗さんが診てくれたので」
身体のあちこちをもう一度確認しながら優綺が笑う。メンタル的にも問題なさそうだ。
「ね、センセ。あっちに」
「それは大丈夫。でも二人とも向こうには行かないように」
「どうしてですか?」
「郁未は見えてる?」
「見えてはいないけど、見えてるっていうか……怖い」
「怖いと来たか」
郁未が離れた結那の方向を見ながら怯えた表情を浮かべている。透視の魔眼の力だろうか。優綺には何のことだかわかっていないらしい。
「それは後で説明する。とりあえず戻ろう」
「はい」
「はーい」
二人を連れてロッジへ戻る。後ろに付いて来る郁未がちらちらと結那の方を気にしていたがそれをスルーして扉を開いた。
「おかえりなさい。優綺も大丈夫そうですね」
「ただいまです、天音さん。はい、ご心配をお掛けしました。他の皆さんは?」
「それぞれ自由行動中です。今居るのは景子さんだけで今は部屋で休んでいるようです。精神的にだいぶ疲れているようでしたから」
「私詳細は知らないんですけど、大変だったんですか? 一応皆さんが無事なのは確認しましたけど……」
優綺は準々決勝の為に作戦には同行できず、試合の決着時に気絶してしまったのでこちらの動向を知らない。様子を見るに郁未もまだ説明はしていないようだ。良治の許可を得てからと思っているのだろう。
「まぁ精神的ショックだろうな。館湯坂健也は死んだ。それを見てしまったようだから」
「ああ……それは」
人が死ぬところを見る。経験することは稀だろう。
良治は死んだと言ったが、優綺はそれを殺されたと解釈した。戦闘の末にそういう結末になったのだろうと。
「死因は自害だ。自らナイフで首を斬り落としたらしい」
「斬り落と……自分でっ?」
「ああ」
人が死ぬのを見るだけでも精神的な負担は大きいのに、それが自殺だとなるとショックの受け方が変わる。自分の意志で、行動でそれを選ぶという光景を目の当たりにして、景子は何を思ったのか。
「それは……しばらく引き摺るかもしれませんね」
「そうだな」
現場から戻ってきた景子は傍目にはそこまで問題を抱えているようには見えなかった。良治が詳細を知ったのは桜野聖来が来てからなので、その情報を含めて景子の様子を注視していなかったせいかもしれない。
「今は眠ってるだろうから、明日少し気に掛けてあげて欲しい。勿論俺もそうするけど」
彼女の退魔士としての師となったのはほんの二日前。それでも、いやだからこそ親身にケアをしなければならないだろう。それが師を請け負った責任だ。
「いえ、先生。それは私に任せてください。先生は試合に集中して欲しいです。皆さんそう思っているはずです」
「いや、さすがにそれは」
「そうですね。良治さんは明日の試合に集中を。浅霧さんも自分を気に掛けたせいで試合に影響が出たとなれば気に病むかと。もし負ければ尚更に」
「まぁ、それはそうだが。……わかった。任せたよ」
「はいっ」
良治としてみればそこまで影響はないと思えるのだが、周囲は例え少しでも試合以外の要因を排除したいらしい。東京支部で残ったのが良治一人という面もあるかもしれない。
「でも一応言っておくけど勝率はかなり悪いぞ。残った相手は厄介な人しかいない」
「それはそうですけど……」
「確かにそうですね」
歯切れの悪い優綺に天音が静かに同意する。それが事実だからだ。
「和弥にお館様に椎名紅蓮。《魔王殺し》に《剣聖》に《紅の天災》だ。正直誰と当たっても厳しい」
この中で一番勝率が高いとするなら和弥だろうか。
だがそれは残りの二人が退魔士の頂点を争う二人だからだ。
総合力で勝負をするならともかく、近接戦闘のみなら和弥との勝率はかなり低い。
「良治さんとしてはどなたと当たりたいですか?」
「天音、その質問にあまり意味はないよ。恐らくお館様が組み合わせを決めるだろうから」
「ああ、確かに。その可能性は高いですね」
天音も今回の大会の組み合わせに関して怪しんでいたのだろう。そうなると――
「となるとお館様は誰と戦いたいか。それで組み合わせは決まると思ってる」
「戦いたい相手……」
優綺が呟く。推測を深めようとしているが答えは出ないだろう。優綺には白兼隼人という人物の情報が足りなさすぎる。
「和弥さんは外れそうですね」
「そうだな。俺もそう思ってる」
少し考えた後に天音が口を開き、それに頷く。
「それはなんで?」
「お館様と和弥は日常的に手合わせをしている。つまり刺激、新鮮味は薄い。公式な場での真剣勝負としても。それならあまり機会がなく、大会という理由付けで手合わせが出来る俺か椎名紅蓮との対戦を望む可能性は高い」
「普段やってない人とやってみたいってことかぁ」
「まぁそういうことだ」
郁未がなるほどと納得をする。
そしてそうなると、隼人と和弥の対戦がなくなるということになり、つまりは良治と椎名紅蓮との対戦の確率はかなり低いということになる。
「それで先生は残る二人相手に勝てそうですか?」
「どちらも分が悪い。和弥なら四割、お館様ならいいとこ二割ってところかな」
素直に認めたくないことだが、冷静に力の差を計り良治が出したのは劣勢という結果だ。隼人相手はほぼ勝てないと言っていい。
「へー。センセが負けるのなんて想像がつかないけど」
「負ける時は負けるさ。今までだってずっと優位に戦闘をして勝っていたわけじゃない」
特に霊媒師相手の戦闘は常に劣勢だった。
復帰戦となった宇都宮支部では敗北、先日の妙高山では勝利したものの右腕は貫かれ大きな怪我を負った。
今日の準々決勝でも勝利はしたものの、ルールに助けられた上に満身創痍だった。胸を張れるほど自分の強さに自信はない。
「個人的に、私は良治さんと隼人様が戦うことになりそうだと思っています」
「その心は」
「隼人様は椎名紅蓮さんと昔馴染み。なら手の内はかなり知っているかと。そうなると一番の未知は良治さんとなります。なら対戦相手に選んでもおかしくありません」
「……一理あるな」
天音の言葉に渋々頷く。その視点から見れば確かに可能性が一番高い。
「だが実力は俺よりも椎名紅蓮の方が上だ。これは間違いない。今また成長期が来たとか言ってるお館様なら、現時点で力比べしたいという欲求もあると思うよ。……まぁ半々かな」
「そうですね」
天音が少し笑いながら答える。良治が無意味でも、自分と当たる可能性を否定したかったということに子供っぽさを感じたのだろう。良治も言いながら自覚はあったので苦笑を浮かべた。
「さて」
昼間は湿った空気が残っていたが、夜も更けた今は既にその余韻はない。良治はほんの数日前、大会初日予選が終わった夜に座ったベンチに座ってひと息吐いた。
(――何度考えても届かないな)
対戦相手の話題が終わり、一人で外に出てから何度かシミュレーションしてみたがやはり勝てない。決定打が入らない。
(入るとすれば、優綺が椎名紅蓮にやった方法くらいか)
格下が明確な格上に勝利をもぎ取りに行く方法。
優綺はそれを行い、椎名紅蓮をあと一歩のところまで追い込んだ。
(別に教えた訳じゃないが、あれは優綺がこの先に生き残るのに必要なことだ。それを自分で考えて辿り着いたってんだから恐ろしいまでの成長だよ)
格上相手を倒す方法。それは単純に言えば隙を突くことだ。
地力で劣るなら相手が本気でない、全力を尽くせないタイミングを見極めて打倒する。言葉にすれば簡単だがそれを実行するには困難なことだ。
(優綺は初手から相手の想定外の行動を取り続け、そして相手の行動の選択肢を奪い、最後に決め手を全力で放った。戦術では椎名紅蓮を圧倒していた。手放しで褒められる内容だった)
相手が本気を出す前に先手を取り、立て続けに攻勢を強めて相手の思考力と対応の選択肢を狭めていく。そして最後動けなくなったところに全力の一撃。戦術面は完璧だった。
(ただ今回は相手が悪かった。その一言に尽きるな)
あそこまで追い詰めながら勝利に手が届かなかったのは、相手が椎名紅蓮だったからだ。追い詰められていたのが良治だったのなら決定打を浴びて敗北していただろう。
(問題は俺がお館様相手に同じことが出来るかってことだな。言っちゃあ悪いが椎名紅蓮ほど甘くはない)
椎名紅蓮は優綺と予選で戦い、その実力をそれなりに評価してはいたが強敵としては見ていなかったはずだ。それが最初から本気でいなかったことに繋がっていた。
だが隼人は飄々とした風だが油断はしない。むしろ何が起ころうとも対応出来るような自然体でいる。それを京都での手合わせで良治は知っていた。
「――あれ?」
「あっ!」
「君たちは……」
どんどん自分の勝率が下がってきているような気持ちになっている良治に二つの少女の声がかかった。そちらに目を向けると何度か見た二人が驚いた顔で立っていた。
「先輩の……敵ッ!」
大きな声でそう叫んだ小柄な少女に、良治は深い溜息をそっと吐いた。
【椎名紅蓮をあと一歩のところまで追い込んだ】―しいなぐれんをあといっぽのところまでおいこんだ―
石塚優綺の戦果。勝利こそ逃したがそれは今大会最大のサプライズとの声もある。
第七位階級退魔士が最上位とも認識される退魔士に迫った稀有な例で、石塚優綺は参加者たちにその名を刻むことになった。




