一路恐山へ
「こういうところ、要領がいいっていうかしたたかっていうか」
「そうですか? 褒めてくださってありがとうございます。嬉しいですね」
他の者たちと合流し日暮れに霊媒師同盟の屋敷に戻ることを伝えた後、数時間の余裕があったので自由時間とした。狭い車内でストレスを溜めるよりも少し身体を動かしたり、食事で気分転換する方が良い。大勝負の前のひと時だ。
全員にそう伝え、良治自身も疲労を取り除こうと一人でふらっと駅前に出た。期待していた通りそれなりに賑わっており、目当ての店を数件見つけられたことにほっとする。
漫画喫茶とカラオケボックスで少し迷ったが、普段使っている青を基調としたチェーン店のカラオケボックスを選んで店内に入った。そこで名前と人数を書こうとした瞬間見慣れた手が脇から伸ばされ、ボールペンを奪って書き込んでしまったのだ。
結局手を伸ばした天音の為すがまま、二人でカラオケボックスの部屋に行く。不本意ではあるが今更文句を言っても時間がもったいない。
「休むんですよね?」
「ああ、そのつもり」
店員がドリンクを持ってきたあと、二人にしては広いソファを見る。
昼間は店内が空いているらしく、何も言わなくても広めの部屋に通されやすい。ここで良治は時間まで仮眠をするつもりだった。
「では、どうぞ」
座った天音がぽんぽんと太ももを叩く。膝下まである薄いピンクのスカートに目がいく。とても可愛らしい。年相応の色気もなんとなく感じた。
「それはちょっと、まずくないか?」
特にまどかと結那的な意味で。たぶん後で知られることになる。反応が怖い。
「いいじゃないですか。というか良治さん」
「っと」
「こうしてしまえば、もうどうでもよくないですか」
「……」
強引に頭を抑えられて倒されてしまう。誰がどう見ても膝枕だ。太ももの感触が心地良い。
観念して上を見ると天音と目が合う。
「なんですか」
「いや……珍しく実力行使に来たなと」
山を下りる際に言っていた『既成事実』という言葉がちらつく。天音は思慮深いのでそうそうないだろうと高を括っていたが、実際強引に膝枕を仕掛けてくるとそれも否定できない。
「はい。少し良治さんは誤解しているかもしれませんが、私は別に負けてもいいとは思っていませんよ? ただ」
「ただ?」
「ただ私は一番に選ばれなくても近くに居られればいいんです。それなりに愛されながら一緒に居たいんです。
良治さんはいつも無理をします。まどかさんも結那さんもそれは知っています。でも考え方とかは私の方が近いかと。だから、せめて貴方の理解者でありたいんです。ずっと傍で支え、寄り添いたいんです」
ほのかに朱く染まる頬、僅かに潤んだ瞳。優しい声から深い愛情が染み渡っていく。
こんなにも大事に想われていたのか。そのことに驚くとともに後ろめたさもある。
好意を向けられていたことは知っている。直接言われたこともある。ただ、こんなにも深いものだと想像したことはなかった。
「天音、なんで今こんな話を」
「そうですね……今言わないとまた何処かに行ってしまいそうで。本気で逃げる良治さんは見つけられませんから。
あと、昔はどうしても言えませんでしたからね。貴方にはまどかさんがいましたから」
天音と親しくなった頃にはもうまどかと付き合っていた。その辺を考えて控えていたことは良治も察していたことだ。表に出すことなくやり過ごしていた彼女に、時折ほんの少し混じる嫉妬の色を。
「先程も言いましたが負けていいとは思っていません。全力を尽くします。これがその最初の一歩というわけです」
「最初の一歩、ねぇ」
「はい。もう後悔は抱えたくないんです。だから行動あるのみ、貴方に迷惑と思われない程度に色々していこうと思います」
「……怖いな」
「ええ、怖いんですよ恋する女は。――ああ、それと」
「ん?」
「出来るならば一番がいいですけど、二番目でも三番目でも不満は言いません。――ただ、私たち三人以外に手を出す時は一言くださいね?」
器の大きさを感じさせる言葉とは裏腹に、良治が感じたのは今日一番の恐怖だった。言ってくださいとは言ったが、認めるとは言っていない。そう言外に言っている気がする。
「……了解した」
「わかってくれて嬉しいです。では良治さん、良い夢を」
言いたいことを全部言えたらしくすっきりした表情の天音に小さく息を吐く。
愛されていることは怖い程理解した。
天音の最後の言葉は冗談とは言わないが、あまりそういうのは嬉しくないですよということだ。天音はなんだかんだ言って良治を害することは一切しない。釘を刺しただけだ。
「おやすみ。足痺れたらどけていいからな」
「大丈夫ですよ。心地良い痺れですから」
「そんな彼女に腕枕をする男みたいなことを」
「それ良いですね。今度是非」
「気が向いたらな」
「はい。楽しみにしていますね」
そんなどうでもいい会話をしながら良治は夢に落ちた。
陽が落ちて一時間後。良治たちは山形の拠点に戻り、霊媒師同盟のバスに乗り換えて青森へ走り出していた。
鮭延の言っていた通り、バスは大型でここまで来た全員が乗り込むことが出来た。
これは大きなアドバンテージだ。バスが小さかったら十分な戦力を送ることは出来なかった。やはり内部からの協力は非常に助かる。協力がなかったら大人数で目立ったまま、恐山に向かうまでに何度も戦闘を繰り返すことになるだろうことは容易に考えられた。
良治は運転席の隣に立つとハンドルを握る彼に声をかけた。
「助かったよ登坂」
「いいってことよ。俺っちたちも助けてもらってるんだからよぉ」
運転をするのは福島支部で捕まり、山形まで道案内をして鮭延との協力を取り付けた登坂だ。赤く染めたトサカ頭の彼はここまで大きな役割を果たしている。彼がいなかったらどうなっていたかわからない。
きっと恐山まで辿り着けず、どこかの山あたりで襲撃されて死んでいただろう。
「ホントに登坂がいてくれたお陰でどうになりそうだ。この恩には報いるよ」
「ははっ、そう言ってくれるのは嬉しいぜ。崩さまの件だけ頼むわ」
「了解したよ」
ここで自分の保身を言い出さないことに良治は好感を持った。
結那をはじめ白神会の面々はまだ登坂を信用していないが、良治は信用に値すると内心思っている。
「ああそうそう。バスに乗る前の件だけど信用してくれるのか?」
「八割がた信用してるよ。あとは真鍋が短絡的な行動に出る前に取り押さえるか倒したいところだ」
バスに乗る前の件とは、登坂が受けた一本の電話のことだ。
それは彼の姉からの電話で、戻ってきた真鍋に関する情報だった。もちろん受け答えは全て良治も直接聞いている。相手にはこちらの状況は伝ええずに、登坂にはスピーカー状態で会話をしてもらった。
何らかの符丁があったようには感じられなかったのでこの情報も信用できるだろう。
「だなぁ。今は寝てるって話だけどよ、起きたら何するかわかんねぇからなぁ」
電話の内容は真鍋が恐山の本拠地に帰還したとの連絡だった。
どうやら登坂と彼の姉は普段から真鍋を快く思っていなく、今回白神会に侵攻したことに不安を感じていたので何かあったら連絡をする取り決めをしていたらしい。
「寝ている間に確保出来たら最高だな。無理だとは思うけど」
帰還した真鍋は作戦の失敗に荒れ狂い、酒を浴びるように飲み暴れた後そのまま酔い潰れてしまったようだ。これならしばらくは起きないかもしれないが、それでも自分の本拠地が攻められていることに気付いたら目を覚ますだろう。
戦闘はなしで終わらせたいが、さすがに真鍋に従う者もいるはず。戦闘は避けられない。
「んじゃま出来るだけ早く到着するよ。……これなら今夜中に決着はつきそうだな」
早い日暮れのあとに出発したのでまだまだ時間には余裕がある。だが逆にそれだと早すぎる可能性はある。
「その本拠地は何処なんだ。人の少ない場所ならいいんだけど」
そうでないなら深夜に時間をずらさないとならない。真鍋も起きてしまうだろう。
「ああ、観光地の……って言ったらあれだけどよ、あの場所からはちょいと離れたとこにある。あんな人の多い場所じゃあ出来ないこともあるからよぉ」
トサカの言いたいことはわかる。基本的に退魔の術は秘するものであるし、実験的なことも多い。抵抗力のない者は目撃するだけでどんな影響を受けるかわかった物じゃない。
ただ彼のニュアンス的にはあまり人道的なこととは言えない事柄も含まれていそうだった。
「じゃあこのまま行っても目撃されることはないか?」
「まぁまずねぇだろうな。ただ俺っちが運転してるとは言え、近くまで行ったらさすがに怪しまれるんじゃねぇかな。こんな大きなバスで人を運んでるんだから」
それはそうだ。間近まで行けば一度くらいは止められるだろう。
しかしそれで十分とも言える。福島から恐山まで何回も戦闘をするよりは遥にマシだ。
「しないに越したことはないけど、そうなったら仕方ないから気にしないでくれ。
そう言えばお姉さんは恐山で働いているのか?」
「ああ、そうだよ。霊媒師同盟には三つの大きな部隊があってよ。戦闘部隊の『黒曜』、崩さま直属で身の回りの世話をする『瑠璃』、恐山の結界を担当する『金剛』がある。うちのねーちゃんは瑠璃だ」
根本的に白神会とは組織運営の仕方が違うらしい。もっと詳しい話を聞きたいとは思ったが、それは全てが終わった後でいいだろう。
「戦いに巻き込まれないと良いな」
「ああ。でもまぁさっき『なんかあっても大人しくしといた方がいい』って言ったから大丈夫だろ」
「それでこれから何かあるかもって気付ける人なのか」
「いんや。まったく気付いてねぇと思うよ。でも何かあったらちゃんとわかるだろ。そこまで頭悪くないさ。そうでないと瑠璃で働けねぇ」
自慢の姉なんだな。
その言葉を口にはせず小さく笑う。家族思いの立派な青年だ。殺し合いにならなくて本当に良かったと思う。
「夜道だから気をつけてな。雪にも」
「わぁってるよ。こっちは地元みたいなもんだから」
タイヤにチェーンは付けているし、速度もそこまでではない。口調から大雑把な性格と見ていたがそこまでではないようだ。
「俺はどうする。ここに居た方が良いか」
「どっちでもいーよ。……いや適当に声の届く位置で隠れててくれ。組織のヤツに見つかったら言い訳が難しい」
「了解した。何かあったら声をかけてくれ。じゃあ目的地まで頼む」
「おうよ」
登坂がいなかったらこの強行軍は詰んでいたのは間違いない。
何せ良治たちは霊媒師同盟の本拠地の場所を正確に把握していなかったのだから。恐山に向かえば相手の方から出て来てくれるだろうという、普段の良治からは考えられない思考。突発的な思い付きというのが如実にわかる。
交流のない他の組織の内情など知る由もない。潜入して調べるのも長い年月が必要で、簡単なものではない。少なくとも良治には出来ないし、普通の退魔士に必要な技能でもない。白神会で出来そうなのは、隠密専門の黒影流のメンバーくらいなものだろう。
「大丈夫?」
「問題ない。今のうちに少し休んでおけ」
「うん、わかった」
運転席に一番近い席に戻ると、先に座っていたまどかの少し心配そうな声。
まだ時間はかなりかかるので、今から緊張していたら気力が持たない。
再度立ち上がり、他の者に二人一組で順番に休むように指示を出して席に座る。
(いよいよ大詰めだな)
宇都宮支部の襲撃から、結那に依頼されてから、結那に再会してから。
どれにしたってさほど時間が経っている訳ではない。
だが濃密な時間だったお陰でとても充実感がある。きっと数時間後には更に大きな達成感を得られるだろう。
(俺はどうしたかったんだろうな)
薄く死んでいくだけのような、逃げていた五年間と命懸けのこの数日間。生きていると実感できたのはどちらか。そんなものは語るまでもない。
――戻るか、否か。
それは良治にとって大きな決断だ。人生を左右するものだ。
(……でも今はいい。終わってからだ)
悩みながら戦うなんて器用なことは出来ない。良治がもっと器用だったなら人生も女性関係も上手く立ち回れたはずだ。
隣で目を閉じるまどかを見て苦笑を浮かべる。
「……どしたの?」
「いや、なんでもない。少し寝顔を見てただけ」
「もう、恥ずかしいってっ」
少し照れて窓側を向く彼女が愛おしく思える。昔も同じ感情を持っていたことを思い出した。
(好きな人を、大切だと思える人たちと一緒にいたい。そう思っていたっけな)
昔は昔、今は今だ。
だがまどかや結那、天音たちが大切でなくなったわけではない。ただ一度逃げてしまった負い目から言葉にするのは憚られた。
(――ただ、少しくらいは、今回くらいはそんな気持ちで戦ってもいいかな)
バスの旅路は予想通り順調に進んでいった。
途中登坂の休憩の為に十分ほどコンビニに寄っただけだ。
「二回くらいすれ違ったけど気にされなかったぜ。大丈夫そうだ」
コンビニで買った甘い缶コーヒー片手に休憩していた登坂はそう言っていた。戦闘にはならなかっただけで遭遇はしていたらしい。改めて登坂とこのバスのありがたさを感じた。
「柊さんよ、ぼちぼちだ」
登坂が声をかけてきたのは休憩からしばらく経ってからのことだった。
夜は更け、時刻は日付が変わろうとしている。一度休憩を挟んだせいか登坂の表情に疲労は見えない。
「もう到着するのか?」
「むつ市内には入ってるから、そろそろおかしいって気付くヤツが出て来てもおかしくはねぇ。本拠地……屋敷の結界に潜り込むまでやり過ごせればいいんだけどな」
「その屋敷の見取り図……は無理か。どんな造りかはわかるか?」
「いんや、俺っちは中に入ったことはねぇんだ。だがまぁ屋敷は三階までしかねぇし、建物自体は巨大ってほどでもねぇ。虱潰しに見て行けば問題ねぇよ」
「仕方ないか……」
虱潰しと簡単に言うが、それが出来るのは戦闘が終わってからになる。そうなると少なくとも本拠地の残存戦力を取り除いてからということだ。
戦力がどれほどかわからないが、今バスに乗っているこちらの戦力で圧倒出来るかは疑問が残る。
最終的に奇襲が一番という気がする。しかしそれはバスで屋敷の間近まで辿り着かねば実行できない。
(なんとか目視できるくらいの位置まで近づいて、そこからは少数精鋭で気付かれずに侵入――)
「ッ! 危ねぇっ!」
思考が登坂の叫び声に遮られ、更にそこに大きな音とハンドルを切った影響の反動が身体を襲われる。タイヤの悲鳴が聞こえた。
「敵襲かっ!?」
「ああ、バレてるみてぇだな! アイツら躊躇なく狙ってきやがったっ!」
「総員戦闘準備! 登坂、屋敷は見えるかっ!?」
運転席に掴まりながらバランスを取り、運転に集中している登坂に叫ぶ。その間にはバスの脇に幾度も爆発音が起こり、その度にバスが大きく揺れる。
「――ぼちぼち見えるはずだぜ! 暗ぇから見えねぇとは思うけど、左の前の方なはずだっ!」
「了解っ!」
――そして。
その直後バスは霊媒師同盟の攻撃を受けて大きな爆発音を上げた。
「ッ!」
バスから投げ出された良治が意識を失っていたのは一瞬だった。
すぐに身を起こして立ち上がると、周囲に幾つもの気配。バスに乗っていた数よりも明らかに多い。言うまでもなく霊媒師同盟だ。
ここで戦うか。良治は判断を迷った。
今いるのは一本の幹線道路沿いの林だ。見通しは悪く地の利はない。雪が積もった地面は身動きが取りづらく戦闘向きとはとても言えない。
ここでの戦闘は不利だ。だがかと言って道路に出たら良い的だ。相手に遠距離攻撃の手段がある以上適切とは言い難い。
「良治さん、どうします」
身を木の陰に隠した良治に背後から天音が小声で囁く。気配を鋭敏にしていたので驚きはしない。
「無事で良かった。……天音、ここを任せていいか」
「……はぁ」
目を見開いた天音は大きく溜め息を吐いた。
ああ、なんでまたそういうことを言うのですか、そんな言葉が聞こえそうな雰囲気だ。
「そういう無茶なところ、どうかと思いますよ」
「悪いな、きっとこれは性分なんだ。諦めてくれ」
「……はぁぁ」
二回目の溜め息はさっきよりも深い。どうやら諦めたらしい。
「仕方ないですね。貴方の無茶に付き合う自分というのが嫌いじゃない自分が嫌いです」
「そんな天音のこと、俺は嫌いじゃないよ」
「そうやって不意に、普通に何の気なしに口説くのは私だけにしてくれると助かります」
「口説いてるつもりはないんだけどな……じゃあ任せた」
考え方が近いと全部を言わなくても伝わるのが何とも言えず嬉しく感じる。
笑みを浮かべる良治に天音はジト目で返した。
「生きて帰って来てください。終わったらお酒でも奢ってくださいね」
「飲めるのか。……了解した」
良治は返事と同時に一番の得意属性である風の術を解き放った。
地面と木の枝にある雪を巻き上げる。
出来る限り広範囲で起こしたのでかなりの人数が敵味方問わず視界を奪われただろう。
そして良治は走り出した。立ち上がった時に幹線道路の位置から方向は確認してある。間違ってはいないはずだ。
(戦力はここに集中したはず。なら屋敷には――!)
混戦には付き合わず、単身手薄な本陣へ。
――良治はたった一人で霊媒師同盟の本拠地へ駆け出した。
【恐山】―おそれざん―
青森県下北半島中央部に存在する「日本三大霊山」の一つ。宇曽利湖の周囲を囲んだ山の総称。
退魔士組織・霊媒師同盟の本拠地。他の組織との交流は一切なく、その内部は謎に満ちていた。
霊媒師同盟の退魔士、霊媒師はここで修行をしたあと適正別に各部隊に割り振られる。




