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治療よりも大切なこと

「うわ、すっご」


 自分たちの確保している場所に到着する前に、一番近いところから土俵の様子を見た結那が感嘆の声を上げた。さほど広くない隙間に入られた両隣の他支部員たちは顔を顰めたが、それが今試合を行っている東京支部の面々だと理解するとそっと場所を開けてくれた。


「結那、ちゃんと戻ってから見ないと」

「でも目を離してる間に決着ついちゃったら嫌じゃない?」

「それはそうだけど……あ、すいません、ありがとうございますっ」

「凄いですね。互いの間合いに入りっ放しの、殴り合いみたいなものじゃないですか」


 結那を窘めたまどかの横から、天音が少しだけ感心したように呟く。単純な殴り合いに見えて、その実それを続けるとなれば生半可な技量と身体捌きでは成り立たない。


「剣のウデでは相手の方が上っぽいわね。それでも良治は互角に渡り合ってる。凄い集中力。だけど――」


 静かに自身の見解を口にする結那の言葉が終わる前に、良治と上泉信綱の木刀がひと際大きな激突音を響かせ、その衝撃で二人の距離が開いた。


「――そうなるわよね」

「ですね」


 同意する天音と共にあるのは肩を上下させて呼吸する良治の姿。表情こそ暗いものではないが、余裕のあるものでもない。


「決着は近いわね」

「どちらにせよ、ですね」


 スタミナの底が近付きつつ今、良治に取れる手段は限られる。相手はまだそこまで疲労しているようには見えない。勝負に出ざるを得ないのは良治の方だ。


「――でも、勝つのは良治だよね」

「もちろん」

「はい」


 試合は劣勢。しかし誰一人として彼の勝利を疑う者はいなかった。













「はぁ……はぁ……フゥ――」


 体勢を崩されかけた中、ギリギリで打ち負けなかった激突が二人を強制的に間合いの外に追いやっていた。

 疲労は濃い。あそこで決着にならなかったことに、まずそこに良治は安堵していた。


(……このままだと負けるな)


 持ち前の集中力と先読みの技術、対応力で切り抜けてはいるが、それでも互角を演じるのが精一杯。剣技で明らかに勝る上泉信綱相手に善戦をしているが、それを成すために著しく精神力と体力を消耗していた。


(最後の勝負に出る頃合いか)


 これ以上の消耗は乾坤一擲の博打すら打てなくなる。完全に勝機を失う前の最後の勝負に追い詰められたとも言えた。


(それにしてもなんて洗練された剣筋。戦国時代にはこんな剣豪が何人も存在していたなんてな。少し羨ましくもあるね)


 最後の一手を繰り出すしかない、そんな状況で良治は薄く笑う。


(――さて、いくか)


 最後の打ち合いを悔いのないように。

 それだけを心に決めて、良治は力強く駆けだした。


「フッ!」

「――!」


 振り下ろす信綱と斜め下から斬り上げる良治。初手は互角、そして互いに気を抜けば致命的に成り得る一撃を打ち合わせていく。

 そして先程までと同じように、打ち合う度にじりじりと良治が劣勢になっていく。

 一度劣勢になればそれを取り戻すのは難しい。相手のミスがあれば可能だろうが、それを期待するには相手が悪過ぎた。故に良治は信綱が一度たりとも、些細なミスすらしないことを前提に斬り結ぶ。


(――ここ!)


 信綱の横薙ぎに遅れて振った木刀が後ろに弾かれる。手を離さなかっただけマシだろう。だがそれは大きな隙。左半身が前に出た状態になっている良治の木刀は間に合わない。完全に一手遅れてしまっていた。

 信綱は上段に木刀を構えると瞬時に振り下ろしに入る。試合開始当初、良治が『断たれる』と感じたあの一撃。またあれが来る――


「ッ!」


 振るわれた木刀を一番近い左腕で受けるべく動かす。

 このままでは最初に感じたことが現実になるだけだ。


「ぬッ!?」


 その刹那、信綱が見たのは良治の腕の前に現れた十cmほどの小さな防御障壁だった。だがそんなものこの一刀に対して壁になどならない。ただの薄いガラス程度の障害だろう。

 しかし信綱は眼を瞠った。小さな障壁、それが幾つも重なって出現したのだ。


 一枚一枚は脆い。信綱の想定した通りの強度で割れていく。だがほんの少しずつ、僅かながら威力は殺され、速度は落とされていく。

 だが剣聖の一撃はそんなものでは防げない。最後の障壁を打ち割り、木刀が左腕に届き、鈍い音が響き渡る。


 良治の七枚重ねた防御障壁も剣聖の一撃を止めるにはほとんど意味をなさなかった。だが――


「――捕まえた」

「なんと――」


 折れた左腕。信綱の木刀。そしてそれを力強く握る良治の右手。

 口の端だけで笑った良治は信綱の木刀を掴んだまま、彼の身体中央部に向けて突き刺すような蹴りを叩きこむ。


(防がれたッ!?)


 しかし信綱は即座に木刀を手放すと防御に回っていた。良治の右脚は信綱の左腕でがっちりと防がれていて、致命傷には程遠い。

 信綱は蹴り飛ばされていくが空中でくるりと一回転すると、土俵際に膝をつきながらもダメージを感じさせない着地をした。


「――!」

「ッ!?」


 だが顔を上げた信綱の目の前にあったのは、コンパクトながらも十分な威力を持った良治の木刀。良治は元より蹴りだけで終わるとは思っていなかった。だからこそ間髪入れずの追撃。

 自分の持っていた木刀は先程の攻防の際に既に手放してある。今持っているのは奪った信綱の物だ。もう一度拾い直す時間などありはしない。


「フ――」

(無刀取り!?)


 信綱の顔に届く寸前に木刀は止まった。止められた。瞬間、良治の背に怖気が奔る。

 木刀とはいえ無手の相手に、完璧に防がれたのはそれなりに長く多くの戦闘を超えてきた退魔士としての道で初めての経験だった。


「――!」


 未経験の出来事を目にしたとき、ほとんどの者は硬直してしまう。少なくとも起こったことを理解するまでは動こうとする意思が働かなくなってしまう。

 しかし良治は瞬時に止められた木刀から手を離した。このまま土俵際で力比べなど出来ない。追い詰めていたのはこちらだが、無刀取りが出来るほどの見切りと体術を持ち合わせた相手にはやはり分が悪い。


「ッ!」


 良治はもう一度突き刺すような蹴りを放つ。がぬるりとした動きで躱されてしまう。信綱が俵の上を移動しながら木刀を握り直そうとしているのが見えた。

 木刀を置いてきた良治はこのまま押し切るしかない。


(こういう時に役に立つのは――!)


 身を屈めて全速、全力での――足払い。俵の上ではそうそう回避行動は取れない。信綱は良治の予想通りにジャンプをして避けてくれた。


「ぬかったか!」

(これで、終われッ!)


 無理な体勢で振るわれる木刀を良治は避けようともせず、彼は両手の掌を前へ押し出す。

 ここはもう外せない。確実に命中させることだけを意識して、襲い来る木刀すら無視をした。


「ぐ――ぉッ!」

「!」


 左の肩口に衝撃と音が発生する。だがそんなものはどうでもいい。ほぼ同時に信綱の胸部にぶつけた両腕に手応え。そして離れていく――


「勝者――柊良治」

「……はぁ」


 試合終了を告げるアナウンスが耳に入り、大きく息を吐いた。そしてその瞬間大きな歓声が沸き上がる。


(まぁ他組織の者が勝つよりも身内が勝つ方が嬉しいよな)


 若干の苦笑を浮かべながら良治は自分の木刀を右手で拾い上げて転魔石で送り返すと、土俵外の地面に座り込んでいた信綱に手を差し出した。


「お疲れ様でした。いい試合に感謝を」

「あっはっはっは! まさに! 良き試合だった!」

「……七戸さん、ですね。なんかおかしい気もしますが、はじめまして。柊良治と申します」

「うむ。はじめましてだ盟主の想い人よ。ワシは七戸光圀。砂被りでの観戦、どころじゃない臨場感だったな!」


 上泉信綱は七戸光圀の霊媒によって存在していた。それが解かれ、今残ったのは七戸光圀本人。この豪快に笑っているのが本来の彼なのだろう。角刈りの短い髪を軽く掻きながら、彼は良治の手を取って立ち上がった。


「その呼び方はちょっと。それはそれとして、素晴らしい霊媒でした。お二人のズレも感じられず、突く隙もありませんでしたよ」

「ん? まぁ自分よりもウデも立ち、目的に沿ってくれるなら特に口出しはせん方がお互いの為だからな。ついでに言うなら信綱殿はワシよりも強い。なら任せた方が勝率が高い。それに信綱殿が言っておったが、どうやら身長や体格が似ていたようでな。ワシの身体は使いやすかったようだ」

「なるほど」


 互いの方向性、そして降ろされた者と降ろした者の体格が似通っていれば実力を十全に発揮できる、ということだろう。特に今回のような場合であれば尚更に重要な要素だったように思える。


「そこまでの状態だったが、勝ったのはお主だ。さすが霊媒師同盟ウチの救世主様だ」

「その呼び方もやめて頂けると。……正直勝ったのはルールがこちら向きだったからですよ」


 普通の戦闘では場外負けなどない。良治は全力でそれに注力しただけだ。それはつまり、それ以外での勝利がとても薄かったことを示していた。剣技での競い合いでは剣聖と謳われた、それもほぼ完全に近い状態の信綱に勝てる要素などない。


「それでも勝ちは勝ちだ。もっと誇ってくれ。……大した男だったと喧伝しておこう」

「それはまぁ、助かりますが」


 誘拐事件関連のことだろうと予想はついた。あれも良治への嫌悪、憎しみ等に似た感情から裏切り者が出てしまった。それを緩和できるよう協力をしてくれるということだろう。

 この件に関しては盟主である崩が口にすればするほどマイナスになってしまうので、他の者の口からであることが重要だ。


「ではな。――ああ、そうだ」

「なにか」

「『機会があればまた立ち会おう』との言伝ことづけだ。ワシも楽しみにしておこう」

「できれば勘弁してほしい所ですが。まぁ心に留めてはおきます」

「あっはっはっは!」


 そんな良治の言葉に豪快に笑い、七戸光圀は受付の建物へと入っていく。盟主の元へ報告に向かうのだろう。

 良治も少しだけ息を吐いて自分たちの場所へ、と思ったがすぐ近くに皆が居ることに気が付いた。


「なんでまどかたちがここに、というかまぁいいや。ひとまず向こうに戻ろう」

「うん。あとおめでと、良治」

「ん? ああ、ありがとう」

「また今勝ったこと忘れてなかった?」

「一瞬頭から消えてたな」

「ホントにもう」


 勝利の余韻などなく、それ以外の気になることがあれば、自分の勝利など忘れてしまいがちになってしまう。それがどれだけ価値があるものだったとしても。


「全員いるな」

「うん。……怪我もないよ」

「なによりだ。お疲れ様、ありがとう」

「ううん。私に出来ることをしただけだから」


 はにかむまどかにこちらも笑顔が浮かぶ。本当に出来た彼女だと思う。


「……ま、いいけどね」

「なら口にしない方がいいですよ」


 歩き出した良治とまどかの後ろに付いてくる彼女たち二人の声が聞こえる。しかしあまり目立ちたくはないので振り返らないでいたらまどかと目が合い、二人で苦笑いを浮かべた。


「あの! 柊さんっ!」


 後方から弟子たち、結那と天音たちを割った呼びかけが耳に届いて振り返る。するとそこには焦った表情の宮森蒔苗が駆けてくるところだった。


「蒔苗さん? どうかしましたか」


 心当たりは特にない。もしかしたら館湯坂の件で何かあったのかとも考えたが、次の彼女の言葉でそれは否定された。


「どうかしましたか? じゃないですよっ! 柊さん、左腕っ!」

「……ああ」

「折れてますよね? なんで医務室来てくれないんですかぁ」

「折れてることには気づいてるけど、それよりも優先したいことがあるので。それが終わったら行きますから」


 防御障壁の多重展開という離れ業をやって見せたが、勢いをある程度殺すことはできたがその程度の効果しかなかった。腕が斬り落とされなかっただけで十分だったと思っている。


「え、あの、優先順位って」

「ほら」

「第四試合――《紅の天災》椎名紅蓮、対戦相手――東京支部《黒衣の弟子》石塚優綺」


 今日最後の試合のアナウンスが流れる。そして歩いていこうとしていた先から一人の少女が覚悟を決めた表情で近付いてくる。


「見届けるよ」

「はい。お願いします」


 優綺は足を止めず良治の言葉に頷いて去っていく。

 彼女の纏った雰囲気に弟子たちは息を呑み、姉代わりの三人は優しい笑みを浮かべた。


「まぁそんなわけで。この試合を見ることよりも優先することなんてないんだ。悪いけど」


 一番弟子の晴れ舞台。師は誇らしげに笑ってそう答えた。




【七戸光圀】―しちのへみつくに―

霊媒師同盟所属の霊媒師。組織勤めが性に合わず、霊媒師同盟を離れ退魔士としての力を磨く旅に出ていたが、騒動を知り帰郷した。角刈りの頭、筋肉質な肉体といかつい風貌だが、その実周囲に気を配り調和を保つことも出来る人間。

現在は盟主の護衛として行動している。

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