二人目の剣聖
「クソ! こっちも無理か!」
館湯坂健也を名乗っていた男は森の中で悪態を吐く。昨日は北海道連盟の追手から上手く逃げ果せたものの、大会会場一帯を包む結界から出ることは叶わずにいた。
館湯坂は知らないことだが、出入りを必要とする人間が居たら黒影流の者が発見次第小さな隙間を作って通行させている。
だが森の中という人目に付かない場所で発見されていないわけではなかった。
当たり前のことだが昨日の事件以後は要注意人物として認定されてしまっているので、今も彼は監視下にある。つまり彼は意図的に出られないようにされていた。
「こうなったら……!」
最終手段を採るしかない。結界を破壊して外へ出る。幸い破壊手段はある。――その手に持った紫色の水晶球を見詰める。
貯められた力を使えば問題なく破壊できるだろう。昨日貯まっていた一割程度使用しただけであれだけの爆発だ。昨日の倍か三倍程度で結界程度十分に破壊できるはずだ。
問題はそうなると考えていたよりも大分少ない量になってしまう点だ。本当なら溜魔玉の真の力を行使するために満タンにしておきたかった。結界の破壊に使用してしまえば予定の半分にも満たない。これでは任務を完遂したとは言えない。
「……ここが諦めどころか」
並橋平太たちは自分を探しているだろう。もう時間はない。
貯め切れはしなかったが持って帰ることだけはしなければならない。また遠征に出なければならないだろうが、今持ち帰れないよりはマシだ。
「――遅かったか」
「そうですね。ここで終わりですよ館湯坂さん」
結界を破壊することを決めた館湯坂だったが、背後に現れた三人組に溜め息を吐いた。少なくともあと三十秒あればこの場での接触は避けられたはずと。自分の決心の遅さが恨めしかった。
「さーて、長かったけどソレ返してもらいましょうか」
「……ここまでだ」
並橋平太、桜野聖来、邁洞猛士。
《無限のスポンジ》、《見えざる情報収集者》、《拳神》。
魔獣の多い北海道で幾多の戦果を挙げ、そして死者無しで生き抜いた部隊の元一員たち。今目の前に存在する三人はまだ二十歳前後だが、館湯坂よりも修羅場を潜ってきたのが顔つき、目つきでわかる。彼自身も物心ついた頃からこの世界で過ごし、多くの戦場を経験してきたというのに。
(――化け物。だから危険視された)
彼らと彼らの上司である上尾前の部隊。落ちこぼれだけが集められた部隊。しかし最高の戦果を残した部隊。
今はもう解体されているが、それでも尚畏怖されている。
「柚木さんたちは彼が逃げられないように囲んでいてください」
「わかったわ。散開して」
並橋平太がそう言うと白神会所属の女性たちが視線を外さないまま広がっていく。
(もう、逃げられないな。白神会の女たちも、特にあの女は手練れだ……)
弓矢を手にしているポニーテールの女性、館湯坂は知らないがまどかを見て生きるか死ぬかの博打を打つしかないと決意した。
(もはや無事には逃げられない。全力を尽くして逃げられるかだな……)
ここは死地。
だがそこに陥って、館湯坂健也は不敵に笑った。
「それでは――はじめ」
アナウンスが開始の合図をした瞬間、天音は対戦相手である白兼隼人目掛けて一直線に駆け、跳んだ。
「ふむ」
「ッ!」
一撃を与えてそのままの勢いで間合いから離脱。そんな予定だったのだが、天音の棒は隼人の木刀に絡め捕られて勢いが殺され、空中に放られるように隼人の背後三Mほどの所に着地することになった。
「思い切りはいいね。速度も文句なし。ただ――」
(来る!)
「あまりにも軽い」
「ッ!?」
一瞬にして踏み込んできた上段の一刀を棒でいなして、素早く土俵中央に移動する。
避けるなんて思い浮かぶ間もないほどの速さ。上手く捌けたのもただの偶然だ。
(相手の間合いで戦うのは危険すぎる。でも間合いが広すぎる!)
間合いとは武器を含めた攻撃可能な範囲を示す。本来棒を扱う天音の方が間合いが広いはずだが、瞬発力と予備動作の少なさを含めると分が悪いのは天音の方だった。
(そうなると結局可能な限り間合いに入っている時間を短くする一撃離脱、それしかない……?)
「考えているね。うんうん、いいことだ」
隼人は余裕の微笑だ。次にこちらがどう出てくるのか楽しみにしているようにも見える。
強すぎる。理解していたことだったが今それを天音は痛感していた。
(こうして戦うことは初めてですが、一合で格の違いを分からされるなんて。……良治さんが敵わないと言うだけはありますね)
全ての面において天音は隼人に敵わない。勝ち筋が見えない。
これが殺し合いなら逃げの一手だ。逃げきれるかどうかは別として。
(だけどこのまま終わるなんてこと、あり得ない。出来ることはあるのだから)
「方針は決まったかな」
「はい。それでは」
言葉と共に再度駆け、跳ねる。先程と同じ焼き直し。少しだけつまらなさそうな表情を隼人は浮かべた。
「ふっ!」
しかし今度は左手で水球を数発打ち出す。若干速度は落ちるが仕方ない。同じことを繰り返していたら今度は受けずにカウンターが飛んできていただろう。
しかし隼人は難なく弾く。そして最後の水球と同時に棒を突き出す。水球は隼人の右肩、棒は左脇に向かう。
「ぅッ!?」
「まぁ、これくらいはね」
別ヵ所の攻撃を隼人は木刀一振りで弾いて見せた。動揺も緊張もなく、出来て当然という態度で。
しかし硬直している時間はない。一瞬だってない。
天音はすぐに地を蹴って距離を取る。正確な間合いがわからないので大分余裕を持って離れたが、そのせいでもう少しで場外になりそうなほどだ。
(まだ!)
棒を持って天音は奔る。水球を放ち、棒を振り、突き。
それでも隼人を碌に立ち位置を動かすことすら出来ない。動くのはこちらに攻撃する時くらいだ。
遠近織り交ぜ、速度にフェイントを、常に違う角度からの攻撃を絶え間なく繰り出す天音。だがそれでも隼人に一撃すら与えられないまま時間が過ぎていく。
「時に良治君は最近どうかな? 弟子も増えてきたけれど」
「何も問題ありませんよ。負担が大きいとは思っていますが」
「あはは、それは大変だねぇ」
「貴方のせいも多少はあるでしょうに」
隼人がもう少しでも積極的に組織運営をしていれば、妹の綾華や良治に向かう負担は減る。そういう意味では天音は隼人のことを好ましく思っていない。むしろ嫌い寄りだ。
「そうかもね。まぁこれは性分だし仕方ないね」
「そういう――!」
ところが好きではない、そんな風に続けようとした天音だったが今は戦闘中だ。普段と変わらぬ口調で喋りながら隼人と戦っていること自体が相当な難度なのだが、それを行えている時点で天音のレベルの高さが示されていた。
「――さて、これくらいにしておこうかな」
「ッ!」
背後からの攻撃に首だけ振り返り最小限の動きで天音の突きを躱す。そのまま通り過ぎ、着地地点で棒を地面に当て減速、体勢を立て直そうとした、その瞬間。
「ここが一番の隙だね」
「ッ!?」
目の前に、顔があった。
ぞわりと肌が泡立つ。それと同時に天音は打ち払われ、次の瞬間には土俵の外に出されていた。
「勝者――白兼隼人」
「体勢を戻すために棒を使うのはいいけど、その最中が一番狙われたら困るタイミングだよね」
「……そうですね」
ただその隙を突けるような者はそうそういない。良治でさえ無理だろう。そこをケアするならもっと他のことに力を入れた方が余程建設的に思える。
「まぁ君たちの世代の充実振りを再確認できてよかったよ。しばらくは安泰だね」
「……それはどうも」
天音からしてみれば隼人たちの世代も相当なものだ。
白兼隼人、立花雪彦、椎名紅蓮。人数こそ少ないが誰もが一騎当千の強者。
天音は三人の誰にも勝てないだろう。というか勝てる人間なんてほぼいないはずだ。四護将に災害とも称される日本最強の退魔士。誰が真っ当な勝負で勝てるのか。
(私たちの世代で勝てるとすれば和弥さん。そして良治さんくらいでしょうね)
その二人でも正直なところ分は悪いだろう。上の世代の三人はそれほどまでの実力者だ。最強の退魔士たちの中でも頂点に位置しているのは間違いない。
「さて、次はどうしようかなぁ」
そんなことを呟いて去っていく隼人。
現時点で残っているのは和弥と隼人。普段から訓練をしているらしい相手とは試合してもあまり楽しいとは感じないかもしれない。そうなるとこの後の試合の勝者との組み合わせを望んでいるのかもしれない。
(……まぁもう私が気にすることではありませんが)
敗退してしまった以上もう天音に出来ることはない。出来ることは既に終えた。あとは少しでも先程の試合が勝ち進むであろう良治の糧になることを祈るだけだった。
「おかえり天音。怪我はないか?」
「はい、特には。……やはり私では敵いませんでしたね」
良治たちの所に戻ってきた天音を出迎える。しかし言葉とは裏腹に悔し気な素振りはない。最初からわかっていた結果だったのだろう。
「まぁ仕方ないさ。相手が悪い」
「そうですね。あちらは?」
「特には。どうする?」
「ではそちらに」
「頼む。結那もいいか?」
「おっけー。いってくるわ」
「では一緒に」
「さんきゅ」
短い会話ののち、天音は結那を伴って医務室の方向に歩いていく。医務室の前を通っていくのだろう。二人とも試合後で、そうすればこの場を離れても違和感を覚える者はいない。
「優綺、大丈夫か」
「はい、大丈夫です。……さすがにちょっと怖いですけど」
残されたのは良治と優綺だけだ。
そしてそれは二人に試合が残されているということ。
ここで戦うことになるのかどうか、だ。
優綺は微かなノイズを耳に捕え、一瞬にして緊張状態になる。
「第三試合――東京支部《黒衣の騎士》柊良治、対戦相手――霊媒師同盟七戸光圀」
「分かれたな。まぁ、うん。頑張れ」
「う、はい……というか、先生も頑張ってくださいっ」
「ああ、いってくるよ」
優綺の応援に笑いながら歩き出す。
対戦相手が発表されたのは良治だが、それと同時にこの後の第四試合の組み合わせも決まってしまったのだ。
(優綺は椎名紅蓮とのリベンジマッチか。分が悪いどころの話じゃない)
結那が和弥と、天音が隼人と。恐らく準々決勝で一番実力差のある組み合わせになってしまった。同情とは違うが、可哀そうだなと少しだけ感じてしまう。
(まぁそれはそれ、上手く糧にしてくれればそれでいい。――ということで、俺は俺の戦いをまずクリアせんとな)
楽な対戦相手などいない。むしろ今回対戦するのは情報が一切ない初見の相手だ。
(情報は霊媒師ってことだけか。さて、誰が降霊してるかだな。厄介な相手なのは確実だけど)
あの時はそんな余裕はなかったが、並橋平太に少しでも情報を聞き出しておけばよかった。そんなことを思うが今更だろう。
(しかしよく霊媒師と戦うことになるな)
宇都宮支部での前田慶次たち、新潟県の山中での伊東一刀斎。
二人とも実力者であったことは間違いない。特に前田慶次には、ブランクがあったとはいえ敗北したまま終わっている。
「それでは――はじめ」
良治が土俵に到着し、待っていた七戸光圀と対峙するとすぐに開始の合図が流れる。良治は木刀を構えながら問いかけた。
「――貴方の名は?」
「上野国出身、上泉武蔵守信綱」
「……なるほど」
頭がくらっと来そうな名乗りに良治はまたか、と心の中で毒づいた。
(――また戦国時代の剣豪。というかまた剣聖だし。笑えてくるな)
「柊良治、参る」
「来るがよい」
良治の笑みに合わせたかのように、上泉信綱もまた笑みを浮かべ――木刀が奔った。
【上泉武蔵守信綱】―かみいずみむさしのかみのぶつな―
戦国時代の人物。はじめ伊勢守秀綱。のちに武蔵守信綱。剣聖。新陰流を創設し、幾多の弟子を取った。高弟柳生宗厳はそこから柳生新陰流を生むことになる。




