暴炎の軍神vs拳闘姫
「良治に聞いた話だとこっちのはずなんだけど……」
まどかは良治の弟子たちを引き連れて森の中を歩いていた。
秋めいてきたとはいえ晴れの日の昼間はまだまだ暑い。森の中で日差しは避けられていたが湿度はかなりのものだ。歴戦の退魔士であるまどかでもそれなりにきつい。まだ若く身体の出来上がっていない弟子たちは更に厳しいかもしれない。
「はぁ、はぁ……!」
すぐ後ろで息を切らせているのは金髪ツインテールの郁未。ちょっと臆病で素直な性格。まだまだ力不足だけど向上心はある。
(あんまり良治好みの子じゃないけど、向上心かな。そこを買ってる気はするな)
弟子になった経緯がなし崩し的で、溶け込むのに時間はかかったと聞いていた。でも馴染む切っ掛けになったのは、郁未が東京支部に合宿をしに来た時にまどかが話しかけたことかららしい。
まどかは別に何か特別なことをしたとは思っていなかった。だがその後に良治から感謝を告げられて初めて知った。
(結那は良治に近付く子は嫌いだし、天音は基本不干渉だし。支部じゃちょっと浮いてたのかも)
それがまどかが話しかけたことによって好転した。結那は特別邪険に扱うことはなくなり、天音は自分から話しかけることもするようになった。
良治は女性の扱いが上手いわけではない。ただ自分の責任の範囲は面倒を見るだけだ。中々馴染めていないことに気付いてはいたかもしれないが、その解決を積極的にしてはいなかっただろう。
「大丈夫ですか? 少しだけ呼吸を深く意識してみてください。走るリズムも一定に」
「う、うん……」
背後の会話が聞こえてくる。弟子になったばかりの景子はまだ余裕がありそうだ。剣道部に所属していたとのことなので体力は問題ないだろう。
(まだ戦闘を見た訳じゃないからわからないけど体力は十分。それに身体の動かし方を理解しているようにも見えるかな)
長めの髪を首元で結んだシンプルな髪形。身長もまどかよりも、結那よりも高く良治と変わらないくらいだ。顔立ちも可愛いよりは綺麗でさぞかし学校ではモテただろう。それも男女問わずに。
剣道と退魔士の仕事、ある程度は共通するものがある。今のところ性格に難があるようには見えないのでまだ予想だが、ちゃんと訓練を経れば遠くないうちに戦力になるかもしれない。
「――柚木様」
「あ、江波さん、だっけ」
「はい」
先頭を走るまどかの数M先にスッと降り立った黒ずくめの少女。もっとも顔だけは出してある。面通ししていなければ黒影流とわかっても個人を見分けるのは無理だっただろう。
彼女は現在良治と一緒に住んでいるという黒影流の構成員。まどかにとっては余り歓迎することではないがそれを表には出さない。誰にも得にならないからだ。
「見つかったの?」
「はい。ここから東、あちらの方向およそ二百M先に」
「うん、ありがとう。並橋さんたちには?」
「この後伝えに。それで大丈夫でしょうか」
「うん。気にせず急いでいいよ」
「はい。では」
短く言うと逆再生のようにまたスッと姿を消す。綾華と良治の義妹である彩菜が良治の傍に置いたのが理解できる。まだ若いのに大した力量を持っているのが感じられた。
(それにちゃんと意思疎通が出来てる上に配慮も出来てる。黒影流はしばらく安泰かな)
江波朱音は今回良治の指示で動いている。もちろん全ての情報を晒しているわけではない。ただ朱音に役割を伝えただけだ。
だが得たその少ない情報の中でこちらと並橋側とで差をつけるかを確認をした。
(実力は一人前以上、頭の回転も速い。いつか天音みたいになるかも)
天音との共通点は多い。それだけに良治が彼女のことを気に入ってしまう可能性を感じて、まどかとしてはもやもやが溜まる。
「じゃあ向こうに行きましょう。でもまずは息を整えて」
「はぁ、いっ」
「わかりました」
二人に声をかけて突入の準備に入る。まず戦闘になるのだから。
(でも良治、ちっちゃい子に興味はないみたいだから大丈夫よね?)
朱音の身長に少しだけ安心を得て、まどかは自分の準備を再確認し始めた。
「フッ!」
「ッ!」
高速の右ストレートが和弥を襲い、それを辛うじて木刀の根元で逸らす。本来ならその直後は反撃のチャンスなのだが、結那の拳の戻りは速い。こちらが打ち込んでも打ち払われて更にカウンターが飛んでくるだろう。
(これなんだよな、格闘家と戦う時に面倒なのは。左右の拳両方使ってくるから隙が少ない!)
相手は素手、こちらは木刀。本来なら圧倒的にこちらが攻撃力、そして間合いが優位なのだが結那相手ではそうはいかない。攻撃力に差を感じられないし、間合いの違いはあるが結那の瞬発力では優位を感じられない。手数が劣っている分劣勢かもと思ってしまうほどだ。
「守ってばかりじゃ勝てないわよッ」
「それはそうなんだけどなッ」
前に出て嵐のように左右の拳が舞う。和弥は回避と木刀の防御を混ぜながらじりじりと後退していく。土俵の俵の位置は把握しているのでそちらとは逆方向に――
「フッ!」
「っとおお!」
右足を中の方に動かした瞬間に結那の左フックが抉りこむように飛んできたので回転するように避ける。クルクルと足一本で回る姿はとてもコミカルに見えただろう。遠くから隼人の笑い声が聞こえてきた。
「残念、狙ってたのに」
「あっぶな。予想してなかったわ」
間合いを詰め過ぎられないようにすること、そして当然下がるなら土俵際を避ける為に中に寄ること。それを予想したうえで本命の一撃を取っておいた。あの左フックは直撃していれば漫画のように宙を舞っていただろう。それだけの一撃だった。
「予想してなかったのに避けられたのは嫌なんだけど」
「そこはまぁ反射神経が良かったってことで」
「そのことがイヤって言ってるのよッ」
「おっと」
打たれた拳を大きく下がって避ける。これで土俵中央、勝負は振出しに戻った。
接近戦は五分。勝つか負けるかはわからない。むしろやや劣勢かもしれない。
(でもまぁ俺も向こうも接近戦しか出来ないんだけどな!)
「来なさい!」
「おう!」
一度深呼吸をして再度激突する炎。どちらも得意属性が火属性、近接型の為にそれぞれ木刀と拳に込めた力が溢れて無意識に炎が弾けている。
「すごい……」
それは激突の苛烈さを引き立たせ、見ている者たちに興奮を与える。
優綺は真剣に、だがしかし今まで見たことのない攻防に目を奪われていた。
――一生忘れることのできない、そんな予感がするほどの光景だった。
「ッ――!」
「ふぅ……」
木刀と拳がぶつかり合う音がひと際大きく響き、二人は距離を取った。
結那の集中力もスタミナも未だ十分。和弥も問題はないがこのレベルの戦闘だとさすがにそろそろ終わらせたい気持ちが芽生えてくる。
(焦るな焦るな俺。持久力なら俺の方に分があるはず。現状は俺の有利なはずだ)
先手を取って突っ込んでくる結那の拳を正確に捌く。右と左、ストレートとフックを織り交ぜながらの攻撃は速くてキレがある。これを搔い潜るのは至難の業だが長年の付き合いのある和弥はそれを成せる。
「……くッ!」
和弥が段々と持久力の心配をし始めた頃、当然と言えば当然だが結那の持久力の低下が見え始めた。同じ近接型だが男女差はある。先に底が見え始めたのは結那だった。
「っと!」
「……ふー」
大振りの右フックを避けて小休憩する。今の結那の一発は当てるというよりも牽制、ひと息入れたい為の一発。どうやら終わりは近そうだ。
「――行くわよ」
「おう!」
鋭い右ストレート、しかしもう目は慣れている。最初よりもほんの僅かだが鈍っている。速度もキレも。
更に左右のコンビネーションも単調になりつつある。ここまで来れば捌くことは苦にならない。
「く、ふぅっ!」
最後の力を振り絞るように繰り出される拳。
右、左、左、右。結那の得意のコンビネーションの一つ。
(最後はもう一回右。ここでカウンター―ーッ!?)
来るはずの最後の右拳が来ない。結那は大きく、しかし素早く身体を捻り――
「はぁぁぁぁッ!」
(回し蹴りッ!?)
右ストレートに備えていた構えから即座に回避行動に変更する。
無理やりな身体の動かし方にあちこちが軋むがそれどころではない。
上段回し蹴りは結那必殺の奥の手だ。木刀で受ければ木刀が、腕で受ければ腕が折れる。例え折れなかったとしても土俵外に飛ばされる可能性は高い。となると避ける一択になる。
「んんんんッ!」
結那の右足から逃れるように和弥もまた身体を回転させる。和弥の左上腕部に擦れる音がしたのが聞こえた。そして――
「はぁッ!」
和弥は身体を回転させた勢いを借り、そのまま背を向けた結那に右手一本で木刀を叩きつけた。
「が……ッ!?」
不安定な体勢だった為か片手の一撃でも土俵を転がっていく結那。しかし途中で体勢を立て直して両手両足で地面に着いて勢いを殺す。土に指の跡が付きその強さが伺えた。
(やられた! でもまだ終わって――)
踏ん張った体勢の結那の右足は既に土俵の俵に掛かっている。和弥の一撃が両手で放たれていたら間違いなく場外だった。だがまだ勝負は決していない――そう思って前を向いた結那の瞳に、上段から木刀を振り下ろそうとする和弥の姿が映った。
「フ――ッ!」
「こんのおおおおッ!」
避けられない。カウンターも打てない。
出来るのは両手をクロスさせて木刀を受けることだけ。
大上段から振り下ろされた一刀は、まるで小さな隕石が振ってきたかのような衝撃だった。
「あ――」
拮抗したのは一秒ほど。何かが折れるような音がして、結那の足は土俵外へと押し出された。
「勝者――白兼和弥」
そのアナウンスが流れた瞬間、観客たちの歓声が会場を包んだ。
その歓声と拍手は素晴らしい試合だったことへの称賛だった。だが――
「――ッ!」
結那が苛立ったように地面に拳を叩きつけると全ての音が掻き消えた。まるで直下型の地震のような衝撃に全員が黙らされた。
「……はぁ。お疲れさん」
「…………」
折れた木刀を持った和弥が結那に手を差し出す。結那は少しだけ躊躇った後、その手を取った。
「……お疲れ様」
「ああ。少しはスッキリしたか?」
「……少しはね」
歩きながら反省する。勝者が称えられるシーンに水を差してしまった。心証は良くないだろう。
「しっかし木刀が折れるとは思わなかったわ。場外負けなんてなかったら負けてたのはこっちだよ」
「どうかしらね。私はスタミナ切れそうだったし、どう転んだかはわからないわよ」
「そっか」
同じ組織である以上殺し合いになりかねない、本気での戦闘は望めない。ただそれに近い場であるこの機会で勝てなかったことは、とても、とても悔しかった。
暴発しそうな気持ちは先程地面に押し付けてきたので収まりはしたが、それでもまだ終わったとは思いたくなかった。
「次こそ負けないわよ」
「俺だって負けられないさ」
「そうね。白神会を背負ってるものね」
「そうだけど。でも組織とか関係なく、もっと単純に負けたくないなって思ってるよ」
「そ」
軽く笑いあって受付建物の前で別れる。
結那は負けた。勝ち筋が見えない完敗だ。少なくとも自分ではそう感じた。
自分の肉体のピークは今。そう信じて鍛錬を積んできたが、成長出来ていない気がしてならない。
(――でも、頑張るだけ頑張らなきゃ。出来ることはやっておきたい。自分の為に)
もしかしたらこれ以上は退魔士としては伸びないかもしれない。結那のように自分の身体そのものを武器にして戦うタイプなら、尚更肉体がピークを過ぎれば衰えるだけだ。
それでも結那は訓練をし続ける。自分に出来ることなんてこれしかないのだから。
訓練して戦って、訓練して戦って。
生きる為に、勝つ為に。
勝つ為に、生きる為に。
(――うん。それで良治の力になって、愛されて。私はそうして生きていきたい)
頂上を見続けて、挑み続けて。
そんな生き方をしながら良治の力になる。
それだけが結那の幸せ。
「お疲れ様、結那」
観戦席に戻ると、少しだけ気遣わし気な表情を見せる良治が居た。彼にとっては恋人と親友の試合。どちらかは負けるので喜ぶような出来なかったのだろう。
負けはした。でももうそれは過去。自分は前だけ見て生きる方が性に合っているらしい。
なので――
「たっだいまー!」
「うぉっ!?」
大きな声で抱き着いた。
大好きな人に。
珍しいリアクションに顔が綻ぶ。
「えへへー」
「まったく……いや、おかえり」
「うん!」
結那は満面の笑みで更に力を籠める。痛いだろうに、良治は苦笑するだけだった。
「第二試合――京都本部《剣聖》白兼隼人、対戦相手――東京支部《黒鎌》潮見天音」
次の試合のアナウンスに良治は渋い表情を浮かべることしか出来なかった。
【得意のコンビネーション】―とくいのこんびねーしょん―
結那が幾つか持っているコンビネーションの一つ。今回のはその中でも一番慣れているもの。高校生の頃河原で訓練していた頃から身体に染み付いたもので、結那が一番信頼を置いているものでもある。




