決勝トーナメント一回戦終了
「……ふぅ」
闇梟という強敵を破ったあと、木刀を転魔石で返して結界となっている柵を出て僅かに気を抜く。
彼女は間違いなく一流の退魔士だった。黒影流所属という先入観から近接戦闘のレベルはそこまででない、そう考えていたがそんなことはなかった。
(あの力量の者たちで黒影流が構成されているとしたら、それは白神会最大の勢力なんじゃないか……?)
黒影流の人数は良治にも不明な白神会の深部だ。多くはないと思われるが、やはりその力量は高い。敵対したいとは思いたくないが、残念ながら黒影流トップの浦崎雄也とは黒猫の件で微妙な関係となっている。
(黒猫は今のところ借りてきた猫状態だし、まぁ不用意に浦崎雄也や彩菜を刺激することは――)
「あ、あの、お疲れ様でした」
「え、あ」
皆のところに戻ろうと足を動かした瞬間、やや緊張した声が掛けられる。顔を向けるとそこには。
「――佑奈さん。ありがとうございます。久し振りですね」
蒼月流現継承者、蓮岡佑奈。
長い黒髪。前髪でやや隠れている目。しかしそこに親愛の想いが確かに存在している。そこに触れないようにして良治はいつものように挨拶をした。
「そう、ですね。あの、御身体の方は……」
「もう大丈夫ですよ。ご心配をおかけしました」
佑奈とは誘拐事件以来会っていない。良治自身の半魔族化の反動でしばらく不調でもあったし、何よりも事後処理が非常に面倒だった為だ。元霊媒師同盟の者たちや黒猫、宮森家への対応などで無事だった佑奈に意識を向ける余裕はなかった。
「いえ……こちらこそ本当に……!」
「佑奈さんも大きな怪我などなくて何よりでした。すいません、そろそろ戻らないと」
「あ……そ、そうですね。ごめんなさい」
「いえ、またそのうちに」
「はい……」
申し訳なさそうな表情をする佑奈に少し罪悪感を覚えるが、それでも良治はこの場を去るべきだと思い再び歩を進める。
彼女の気持ちはわかっているし、それを蔑ろにするつもりはないが良治は応えるつもりはない。その気もないのに親しくするのはどうかと思うし、衆人環視の場でしてしまえば外堀から埋められることになりかねない。
正直デメリットの方が大きいと判断せざるを得なかった。
(嫌いじゃないけど状況と立場がね。まぁ縁がなかったってことかな)
視線を感じながらも気にせずに元の場所まで歩いていく。その最中に先程の試合で棒使いの青年が危なげなく勝ったという話声が聞こえてきて良治は小さく笑った。
「第十六試合――東京支部《東京の新たなエース》浅川正吾、対戦相手――並橋平太」
並橋平太。フリーの退魔士。少なくとも白神会所属ではない。
特に目立つ外見や特徴を持たない青年。武器もスタンダードな木刀。特段警戒をするような相手ではない。道ですれ違ったとしても印象に残らないだろう。
(だが彼はここにいる。予選を勝ち上がって。それに――)
結那も一目置くあの邁洞猛士、そして昨夜良治に接触してきた桜野聖来と行動している。只者ではないと判断できる。実際に見てみても未だに自分の判断と印象が乖離していて違和感は残っているが。
(数年前に見かけた時とはまるで雰囲気、完成度が違うな。自分の力量を過信はしてないけど過小評価もしていない、強者の自信が感じられる。完全に別人だ)
良治は二十歳以前、白神会脱退の数ヶ月前に和弥と共に北海道に渡ったことがあった。その時魔獣の群れと遭遇し撃退したのだが、その直後に並橋平太とその仲間たちと接触してしまっていた。
当時は荒事にしたくなく、お互いに名乗らずに去ることにしたがその瞳はよく覚えていた。
「良治、お疲れ様」
「お疲れ様。さすがね」
「お疲れ様でした」
「ん、ありがと」
「先生お疲れ様でした。何かありました?」
彼女ら三人が勝利した良治を労ってくれる。ただ優綺は何処か気もそぞろに見えた良治に疑問を持ったようだ。
「ああいや、試合が気になってね」
「どちらのですか? 先生と対戦したあの人ですか?」
今決勝トーナメント一回戦の最後の二試合が行われている。
一つは霊媒師同盟の七戸光圀と信乃。
もう一つが今さっき始まった正吾と並橋平太の試合だ。
「正吾の方だよ。応援しないとね」
「はいっ」
実際応援はしているがそれよりも試合の経過、内容が気になる。正吾の戦い方は熟知しているので驚きはないだろう。問題は並橋平太の戦い方だ。
「せやッ!」
平太が仕掛けてこないと見るや先手を取ったのは正吾。コンパクトな振りで相手の正面に斬りかかる。
「悪くない太刀筋ですね」
「ッ!」
一切の焦りなく無難に木刀を合わせる平太。瞬間正吾の表情が強張った。
「まずいな」
「先生?」
正吾は典型的な剣士タイプ。つまり日頃から積み重ねた剣技こそが最大の武器だ。だから別に必殺技と言えるような奥の手は持っていない。少なくとも良治は知らない。
「く……ッ!」
正吾の状態が悪いわけではない。むしろコンディションを整えてきたのか普段よりも動きがキレているようにも見える。
だがそれでも平太を捉えることが出来ない。初撃を受けた時とは違い、のらりくらりと回避に重きを置いて正吾を翻弄する。
「動きを切り替えたか。戦術の引き出しは多そうだな」
「それは――あっ」
「ぐあッ!?」
正吾の攻撃をひらりと躱した平太の左手から何かが放たれ、それが正吾の額にクリーンヒットして思わず苦悶の声が響く。そして――
「ぐ……くそ……!」
「勝者――並橋平太」
バランスを崩した正吾を木刀ではなく、何か格闘技の型のように両手で押し出して勝負は決した。
「お疲れ様でした」
「ここまで何も出来ないとはね……世界は広いな」
「僕もそう思うよ。だからこそ楽しいし、生きていく価値もある」
「……なるほど。次は、勝つ」
「楽しみにしてるよ」
最後に笑顔で握手をして別れていく。
良治はその会話は聞こえなかったが、その様子を見て怪我なく、そして心に傷を持たずに終われて安心した。
正直なところ、良治は一合目で実力差を感じてしまい正吾が圧倒的な内容で完敗してしまうと思ってしまった。そうならなかったのは正吾の心の強さと、相手の勝ち方だろう。少しだけ平太に感謝をする。言葉には出来ないが。
「正吾さん残念でしたね」
「ああ。でも前は向けてるから悪い結果じゃないよ。――あ」
「向こうも終わりましたね」
「勝者――七戸光圀。……本日の試合はこれで終了となります。決勝トーナメント二回戦は明日午前開始となりますので参加者の皆さまは遅れずに会場までお越しください」
仰向けに倒れた信乃の横に立つのは霊媒師同盟の七戸光圀だった。
信乃は気を失っているらしく、土俵に担架が運び込まれていく。
「――」
七戸光圀は信乃を一瞥することもなく去る。ただ、微かに、しかし一度だけ視線が動いたのを良治は見逃さなかった。
(お館様、か? 狙っている?)
バルコニーに立つ和装の男、白兼隼人。彼はその視線を受け止めたのか口角が僅かに動いた。
霊媒師同盟の霊媒師が白神会総帥を意識している。若干のきな臭さを感じるが、そうだとしてもそれは彼個人の考えだろう。盟主の志摩崩がそんな危険なことを計画しているとは思えない。
「どうしたんですか?」
「いやなんでもないよ。今日の試合は全部終わったし、とりあえずロッジに戻るか」
今日の試合は全部終わった。なら勝ち残っている身としては早めに休んで少しでも疲労を取っておくべきだろう。
「良治さん、何か連絡みたいにゃ」
「ん? ああ」
黒猫に声をかけられて振り向くと、黒影流の仕事に行っていた朱音がスッと視界に入ってくるところだった。
黒影流の黒装束ではなく普段着で、特に周囲から注目されてはいない。あまり黒影流と繋がりを持っているのを表には出したくないので有難いが、義妹が黒影流のナンバー2なので今更ともいえる。
「主様、御連絡が」
「朱音お疲れ様。あんまり良い報告じゃなさそうだね」
「それは、私にはなんとも。……総帥が弟子たちを連れて最上階まで来るように、と」
「……それは悪い報告だな。まぁ仕方ない。少ししたら向かうと伝えてほしい」
「はい。それでは」
ショートカットを僅かに揺らして、目立たぬように小走りで去っていく。面倒なことになったが、それでも行かないとならない。むしろ今回でしばらく面会するような用件を全て終わらせておこうと気持ちを切り替えた。
「じゃあすまないけどまどかたちは先に戻ってて。時間はかからないとは思うけど、何が起こるかわからないから先に昼食はとっておいていいから」
「うん、ありがとう。戻ってきたらすぐに食べられるように準備しとくね」
「助かる。結那と天音はちゃんと休んでおくといい」
「ええ、シャワー浴びてゆっくりするわ」
「はい。ありがとうございます」
まどかたちがテキパキとレジャーシートを畳んで撤収を完了する。
本当に気は進まないが選択肢がない。嫌なことは早めに終わらせたいと気持ちを切り替えて良治は弟子たちを連れて受付のある建物に歩き出した。
「あの、師匠」
「ん、どうしたの浅霧さん」
「その、私はどうしたらいいんですか……?」
まどかたちと別れて建物内のエレベーターに乗ってからおずおずと景子が聞いてくる。確かに不安はあるだろう。総帥に呼ばれていると聞いたら。
「別にある程度礼儀正しくしてれば大丈夫だよ。もし何か聞かれたら素直に答えて大丈夫。嘘や建前の方が立場が悪くなる」
「……わかりました」
「まぁ郁未の時も平気だったから、そこまで構えないでいい。な、郁未」
「怖かった覚えしか……あ! うん、全然大丈夫だから安心して!」
「えぇ……?」
「――さてお喋りはここまでだ。行こう」
チン、と最上階へ到着した音が鳴って扉が開かれる。
聞かれるであろうことに対して回答の準備はしてあるが、白兼隼人という人物は良治の予想を毎回上回ってくるので気が抜けない。
(どこまでアドリブが利くかね。まぁ、出たとこ勝負だ)
景子にだけでなく、良治にとっても緊張の場だ。不用意なことを言って負担を増やしたくはない。
そして良治は弟子たちを引き連れてエレベーターを出た。
【出たとこ勝負】―でたとこしょうぶ―
準備万端で行える戦闘など数少ない。それを理解しているからこそ一歩前に踏み出すことで勝機を見出す術を良治は持っている。
冷静に対応すること、力ずくで斬りこむこと、その両方が大事でそれを行える力量が彼にはある。




