まだ届かない
「よろしくね、鷺澤さん」
「う……はい」
土俵上で対峙した結那と薫は対照的な表情で開始の合図を待っていた。
結那のモチベーションは非常に高い。一足先に始まった隣の土俵では自分を先輩と慕う子が格上相手に善戦している。
ならば自分はそれ以上の成果をあの子――河野咲子に見せなければならない。
逆に顔面蒼白に近い薫にとって結那は強敵も強敵だった。
予選では同じ上野支部の天音と対戦し敗北、敗者復活戦で勝ち上がってきたらまたも上野支部の結那と対戦することになってしまった。
結那は白神会きっての格闘家で優勝候補の一人でもある。勝ち目など天音以上にないのだ。
(ああ……良治さんともっと仲良くなりたいとか思っちゃった罰なのかなぁ……)
「それでは――はじめ」
「ッ!」
開始の合図と同時、矢のように結那が飛び込んでくる。ある程度余裕を持って避けたはずだが、放たれた右ストレートからは空気をぶち抜くような音がする。直撃すればただでは済まないだろう。
(私程度じゃ一発で終わり……! でも距離を取ろうにも機動力も瞬発力も向こうが上――!)
近接型の結那と魔術型の薫。このような距離を詰めての大会形式では不利が約束されているようなものだ。
(でも――そんなこと、最初っからわかってる!)
武芸大会が開かれる。その話を聞いた時に『ああ、魔術型は難しいかな』と反射的に感じてしまった。ある程度魔術型に配慮はしているものの、近接型有利は揺るがない。
(でも、頑張るって決めたもの!)
だが、薫はそんなことを百も承知で参加を決めたのだ。
良治から貰った勇気を、前向きに生きていくことを誓ったことを証明する為に参加を決めたのだ。
(だから――闘う! 昔の自分と!)
野球ボール程度の水球を移動しながら右手から放つ。天音の時と違うのはやや小さめにして連射速度を上げたこと。そうしなければこのレベルの相手に当てることは難しい。
「チッ!」
思うように距離を詰められない結那から微かに舌打ちが聞こえる。ひとまず足止めは成功しているようだ。
(通じてる!)
天音には瞬発力で躱され一瞬でやられてしまったが、結那は様子を伺いながらも懐に入れずにいる。
大振りの一撃はまず当たらない。それを理解して連射をメインに大会に挑んだが、それでも足りないのは天音戦で証明されてしまった。なら更に威力を落として速度に回す。それが薫の策だった。
「よしッ!」
二発連続で結那の足に命中する。スタミナも永遠ではない。少しずつ動きが鈍ってくるのは当然だ。足が止まれば更に避けることが難しく――
「ひっ」
ぞわりと、何かが全身を駆け抜けた。
一瞬止まりはしたがそれでもずっと水球を打ち続けている。だが――相手はそれをすべて無視をした。
「――」
「あ、あああああっ!」
止まらない、止められない。
この獣は止まらない。
水球は命中している。身体に、足に、顔に。しかしそれらをむしろ怒りに変換するように、結那は明確な怒気と殺気を纏って一直線に襲い掛かってくる。
「あ――」
生半可な攻撃は獣を目覚めさすだけ。そんな簡単なことに、ようやく薫は気が付いた。
結那と目が合う。振りかぶった右腕が既に間合いに入ったことを示している。あの一撃を受ければ自分はどうなるのか。
(しぬ)
ただその言葉だけが浮かんだ。
防御手段はない。避けることもできない。
なら自分は無残にも死ぬだけだ。当たり前のことだった。
「ッ!?」
「――ぇ」
まるで死神の鎌のような見えた、振りかぶった右腕が止まる。
結那の目が泳ぎ、一つ息を吐くとつまらなさそうに腕を下ろした。
「え、えっ」
「…はぁ」
「あっ」
結那は両手で薫の両脇を持ち上げると、そのまま数歩移動して土俵の外へ下ろした。
「勝者――勅使河原結那」
「……負けたんだよ、ね」
気が抜けてへたりと座り込んでしまう。
終わったという感覚がない。それは試合に負けていないということではなく、死んでいないから終わった感じがしなかった。
まだ一分も経ってない過去、そこで薫の人生は終わったはずで。
今生きているということは試合が終わっていない、そんな思いが薫の中に漂っている。
「そうよ。私の勝ち。……まぁ、悪くはなかったわよ」
そう言うと結那はさっさと歩いて行ってしまう。勝ったというのに晴れない表情だった。
(……まだまだ、かぁ)
去り行く背中をぼうっと眺めながら自分の力不足を思う。
自分なりに努力をしてきたが、届かない場所。触れられない相手。現実を見せ付けられた。
でも。
(でも、もう少しだけ頑張ろう。諦めるのはいつだって出来るんだから、もう少しだけ頑張りたい)
心は折れない。
少なくともあの人が見てる前で情けない姿は、これ以上は見せられない。
「よしっ」
声を出して、薫は立ち上がる。そして再び進むことを決めた。
「お疲れ様、結那」
「……うん、ありがと。あとごめん。助かったわ」
戻ってきた結那に勝利の喜びはない。
あるのはやらかしてしまったという反省だけだ。
「ん。まぁ今後は気を付けて。俺だっていつでもフォロー出来るわけじゃないしな」
「……そうね。取り返しのつかないことだけは本当に気を付けるわ」
「あの、結那さんは何かしてしまったんですか?」
「え、そうなの?」
結那と良治の会話に優綺が疑問を投げかける。郁未も気付いておらず、周りを見ると理解しているのはまどかと天音くらいなようだった。
「結那――」
「あ、別にいいわよ。自分で言うし。……ちょっとカッとなっちゃって、思わず本気で殴りそうになったのを良治が止めてくれたのよ」
「止めた?」
「ええ。私が思わず冷静になるくらいの殺気だったわね」
「気付かなかった…」
「まぁ、結那にしか向けてなかったしな」
視線に乗せて放ったので気付かなくて当たり前だ。察しているまどかと天音は僅か気配と結那の反応で何が起こったのかを理解したのだろう。
良治は試合に介入する気はなかったが、あのままだったら薫の身体のど真ん中に穴が開いていたという確信がある。それは結那も同じで、だからこそ素直に謝り感謝をした。
「勝者――河野咲子」
「あっ」
「……見てなかったな」
「うっ、あとで謝んなきゃ」
完全に自分の試合にのめり込んでしまったので全く隣の後輩の試合を見ていなかった。心に留めていたのは開始前までで、それも結那らしいと言えば結那らしいが本人としては連続での失態と言えるだろう。
陰陽陣での強者を破るいう快挙に、歓声に包まれている咲子は笑顔で結那に手を振る。褒めてほしいという感情が良治にも伝わってくるくらいだ。
「……まぁ、頑張れ」
「うん……」
尻尾が見えそうなくらい喜んでいる咲子がしゅんとなるのは誰の目にも明らかだが、それでも見ていなかったことは言わなければならない。適当に誤魔化すのは誰にとっても幸せにならないことだ。
「第十三試合――名古屋支部《精緻なる騎士》丹羽三郎、対戦相手――《粉砕士》禊埜塞」
「《粉砕士》……」
良治はその異名に反応する。それは禊埜塞の父親の異名だったからだ。
予選でのアナウンスと同じなのかどうかはわからないが、土俵へ向かう彼に動揺の色は見えなかった。
「第十四試合――東京支部《黒衣の騎士》柊良治――」
「お」
「対戦相手――京都支部《闇梟》」
「そう来るか」
呼ばれた瞬間に反応した良治だったが、対戦相手がわかるや否や苦笑を浮かべてしまう。
闇梟とは初めての戦闘となるが、そこに楽しみにはあまり感じない。どちらかというと乗り気ではない。それは恐らく彼女も同じだろう。どこかやり難さを感じているはずだ。
「頑張ってね」
「ま、心配はしてないけど」
「いってらっしゃいませ」
彼女たち三人の声がかかり。
「先生、頑張ってください」
「勝てるって信じてるっ」
「相手の人はよくわからないですけど、頑張ってください!」
弟子たち三人、優綺と郁未、景子の応援を受ける。
「ああ、頑張ってくる。浅霧さんはまだ環境に慣れていないだろうけど、見るだけ見てて」
「は、はいっ!」
いきなりこんな場に呼ばれて何を話したらいいのかわからない状況の景子に声をかけて、良治は歩き出す。
唯一発言をしなかった黒猫が軽く手を振り、それに良治も小さく手を振って応えた。
(実力者であることは間違いない。面倒な相手だ。俺の手の内、ある程度、というか割とバレてるはずだしな。それに引き換え俺は闇梟のことを知らなすぎる)
黒猫は彼女のことを知っているはず。しかし何も言わずに送り出した。その意図はなんなのだろうか。
優綺の時の自分のように、余計な情報を与えないようにしたのだろうか。
(――まぁいい。初見で対応するのには慣れている)
そして――良治は結界内に足を踏み入れた。
【初見で対応するのには慣れている】―しょけんでたいおうするのにはなれている―
習得できそうな技術を片っ端から試したことのある良治にとって、初見の相手はそこまでの脅威ではない。それはこのことを前提にした上で油断をせず、戦闘中でも常に頭を働かせているからだ。
自分の得意な戦術は対応と考えて自覚もしている。




