劣等感、嫉妬心
「勝者――山井やわら」
和弥と俊二が土俵に入る直前、隣の土俵で勝負がついた。
奈良支部の山井やわらと名古屋支部の柴田郷太、戦前の予想では柴田有利の印象だったが勝ったのは少女の方だった。
「勝った……っ!」
腰まである長い黒髪をぼさぼさにして、土と汗に塗れたジャージ姿の細身の少女は荒い息の中グッと拳を握り締める。
戦闘スタイルを変更して二年という短期間でここまでの結果を出せたことに、大きな自信を得る。
山井やわらは典型的な風属性の術士だった。
幼い頃から魔術型として育てられたが、近接型で同じ奈良支部の河野咲子の訓練に付き合っているうちに『私、実は近接型の方が向いているのでは……?』と思い始め、二十歳を迎える直前という遅いタイミングから、本格的に近接型の訓練を始めることにし――この大会で結果を出すことに成功した。
「やわらん! おめでとー!」
ショートカットの元気な声に小さく手を振る。
(さっきーにも感謝しないとね)
予選では圧倒的な実力差を見せつけられて完敗した。落ち込むやわらを慰めてくれたのは親友であり相棒の咲子だ。
彼女のお陰で直後の敗者復活戦への参加を決めることができ、決勝トーナメントも一回戦だが勝ち上がることが出来たのだ。
「あっ」
やわらは小さく声を上げるとそそくさと土俵から離れる。隣の土俵では今にも注目度の高い和弥と俊二の試合が始まりそうだったからだ。
そんな雰囲気の中で堂々としていられるほどやわらのメンタルは強くはない。
(相手の人は知らないけど、きっと和弥様が勝つよね)
横目に二人を見ながら、やわらは喜ぶ親友の元へ走っっていった。
「それでは――はじめ」
山井やわらが去った直後に流れたアナウンス。その声が切れた瞬間に二人は動き出した。
定位置に来るまでは軽く雑談していた二人だが、一瞬で戦闘に切り替わる。
「はぁっ!」
「せやっ!」
和弥は縦、俊二は横。木刀ががっちりと交差する。体格は似たようなもの。身長は和弥が僅かに高いが俊二は和弥よりもやや筋肉質だ。
「いいなっ!」
「悪くない!」
二人は足を止め、楽し気に木刀、木剣を振るう。
駆け引きはない。ただ単純にどちらの剣技が上かを競っているだけだ。
だが――
(それが一番楽しいんだろうな)
肩書も立場もないただ一人の退魔士として戦える喜びを和弥から感じ、その相手が自分ではないことに少しばかり嫉妬する。
普段は積極的に戦闘を行うことを避けてはいるが、良治の心の底には強い相手と競い合いたいという気持ちが確かに存在している。
(――目標は一回戦突破だが、和弥とやるにはもっと勝たないと無理そうかな)
報酬の為でも名誉の為でも、恋人たちでも弟子たちの為でもなく。ただ個人的な欲求の為に、良治はこの先勝ち上がることを決めた。
「――ッ!」
「そこッ!」
無限に続くかとも思えた打ち合いは、実際の時間にすると数分で終わることになった。
数分と言えどそれは瞬き一つの間に決着がつく可能性のある数分。二人にとってはそれこそ無限に感じたかもしれない時間だった。
俊二の受けが重心からほんの少しずれ、攻撃に移るモーションが遅れた隙を和弥は逃さなかった。
和弥の一刀は俊二の肩口を叩き、俊二の反撃は和弥の脇腹に触れることなく止まる。
「参ったよ。俺の負けだ」
「ふぅ、ギリギリだったけど勝てて良かった。さすが俊二さん」
「さすが、はこっちの言葉だよ。大したもんだ。都筑君――いや和弥君とこれからは呼ばせてもらうけど、君より強い退魔士は数人しかいないレベルだな」
「そうかもしれませんけど、その数人が強すぎて困るんですけどね」
「はは、違いない」
敗北を認めた俊二が先に土俵外に出て、話しながら和弥がその後を追う。
そこには高いレベル同士のすっきりとした爽やかさがあった。二人とも本当に楽しく充実した瞬間だったのだろう、勝敗が存在しなかったようにも見える。
「勝者――白兼和弥」
「良治さん?」
「ん、どうした天音」
「……いえ。気配が変わったので」
「そうか? 気のせいだろ」
自分の中の感情を認めてはいるものの、それを誰かに悟られるのは避けたいところだ。
「そうですか。失礼しました」
きっと天音も何かしら良治が思うところがあるのは気付いている。しかしそれを追求することは彼が嫌がることだとわかっているのですっと下がる。
「そっち終わったしこっち見たら? いい試合してるわよ」
「結那? ――ああ」
山井やわらと柴田郷太の試合があった方の土俵では既に次の試合が始まっていた。和弥と俊二の試合に集中し過ぎていたせいで完全に意識の外に行ってしまっていたようだ。
試合をしているのは結那が勝てるか不安に感じていた邁洞猛士という帽子の男と、鋭い目つきが印象的なやや痩せ気味の双剣の男。
邁洞が懐に入ろうとする度に相手は両手の木剣で巧みに牽制し、時には大きく距離を取るなどして決して相手の間合いに入らずに持久戦に持ち込むような戦い方をしているようだった。
「帽子の方――邁洞って方の凄さは予選でわかってるけど、相手の方もかなりの手練れね。最初から一切間合いに入れないように立ち回ってる。予選をしっかり見て研究してたのかも」
邁洞猛士という名前はこの武芸大会で初めて聞く名だ。故に第一印象がこの大会、予選となる。事実良治はそうだし、周囲の皆もそうだろう。
(だが、相手の警戒度は予選を見たからにしては異常な気がするな。いやまぁ邁洞が結那に匹敵する実力者ならその対応も納得だけど、なんとなくそれだけじゃなさそうな気が)
良治が引っ掛かりを覚えている間にも二人の駆け引きは続いてく。じりじりと間合いを詰めるタイミングを計る邁洞と、どんな予備動作も見逃さないといった対戦相手。
「あ」
「決まったわね」
勝負は一瞬。
持久戦に移行しそうな雰囲気だったが、邁洞は良治が認識出来る範囲で三つほどフェイントを入れ尚且つ土俵際に誘導するようなステップで中途半端な牽制になった相手の腕を絡め捕り、大地に叩き付けることに成功した。
(――ん? 決着がつかない?)
後は土俵の外に放り投げるなり止めを刺すなりすれば終わるはずだが、邁洞はそれを行わない。
もしかしたら相手が起死回生の策でひっくり返したかとも思ったが、次の瞬間邁洞が無防備な土手っ腹に拳を突き刺した。
「勝者――邁洞猛士」
白神会以外同士での戦闘だったのでそこまで盛り上がりはなかったが実力と駆け引きのある良い試合だったと思える。隣で和弥たちの試合がなければそれなりに盛り上がっただろう。
「最後何があったのかしらね」
「結那も気になるか。ここからだとわからなかったな」
結那も組み伏せてからの間が気になったようだ。特に最初から見ていた彼女にとって違和感が特に強いのだろう。
「会話してたみたい。何を言っていたかはわかんなかったけど……」
「まどか、よく見えたな。さすが」
「え、えへへ……でも何を言ってたかはわかんないから……読唇術でも出来たら良かったんだけど」
「いいよそこまで出来なくても。見えるだけでも十分さ」
「ん、ありがと」
良治や結那たちには見えなくても、優れた射手であるまどかの眼には二人が会話していたことが見えていたようだ。
「う、そんな細かい所見てなかった……」
「郁未はやっぱり見るべきポイントをしっかり理解するところからだな。せっかく良い『眼』を持ってるんだからそれを活かさないのは勿体ないし、場面によってはそれが生死を分かつこともあるかもしれない」
「うっ、頑張りマス……」
郁未もまどかに負けない視力を持ち、まどかにはない『魔眼』を持っている。その一点でのスペックではまどかを上回っていると言っていいが、やはり退魔士としての歴の長さでは圧倒的に劣ってしまっている。
こればかりは一朝一夕で身につくことではないのは良治も郁未も理解しているので、二人は少しずつでも確実に積み重ねていこうと話をしていた。
「第十一試合――奈良支部《奈良の野生児》河野咲子、対戦相手――陰陽陣《姫路の柱》相坂美亜」
邁洞猛士に敗北し気を失っている男が運ばれていく間に、空いている隣の土俵での対戦が発表される。
「咲子、勝てるかしらね」
「昨日の子か。実力的にはどうなんだ? 相坂さんに勝てそうなレベル?」
「うーん、どうだろ。山籠もりしてからは会ってなかったし。ただ」
「ただ?」
「良い素質はあったわね。負けん気も強いし、私好み」
「なるほど」
粗削りだが期待が出来る伸びしろはありそうだ。結那が高い評価をするのも珍しいので、本当にそうなのだろう。
だがそれは未来の話で、現時点では勝負はわからない。相手の相坂美亜も陰陽陣では前線叩き上げの実戦派だ。
「第十二試合――宇都宮支部《北関東の守護者》鷺澤薫、対戦相手――東京支部《拳闘姫》勅使河原結那」
「出番ね。行ってくるわ」
「ああ」
先輩と慕ってくれる者とほぼ同時の試合。情けない姿は見せられないのだろう。いつもよりも気合が入っているように見える。
――良治と拳を合わせ、美しき格闘家は戦場へ向かう。
【奈良の野生児】―ならのやせいじ―
河野咲子の異名。小学生の頃はまさに言葉通りの印象で制御不能な子供だったが、ここ数年は随分とまともになったらしい。
相棒とも言える存在、そして憧れとの出会いで彼女は急速に成長している最中のようだ。




