誘拐事件の事後処理
「媚びても困った顔しても駄目だろう……そもそも京都は命の危険、の可能性があるから行きたくないって言ったのは自分だろうに」
「そうにゃんだけど……のっぴきならない事態になったのにゃ」
京都山中にて行われることになった武芸大会。その会場に遅れて来ることになった朝霧景子の迎えにまどかと郁未が最寄り駅まで行ってくれた。
そして戻ってきた三人を良治は迎えようと出てきて――四人目がいることに僅かに戸惑った後、諦めにも似たため息を吐いた。
「で、黒猫さん。のっぴきならない事態とは」
「にゃー……実は闇梟から電話があったのにゃ。『貴女は今柊良治の監視下にはいませんね? 今すぐ監視下に入りなさい。ついでに今から京都に来る朝霧景子の護衛も兼ねなさい』って」
「は? 闇梟から?」
「そうにゃ」
闇梟――黒影流所属にして、一度白神会を裏切って現在は良治の管理下に在る黒猫の監視者。今回の武芸大会に出場しており、予選を余裕で突破している実力者だ。
「まぁ、彼女の言うことも一理あるか」
確かに黒猫は良治が管理、監視するという条件で生かされている。今回白神会の公式行事ということで許されると油断していたが、そう甘くはないらしい。
「あれ? 良治さん闇梟と会ったことあるにゃ?」
「ん、あるよ。上野支部の屋上で警告というかそんな感じで。でもなんで」
「ははー、なるほどにゃ。や、よっしーさんが『彼女』って言ったからにゃ。会ってないと性別の断定はしないからにゃー」
「確かに」
闇梟とはほとんど顔を見て会話したことはないが、良治の印象としては外見二十歳過ぎ、左肩から垂らした黒髪に色気を感じた程度。理知的でありながら感情を隠しきれてないところに好感を持っている。
「まー、そんなわけで来たわけにゃ。わざわざふくろっちから連絡が来た以上、ここで彩菜っちに始末される可能性は低いかなって」
「……そうだといいな」
「え、その間が怖いんだけど。大丈夫だよにゃ?」
「……うん、まぁ。たぶん」
「……よっしー、ちゃんと護ってにゃ?」
「がんばるよ」
「棒読みぃ!」
白神会を抜けて裏切った経緯のある元黒影流の黒猫は、黒影流の次席にして良治の義妹の彩菜とは犬猿の仲だ。以前は友人だったというが、現在は一触即発で、良治が間に立ってなんとか殺し合いにならないでいる状況だ。
そして京都は黒影流のお膝元。この武芸大会の会場に彩菜もいるのは確認できている以上、遭遇率は非常に高い。
(……まぁ、きっと既にこの状況を理解してる、もしくは今も何処かで見てる可能性は高いよな)
彩菜はリアリストで油断をする人間ではない。武芸大会会場は黒影流の者が陰から把握している節があるので、そうなるとこの光景も見られているだろう。
「まぁそれは置いておいて。浅霧さんこんにちは。よく頑張ったね。歓迎するよ」
「――はいっ!」
本来のメインである長いポニーテールの少女は花が咲くような笑顔で大きく返事をした。
「――了解。御両親の説得お疲れ様。これでとりあえずの問題は解決だね。正式に白神会に入るのは卒業後になるだろうけど、ひとまず――ようこそ浅霧さん」
「あ……ありがとうございます!」
全員でロッジに戻り、リビングで遠路はるばる来た景子の話を聞く。どうやら問題なく話は纏まったようで、高校卒業後の白神会への就職――表向きには京都ホワイトサービスを認めてくれたようだ。ただ今まで打ち込んできた剣道とは全く関係のない就職口に僅かながら疑問を持たれたようで、いつか一度良治は挨拶に行くべきかもしれないと思えた。
景子の家庭は一般家庭で退魔士の世界とは接点のないものだ。その反応は当然で、彼女が隠したいと思っているのなら疑念を少しでも払拭しておくべきだろう。
「じゃあ夕飯にするか。特に参加組はきっちり食べておかないとな。まどか――」
「あと十分で準備できるよー」
「了解」
観戦組を纏めているまどかからの返事。戻ってきてからすぐに葵と天音と三人で準備を始めてくれていた。天音は予選にも参加していていたがさほど疲労はなかったようで進んで協力してくれていた。
結那は当然のように備え付けのソファーで寛いでいる。優綺は手伝おうとしたのだが、予選で椎名紅蓮と対戦し、敗者復活戦も参加したため良治が休むように指示している。そわそわしているのが優綺らしい。
「じゃあ郁未ちゃん運ぶのお願いね」
「はーい!」
元気な声で料理を運ぶのは郁未。料理に関しては戦力外だったので適材適所と言えるだろう。
ちなみに黒猫は借りてきた――らしく端で小さくなっている。
「――では、いただきます」
準備完了後、何故か視線が集まったので良治は口を開いた。
「――ん、誰だ?」
「出てきますね」
「天音、一応気を付けてな」
「はい。ありがとうございます」
夕食の後片付けが終わったのを計ったかのようなタイミングでロッジ備え付けの呼び鈴、というかブザーが鳴った。
今ここにいない支部員は正吾だけだが、戻ってくるならその前に連絡があるだろう。正吾はその辺はきっちりしている。
「――良治さんにお客様ですよ」
「俺にか」
すぐに戻ってきた天音に声を掛けられる。だがそんな予感はあったので驚きはない。
まどかはお茶の準備に入っているし、優綺はテーブルを綺麗に拭き始めている。言われないでも動き出すあたり二人ともとても気が利く性格だ。
「はい。でも冷静に考えればその可能性が一番高かったのでは?」
「……まぁなぁ。それで――」
「こんばんは。お兄さま。突然の訪問ご容赦を」
すっと天音の背後からスライドするように現れたのは黒髪の美少女、霊媒師同盟の盟主たる志摩崩だった。相変わらず秘書のいろはも付いてきている。
「こんばんは、崩さま。昼間の件ですね?」
「はい。直接お会いしたらお話ししようと思っていたので」
ひと月ほど前の話、霊媒師同盟から脱退した者たちが良治の暗殺計画に加わった件だ。加担した者たちは敗北、生き残ることはできたが、かといって霊媒師同盟に戻ることもできない状態で、良治は悩んだ挙句東京支部預かりになっていた。
因みに霊媒師同盟の者たちに声をかけたのは気まずそうにこちらを見ている黒猫だ。彼女はあの事件の協力者の一人で関係者でもある。
「ではこちらに。人払いは必要でしょうか」
「いえ、大丈夫です。というか、お兄さま。別に公式な場ではないので口調を崩して頂けると嬉しいのですが」
「……了解だ」
良治としては公式な場でなくても周囲に人が多い場合は口調を崩したくはなかったが、言われてしまうと崩さざるを得ない。
「それで、霊媒師同盟の要望は?」
崩が着席し、まどかがお茶を出したところで正面に座った良治が切り出す。こういったことは早めに終わらせて楽になりたいので、単刀直入になりがちだ。
「その前に一つ。皆は無事ですか?」
「ああ。怪我は軽いものだったし、治療も終えている。死者、重傷者はいない。今は東京で雑務だけど働いてもらっているよ」
「良かった……。では、その者たちに聞いてもらいたいことがあります」
「何を?」
「――霊媒師同盟に戻ってくる気があるか、ないかを」
崩の緊張が伝播する。座っている二人だけでなく、見守るように立っている皆にまで。
(――戻ってくるなら迎え入れる気がある、ということか。でも事情を訊いた限り周囲に黙って出奔。そして出奔理由は)
理由は崩と良治の関係性にある。崩が他組織の退魔士、つまり良治を頼り、依存しているように見えた、そしてそれは古くから仕える霊媒師同盟の者たちに不満を抱かせた。
(それが解消されたようには思えない。世話を焼いたことで普通に会話は出来るようにはなったが、それで全てが元通りには戻らない)
霊媒師同盟や崩をどうこうするつもりはなく、むしろこちらとしては可能な限り干渉をしたくはない。
そんな説明をしたのは東京に移動してすぐのことで、理解はしてくれたが納得してくれたかはわからない。良治としては簡単に納得してくれるほど根の浅い疑念ではないと感じていた。
「わかりました。聞いておきますね。それで、条件は?」
今戻ったところで針の筵なのは確実だ。そんな状況で戻りたいとはとても思えない。ならば少なくとも何かしらの条件があるだろう。
「はい。一つ、彼らは私の命で白神会へ向かっただけであり、出奔したわけではない。二つ、彼らは命を果たして帰還した。三つ、三人は『黒曜』幹部への昇進。四つ、その他噂話、人間関係の改善に尽力する。――以上で」
(破格の待遇だな。したくてしているわけではないだろうが)
人材不足も極まっているという側面と、求心力の維持をしたい状況が良治には透けて見える。
「――了解しました。その条件で伝えておきます。でも、それでも戻らないとしたなら、その時は彼らの意思を尊重します。それでよろしいですね?」
「はい。構いません。……あの、お兄さま? 怒っているというか、ちょっと不機嫌じゃありませんか……?」
「ん? いや?」
恐る恐る顔色を窺ってくる崩に自分の表情を確認する。少し仏頂面だったかもしれないが、それは普段とあまり変わっていない気がする。
「先生は相手が飾る相手ではなく真面目な話をしているときはいつもこうです。なので大丈夫だと思いますよ」
「あ、そうなのですね。ありがとう優綺さん」
「いえ」
「……」
なんだか微かな不満と理解されている満足感が混ざり、なんとなく口をつぐむ。
(あれだ。これは天音に心情を読まれたときと同じだ。……優綺もその域に入ってきたのか、単純に俺がわかりやすすぎるのか)
「両方だと思いますよ、良治さん」
「……なるほどね」
天音の言葉に苦笑しながら返事をする。どうやらかなり単純なようなだ。
「……あぁ」
周囲の皆が不思議そうな表情をしている中良治と天音は通じ合っていることに笑う。少しして、優綺だけがそのやりとりに気付いて納得をした。
【ふくろっち】―ふくろっち―
黒猫からの闇梟への愛称。だいたい名前の後ろに~っちをつける傾向にある。
そしてだいたい相手からは不評である。相手は言っても直さないので諦めて受け入れてしまうことが多いようだ。




