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紅の天災vs黒衣の弟子

「ねぇ、桜野さん。あの女性ひと、本物ですか?」


 良治たちから少し離れた場所で、アナウンスと共に現れた女性に困惑しながら並橋平太は傍らの女性に語り掛けた。自分もそれなりに情報を扱っているが、桜野聖来せいらというこの女性はこと情報に関しては彼の知る限り一番の情報通だった。


「私も本物を見たことはないからなんとも……でも」

「でも?」

「前に隊長――上尾前さんが言ってたの。『《紅の天災》は実在しますよ』って。確信めいた言い方だったから、たぶん本当に存在するはず。でもそれが今見ているあの女性って保証はないけど」


 退魔士の世界に囁かれる伝説、御伽噺、都市伝説。

 紅の天災、最強の炎術士、フレイムマスター。その名が知られ始めたのは、実はさほど昔ではなかった。

 しかしその災害とも言われる規模の行動が、狭いこの世界に一気に浸透した。


「山を二つ、一瞬で灰にしたって、本当なのかな」

「詠唱術使って山一つでも無理な話なのにね。何処まで本当の話なのかは不明ね」

「――だが、あれは強者だ」

「猛士?」


 会話に入っていなかった三人目が静かに、だが力強くそう呟いた。

 赤い帽子を被った筋肉質の青年は、三人の中で最も敏感に彼女の強さを感じていた。今まで出会った中で一番の強者だと。


「猛士くんがそう言うなら、本物かどうかはともかくメチャクチャ強そうね。本物の可能性が高まった、かな」

「上尾前大佐に連絡を取りたいところだけど、さすがに無理だね。白神会の監視下、あまり大っぴらに話はしたくないし」


 会場は大きな結界に包まれている。結界内だけならまだしも、結界外への通信は難しい。


「それにそもそも目的外だしね。まずはアレの奪取から考えましょ」

「うん、そうだね」


 《紅の天災》は目的ではない。三人には別の目的がある。まずはそれを目指すべきだ。


「――良い、スタイルだ」


 だが一人だけ、目的を忘れていそうな男がいた。









 一つ空いた土俵に優綺は歩いていく。先に始まっていた二試合は佳境を迎えているようだ。

 第一試合は正吾と祥太郎の、第二試合は高遠幾真と登坂零の一騎打ちになっている。見知った者たちの真剣勝負とあって、見学したい気持ちは大きい。しかし。


(今は、これから――)


 優綺が土俵に足を踏み入れ、その後に孝太が入る。そして四人全員が集まり――


「第四試合――はじめ」

「うっ!」


 試合開始の合図と同時に、椎名紅蓮から熱風が放たれ思わず腕で顔を隠して目を瞑ってしまう。


「ばぁ」

「ッ!?」


 それは一秒にも満たない時間。にも関わらず目を開けた優綺の目の前には紅蓮が居た。

 声と共に放たれた右ストレートを防御不可能と感じ、無理矢理身を捩って躱す。シャツの端を掠めた拳はスピード、威力共に結那のそれと遜色ないと感じられた。


「へぇー、やるじゃない」


 地面を転がって距離を取った優綺を追撃することなく、紅蓮は笑う。

 ふと周囲を見れば既に他の二人は土俵外に転がされていた。つまり――


(この人と、一対一……!)


 師が、柊良治が最大限の警戒をするような相手と、一対一。その事実が優綺の身体をこわばらせる。先ほど咄嗟の判断で避けられたことが奇跡とも言える。


(でも、やるしかない……!)


 現実を認めるように、まずは相手を注視する。

 年齢は二十代だろうか。長い白髪はくはつがミスマッチに見えるが、若いことには変わりない。

 白いシャツに薄いグリーンのロングスカートは動き難そうに思えるが、先ほどの動きからその心配はなさそうだ。


あの(・・)《黒衣の騎士》の弟子、なのよね。教え方が良いのか、素質があるから弟子になれたのか、そこはわかんないけど」

「先生とは、お知り合いで?」


 少しでも落ち着く時間が欲しい。それに情報も、性格も、僅かでも拾いたい。怖さはあるが話しかけてみる。


「ううん、お互いに顔は見知ってるけど話したことはないはずよ。ただ話は聞いてるから。『自分の知る限り、最も弱点の少ない退魔士』だって」


 その評価には納得いくが、それは誰の言葉なのだろうか。


「それは、わかる気がします」

「ふふ、やっぱり。一度くらいどれくらいなのか確認してみたい気持ちはあるけど……まぁ、この大会で当たるといいけど」


 既に彼女の意識はこの試合にはない。そのことが悔しかった。


「ッ!」

「おっと」


 一歩踏み出すと同時に転魔石で喚んだ棒を突き出す。

 普段使いの棒とは違い今回の大会に合わせて誂えた、金属で補強していない完全木製のものだ。


「くッ!」


 受けに回ると思われていたはずで、虚をついたはず。

 しかし簡単に、素手で捌かれてしまう。


「悪くはないけど特別良くもないわね」

(この人、やっぱり結那さんと同じ近接型かくとうか!)


 武器を手にしていないのに、元から戦闘状態にあるような佇まい。結那に似た雰囲気から予想をしていたが、それでも簡単に対処されてしまうと焦りが出てきてしまう。


「突きは隙が多いって教えられてなかった?」

「ッ!」


 棒を抑えられたまま革のブーツが、鋭い蹴撃が飛んでくる。

 それを持たれた棒をそのまま合わせるように当てながら、優綺自身は棒と蹴りを潜るように避けてみせた。


「うん、それはいい動きね!」

「それは、どうもありがとうございます……」


 紅蓮はあっさりと棒から手を放し、優綺は改めて構え直し、土俵の中央にじりじりと移動していく。少しでも即負けに繋がる、文字通りの土俵際は避けていきたい。


「ま、でも――そろそろ終わらせましょ。後がつかえてるものね」

(来る!)


 そう思った刹那、熱風が解き放たれる。皮膚を、目を焼くような高温に先ほどは目を瞑ったが、今度は後ろに飛ぶことで微かに目を開け視界を残すことに成功する。


「ぐ、ぅ!」


 当然のように襲い掛かってきた紅蓮の拳を棒で弾くが力負けする。それはそうだ、当たったのさえまぐれの様なもの。身体の中心を守っていたところに、相手が最短距離で来ただけのことだ。


「はっ!」

「ッ! ――!?」


 そして紅蓮は大きな動きで凪ぐように足払い。それを後ろに飛ぶ余裕はないと判断して真上にジャンプした優綺は、直後顔色が変わった。


「お疲れさま」

(誘われた――!)


 空中で身体の自由がなくなった優綺に、紅蓮の右拳が飛ぶ。

 棒を前に出して守ろうとするが、それをしなやかに避け、正確に優綺の胸部中央を打ち抜いた。


「――ッッ!?」


 呼吸ができない。思考が止まる。ただ自分の身体が宙を舞っているのはわかる。


「うっ! ……く」


 鈍い音をさせて地面を転がる。辛うじて受け身を取ることに成功したので致命的な怪我はないはずだ。自分の状態を確認しつつ、優綺はまだ終わっていない、まだ戦える――そう考えながら、棒を支えに立ち上がった。

 しかし。


「第四試合勝者――椎名紅蓮」

「あ……」


 優綺が立ち上がったのは土俵外。中央付近にいたはずなのに、あの一撃で軽く十M以上吹き飛ばされていた。


「……――」


 負けたという事実を受け入れた瞬間、優綺は意識を失った。

 膝を折り座り込んだが、立てた棒にしがみついていた。


 土俵から去る紅蓮と入れ替わるように医療班が結界内に入り、優綺を速やかに担架に乗せて医務室へと進んでいく。


「……先生」

「大丈夫か」


 柵から出たところで待っていた良治に、ちょうど目を覚ました優綺が掠れた声で呼びかける。

 負けてしまった。歯が立たなかった。無念と罪悪感が入り混じる。


「わ、私……」

「よくやったと思うよ。あの椎名紅蓮相手に一対一で一分以上持った。それだけでも十分だ。頑張りすぎたくらいだ」


 担架に揺られる優綺の横、歩きながら師が言う。

 よくやったと。頑張ったと。


「でも……」

「でもじゃない。これ以上ない成果だと俺は思うよ」

「あ……ありがとう、ございます」

「第五試合――東京支部《黒衣の騎士》柊良治」

「このタイミングで……」


 医務室まで行くつもりだった良治はタイミングの悪さに苦虫を嚙み潰す。


「良治さん、あとは私が」

「すまん、天音。頼むよ」


 医務室の手前、すっと現れた天音がそう言うと良治は会場に意識を向ける。


 傍にしてほしい気持ちはあるが、それは師の活躍を願う気持ちよりは大きくはない。

 ただそれを見れないことだけは残念だった。


「――先生」

「どうした? 俺は行かないと」

「はい。……頑張って、ください」


 言う必要はなかったかもしれない。元より誰に言われなくても頑張っている。

 それでも、言いたかった。見れないからこそ、伝えたかった。


 良治は少しだけ驚いた顔をすると、珍しく満面の笑みを浮かべて。


「――ああ。頑張る。弟子にそう言われたんじゃ、頑張らないとな」


 そう言って、師は歩き出した。



【悪くはないけど特別良くもないわね】―わるくはないけどとくべつよくもないわね―

現在の椎名紅蓮から見ての優綺への評価。あくまでも椎名紅蓮の基準で、である。

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