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黒衣再臨

「警戒に入って。時間です。各自持ち場へ」


 時刻は二十三時半。あと三十分で日付が変わる。

 道場に集まった全員に対して、良治は厳しい表情で命令を出した。


 十八時、夕飯。

 二十時、結界設置完了。

 二十三時、配置指示。


 すべてが上手くいっていると言っていい。

 特に結界の設置は完璧だった。最悪今夜の襲撃の可能性を考慮して、一番外側のものだけでも、という指示だったのだが。


「一番外だけじゃなくて支部のを囲う方も出来るなんてなぁ」

「難しくはありませんでしたよ。ただ一番外だけは手間も労力もかかったことは確かですけど。それは三咲さんたちを褒めてあげてください。私はあの後睡眠を取っていましたので」

「だな」


 天音の言う通り彼女は良治との会話後睡眠を取っていた。彼女が起きて確認してみると、大枠は出来上がっていたとのことだ。

 大人数での仕事だが、結界の条件付けや精密な作りは個人の力量に大きく左右される。三咲は良治の見ぬ間に大きな成長を遂げていた。


「ただやはり大規模な結界の起動は術者が直接基点の石に触れなければなりません。つまり敵と直接遭遇してしまう可能性があります」

「それに関しては敵襲の可能性が一番低い裏の崖上から移動が良いだろうな。護衛に正吾を付ける」


 東京支部の正門は東側を向いている。裏の崖は西側だ。

 それなりの高さがありこちらから見れば壁だが、降りてこれないほどではない。しかしここから襲撃されることはまずないと良治は踏んでいる。


「いいんですか? 四方の何処からでも可能性はあると思いますが」

「宇都宮支部襲撃の際、あいつらは裏手の河原からは襲撃してこなかったんだ。多分今回もない。あいつらは真っ向勝負で、力ずくで落とせると考えているはずだ」


 相手はこちらを侮っている。そして良治の相手をしたあの『利益』と呼ばれた男だけかもしれないが、どこが戦いを楽しんでいる節がある。だから三咲が敵と出会ってしまう危険はほとんどない。正吾の護衛は念のためだ。


「良治さんがそう言うなら。でも配置はしておくんですね」

「三咲たちが敵と会ったらまず倒せないからな。支部まで逃げて来た時に迎撃できるくらいは戦力を置いておきたい」

「迎撃ってレベルじゃないですけどね」


 天音の言うこともわかる。良治は迎撃という言葉を使ったが実際に敵が三咲たちを追って裏手に現れたら、対処をするのは神薙兄妹だ。


「結界を張った術者を追ってきたら《絶対零度》と《疾風迅雷》の二人が待ち構えているなんて。そんな罠に嵌った相手が可哀そうでなりません」

「罠じゃないけど、結果的にそうなったら相手は罠だって思うだろうなぁ」


 少なくとも良治がそうなったら罠だと思う。そして抜け出せないだろう。絶対に嵌りたくない。


「そうですね。あと結界ですけど、起動は三咲さん一人で大丈夫ですが維持は無理だと思います。なので結界担当の人を三咲さんのサポートにつけたいのですが」

「構わないよ。そこは戦力として配置してないから結界に専念させて」


 千香は元々東京支部の結界を担当している。今回は更にその外側に二つの結界、そしてもう一つ一番外側の、一番手間がかかった結界と四つの結界が存在する。

 千香は元からものと一番外の結界担当だ。さすがに両立は難しい。

 他の結界担当者は新たに張った二つの結界を担当している。そこから少し千香の補佐に回すらしい。


「はい。ありがとうございます」

「……ん? 天音は?」


 良治の考えだと天音が浮く。それとも自分の考え方が違うのだろうか。


「私は前に出ます。他の担当者と違って私は前線に出られますから。それとも私は必要ありませんか?」

「いや欲しい。動けるなら頼むよ」


 これは嬉しい誤算だ。天音は結界で身動きが取れないと考えていたので単純に戦力が上がる。


 物凄くシビアなこと言うならば、戦力として彼が考えている者は少ない。天音はその一人だ。

 残りは結那、まどか、眞子、祥太郎。そして神薙兄妹だ。この七人をメインに戦略を立てねばならない。

 特に四方全面に配置するとばらけてしまうので一つの場所に一人か二人ということになる。

 そうなるとやはり戦力的に不安を感じる。神薙兄妹に声をかけたのは正解だった。


「はい。では私は何処に?」

「俺と一緒のとこってのはどうかな、お嬢さん」

「喜んで。何処へでも」










「――時間だ」


 時計の針は午前一時を指し示した。正門を背に立つ良治は緊張感が伝播していく感覚に、更に気が引き締まった。


 正門を担当しているのは良治と天音、結那に一、遥。そしてサポートに翔の六人だ。

 前回と同様の規模ならこれで抑えられる。もし不利なようでも、それは他の場所が戦力的に有利だろう。そうなれば他から援軍が来るまで耐えればいいだけの話だ。

 特に一番敵襲の可能性が薄い裏手を担当する神薙兄妹は、三咲たちが戻ってきて数分しても何もなかった場合正門に来ることになっている。


「来ないわね」

「まだ油断は駄目ですよ結那さん。あと数分、もしくは川越支部襲撃の連絡を待たなくては」

「わかってるわよ天音。……良治が戻ってきて再確認したけど、やっぱり天音って良治と似てるわ。小言とか」

「似てるなんて。褒め言葉ですね、ありがとうございます」

「……」


 背後で聞こえてくる緊張感が薄らいでいく会話に無言を決め込む。

 別に彼女らは警戒を怠っている訳ではない。それがわかっているので特に注意も必要ないだけだ。決して『うわー、めんどくさそうな会話してるな。早く話題変わらないかな』とか思っている訳ではない。

 良治は先頭で顔を見られなくてよかったと思った。


「……あの、いいんですか」

「結那さんも天音さんも、その緊張感と言うか」

「いいんだよ二人とも。あれが普段の二人だし、緊張しすぎるのも駄目だしね。あれでいて戦闘態勢に入ってるから」

「はぁ……」

「そうなんですか……」


 一と遥はなんだか納得いっていないようだ。

 だが知らない人間から見ればそうだろう。不謹慎とも取られかねない。


「結那、天音。その辺にしとけって」

「はーい」

「はい。……来ましたね。残念ながら今日はなさそうですか」


 一瞬天音の『来ましたね』という発言にピクリとしたが、それが示したのは後方から来た優綺のことだった。


「だな。でも一応待機な」

「はい」


 優綺が来たということは何かしらの連絡事項があるということ。

 このタイミングだと心当たりは一つしかない。


「柊さん、川越支部が襲撃されたと連絡が」

「優綺さん連絡ありがとうございます。朝まで待機して危険がないと判断したら何処か安全な場所で待機と伝えてください。あと連絡取るために結界を解いてもいいと」

「わかりました。では」


 そのまま取って返していく。連絡を取るのも一苦労なので、今回は運が良かったのだろう。

 実は外から結界内部に連絡するのは難しい。電波が通り辛いからだ。完全に入らないわけではないのでたまたま通じたと言える。

 襲撃がなければ十分後には一時的に結界を解いて連絡を取るつもりだった。だがその配慮は必要なかったようだ。


「じゃあ今日は終わり?」

「まだだ。結界が解け――たからまた張り直されるまでは待機。張り直されたら俺らは玄関で朝まで交代で警戒だな」

「おっけー」


 軽い結那の声が響く。本当に今夜はもう何も起こらないようだ。


「お、結界戻ったな。結那と天音は警戒頼む。俺と翔さんは道場に戻って葵さんたちと話してくる。高坂くんと瀬戸さんは二時間後の交代まで自由時間で。でも呼んだら必ずすぐ来ること」

「了解しました」

「はい」


 いいリハーサルが出来た。今日のことの問題点を洗い出して明日の夜に備えられる。


 ――そして。やはり彼の予想通り、その夜東京支部への襲撃は行われなかった。










「優綺さんいつもありがとう。助かるよ」

「い、いえ。お役に立てて嬉しいので……」

「でも頑張りすぎないようにね。今夜は必ず襲撃がある。それまでちゃんと休んでおくように」

「はい。ありがとうございますっ」


 現在時刻は午後三時。陽が昇るまで待ってはみたものの収穫はなかった。

 だが川越支部の襲撃から即座にこっちに来なかったことは、やはりあちらは襲撃時刻を決めていることの証左だろう。夜中なら川越からここまで朝までには到着できるからだ。


 最低限の警備を残して睡眠を取り、昼を過ぎた頃にはほとんどの者が起き出していた。お腹が減って起きた結那みたいな者も多かった。時間的に弁当が届いていたのでちょうどいいタイミングだったとも言える。


 先ほどの優綺への礼はその時のことだ。良治が席を外していた間に来た配送に対応してくれたのだ。ちなみにお金は半分ほど彼女に預けてある。有能な人間には大きな裁量を任せた方がお互いにやりやすい。


「……あ、まどか。そっちはどうだ」


 道場で優綺と別れて庭に出るとまどかが身体を解しているところに出くわした。昨夜は戦闘がなかったので身体を動かしたくなったのだろう。


「良治……ううん、こっちは大丈夫よ。そっちこそどうしたの?」

「見回り。身体を動かしてないとしっくりこないから」

「指揮官としてはどうかと思うけど。でも気持ちはわかるかな」


 ポニーテールを揺らしながらのストレッチ。なんとなく目で追ってしまう。


「上からの視界はどうだ? 問題ない感じ?」

「正門から林の入り口までは開けてるから大丈夫。狙撃は任せて」


 彼女の弓の技量はそれこそ結那の格闘能力と同じくらい信頼している。


 まどかの持ち場は南雲家二階の屋根だ。そこからなら塀を超えての狙撃が出来る。彼女の持ち味を最も活かせる配置だ。


「一番外側の結界を破壊しようとする敵から頼むな。あともし敵が、こっちが結界を張る前に結界を張った場合はそっち優先で頼む」

「うん、任せて」


 優先順位を決めて伝えておけばそれだけ迷う場面が減る。ややメンタル面の弱いまどかには必要なことだ。

 良治の周囲にあまりまどかのような女性はいない。と言うかまどか以外の女性のメンタル面が強いのだ。良治自身はどちらかというとまどかよりだが、そうも言っていられない事情がある。メンタルの折れやすい指揮官に誰がついて行こうと思えるのか。そんなもの好きはそうそういない。


(そういう男に尽くしたいっていう層もいるみたいだけど)


 少なくとも良治はそんな男にはなりたくないと思う。


「あ、ね、良治……」

「ん?」

「私、変わった……かな」


 不安そうに見つめてくる。昔と変わらない瞳に苦笑した。


「な、なんで笑うのよっ」

「ああいや。なんか昔を思い出して。……変わらないなって。でも変わったところもあるよ」

「……どこが、変わった?」

「美人になったと思うよ。あとは落ち着きがあれば完璧だ」

「美人……!」


 落ち着きの部分は聞こえてないのかスルーしたのか。

 判断がつかないが彼女が嬉しそうなのでいいだろう。


「じゃあ俺は他のとこ見に行くから。今のうちに休んでおけよー」

「美人……」


 上の空のまどかを置いて良治は庭から姿を消した。

 経験からああなると戻ってくるのに時間がかかることを知っていたからだ。


(……こんな日常も悪くはないのかもな)












「あの、柊さん。結局どなたとお付き合いを……?」

「はっはっは。高坂くん、その質問は寿命を著しく短くするよ? すぐに消えるくらいに」


 夕飯後本部としている道場で待機していた良治にそんな危険な話題を投げかけたのは福島支部の高坂一だ。

 打ち合わせも終わり、確認事項もなくなって手持ち無沙汰になったのだろう。しかし話題の選定に大いに問題があった。


「あ、その話私も聞きたいです……!」

「えぇ、瀬戸さんまで……」


 きらきらと目を輝かせて身を乗り出す遥にちょっと引き気味になる。この辺を見るとやはり若い女性なんだなと感じる。とは言っても良治と二歳ほどしか変わらないのだが。


 ちなみにその話に出てきそうな三人は今誰も道場にいない。だからこそ選んだのかもしれないが、それでも話せることはない。


「いやぁ気になるじゃないですか。柚木さんも勅使河原さんも潮見さんも特定の相手いないっぽいですし。福島支部うちだけじゃなく長野支部とかの人も気になってる人多いと思いますよ!」

「そうかもしれないけど。でもまぁ気になるのはわかる。三人ともレベル高いのは認めるよ」


 三人ともそれぞれに良いところがある。だからこそ迷う。


 まどかは良く言えば従順、悪く言えば主体性が薄い。強く出られると弱気になることも多いし、立ち直るのに時間もかかる。

 だが彼女はその弱さから逃げることはせず、必ず立ち直ってきた。それはきっと強さと呼べるものだ。守ってあげたいと思わせる魅力もある。


 結那は強く、真っ直ぐな女性だ。格闘技を学んできたからか常に全力、真っ向勝負を好む傾向にある。ただそれ故に搦手には強くなく、そしてたまに無遠慮な言動をすることもある。

 しかしその悪い部分を理解力の速さで補うこともあり、致命的ではない。


 最後に天音だが、彼女は空気を読むのが上手い。頭の回転も速く、どんな行動が最も自分の求める立ち位置に近付くかを知っている。立ち回りの良さから嫌われるかと思えばそんなこともなく、ちょうどいい距離感を保つのも得意だ。

 退魔士としてはその出身から尾行、潜伏、暗殺を得意とするが以前所属していた組織を抜けてからは真っ当な退魔士として活動している。


「でしょ? 私周りでこういう話出来る人いなくてちょっと嬉しいですっ」

「福島支部は……年齢近い人いないのか」

「そうなんですよ。上で近いのは眞子さん、下は今年高校生とかで」

「人材不足も甚だしいな……」


 遥の言葉が本当ならもう人材は枯渇しているんじゃないだろうか。十年も経てばまともな活動が出来ないレベルかもしれない。


「ああそうだ。で、高坂くんと瀬戸さん。二人はまだ結婚しないのかな?」

「ごふっ!?」

「ああ、一っ!?」


 やられたらやり返す。当然のことだ。一方的にやられたままで終わらせるほど良治は優しくない。


「ええと、その……そのうちに」

「そのうち、ねぇ。瀬戸さんはそれでいいの?」

「えへへ、そうですね……まぁそのうちでも貰ってくれるなら」

「結婚式の二次会くらいには招待してくれよ」

「はーい……」


 悶えている一にトドメを刺し、外の空気を吸いに良治は道場を出る。

 後ろから幸せそうな遥の声が聞こえ、思わず微笑んだ。


 幸せなのはいいことだ。見落としがちなだけで近くには結構あるものだと。












「うーん……」


 道場を出て庭先から空を見上げる。雲も少なく円に近い月がよく見える。


 一に言われたことを反芻し、自分の中で整理する。でも結局答えは出ない。違う魅力を持つ人を比べられないし、比べることに意味はない。

 その結論は出ているのだが、それでも考えなければいけないことなのだろう。


 まどかは背中にいて守りたいタイプ。

 結那は自分よりも前にいて引っ張っていくタイプ。

 天音は隣で一緒に戦ってくれるタイプだ。


 どれが、誰がいいという話ではない。

 また逃げ出して答えを放り投げたいと気持ちがちらりと覗く。しかしその選択肢は取りたくない。少なくとももっとちゃんと考えてから答えは出したい。


「……結局誰も選ばずにまた何処か旅に出る選択をしそうな気もするけど」

「えっ」

「えっ?」


 独り言に反応する声に振り返るとそこには黒髪の少女がいた。どうやら思っていたよりも深く思考に耽っていたようだ。


「あ、その、すいません。外に出ていくのが見えたので」

「ああ別にいいよ優綺さん」

「あの、それでその……また何処かに行っちゃうんですか?」


 寂しげに、でも少しだけ怒っている。こんな感情を見たのは初めてかもしれない。どう対応すればいいのかわからず少し戸惑ってしまう。


「多分皆さん、また悲しむと思います。柊さんのこと、よく聞いてましたけど、笑顔で楽しそうに話してくれてたんですけど……でも話し終わると皆さん少し寂しそうな顔をするんです」


 良治の脳裏に、その光景が容易に浮かぶ。

 想像しなかったわけではない。自分が離れた直後はもっと酷かっただろう。

 だがそれでも、良治は自分の思うようにしか生きられない。


「俺はみんなに酷いことをした。そのことに関してはお互いに認めて謝罪もした。でも……今後のことは決められない」

「柊さんっ」

「でもだ。決められないかもしれないけどこれまでのこと、これからのこと。全部ひっくるめてちゃんと向き合うことを決めたんだ。しっかり考えることを、結論を出すことを決めたんだ」


 きっと出た答えは誰かを、みんなを幸せにすることではないだろう。でもきっと悩み抜いた答えなら納得してくれる。あの三人なら。


「……皆さんが、柊さんのこと好きになった理由がわかった気がします」

「この優柔不断で八方美人で卑屈で根性なしの俺のどこに魅力が」

「全部違う……とも言えないですけど、でも皆さん見てるのはそこじゃないと思いますよ」

「じゃあ」

「言いませんよ。――内緒です」

「……まったく」


 まさか女子中学生にどきっとするなんてとても言えない。

 苦笑で誤魔化して視線を外して溜め息を吐いた。


「寒いですし道場に戻りませんか。皆さんも戻ってきてるでしょうし」

「そうだね……ああ、優綺さん」

「はい?」

「ありがとう。話せて少し整理できたよ」


 言葉にすることは大事だなと再認識。言い聞かせたり自分がしっかり理解できているかの確認が出来た。

 それが十歳も下の女の子が相手と言うのは良治としては少し情けないが。


「いえ、力になれたのならよかったです。あと」

「?」

「私のことは優綺と、呼び捨てでお願いします。……私、柊さんのこともっと知りたいです」


 ああ、きっと同い年くらいだったら落ちてた。間違いない。


「――ああ。わかったよ、優綺」


 月明かりの下ではにかむセミロングの少女は、まるで奇跡の瞬間を切り取った一枚の写真のようだった。


 そして、道場に戻った良治を迎えたのは京都からの一報だった。










「和弥どうした……って今外か?」

「ああ。一戦交えて終わったところだよ」


 道場に戻ったら慌てた様子のまどかから電話を押し付けられた。

 良治としてはそろそろかなと予想していたので驚きもしなかったが、この状態で緊急の連絡と聞いてまどかは焦ってしまったらしい。道場の奥から入り口に来るまでに二回ほど足元を滑らせるくらいに。


「で、どっちだった?」


 港か空港か。舞鶴か伊丹か。


「両方だったよ。珍しく外したな。やっぱりまだブランクは埋めきれないか?」

「ブランクなんて少なくとも数か月は埋まらんよ。それにしても両方か。慎重だな」


 二手に分けるということは、どちらかに不慮の事態が起きても対応できるように備えることだ。

 良治は相手の指揮官はそこそこ頭のいい自信家だと思っていたので、少しだけ修正する。それでも予想の範囲内と言えば範囲内だが。


「綾華も同じこと言ってたよ。それでさ、俺と綾華は伊丹の方に来てたから報告を聞いただけなんだけど、どうやら舞鶴の方に指揮官らしき男がいたみたいだ」

「京都本部襲撃は自らの手で、って感じか……って男? 女じゃないのか」

「聞いただけだけど確かに男って聞いてる。わからないならそんな確かな言い方はしないよ。情報は黒影流からだから。

 ……それで悪いんだが海の方へ逃がしちまってな。きっと向こうの拠点にでも戻るんじゃないかって」


 ひとまず男か女かは横に置いておく。

 今の和弥の言葉は綾華の意見だろう。良治も考えた結果そう落ち着いた。


 京都本部の奇襲が失敗した以上、再度襲撃は難しい。戦力もないだろう。東京支部を襲撃予定の戦力はあるが、ここまで大っぴらに戦ってきた以上隠れて京都まで向かうのは不可能だ。

 逃げ出した指揮官がこちらに合流する可能性だが、日本海側から東京まで来るのは面倒だ。一度海に出たなら尚更。おそらくそのまま海路か、霊媒師同盟の影響下の適当な場所から本拠である青森に帰るのではないか。


「――だな。戻って態勢を整えて再度侵攻ってつもりかもな。そうなるともう長期戦だ。長引くのは覚悟するんだな」

「あれ、リョージは参加してくれないのか」

「短期決戦ならともかく長期はきつい。体力が持たない」


 既に体力は底が見え始めている。やることは多いしミスが許されない仕事だ。五年ぶりの仕事に全力で取り組んでいるつもりで、それは短期と割り切っているから出来ることでもある。


「うーん……どうにかならないか」

「悪いけど難しいな。体力が尽きて頭の回らなくなった俺なら、それよりも上手くできる奴もいるだろう」


 自分の長所の一つに視野の広さがあると思っているが、それはやはり万全の状態でないと発揮できない。それに長期戦になればもっと適切な人材もこっちに回せるはずだ。それこそ和弥や綾華が来てもいいのだ。


「……わかった。長期戦になるようなら無理は言わない」

「わかってくれて助かる」

「その代わり、短期で終わるようなら強引にでも終わらせてほしい。……白神会は今人が足りない。霊媒師同盟に人を向けると通常業務が止まる。そうなると一般の人たちが犠牲になるかもしれない」


 言いたいことは理解できる。これは本音なのだろう。綾華が言わせているとは思えない。

 和弥は元々何も知らない人たちを守りたいと、そう思ってこの世界に足を踏み入れた人間だ。根源から来る言葉の重みがずしりと響く。


「……出来るだけ、なら。努力はすると約束しよう」

「それでいい。ありがとな、リョージ」

「いいよ。それより終わったら京都に行くからその時は酒でも奢ってくれ」

「ああ。旨い日本酒を用意しとくよ」


 電話が切れ、目の前でずっとおろおろしていたまどかに携帯電話を返す。


 皆が良治に注目していた。

 今道場にいるのはある意味身内、東京支部のメンバーだ。

 まどか、結那、天音に千香と正吾。そして良治の後ろには少し不安げな優綺がいる。


「ふぅ……また仕事の難易度が上がったんだけど」

「どういうこと? 和弥、なんだって?」


 一番近くにいたまどかが大きな不安を隠そうともせずに見つめてくる。


「もしかしたら長期戦になる可能性が出てきた。京都本部襲撃に失敗した奴が青森の方へ逃げたみたいだ。そうなるとまた準備してこっちに来るだろう」

「……大変なことになっちゃうね」


 長期戦ともなればここにいる全員が前線に向かうことになる。人間同士の争いは出来るなら避けたいのだ。本来相手にすべきなのは悪霊や魔獣、魔族なのだから。


「ああ、このままだと大変なことになる。だから」

「だから?」

「どうにかする努力をしたい。だからすまない――助けてくれ」


 ゆっくりと頭を下げる。自分一人の力なんてとてもとても小さい。一人で出来ることの方が世の中には少ない。

 だから良治は助けを求めた。都合が良いのは理解してる。一度逃げ出した自分が、つらいから助けてとのたまっているのだ。罵倒されても仕方ない。


「――うん、いいよ」

「まどか……」

「もちろん私も協力するわ」

「今更何を言っているんですか。ここには良治さんに協力することを躊躇う人なんていませんよ?」

「結那、天音……」


 誰もが優しく微笑んでくれている。

 なんであの時逃げ出してしまったのだろう。初めて、ここに来て初めて良治はあの時のことを強く、強く後悔した。


「優綺……?」

「大丈夫です。皆さんで、全員でやりましょう。それにそれは柊さんのためだけじゃなくて、きっとみんなが望んでることです。みんながみんなの為に……頑張りましょう?」


 そっと握られた手。その温かさに何かが溶けていく。解けていく。


「――ああ、みんなで頑張ろう」


 覚悟は出来た。腹も括った。あとは行動あるのみ。


「最後の打ち合わせをする。全員を此処へ」


 全力で立ち向かう。そしてこんな前哨戦は叩き潰してもっと先のゴールを目指す。今回の戦いはもはや通過点となった。


「ね、良治」

「ん? 何か心配事か」

「ううん。心配事なんて何もない。――良治、すっごくかっこいい。私の一番好きな表情かおしてる」

「――はっ」


 まどかの言葉を聞いて大笑いしそうになる。

 こんな、珍しく自信が身体中を駆け巡っているような状態の自分が一番好きだなんて。まったくまどかは見る目がない。



「遅れず付いてこい。全部任せろ」


 五年の時経て――《黒衣の騎士》は再臨した。



【ポニーテール】―ぽにーてーる―

髪型。髪の毛を後ろに纏めてたらした形。

良治が好きな三つの髪型の一つ。

二度目にまどかと一緒に仕事をした際、良治がぽろりと髪型が好みとこぼしてからずっと彼女はこの髪型のままである。

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