意地を張らず
「こ、のォォォォ! コロコロコロコロ武器を変えやがってェ! シャラクセエエエエッ!」
「まぁ楽しんでるのは否定しないが。でも、まぁ――それもお終いだ」
灰色の球体を避けながら駆ける。カーブの癖ももう慣れた。既に良治にとって成孝は難敵ではない。
「こ、ノォォォォ!」
「ふっ!」
「ギャァッ!」
瞬時に懐に飛び込むと銀槍を振るう。黒い左腕に大きな赤色が刻まれる。
棒と槍、同じような形態で間合いは似たような武器だがその殺傷能力に差はある。特に良治は間合いが間違えるのを嫌って、槍の穂先も含めて自分の使う棒と槍の長さを同じにしている。
棒と槍の違い。
攻撃面ではやはり刃の有無が一番だろう。しかしそれ以上に良治は両先端を同様に扱えないことを重視している。刃の方を握ることが出来ない。それは棒を使い慣れていればいるほど落とし穴になり得る。これは防御面でも同じことだ。
「グゥ!」
右腕を柄の部分で払い、両腕にダメージを与える。決定打を与えられる、その大きなチャンスに、良治は一つ思い出したことがあった。
「――なぁ、一つ訊いておきたいことがあるんだが」
「ア? アア!? コンナ場面デ、ナニヲォ!」
あまりにも馬鹿にした状況に成孝が右腕を大きく薙ぐ。
良治の白くなった髪を掠め僅かに散らすが良治の表情に変化はない。
「いや訊き損ねていたなと。能登支部の人たちを従わせていたけど、その理由になっていたその能登支部の支部長、何処にいる?」
「支部、チョウ……? ……アア、イタナァ、ソンナノガ。――殺シテ海ニ捨テタ。モウ必要無イカラナァ!」
「――そうか」
能登支部の支部長は祐奈と違って生かしておく価値がなかった。残念ながらそういうことなのだろう。
「ソンナコトハッ、ドウデモイイダロウガァァァ!」
「もう、お前に用はないな」
「ッ! ソウダ、ワタシヲ見ロォォォッ!」
成孝は歓喜にも似た咆哮を上げる。既に両腕は十全な機能を回復している。
僅かな問答が終わり、戦闘が開始されるというタイミングだったが、良治に今あるのは能登支部長への悼む気持ちだった。
書類でしか知らない人物。だからこその感傷。
これが知り合いであったなら良治は瞬時にして沸点に達していただろう。
「死ネェ!」
灰色の球体を避ける。そして良治は気持ちを切り替えた。
「決着だ」
「アア! オ前ノ死デナァ!」
間合いを詰めるとすぐに右腕が伸びてくる。見慣れたそれを簡単に躱しながら懐に入り込む。
そして直後に襲い来る左腕が届く前に、良治は風の術を一瞬だけ解き放つ。
「ヌァ!?」
身体のバランスが崩れ、左腕が空を切る。そして残るのはがら空きになった巨躯。成孝の目が張り裂けんばかりに見開かれた。
「――お前は、俺だけを恨んで標的にしていれば良かったんだよ」
「――ァ」
風を纏った銀槍が、深々と胸部にある成孝の頭を、脳を貫いた。
成孝だった巨体が大きな音を立てながら仰向けに倒れる。
動きはしない。最後はもう人間を辞めていたが新宿で戦ったあの研究者と同じで頭部を破壊されれば死ぬのだろう。魔族や魔獣のように黒い塵にならないところだけは人間の名残と言えた。
(……終わった)
赤い血に染まった槍を引き抜く。軽く血振りをして転魔石で還そうとして、握る手に力が入り過ぎていたことに気付き、左手で右手の指を一本一本外していく。
成孝が死に、良治に残されたのは達成感や爽快感ではない。
必要だったから殺しただけであり、得られたのは虚無感のみだった。
いつだって、相手が誰であろうと人殺しは嫌なものだ。心に罅が入るような感覚が襲う。
「っと」
「先生、先生……!」
「……優綺」
槍を還すと同時に背中に抱き着かれる感触。疲労と感傷からか視野が狭まっていたらしい。
「よかった、よかったぁ……!」
「ん、心配かけてすまなかった。……あと、黙っていて悪かった。見てわかったと思うけど、俺は人間じゃない」
自分が真っ当な、言葉通り人間ではなかったこと。そしてそれを今まで隠していたこと。それは優綺を、郁未を騙していたことに等しい行為だ。
彼女たちに刺されたり殴られたり、罵詈雑言を浴びせかけられても不満はない。それは当然の感情と行為だと納得している。
「そんなの……!」
「そんなのどうでもいいから! ああもう無事で、生きててよかったああ!」
「ぐ……え?」
優綺の言葉を体当たりをしてきた郁未が続ける。今回は避けることも出来たが、それをしてはいけない気がした。
「そうです、郁未さんの言う通りです。先生が魔族だったとか、人間じゃなかったとか、そんなことはどうでもいいんです。
――先生が、貴方が……無事に、戻ってきてくれることが嬉しいんです……!」
「優綺……」
これが最後の授業だと、そう思っての戦闘だった。戻るつもりはなかった。白神会を再び抜け、また旅に出るつもりだった。
その決意が、揺らされる。
「いいんじゃない、良治」
「結那……」
「別にそうしたいわけじゃないわよね。そうしなきゃいけないって、そう思ってるだけで。それなら、誰もそれを望んでいないのなら別にいいんじゃない?」
「ええ、結那さんの言う通りだと私も思います。意地は、張らないでくれると助かります」
結那と天音が続く。優しく道を示してくれている。
「……まぁ、そうだな」
こうなるともう選ぶ道は一つしかない。
誰も望んでいないことは選べない。
意地も張らなくていい。
優綺と郁未の気持ち。
結那と天音の優しさ。
それらに救われた良治は。
「――まだ優綺たちを一人前にするって目標は達成できてないわけだし、投げ出すわけにはいかないよな」
「はいっ、そうです。まだ教えてほしいこと、たくさんあります!」
「ん。……ありがとうな。――っと」
「あ、あの……」
いつの間にか背後に立っていたのは、今回最大の目的だった祐奈だった。戦闘直後とはいえ忘れていたのは弟子たちの対応に頭がいってしまっていたからだろう。
「……佑奈さま、本当に申し訳あり――」
「あのっ!」
「……はい」
裏切りは弟子たちだけでなく、佑奈に対しても同じことだ。明確に好意を伝えられていたことを含めると、より酷いかもしれない。
「助けてくれて、ありがとうございます……! 私、良治さんに助けて貰えて、本当に……本当に嬉しくて、嬉しくて……ありがとうございます!」
佑奈は緊張の糸が切れたのだろうか、大粒の涙を流し、パジャマの裾を思い切り握りしめて、それでも懸命に、全霊で感謝をぶつけてきた。
そんな彼女に返すべきなのは謝罪なのだろうか。
良治は少しだけ迷って口開いた。
「……いえ、どういたしまして。佑奈さんが無事で何よりです。……それと半分魔族だったこと、黙っていてすいませんでした」
「ううん、そんなこと、別にいいです。……良治さんは良治さん、ですから」
「……ありがとうございます」
平坦に響いた感謝の言葉は、内実佑奈の気持ちが響き過ぎた結果だった。
心の動揺。それを感じて良治は、この言葉が今一番欲していたものだと知ってしまった。
「……本当は」
「?」
「あの時とは違ってお酒も入っていないので、伝えたかったことがあったんです。でも、今はやめておきますね。……フェアじゃないですもんね」
「あの時……新年会」
『……もし何か言いたいことがあるのでしたら、しばらくして変わらなかったらもう一度お願いします。もちろんその時はお酒の入っていない状態で』
確かそんなことを言った気がする。
つまり、今も気持ちは変わっていない。お酒も入っていない。
だから気持ちを再度伝えようとしていた。
「はい。でもいいです。私の言葉が良治さんを少しでも楽に出来た気がして。私はそれだけでいいです」
はにかむ佑奈の笑顔がとても愛しく思えた。
間違いなく今押されていたら墜ちていたと確信できる笑顔だった。
「んんっ、もういいかしら佑奈さま?」
「ごめんなさい、もう大丈夫です」
「良治、あとできっちり説明してね。……それと半魔族化、そのままでいいの?」
「おっと」
結那の割り込みに助けられたので少し大袈裟に驚きながら半魔族化を解除する。髪の色は白から黒へ。瞳の色も金から黒へと戻っていく。
「良治さん、体調と怪我の具合は大丈夫ですか?」
「ああ、ちょっとふらふらするけど大丈夫。怪我は半魔族化した時にほとんど治ったよ。肋骨ももう大丈夫だ」
「なら良かったです。でも無理はしないでくださいね」
「わかってるよ。じゃあさっさと帰るか。……誰か祐奈さんに上着を……って郁未、なんでエプロンなのさ」
「センセまで……だってバイト中だったんだもん……それを」
「ああ、結那か。大丈夫、だいたいわかった。頑張ったな郁未」
「うわぁん! ありがとセンセぇ!」
「じゃあそのエプロンを佑奈さんへ。ないよりはマシだ。天音はぶちを……ぶちは怪我とかしてないよな? それなら祐奈さんを乗せてあげてくれ」
「はい。佑奈さまはこちらへ」
「あ、ありがとうございます」
着の身着のままの佑奈はパジャマに裸足だ。このままにしておくほど誰も鬼ではない。例えついさっきあんなことがあっとしてもだ。
「それにしても結那と郁未、よく来たな。いや助かったけど」
「ふふん。凄いでしょ」
「うんうん凄い凄い。でも郁未を無理矢理連れて来たのは結果オーライだろうけど、あまり褒められたことじゃないのはわかってるよな?」
「う、わかってるわよ。今度からはちゃんと、もう少し説明というか……頑張るわ」
「よし、それならいい。……郁未もお疲れ様。帰ったら今日のこと全部聞くから」
「……朝まで、聞いてよね?」
「出来たら明日に回したい気持ちはあるんだが……郁未?」
郁未の視線と意識が不意に良治から外れる。その視線を追って振り返るが、そこには何もない。離れたところに成孝の死体、そして監禁場所となっていた山小屋だけだ。不審なところはない。
「……ね、前見たあの人が山小屋に――え、目が合ったッ!?」
山小屋の扉は閉められている。こちら側から見える範囲に窓もない。だが、目が合った。
「郁未、気にせずみんなと一緒に山を下りろ。こっちのことは気にしなくていい」
「え、でも」
「大丈夫だから。あとは任せて」
「う、うん……」
「どうしましたか?」
挙動不審な郁未の様子に、準備の終わった天音が話しかけてくる。
「少し用事が出来た。みんなは先に行っててくれ。なに、そんなに時間はかからない」
「……わかりました。郁未さん、エプロンを祐奈さまに。手伝ってあげてください」
「あ、うん!」
「……正直不安しかないのですが」
郁未が離れたのを確認して誰にも聞こえないように呟く。急にそんなことを言われても納得しづらいだろう。言った本人でさえそう思う。
「大丈夫だから。たぶん。少し話したいことがあるだけで」
「……絶対、無事に帰ってきてください。レンタカーのところで待ってますから」
「了解。ありがとうな」
後始末があると告げ、手を振ってみんなを見送る。
完全に見えなくなり、気配を感じ取れなくなったと同時に、山小屋の扉が静かに開いた。
「――なんの用だ」
太陽の陽射しを浴びてなお黒。墨一色の男。影のような存在は低い声でそう問いかけた。
――白神会四流派の一つ、黒影流。その継承者たる男が、そこには居た。
【絶対、無事に帰ってきてください】―ぜったい、ぶじにかえってきてください―
良治のフラグのような言葉に対しての天音の返答。言葉から伝わる通り、とても大きな不安を感じている。
それは普段彼女が使わない『絶対』という言葉を無意識に使っていることからもわかる。




