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援軍到着

 支払いを全て終え、弁当と布団を道場に運び込んで一時間。食事を取った者たちは大量に持ち込まれた安い布団に泥のように眠り込んでいた。

 集中力は長い時間続かない。無理をすればするだけ負担は後にくる。それを軽減したりコントロールするのは上に立つ者の役割だ。

 道場全体に布団が敷かれ、二十人程度の男たちが寝こけてるいるのを見て自分の行ったことが正しかったと良治は感じていた。


「さて」


 みんなが休んでいる間にも出来ることはある。色々と考えを纏めながら南雲家二階、最初に会議をした部屋に向かう。


 宇都宮で責任者を任された時、良治は乗り気ではなかった。責任など負いたくはなかった。その時の作戦も殲滅戦を避けるものだったが今回は真逆だ。

 防衛戦自体は良治は嫌いではない。苦手ともしていない。

 だがその防衛戦で戦術的にも個人的にも敗北し、死者も出した。自分の力のなさに、不甲斐なさに腹が立った。だからこそ彼は頭を下げ、もう一度戦いたいと願った。


(今回はただの意地だ)


 宇都宮での戦闘はみんなの為だった。しかし今回は良治の負けず嫌いに起因する自分の為の戦闘。勿論誰かを失いたいとは思っていない。目指すのは誰一人欠けることのない完全勝利だ。

 殲滅戦を仕掛けるとは言ったが、実際にそうするつもりはない。きっと戦闘の途中で相手側が結界を破壊するだろう。目的は完全に閉じ込めることではなく、閉じ込められたと思わせることによる動揺、そして結界を破壊しようとすることによる一時的な戦力の削減だ。


「……あれ?」

「あ……」

「どうしたまどか。何かあったか」

「お弁当、食べてなかったみたいだから」

「ありがと。助かるよ」


 部屋に戻った良治を迎えたのはまどかだった。昔と変わらぬポニーテールが変わらず似合っている。

 机の上に置かれた弁当は二個。手付かずのままで、どうやら彼を待っていたようだ。弁当を置かれたまどかの隣に座る。


「いただきます」

「いただきます」


 両手を合わせて弁当に手を付ける。


「……」

「……」


 そしてそのまま何か話すこともなく良治が先に食べ終わり、少しばかり遅れてまどかも食事を終えた。


(……覚えてたか)


 良治は食事をしている最中に喋ることがあまり好きではなかった。

 もちろん会議と食事が一緒だったり酒を飲みながらだったりは別だが、食事それだけを目的にしている場面では食べながら喋るのはあまり綺麗なことではないと考えていた。

 どうやらまどかは以前話したことを覚えていたらしい。お互いに食事を終えるとまどかがこちらをちらりと見る。


「……ね、実は渡したいものがあるんだけど」

「渡したいもの?」


 心当たりはない。昔家に置きっぱなしにしてしまった物だろうか。そうだとすると逆に心当たりがありすぎて絞れない。


「これ」

「転魔石? なんのだ?」

「――これ」

「この小太刀は……」


 まどかの取り出した転魔石で喚び出されたのは二本の小太刀だった。同じ意匠のそれを良治は見覚えがあった。昔村雨の次に使っていた武器だったからだ。


「残しておいてくれたのか」

「うん。他の武器は転魔石との繋がり切っちゃったけど、それだけは残しておいたの」


 良治は他の退魔士と違い、様々な武器を常備していた。折られた村雨をメインに、そしてこの二本の小太刀をサブに。ほとんど使う機会はなかったが他にも槍や棒、弓矢なども自分用の物を準備していた。

 あまりにも多かったので、腰のベルトに転魔石を纏めたキーホルダーがあったくらいだ。結那に「それ、邪魔じゃないの?」と言われたこともある。


「……ありがと。ホントに助かる」


 村雨を喪い、今持っているのは結那から借りた小刀だけだ。さすがにこれで前線には立てない。むしろ誰かに前線に行けと言われたような気すらする。

 鞘から抜き状態を確かめる。錆もなく、柄紐もぼろぼろになっているようなこともない。


「もしかして手入れとかしてたか」

「うん。ダメだった?」

「いや有難いよ。これなら問題なく使える」


 いつ戻ってくるか、いや戻ってくるかもわからない自分の為に手入れをしてくれていた。そのことに感謝の気持ちを覚えるとともに別れたことの痛みも同時に生まれる。


「ああそうだ、まどか。まず最初に聞いておかないといけなかったことがあった。ごめん」

「あ……」


 まどかは気付いた。彼女と良治の間にある絆を。

 ただ良治はそんなロマンチックには思っていないことだが。


「俺との契約、あれはまだ生きてるよな。身体の方は大丈夫か?」

「うん、大丈夫。むしろ役に立ってるくらい。天音にもアドバイス貰ってたし問題ないかな」

「そっか……ならよかった」


 良治の普通の人間とは違う部分。

 ギブアンドテイクとも言えるが、そのリスクは圧倒的に彼女が高い。そして良治の方にリスクはない。


(まどかは契約をしなくてもよかった。でも俺はまどかが契約してくれなかったら死んでいた。今破棄されてもだ)


 良治は今契約によって生かされている。それは純然たる事実。

 感謝の念を思い出すとともに、別れた後も契約を破棄しなかったまどかには頭が下がる。


「――この戦いが終わったら話をしよう。ちゃんと、向かい合って」

「うん……でもさ」

「ん?」

「戦闘の前にそういうのって怖いんだけど……」


 死亡フラグだ。指摘されてから確かに自分はフラグを立てたと自覚した。自然に出た言葉なので、もしかしたら最初にこの言葉を言った人もきっとそうだったのだろう。


「……まぁ気にするな。っと、連絡先を聞きたい人がいるんだけど。援軍を頼みたくて」

「誰? 私の知ってる人?」

「ああ。その人は――」


 その名を聞いたまどかが驚く。

 それはそうだ、その相手は白神会の人間ではないのだから。

 白神会と霊媒師同盟の戦いに他の組織の者は巻き込めない。巻き込むと更に収拾がつかなくなるからだ。

 だからこれ以上の助けは求められない。他の支部に所属している者も関東以西の者たちは自分たちの支部を守ったり、もしくは京都本部に呼ばれているだろう。


「……連絡してみましょ。多分手伝ってもらえるって私も思うもの」

「だろ。俺も向こうを信用しているし、きっと向こうも俺たちを信用してれているはずだ」


 さほど交流があったわけではない。良治は二度しか彼らに会ったことはない。しかし期待は出来るはず。


「――戦場を共にした仲ってのは何物にも代えがたい、大きな絆だからな」


 そして良治はまどかから番号を教えてもらってコールをする。

 静岡のとある神社の番号を。








「……ふっ!」


 先程渡された小太刀を二本持ち、交互に振るう。

 最初はゆっくりと感触を確かめるように。そして段々と昔を思い出すようにコンビネーションにしていく。

 使い慣れていたはずの刀ですら大した戦果を挙げられず、挙句に折られるという完全敗北を喫した。

 そして今手に持っているのは小太刀。刀に比べると自信はない。それなら少しでもブランクを取り戻すべく練習するしかない。


「ふぅ……」

「良治の練習姿見るのも懐かしいわね」

「そりゃそうだ」


 背後から気配と足音を消して現れたのは結那だ。

 東京支部の庭は見晴らしが割といいので、実は良治の視界と感知能力を掻い潜って近づくのは容易なことではない。


「あんまりびっくりしないのね」

「びっくりはしてるよ。表には出さないようにしてるだけで」

「昔からずっとびっくりさせようとしてるのに。ちょっと残念だわ」

「そろそろやめてくれると嬉しいんだけど」

「やーよ。だって好きな人をびっくりさせたいって普通に思わない?」

「……ノーコメント」


 答えづらい質問は答えない。この先に続きそうな会話の予想が出来るからだ。


「もう。そうやってまた逃げる」

「その辺のことはぼちぼち向き合わないとって思い始めたから。とりあえず全部終わった後で」


 まどかのことも含めて全部だ。誰もが求めていない答えが出るかもしれないが、それでも答えを出さないといけないだろう。


「嬉しいような不安なような感じね」

「まぁそれはともかく。今のうちに身体休めておけって」

「ろくに寝てない良治に言われてもね」

「……俺も少し寝るから」


 結那に指摘されたように良治もほとんど寝ていない。寝たのはバスに乗って移動していた時間だけだ。到着してからは横になった時間もあるが眠れてはいない。

 普段は六時間の睡眠時間を確保する生活だ。寝つきも悪くない。

 しかし横になっても眠れず、結局何かしらの作業や考え事をしてしまっているのは緊張感の影響だと良治は思っていた。

 状況への順応能力は悪くないと考えていたが、それでも命懸けの戦場に一日で戻れるものではない。


「一緒に寝てあげようか?」

「遠慮する。余計に寝れなさそうだ」

「そ。おやすみ」


 軽口を躱し、手を振ってその場を去る。

 悪い人間ではないし魅力的な女性でもあるが、ただちょっと強引なところがあるのが玉に瑕だ。

 良治は逃げるように玄関を潜った。









「――ふぅ」


 例の会議室に戻り、一つ息を吐く。

 良治の役割的に仕方ないこととは言え、たくさんの人たちと接するのは疲れてしまう。やはり一人になる時間は重要だ。適度に取らないとくたびれてしまう。


「――お茶でも淹れましょうか?」

「ああ、たの……天音」

「はい、なんでしょうか」


 首を少し傾げながら答えたのは茶色がかったクセッ毛の女性、潮見天音だった。どうやら入り口から見えない死角に気配を消して潜んでいたようだ。


「なんでそうお前らは驚かせたがるかな」

「好きな人を――」

「ごめんそれさっき聞いた」

「……結那さんと被ったのは反省材料ですね。次に活かします」

「次ってなんだ……」


 人を驚かすことが流行っているのだろうか。ラブラブなカップルならともかく、友人にいきなりやられると怖い。

 特に気配の消し方に定評のある二人に仕掛けられたらそうそう看破できない。

 結那は格闘技の影響からか、闘気のオンオフのコントロールに長けている。

 天音は元々他組織の暗部の長だった人間。気配を消して忍び寄り、奇襲をするのはお手の物だ。

 昔は彼女らとも互角に戦えていたが、今はもう無理だろう。


「で、何の用なんだ」

「はい。結界のことなんですが場所と規模の確認はしておきました。あとは三咲さんたちが調整に」

「了解。ありがとな」


 頼んだことはきっちりとやってくれたようだ。さすが天音と言ったところだ。

 千香たちが天音の指示で調整、長野支部からの結界担当は休息に入ったらしい。天音は眠る前に報告に来てくれたようだ。


「それでどうですか」


 主語がないのでそれだけでは会話は成り立たない。しかし聞きたいことは一つだ。見当はつく。


「そうだな……明日の夜にちゃんと来てくれればまぁなんとかなるんじゃないかな。もちろん上手くいけばの話だけど」

「全力を尽くしますのでどうか私を上手く使ってください。貴方に救われたこの命、今こそ役に立たせたいんです」


 昔出会った時、彼女は敵だった。

 しかしその事件が解決し彼女は自由を手に入れた経緯があった。それに良治は大きく関わっている。だから大きな恩を彼に感じていた。


 良治としては助けたことは事実だが、自分一人の成果ではないし、それにそこまで考えて行ったことでもない。昔のことでもあるし気にしないで欲しいとも思っている。


「自分の命は自分の為だけに使ってほしいところだけど」

「自己犠牲ばっかりしてた良治さんには言われたくないですね。昔の話でもしますか?」

「すいませんでした」


 昔のことを振り返ると仕事とは言え自己犠牲が過ぎていたように思う。むしろ振り返りたくない。


「まぁ心に留めておいてください。それではおやすみなさいです」

「ああ。おやすみ」


 苦笑しながら見送り、運んであった布団セットを広げる。


(……今回は眠れそうだ)


 そう思った瞬間、良治は眠りに落ちた。









 暗闇の中良治は目を覚ました。

 彼の意識を浮上させたのは部屋の襖を遠慮がちに叩くノック。微かだが部屋の外から中に向けられた音だったので気付くことが出来た。窓から見える暗さから考えるともう陽は沈んでしまっただろうか。


「……どうぞ」


 まだ少し眠気が残っているが部屋の外に誰かがいるのは確かだ。電気を付け、眠気がある程度飛ばして声をかける。


「あ、まだ眠っていたんですね。でもすいません、神薙かんなぎさんたちがいらっしゃったとまどかさんが」

「来てくれたか。優綺さんありがとう」

「いえ……あの」

「ん?」

「ちょっと言い辛いのですが、その……着替えた方が」

「……」


 言われてみて自分の服装を見直す。

 下はともかく上は確かに酷い。あちこちに穴と裂かれた跡がある。シャツが黒なので目立たないが血の染みもかなりのものだ。


「ついでですしお風呂も入った方が良いかもです。着替えとバスタオルは持って来てあるので」

「ですね……この服は?」


 彼女の持って来ていた服に目を落とす。どうやら最初からそのつもりだったらしい。


「これは翔さんが持っていた服です。まだ着ていないから遠慮なくと。あと……」

「よく黒シャツなんてあったなぁ……あれ?」


 一番上にあるシャツを広げてみる。

 別に黒シャツ自体は珍しいものではない。それこそウニクロでも買える。しかし常備されているものでもない。


「あ、それは昔置いて行ってしまった服だとまどかさんが」

「だから見覚えがあったのか。それにしてもよく五年前のが残ってたな」


 正直残っていると考えてもいなかった。処分されて当たり前なはずだ。

 きっとまどかはいつ戻ってきてもいいように残していたのだろう。


「まぁあとで礼は言うとして。とりあえず風呂に入ってくるよ」

「はい。もうお湯は沸かしてありますので大丈夫です」

「助かるよ。一時間以内には道場に行くと伝えておいて」

「はい」


 良く出来たメイドのような優綺に感謝を伝える。

 こんな有能で可愛い美少女メイドがいたら人生が潤う。間違いない。

 そんな想像をしながら良治は彼女と目を合わせないようにして風呂のある一階に向かった。










「お待たせしました。お久し振りです、凍夜とうやさん、香澄かすみさん。この度は急なお願いを――」

「あぁいいわよそんなの。固いのはあんまり好きじゃないの。久し振り、柊さん」


 さっぱりしてから道場の神薙兄妹と相対したのは部屋を出てから三十分後だった。一時間以内とは言ったが出来る限り早い方が良いに決まっている。敢えて多めに時間を見積もるのは良治の癖と言ってもいい。


 道場の片隅で良治と向かい合っているのは神薙凍夜と神薙香澄。以前神社で会った時は二人とも神職の衣服だったが、今回は濃い色のセーター姿で微妙に色が違うがペアルックだ。相変わらず仲が良いらしい。


 挨拶をしながら笑いかけてきたのは神薙香澄。

 初めて会ったのは七年前だ。当時二十代前半だったはずなのでもう三十くらいのはずなのに、まだ二十代前半くらいに見える。長い黒髪で少し童顔の影響だ。髪の毛は首元で一本に束ねてある。


 隣に座るのは兄の神薙凍夜。男性にしてはやや長めの黒髪を香澄と同じようにうなじ辺りで縛っており、身長は平均よりも高く落ち着いた雰囲気を纏っている。

 まるでその名が示す通りの男だ。凍るような寒さの夜。静かで冷たく、意識しなければわからずただそこに在るだけ。

 だがその剣の腕は凄まじい。全盛期の良治でも勝てるかどうかという力量だ。現在では比べるまでもない。

 そしてそれは妹の香澄もだ。幼い頃からずっと二人で訓練してきたらしく、その技量はほぼ互角だった。


「そう言ってくれると助かります。それで現在の状況なんですが――」


 もう何度となく説明したことを繰り返す。だがもう慣れたもので、前回よりも短く端的に説明を終える。


「じゃあその霊媒師同盟って組織の襲撃を防ぐのを手伝えばいいの?」

「そうなります」

「んー。兄さんどうする?」


 静かに目を閉じて佇む凍夜はずっと黙ったままだった。もしかしたらここに来るのも不本意だったのかもしれない。彼の心中が推し量れない。


「先に言っておきますけど、この件は白神会と霊媒師同盟の争いです。向こうは一般人を巻き込む意図はなく、少なくとも今までに被害はまったく出ていません。

 だから神薙さんたちが無理に付き合う理由はありません」


 二人は組織に入っていない。やや白神会寄りの独立勢力だ。なので協力する義務はない。


「……受けよう」

「いいんですか、凍夜さん」

「義務はないが義理はある」


 義理。それはきっと出会う切っ掛けになった富士山の事件のことだ。

 だがあの時は周囲の全員が力を合わせなければ上手くいかなかったことで、義理や貸し借りとは違う気がするが。


「ま、兄さんが言うなら私も従うわ。よろしくね」

「まぁ、手伝ってくれるなら助かりますが。……ああ、それと一つ言っておきたいことが」

「何かしら?」

「相手は以前と違って人間です。だから、対処はお二人にお任せします。俺は何が起こっても文句は言いません。好きにやってください」


 組織同士の争いに巻き込むだけでも大きな借りだ。更に彼らに直接関係ない人間を殺せとは口が裂けても言えない。


(それに俺も殺せるかどうかわからんしな)


 宇都宮支部での戦闘で良治は誰も殺していない。むしろ殺さないように気を遣った。その自分にまさか強制する権利なんてありはしない。


「わかったわ。それでいいわよね」

「ああ」

「ありがとうございます……って結那、どうした」


 横から近付いてきたのは結那だ。寝る前と服装が変わっている。支部に置いてあった私服だろう。赤いカットソーに黒いミニスカートで、黒ニーソは標準装備らしい。


「挨拶くらいはね。ども、お久し振りです」

「ええっと、確か……」

「勅使河原結那です。神薙香澄さんと凍夜さんですよね」


 目線を合わせるように座って軽く頭を下げる。失礼な話、こんな結那初めて見た気がする。


「ごめんなさいね、覚えてなくて。今回もよろしく頼むわ」

「数年前に一度会っただけですから。こっちこそよろしくお願いします。……そう言えばお二人とも結婚とかって――」

「兄さんは私がいるからいいんです」

「え」

「私も兄さんさえいればいいですし。今度親戚の子を養子にしようかって」

「な、なるほど……あはは……」


 この業界、どうしたってこの手の話題は尽きない。この手の話題と言うのは『結婚』、そして『出産』だ。


 退魔士としての能力は遺伝する傾向にある。一流の退魔士同士の子供がまったくなんの力も持たないという可能性は低い。少なくとも幽霊が見える程度の力は持つようになる。

 だからこそ結婚は推奨されるし、この世界は狭いのでだいたい相手は顔見知りだったりする。一般人と結婚することも間々あるが、それで退魔士を辞める者も多いので結局退魔士同士が勧められることになる。


「ええと……襲撃予想は明日の夜ですけど、一応今夜の可能性もあります。なので二十三時にはここに来てください。それまでは自由にしてて大丈夫です。もし休むなら部屋を用意しますけど」


 引き気味の結那に助け舟を出す。このまま続けてもいいことはない。自業自得だとは思うが。


 時間まではまだ六時間ほどある。潰すには長いだろう。二人にもストレスを感じないようにしてほしい。


「別に平気よ。でもちょっと歩き回ったり誰かと話したりするけどいいわよね」

「はい。でも怪我人や休んでる人は避けてください」

「それくらいはわかってるわ。それじゃ」


 二人が道場を出ていくのを見送ると、力が抜けたのか結那がぐったりして手をついていた。気持ちはわからないでもない。


「あの二人、というか香澄さんはブラコンだから」

「知らなかったのよ……」

「俺は知らないのにピンポイントで地雷を踏んだお前が凄いと思ってるよ」


 あんな綺麗に踏み抜くとは。さすがの良治も止める間がなかった。


「だって結婚とかってこの世界難しいじゃない? 組織外の人に会うのもそうそうないし。ちょっと興味あったのよ」

「結婚、ねぇ」


 実は白神会を抜けてから知り合った女性と結婚を考えることはあったが、結局別れてしまっていた。

 原因はわかっている。最後までこの世界のこと、退魔士のことを言い出せなかった自分の弱さ。それが不信感を生み、それを解消できなかったことだ。


「良治は結婚する気はあるの?」

「……どうだろうな。その時になってみないとわからん。でも今のところはないかな」

「そっか……まぁそのうちその気にさせてみるわ」

「おいおい」


 今自分を慕ってくれているみんなは全員退魔士だ。だから説明しなくても全部知っている。

 良治がどんな人生を歩んできたのか、何故人を殺したのか。

 何のために戦ってきたのか、何を守ってきたのか。


(――そう言えば)


 相棒だったまどかにも、姉代わりになってくれた葵にも。

 自分を引き取ってくれ、剣を教えてくれた葵の父親にも。


 誰にも喋ったことのない秘密があることを思い出した。



 ――誰にも言っちゃ駄目よ――



 それはきっと良治の身を案じてのことだったのだろう。でも結局幼い良治はそう言われたこと以外は白神会に話してしまった。父親が魔族だったこと、母親もなにかしらの力を持っていたこと。何処からか逃げてきたこと。魔族に追われていたこと。


 母に念押しされた言葉。

 誰にも言ってはならない、母の名――夕海ゆみ


 苗字は知らない。もう覚えていない。誰も母を、良治を苗字で呼んでいなかったからだ。


 良治の中で何かが動きだした。その自覚はあった。

 しかし、それが本当に彼のこれからを動かそうとしていくに気付くことは出来なかった。

 


【ブラコン】―ぶらこん―

ブラザーコンプレックスの略。兄や弟に親愛の情以上の感情を抱くさま。

度が過ぎると対象の周りの女性を排除したり強引な手段に出ることもある。それを実行できる力があるととんでもない迷惑を周囲に撒き散らすことも。

ブラコンの妹を持つ場合、兄もシスコンの可能性も高い。

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