剣豪対退魔士
――伊東一刀斎。その名を聞いて良治は戦慄した。
(一刀流の開祖、剣聖とも謳われるあの――ッ!?)
「良い反応だ。悪くない」
一瞬の虚を突いて振るわれた一閃を良治は辛うじて受け切れていた。弟子たちに注意を促しておいてこの体たらく。良治は自身に苛立ちを覚えたが、今はそれを引き摺っている余裕はない。
伊東一刀斎。戦国時代の剣豪。剣聖。生涯三十三戦して不敗。
様々な情報が頭の中に駆け巡る。しかし今はそれを纏めている時間はない。流れるままに流し、今はただ目の前の強敵に相対しなければならない。
「ッ!」
「これも躱すか。ならば」
上段からの振り下ろしを避けられたのは、良治が前に出られなかった、出る意識を欠いていたからなのだが、一刀斎は表情を変えないまま連撃を繰り出してくる。
「ぅ……ッ!」
乱れ打ち、しかしてどれもが精密な技巧の一撃。良治の見切りの技術を以てしても瞬く間に切り傷が増えていく。技術に数段の差があった。
「――ふ!」
相手が一息つく瞬間に攻勢に出る。しかし予測されていたのか良治の突きは簡単にいなされてしまう。
阻まれた直後すぐに後ろへ跳び、距離を取る。ここで周囲の気配と音で残りの三人も既に戦闘に入っていることを知った。しかしそちらの方に気配を探ることも視線を送ることも出来ない。やったが最後瞬時に斬り捨てられるだろう。
じり、と摺り足でほんの少しずつだが確実に間合いを詰めてくる一刀斎。
剣技は格段に一刀斎。それも当然のこと、良治は剣豪でも剣客でもないのだから。技術で負けるのは当然と言える。
となると勝機はそれ以外の部分、良治とすれば術の行使が剣技の差を埋める一手となる。
(――真っ向勝負)
だがそれを良治は拒否した。術は最低限、身体能力の強化以外は使わない。
それは勝率の落ちる愚かなこと、相手に合わせる必要など皆無。良治が第三者目線で見ていたらそう感じるかもしれない。
真っ向勝負と決めたのは良治の独善からだったが、しかしそれが最適だと良治は後から思い至った。
術の行使に力を使うのと、身体強化に使う力。それらを比べた時、良治は身体強化の方が効率が良い。となれば奇策に術を使うのと真っ向勝負に身体強化を使うのとでは、後者の方が良さそうだと良治は感じる。
奇策に頼って失敗すれば、その時は即座に死が襲い掛かる。
「ッ!」
「ふ」
先手を譲ってばかりはいられない。やや遠いところから一気に踏み込んで刀を振るう。横薙ぎの一撃を一刀斎は難なく受けると即座に攻勢に切り替える。
「……ッ!」
良治にとって助かったのは、一刀斎の剣がすべて一撃必殺を狙ったものだったことだ。まともに受ければ深手、致命傷となる一撃は当然間合いを詰めた力の籠った一撃。中途半端なものがない分、致命的な剣閃が来るであろう方向はある程度絞れる。
「ッ!」
だが絞られたところで速度、技術に勝る剣聖はあと数合打ち合えばいつか崩れると判断して更に攻勢を強めた。
だが、崩れない。
良治は受け切るとまでは言えないが、細かい切り傷を増やしつつも打ち崩されることはない。
このままでは無理と断じ、一刀斎は距離を取る。
「ふ……素晴らしいまでの集中力。瞬きほどの再びの生、まさかここまでの者と死合えるとは」
「……は、それはこっちのセリフですよ。まさかあの伊東一刀斎と剣を合わすことが出来るなんてね」
「ふ、ならば味わうが良い。儂の『夢想剣』を」
「喜んでッ!」
休憩時間は終わり。良治は再度前に出る。
眼前のことだけに没頭する。――集中力。そしてそれは絞った可能性から身体の動きを見て更に剣閃を絞り切る。
人間の身体の可動域には制限がある。何処まで可動するかを知っていれば動きの予測が立つ。それは動けば動くほど絞られ、良治に刀が触れる場所が終点となる。
だが当然それらは一瞬の出来事で常人には難しい。そこで良治は極限までの集中力、そして視力の強化でそれを成しえていた。無論根底には元々の技術の高さ、先読みという経験があってこそだった。
「ぐ……!」
それでも完全に捌ききることは不可能だ。
驚異的な集中力、幼い頃からの努力と経験を以てしても歴史に名を遺した剣聖には届かない。それは当然と言えば当然のことだと納得してしまうことだ。
(それでも……!)
それでも戦わなければならない。勝たなければ先に進めない。
術は使わない。事ここに至れば使う余地はない。決定的な隙を生むだけだ。
「鈍ってきたか?」
「……まだまだッ!」
退魔士にはある意味日常的と言える戦闘行為だが、それでも武器を、刃物を持って殺し合いをするという行為は恐ろしいまでに肉体と精神に負担をかける。そしてその負担は疲労という形で知らぬ間に忍び寄るものだ。
自身の中に徐々に広がる疲労。それを自覚した良治は決着が近いことを感じずにはいられなかった――
「なかなかやるな、女!」
「そちらも、なかなか」
細身の日本刀と大鎌が一瞬交差しすぐに離れる。
本来なら大鎌で折れるはずの日本刀だが、退魔士なら武器を力で強化出来る為そう簡単にはいかない。今回の相手である傳心斎は退魔士ではないが、剣豪と呼ばれたほどの人間で、肉体や武器を力で強化することが出来たとしても不思議はない。それこそ現代の格闘家やスポーツ選手でも、一握りだが無自覚にそういった人間はいるのだから。
この傳心斎と名乗った男の力量は凄まじいものだ。
天音は彼の技量を上方修正する。剣士としてだけ見るならその技量は良治を上回ると。
天音は真っ当な退魔士の出ではない。昔居た組織の、白神会で言えば黒影流のような暗部の出身だ。なので基本的には身を隠しての影働きに長じている。
ある意味傳心斎との戦闘は、以前の良治と朱音の模擬戦のような組み合わせだ。
「そのような大鎌を手に、上手く立ち回るな。器用なものだ」
「それはどうも」
だが天音は一対一での勝負も苦手ではない。近接型六級という肩書がそれを証明している。
「だがいつまで耐えられるかな!」
今まで受けたことのないレベルの鋭い剣閃。これに立ち向かうことは難しいが、受けるだけなら難易度は幾らか下がる。
しかしそれでも受け続ければ綻びは生まれる。だが天音はそれを避けるために一定のところで攻勢に出、斬り合いと間合いをリセットする戦術を使っていた。
「時間稼ぎは得意なようだな。私の望むものでないのが歯がゆい」
「申し訳ありません。貴方に勝つことが私たちの勝利ではないですし」
天音は無理に自分が攻勢に出て失敗するよりも、良治が勝利することの方が確率が高いと踏んでいた。戦場は少し離れていて戦況はわからないが、決着がつけばすぐにわかる距離。彼ならそのうちこちらに来てくれるだろう。
優綺と朱音はやや不安だが、良治から無理はしないように言われているので自分と同じように時間稼ぎ、致命傷を受けない立ち回りに集中しているはずだ。
「むぅ。しかし灯火の如く儚い一時、私は私の思うままにさせてもらうぞ」
「お好きなように。私もそうしますから」
「……良い瞳だ。女、名は」
「潮見天音。短い付き合いでしょうが、何故?」
「短い付き合いだろうが、技量も覚悟も一流の者の名を聞いておきたいと思うのは武芸者としての習性よ。――潮見天音、参るぞッ!」
「受けて立ちましょう。まだここで死ぬわけにはいきませんから――!」
【神谷傳心斎】―かみやでんしんさい―
1581-1663。神谷直光。若い頃から修行をし、十五もの流派を修めた。
小笠原長治から真新陰流を学ぶも、晩年に仁義礼智基づかねば本物ではないという思想を持ち「直心流」と改めた。
直心流は名を変え、幕末の江戸四大道場の一つ、直心影流となったという。




