剣豪三人
「曲がります?」
「ああ。――いや」
舗装された車道を数分駆けた良治たち四人だったが、山を登っていく途中で大きく右にカーブする箇所に出くわした。
夏の陽射しは非常に厳しく、車のまま先に進むことも考えたが、もし奇襲されたなら車中では対応が難しい。車から転がり出るのが関の山だ。特に優綺と朱音が上手く切り抜けられるかがわからなく、結局最初の予定通り自らの足で進むことにしていた。
天音に問いかけられた良治は僅かに足を緩めたあと、一度肯定してからそれを否定した。
「誘われていますね」
「ああ。嫌だけどな」
曲がり角にあるコンクリートで固められた崖の上に目をやりながら渋い顔をする。
崖の向こうから存在を主張するように何かの気配がある。こちらが近づいてきたのを理解して誘導しているのだろう。
「優綺、朱音。息を整えたら崖の上に行く。いけるか?」
「う……頑張ります」
「問題なく」
自信がなさそうな優綺と特に問題がないと判断している朱音。普段は逆の反応が多いので少し珍しい。
確かに崖は十Mほどで見上げると首に負担がかかる高さではある。身軽さが長所の朱音は今まで同じようなことをした経験があるのだろう。
逆に優綺はまだ実戦経験が浅く、身軽さや機動力といった面では並程度だ。経験のないことにしり込みするのも当然かもしれない。
「……天音」
「少し過保護かもと思いますが、仕方ないですね」
「え?」
天音が小さくため息を吐いて右手を軽く振る。すると嵌めていた指輪が僅かに光り、輝きとは対照的に漆黒の毛並みを持った狼のような魔獣が出現した。
「ぶち、乗せてあげてください」
「あ、あの」
「今は無理なことに挑戦するタイミングではありません。安全な方を」
「……はい」
ぶちと呼ばれた黒狼は優綺の前に出ると音もなくお座りをする。
「あの、ごめんなさい」
優綺はぶちの赤い瞳と目を合わせて軽く頭を下げるとぎこちない動作でぶちに跨った。
「これが潮見様の使役士としての能力なんですね。従順な魔獣という存在を初めて見ました」
「俺も天音以外の存在を知らないよ。他にいるなら見てみたいとは思うけどね。ただ天音の場合、従えているというよりは相棒や家族っていう感じだけどな」
「そうなんですか?」
「ああ。っと、行くか。時間の余裕はないだろうし」
「はい」
優綺の準備が出来たので良治も軽く身体に力を行き渡らせる。
「では私が先行します。良治さんは殿を」
「了解」
そう告げると天音は軽やかなステップでコンクリートの凹凸を蹴って簡単に一番上まで登っていく。そして次に同じようなルートでぶちと優綺が上がっていく。ぶちにしがみつく優綺の姿が子供のようで微笑ましい。
「さ、次は朱音」
「はい」
朱音は天音たちとは違い最短ルートを縦に真っ直ぐに進み、最短記録で崖上に到着する。黒影流として現役、そして小柄な身体故に出来る芸当だろう。やはり弟子たち二人と比べると一枚も二枚も実力は上だ。
良治も皆に続いて崖を登っていく。天音達ほど左右に振らず、かといって朱音のように真っ直ぐでもないルート。これが一番バランスが良さそうという判断だ。
「っと。やっぱり居るか」
「はい。この先、すぐに。崖上で仕掛けてこなかった理由はわかりませんが、戦闘態勢であるのは確かですね」
先に到着していた天音はこちらを見ないまま返事をする。天音の手には既に大鎌が握られていて、相手は見えないもののこちらも戦闘態勢だ。
「準備を。行くぞ」
さっきまでとはレベルの違う緊張感。ここから先は戦場。
そんな思いを纏わせて、良治はそう告げた。
(誰だ……?)
緩い斜面を進み密集した木々の間を抜けた先には、山間部全体から見れば猫の額ほどと形容できるような草原があった。
そしてそのほぼ中心に存在していたのは和装の三人の男たち。真ん中の男は堂々と仁王立ち、こちらから見て右の男は背を木に預け、左側の男は草むらに正座をしていた。
だが良治には三人の誰にも見覚えがなく、誘われて来たものの戸惑いの感情に包まれていた。
「来たか」
そう静かに口を開いたのは中央に立っていた男。三人に共通して言えることだが、全員が剣道の道着のようなもの、もしくは着流しの和服で昔の素浪人のような印象を受けた。
「お主が『柊良治』で間違いないか」
「……ああ、間違いない。それで、貴方は、貴方たちはどなた様ですか?」
紺色の道着の男の言葉に素直に答え、今度は相手の素性を訊ねる。聞けば答えてくれそうな雰囲気があったこともあるが、やはり良治には相手が真っ当な存在でないような、不思議な雰囲気を纏っていたことが理由だ。
「『貴方たち』とは何処までの質問なのか、難しいところだな。私のことなのか、私たちのことなのか、私たち三人のことなのか――私たち六人のことなのか」
「六人……?」
背後の優綺が小さく呟く。それと同時に優綺と朱音が周囲に目をやるが怪しい気配はない。
良治としても周囲に他の敵がいないことは把握している。この場所に到着して良治と同時に周囲の気配を探っていた天音が何も言っていないことがその証拠だ。
六人。しかしやはり三人しか視界に入らず、気配も感じられない。
「……一人、二人、三人、六人、か。じゃあまずは、貴方と、貴方が身体を借りている方の名前を教えていただければ」
「やはり感は鋭いか。それとも洞察力か」
「いや、単純に貴方がヒントを、情報を出しすぎただけですよ」
紺色の道着の男の言動は良治の予想を肯定するもので、それ自体は嬉しいが、相手が厄介なことが確定したことはかなり面倒な事態だ。
「傳心斎。我らの役目は彼らを斬ること。言の葉を交わすことに意味は無い」
「しかし休賀斎様……いえ、その通りですな」
「そう委縮するでない、傳心斎。この場では我らは同格、同じ存在ぞ。そして行うこともまた同じ」
「は……」
木に背を預けていたもう一人の白い道着の男が窘める。二人の間柄はわからないがどうやら白い道着の男の方が上位らしい。
(傳心斎、休賀斎……何かの資料で見た気もするが……だが)
良治は二人の名を随分昔に見た気がしたが、今はそれに時間を割くことはできない。紺色の道着の男はともかく白い道着の男の方はいつ斬りかかってくるかわからない怖さがある。
「それで、身体の持ち主の名前は教えていただけないのですか?」
「柊良治、すまないがそれを言うことはできない。知らぬからな」
「知らない……? 知らない者の身体に憑依していると?」
「うむ。陸奥の方から来たと。そしてお主に恨みがあり、その為に力を借りたいと。それだけしか聞いておらぬ。……そろそろ休賀斎様の我慢も限界と見える。すまぬが――始めさせてもらう」
言葉と同時に傳心斎と休賀斎が腰に差した日本刀に手をかける。
「おそらく昔の剣術家、剣豪の類だ。優綺と朱音は二人で一人に対応するように」
「はいっ」
「はい」
陸奥の方から来たというのが本当なら予想通りこの三人は霊媒師同盟の霊媒師で確定だ。トップ同士でも組織間でも現状対立はしていないので、彼らは盟主の志摩崩の意向に逆らってこの場にいると考えられる。
(俺が組織に介入したことを不服と思ったのか? 可能な限り控えていたつもりだったが……ちくしょう)
敵を作らないように霊媒師同盟や志摩崩自身にも接触は避けていたが、それでも不満に思う者たちはいたらしい。
良治からは表立って連絡は取っていなくとも、崩の方から来た連絡に関しては周知されてしまっていたのだろう。
「――死合うか」
これまで無言で座っていただけの三人目の男。茶色の着流しの男はスッと立ち上がり前に出る。
明鏡止水。凪。剣気もなくただそこにあるのみ。
他の二人に比べることができない気配の無さ。
いや無いのではない。ただの一般人と変わらぬ気配なのだ。
それが良治には空恐ろしかった。
「俺が、茶色の相手をする」
「では私は――」
「女、一人で相手をするつもりなら私の相手をしろ。一対一こそ私が望むもの」
「……では」
天音がちらりとこちらを見てから返事をすると、言葉を遮った傳心斎はほっとしたような表情で微笑む。
「そうなると我の相手はそこな女子二人かな。斬る者が増えたが久方振りだ、むしろ喜ばしいこと、か」
「霊媒師同盟の霊媒によって喚ばれた者たちだ。決して真っ向勝負を仕掛けるな。生き残ることを最優先に。……頼むぞ」
「……はい!」
「了解しました」
覚悟を感じるのは二人とも共通。相手が格上なのを理解しているのだろう。
だが覚悟を強いられているのは――良治も同じことだった。
(底が見えない、どころか何も見えない。情報もないってのは本当にやりにくいな)
全員がじりじりと自分の戦闘態勢に入っていく。間合い、先手を取るか否か。良くも悪くも誰も他人の戦闘に介入する様子はない。ただ目の前の相手を討ち果たすことに没入していく。
「――直心流・神谷傳心斎、参る」
「新影流、奥山休賀斎、往くぞ」
そう名乗りを上げた二人の剣気が膨れ上がる。
良治はその名が戦国時代、江戸時代初期の剣豪を表すものだと気が付いたが、もはやそれを口にするタイミングではない。こちらに気を向けてしまえばそれが開戦の合図となってしまう。天音はともかく二人にとっては致命的になりかねない。
「名乗り、か。剣士、兵法家なら仕方あるまい」
「貴方は名乗らないので?」
二人の名乗りを聞き、茶色の着流しの男に軽口を叩く。少しでも情報が欲しい。
傳心斎と休賀斎と同格以上の存在と見ていてかなり厄介な相手だと感じている。少しでも情報を得て、有利にはならなくても心の落ち着きが欲しい。まったく素性の知れない相手と殺し合いをするのはそれだけで疲労が溜まり精神が疲弊していくものだ。
「……乗ろう。儂は伊東一刀斎。未来の剣士よ――参るぞ」
【奥山休賀斎】―おくやまきゅうがさい―
1526-1602。奥山公重。三河奥平氏出身。甲府に来ていた上泉伊勢守に出会い師事。
一年後奥山郷に戻り、奥山明神に日夜参拝し神託を受け奥義を極め、神影流、奥山流とした。晩年は休賀斎と称した。




