それぞれの思惑の行き着く先は
走り出した良治に朱音は躊躇いなく空間転移を実行した。
黒影流はそもそも他の流派とは違い真っ向勝負を好まない。ある程度の実力は無論あるが、やはり分が悪いのは事実だ。
朱音が空間転移をするのは予想済み。更に言うなら今はもうその視線から場所を絞れてもいる。
「……っ!?」
「はぁっ!」
走る良治の左側後ろの上方に出現した朱音に木刀を振るう。初めて朱音が防御に、良治が攻撃側に変じた瞬間だ。
朱音は空中の為踏ん張りが効かず、短刀で木刀を受け止めたがそのまま力任せに振り払われる。体格差故これは避けようがなかった。
そして着地した瞬間を逃す良治ではない。攻勢に出たならば自分が有利な限りその手を止める理由はない。
「ッ!」
コンパクトに振り下ろされた木刀を辛うじて短刀で受ける。やはり空間転移は使ってこない。やはり連続では使用出来ないらしい。
「ぐ、このっ!」
僅かに木刀を弾くと生まれたほんの少しの隙を突こうと、短刀を蛇のような軌道でぬるりと繰り出してくる。
避けるのはそこまで難しくない。元々中途半端な体勢から放たれた攻撃だ。木刀を戻す余裕はないが避けることは出来る。
「あっ!?」
だが良治はそれを選ばなかった。
良治の左手が刺さる直前ながら彼女の手を掴んだ。予想外だったのだろう、朱音が驚愕の声が上がる。
(これなら空間転移出来ないんじゃないか?)
良治は複数人が同時に転移した場面を見たことがない。もしかしたらそれは不可能なのではないか。もしくは二人とも転移してしまうか。それなら距離が離れることなく、転移に意味はなくなる。
可能性としては実行者以外で触れていた者は何かしら危険な状況に陥るかもしれないが、模擬戦というこの場面で彼女は使用するだろうか。
つまり触れている彼女が空間転移を使用する可能性は低い。良治はそう踏んだ。
「ハッ!」
「がっ、――あああああッ!?」
木刀を手放した右腕で朱音の身体中央に肘をめり込ませる。
そして、身動き出来ない彼女の身体を地面に叩き付け、そのまま組み伏せた。――良治の勝利だ。
「ぐ……」
「判定は?」
「あ、はい。良治さんの、勝利です」
「ふう……」
視線と問いを審判である薫に投げ、決着をつけてもらう。勝利宣言を貰い、良治は小さく息を吐いた。
(さすが黒影流門下。彩菜が教えていただけある、か)
だがやはり面と向かっての勝負には慣れていなかった。当たり前だが必勝の一手を凌がれてしまうと途端に単調になり、終盤は体力面の不足が露見した。
(実力は間違いなくあった。経験不足と言えば経験不足だけど、それは自分の戦闘スタイルに合わない戦いを強いられてしまったことが最大の敗因か)
「さて、これで納得したかな」
「……はい。主様のお好きなように沙汰を」
拘束の解かれた朱音はふらふらと立ち上がると、顔を伏せたまま力なく答えた。尋常な勝負だったというのに何故か罪悪感が生まれてくる。
「じゃあ……」
「あ、あの! 先生っ」
「ん、優綺、どうした?」
口を開いた良治の言葉を遮って優綺が駆け寄ってくる。この後今の模擬戦の感想を聞こうと思っていたのでそれかと思ったが、今このタイミングはおかしいし、何よりその表情が違うと告げていた。
「その、朱音さんの部屋なんですけど……」
「けど?」
「あの、私の部屋で、一緒に、というのは駄目でしょうか……?」
「優綺の部屋で?」
「はい」
予想外の提案に聞き返しながらも思考を巡らせる。
優綺の部屋を優綺と朱音で使う。
確かに優綺の使っている部屋は今良治が私室に使っている部屋と変わらない。
なら布団を二組並べる余裕はある。
優綺の私物は少なく広さはキープしてある。
「……いいのか、本当に」
「はい。だから提案しました」
優綺に不服はない。確かに不服ならこんな提案はしない。
「郁未、どうかな」
「私も構わないわ。むしろ賛成かなっ」
「お二人とも……ありがとう、ございます」
郁未も賛意を示し、これで問題は良治一人となった。
(まぁ二人も三人も変わらないか。……成り行きって怖いなぁ)
絶望的な表情だった朱音をもう一度突き落とすのはさすがにどうかと思う。良治は諦め気味に苦笑して結論を口にした。
「じゃあ朱音、優綺の厚意で君は優綺の部屋で暮らすことを許可する。今後は自分は勿論、優綺と郁未の指示にも従うこと。異見がある場合はそれをきちんと伝えること」
「はい!」
「よろしい。……優綺と郁未に改めて感謝を」
「優綺さん、郁未さん。本当に、本当にありがとうございます。これからも、是非ともよろしくお願いします」
深く、深く頭を下げる朱音。これなら二人とも上手くやっていってくれるだろう。
「あ、そんな、頭を上げてください」
「いいのいいの、ほら、ねっ」
「……本当に、感謝を」
顔を上げた朱音は、もう一度、笑って、そう言った。
(今日は良い日だった)
ベッドに寝転がりながら一日の出来事振り返りながら良治はそう思う。
現在時刻は朝六時を過ぎた頃。帰宅してシャワーを浴びて眠る直前の安らかなひと時だ。
あの後全員で良治の家に戻って食事をし、始発の電車で帰る薫と蒔苗を駅まで送り届けた。食事は半ば朱音の歓迎会となりとても和気あいあいとした時間を過ごせたように思う。
(優綺は、凄いな。いや郁未もだけど)
優綺は朱音の戦闘方法が単調なことに気付き、郁未は朱音の視線の動きに気付いていた。二人ともがそれぞれ全体的、局地的に大事な場所が見えていたことを示していた。
(そろそろ……そろそろか?)
実戦を経て優綺は更に落ち着きを持ち、冷静に物事を測れるようになってきたようだ。あともう少し知識と棒捌きを身に付ければ十分に第七位階級退魔士となれるだろう。
郁未はまだ時間がかかる。まずは優綺を意識してそこまで導いて一人前にさせてあげたい気持ちが生まれた。
(座学、そして……あとは)
もう彼女を一人前として扱おう。それによって優綺なら自覚も芽生えるだろう。その資質があるのはこれまでの生活で理解出来ている。
独り立ちの見えてきた愛弟子に、良治は小さく微笑んだ。
「――もう待てん。まだか、まだなのかッ!」
『まだ確殺とまでは言えませんねぇ。準備はしていますが、まだ可能性を上げることが……」
「もういい、いけそうなんだろう? ならもう行くべきだ。なんせ奴はこちらの戦力に気付いている。村瀬が隠居に追い込まれたのだからな。奴め、卑劣な手段を……!」
「……そうですな」
小太りの男は電話先の主に同意しながらも嘆息した。
(説明はしたのですがねぇ……)
ことの顛末は既に伝えていたが、それを彼は良治の深謀遠慮の策だと断じていた。
確かに柊良治は頭の切れる退魔士だ。しかし策を弄するというよりもその場を切り抜ける能力に長けているタイプで、今回のことを最初から画策していたようには思えない。
更に言うならそんな策を考えるくらいなら直接このヒステリーを起こしかけている主をどうこうするだろう。
「もう猶予はない、早急に、今すぐにでも奴を仕留める策を捻りだせ!」
「……はい。それでは」
何とも言えない気持ちのまま通話を切る。
準備は着々と進んでいる。相手の動向も把握している。
だがこれだと確信の持てるタイミングではない。
(……やるか)
だが小太りの男は決断した。
この先ここぞというタイミングが来るとは限らない。
名古屋支部長のことは数には入れていなかったが、それでも戦力としていた男が殺されている。今後も戦力が減じてしまえば再起するのに時間がかかるだろう。そうなれば癇癪を起したあの男が暴走するのは目に見えている。
ここが分水嶺か。
男は小さく息を吐くと、顔を引き締めて誓いを新たにした。
――必ず、柊良治を殺すと。
「や。了解したにゃ。んじゃ、熊さん」
作戦行動開始の報を受け、黒猫はにやりと笑った。
少し前に霊媒師同盟から数人引き抜いたこともあり、彼女は決戦が近いと感じ準備を入念に行っていた。
黒猫が白神会を抜けたのは、浦崎雄也の秘密を知ってすぐのことだった。単独で行動することが多い黒影流、任務の最中に消えるのはそう難しいことではなかった。
あんな組織には居られない。居たくない。強く、強くそう思い黒猫は姿を消した。
仲の良い友人に追われる逃亡者になることに抵抗はあったがそれは些細なこと。すべてを投げ出すこと、殺害対象になること。それらをひっくるめて、覚悟して彼女は白神会を捨てた。
生き延びたい。
いつか新幹線内で彼に言ったことを思い出す。
生き延びる為に、黒猫は胡散臭いあの熊と手を組んだ。
消極的行動から積極的行動。逃げ続けることに自信はそれなりにあるがやはり不安は拭えない。
それなら、そう、原因を取り除けばいい。困難な任務だが、今のままよりはいい。
「――必ず、消す」
暗闇に紛れた黒猫は、無表情にそう呟いた。
計画は近いうちに実行される。
そんな連絡を受けて芦田の心は揺らいでいた。
仲間たちと霊媒師同盟から逃げ出し、小太りの男に雇われてひと月が経とうとしていた。
家族ごとに宛がわれた部屋で特に不自由を感じることなく過ごす毎日。芦田は独身の為一人暮らしだが、他の二人とは毎日会い話をしていたので寂しさを感じることはなかった。外出も自由でこんな毎日で良いのか疑問を持つほどに。
しかしそれは大きな仕事を成す為の待機時間。終わることが約束された時間。
標的の暗殺。その為に待っていたが、その時間がもたらしたのは僅かな躊躇だった。
本当に殺したいほど奴を憎んでいるのか。殺していいのだろうか。
ほんの少しだが、確かに迷いが生まれていた。
だが金を受け取って生活をしてしまっている以上もう逃げられない。逃げ出せばあの男は迷いなく殺すだろう。例え一人で逃げることに成功しても、残された彼らはおそらく処分される。あれはそういう男だ、そう芦田は感じていた。
(やるしか、ないんだ)
もう引き返すことは出来ない。
男は拳を握り締めて、前に進むことを決めた。
【戦闘スタイルに合わない戦い】―せんとうすたいるにあわないたたかい―
誰もが得意とする戦闘スタイルがあり、苦手なものがある。朱音にとってそれは真っ向勝負で、本人はそれを自覚しないまま模擬戦を行い手痛い結果となった。
因みに良治は苦手なスタイルを限りなく少なくするように今まで訓練をしてきたようだ。




