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喜雨に泣く

作者: 奏穏朔良

彼女の唄は雨になる__‥‥





俺の生まれた村は大して裕福でもなかったが貧しいわけではなかった。


いや、周りからみれば貧しい方だったのかもしれない。

だが、生活に苦を感じたことなどなかった。


農作物と近くの川で捕れる魚での自給自足な日々。

時折、山へ登り狩りもした。

それは俺のような若い男の仕事だった。


幼い頃から一緒にいた雨女(あまめ)という、所謂幼なじみの少女には怪我をする度よく怒られた。


いつも物静かな大人しい人柄だというのに俺の怪我のことになると人が変わったようで、最終的には泣き出してしまうのだ。


おかげで俺は怪我をしなくなった。


あいつが泣くのは嫌だったからだ。



いつからだっただろうか。


あいつを幼なじみとして見れなくなったのは。


歳を増す事に美しくなった。

幼い頃から純粋で優しかった。


ずっとそばに居たからこそ彼女に心を奪われるのに時間なんてかからなかった。


秘めておこうか迷った。

だが、小さな村だ。

いつかは彼女も子を産まねば村は廃れてしまう。


‥‥ほかの男に渡すなんて、そんなのは嫌だった。


「‥‥ずっと好きだった。」


そう伝えた時、初めての狩りよりも心臓がうるさく暴れていた。


「ねぇ、知ってた?」


彼女は優しく微笑んだ。


「私もずっと大好きだったんだよ?」








幸せになれるはずだった。


幸せになるつもりだった。







いつからか村に雨が振らなくなった。


山に囲まれたこの村は深刻な水不足に陥った。


近くを流れていた川は干上がり、若人は狩りよりも川の上流へ行き、毎日村へ水を運んだ。


しかし、それも限界があった。


一日中山を上り下りしても、どんなに汗を流しても、村人は飢え、渇きに苦しむばかりだった。


「‥‥ねぇ、少し休んだ方が‥‥」


「‥‥駄目だよ、少しでも多く水を運ばないと。もう動けるのは俺しか居ないんだ。」


過酷な山登りを重い樽をかかえて行うのはいくら力に溢れた若者たちと言えど地獄のような労働だった。


真夏の炎天下、まともに水分もとらず水を運び続けた結果、若い男はまともに動ける状態ではなくなった。


最後に残った俺は諦めるわけにはいかなかった。


俺が諦めてしまったら誰がこの村に水を届けるというのだろうか。


俺が歩くのを止めてはいけないんだ。


しかし、そんな思いとは裏腹に足はどんどん動かなくなっていった。


最初の頃なんて三往復していた山道も今では一往復が限界となっていた。


「ねぇ、お願い!一日だけでいいから休んで!」

「‥‥ごめん。」


その日も俺は樽を抱えて山へ向かった。


昔のように雨女は心配だと、貴方まで倒れてしまったら、と俺の心配ばかりをしていた。

だが、さすがに雨女も泣くまで説得はしなくなった。


わかっているのだ。

俺が水を運ばねばこの村は滅ぶと。


雨女も随分と細くなってしまった。


もとより細身であった彼女は今にも儚く枯れてしまいそうでそれがたまらなく恐ろしかった。



なんとか樽いっぱいの水を村に持ち帰る。


珍しく雨女が出迎えなかった。

嫌な予感がして慌てて家に戻ろうとした。


しかし、現実は予想よりもずっと残酷なものだった。




「‥‥もうこの唄に頼るしかないんだ‥‥!頼む雨女‥‥!」


村長が頭を下げていた。


この唄ってなんだよ‥‥


雨乞いの唄?


そんなもの‥‥こんな小さな村には一つしかない。


村の端にある祠に祭られた小さな石碑に刻まれた雨乞い唄しか‥‥


「私が‥‥」


雨女が静かに言った。


「皆様のお役に立てるのなら。」


と。


やけにその声が響いて聞こえた。


村長が出ていく時、戸の前に立ち尽くす俺の肩を叩いて言った。


これは村のためなのだ、と。


「‥‥行くな。」


「‥‥行くよ。」


「‥‥唄わないでくれ‥‥!」


「‥‥唄うよ。」



寂れた部屋に声だけが虚しく響く。


「‥‥なあ、雨女。」

「‥‥なぁに?」


「‥‥逃げよう。この村を出て、何処か遠くへ。」



そんなの夢見事だとわかっていた。

雨女は曖昧に笑った。


村の中のことしかわからないガキが外へ出たところで先などしれている。


そして、俺も雨女も村を捨て、村人を見捨て、家族を見捨て‥‥自分たちだけ生き延びようなどと思えるような薄情にもなれなかった。


「‥‥水なら俺が運ぶ‥‥この足が折れようが腕が腐ろうが‥‥地面を這いずってでも水を運ぶ‥‥だから頼む‥‥」


雨女が祭壇に上がる前日、こりもせずに‥‥だが、祈るように言った。


わかっていた。


これが仕方のないことだと。


「‥‥愛しているわ。」


そう、雨女は美しく微笑んだ。







雨女が祭壇に上がり、神に祈りの唄、雨乞いの唄を唄い始めて一日がすぎ、二日目も過ぎようとしていた。


しかし、空には雨どころか雲一つない。


始めは祭壇の前、祠の方を向いて唄っている雨女からしたら背後になるがそこに皆座り込み、祈るように手を合せ、ぶつぶつとなにか口籠もっていたが半日、一日とすぎる内に人々は諦めたように立っていった。


俺は祭壇の前には座らなかった。


ただずっと、祭壇の横の太い組み木に背をもたれ座っていた。


この村で一番神力の強いのは雨女。

その雨女が雨乞い唄を唄うのだ。


きっと雨は降る。


だが、俺は雨のために唄う雨女を祭壇の前で‥‥ただその背中を見ているのは嫌だった。


村を思う優しい雨女を今まで通り隣で見ていたかった。


俺は幼い時から、生まれた時から彼女の隣にいた。


ならば、最後まで俺は彼女の隣にいたい。



もう、祭壇前に人はほとんどいなくなった。


雨女が唄い始めてからもう三日が過ぎようとしていた。


俺は動かなかった。


何も食べず何も飲まず、ただそこに座っていた。


何度も村人に少しくらい食べたらどうだ、と言われたが雨女も飲まず食わずでずっと唄っているのだ。


俺なんかよりもずっとつらいはずだ。


大丈夫だ、の一点張りで水も運ばずそこに居た。


四回目の日が登ろうとしていた。


しかし太陽が見えない。

明るくもなりやしないのだ。


「‥‥雲が‥‥」


夜空かと思っていた空は厚い黒い雲で覆われていた。

あれほどまでに、酷に照らしていた光が遮られるほどの雲。


紛うことなき雨雲。


雨女の声は掠れてはいたがまだ確かに響いていた。



更に雲は音を鳴らし始める。

雷が唸りをあげた。


鼻先を何かが濡らす。


それは鼻先だけではなく、次第に全身をも濡らしていった。


焦がれた、ただただ焦がれた雨の声が聞こえる。


雨女の声が聴こえる。


「‥‥雨だ‥‥!」


誰かがそう言った。


俺は慌てて立ち上がった。


しかし、情けないことに四日も座り続けていた俺の足はふらついていた。


半ば這うようにして祭壇に登る。

その先には天に両手を広げ、いまだに掠れた声で唄う彼女がいた。


「‥‥雨女!雨だ!雨が降った!だからもう‥‥」


唄わなくていい、その台詞が俺から吐き出されることはなかった。





唄が止まった。


雨女はまだ立っている。


だが、なにかが違う。


一瞬にして心がざわつく。


体温が一気に低下した、そんな感覚に陥る。


「‥‥雨女‥‥?」


恐る恐る彼女の肩に手を置いた。


まるで糸が切れたように膝から崩れ落ちる雨女の体。





雨女は微笑んでいた。


それはもう、見たことないくらいに美しく。








誰もが喜ぶはずの喜雨に、俺の叫び声が響く。










唄い手の命を奪い雨を呼ぶ呪いの唄。


故に祠に封じ祀られた唄。


















彼女は雨になったのだ。



喜雨‥‥長らく降らなかったがようやく降って草木や人が喜ぶ雨のこと。



一応これで完結ですが、もしかしたら雨女ちゃん目線の続編を載せるかも知れません。

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