表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
六道輪廻のうた  作者: 村松康弘
8/34

地獄ノ捌

仮囲いの中は500坪ぐらいの広さで、ビテ足場や一側足場、単管や足場板の材料が整然と積まれている。自社持ちの材料がこれだけ揃っている会社は少ない。たいていは機材リース屋で調達する。さすがに資本が大きいところは違うと思った。

材料の山の間に2箇所の通路がある、この通路上でユニック車を使って材料を載せ下ろしするのだろう。・・・敷地には番線クズなどのゴミも落ちていない。大した徹底ぶりだった。奥にコンテナハウスの事務所が見えた。職人は朝早くから各現場に散ってしまうので、藤沢は午前6時すぎにヤマノヰ鳶組に来ていた。

事務所の滑り戸を開けると10人ぐらいの顔が一斉にこっちを向いた、明らかにまだ10代の若者から藤沢ぐらいの男、年配者とさまざまな世代の男たちが、テーブルを前にした木製のベンチで談笑していた。「おはようございます」藤沢が声をかけると、みんな覇気のある声で挨拶を返す。

茶髪の若造がまだ声変わりの最中のような声で、「部長!」と呼びに行く。一番奥のパーテーションの向こうに『部長』と呼ばれた人の席があるらしい。「おう、待ってろや」返事がしてじきに部長という男が顔を出した。

(・・・!)藤沢はその男をよく知っていた。「梶浦さん・・・」藤沢の目の前に出てきた60歳ぐらいのごま塩の坊主頭の男は、藤沢が野沢組に入ってから1年ほどで足を洗った男だった。唇の横の傷跡も昔のままだ。

「おう、武彦。ご無沙汰だな。・・・おめえ、フジさんの親類だったんだな」梶浦は藤沢が来ることを知っていたらしく、驚いた様子はない。片手で坊主頭をなでつけながら藤沢の前に立つ。「ご無沙汰しております・・・」藤沢は深く頭を下げた。

梶浦は小柄で痩せているが凄味のある目つきで睨まれると、組の若いヤツらはみんな下を向き目を逸らした。威圧感がすごくて藤沢もそばに寄れなかったほどだ。組長の野沢に対等な口をきいていたのも梶浦だけだったと思い出した。・・・なぜ足を洗ったのかは知らないが梶浦に『落とし前』などはなかったと聞いている。

梶浦は藤沢にもう一歩近づき、「野沢の事件から7年か・・・元気そうで良かったじゃねえか。・・・社長からひと通りのことは聞いた」と小声でささやいた。


時間がきたので梶浦は職人を前に並ばせて、藤沢を紹介する。「今日から一緒に仕事することになった藤沢武彦だ。経験はいくらかあるみてえだから、まあみんなで仲良くやれや」職人は声を合わせたように「はい」と答える。(・・・ゴミひとつないヤードといい今の返事といい、梶浦さんのしつけが行き届いてるんだな)藤沢はヤクザ時代の面影を見た。

そのまますぐにハイエースに乗って現場に向かう、もう1台は4tユニックだった。

藤沢にとっての初仕事は、市街地の私立病院の外壁足場の解体の現場だ。外壁の塗装作業のために設置された足場で、9段あるから下のジャッキベースも合わせると約16mの高さだ。藤沢ぐらいの歳の職長が段取りを説明した。

3段の3スパンで縁切りクレーンで吊り下ろして、地上で小ばらしする。ばらした材料はチャーターした大型車に積み込んで昼までに1台、午後にもう1台、残りは自社の4tで会社のヤードに運ぶ。と言っていた。

上の職人は足場を縁切って中間の材料を枠内に収める、ワイヤーで玉掛けしてクレーン揚重の合図をする。下の職人は地上に下りてきた足場を小ばらしする者、ばらした材料を運んでまとめる者に分かれて作業する。とにかく忙しい仕事だ、藤沢も目まぐるしく動き回った。

なまっている身体はすぐに汗だくになるが、刑務作業の木工と一緒で作業に没頭する時間だけは過去を忘れることができる。藤沢はとにかく目の前の作業に集中した。


3日も経つとなまっていた身体も慣れ、仕事にも慣れた。・・・藤沢より若い連中は「武彦さん」と呼んで親しげに話しかけてくるが、藤沢は必要以上のことはしゃべらない。「武彦さんは無口なんすねー、俺等なんか黙ってると、なんか頭おかしくなっちまうっすよー」まだニキビ面の若いふたり組はそう言って笑う。

そして現場でもヤードでも子犬のようにふざけては、年上の連中に怒られる。(・・・俺があいつらの歳の頃は、もうヤクザになっていて、あんなに毎日が楽しそうにしてたことはなかったな)藤沢は眺めながら思った。

・・・藤沢が元ヤクザで6年刑務所にいたことを、梶浦はみんなに伝えてなさそうだった。もしかしたら自身の過去のことも伝えてないかもしれない。


ある日、若手のひとりから声を掛けられた。「武彦さん、車持ってないっすよね?いつも原チャリだし」藤沢がうなづくと、「・・・あの、俺のジープ買ってもらえないっすか?」藤沢が黙っていると、「実は俺の女に子供ができちまって・・・生まれたらジープってわけにも行かなくなっちゃって・・・」

若手はジープを手放すことに未練があるという顔をしていたが、子供ができたことの喜びの方がそれを超えているらしかった。「でも大事にしてきた車だから、どこの誰だかわからないヤツに乗られたくないんすよ。・・・武彦さんが乗ってくれれば毎日見れるし」若手は懇願する目つきだった。

藤沢は若手の言い値の30万円で買うことにした。もう生産してないジープだから希少価値があって30万円ではかなり安いが、それだけ足せば家族に優しい車が買えるからいいらしい。若手はまだ21歳だ。(俺が刑務所に入った歳か・・・)


それから1週間、藤沢は淡々と仕事をこなし安穏な日々を送っていた。ヤマノヰ鳶組は自社の職人だけではこなし切れないほどの仕事を抱えている。鉄骨建て方の時は、和彦の藤興業の6人が応援にやってきて、なんとかこなすといった状態だった。

・・・遠い現場で帰りが遅くなった、家に着いたのが午後10時。ジープを降りて玄関の滑り戸を開けて中に入り、後ろ手で戸を閉めた時だった。・・・突然磨りガラスが割れ、銃弾が藤沢の左耳を掠める。発砲音はあとから響いた。弾丸はつきあたりの壁にめり込む。

藤沢は咄嗟に玄関を開けて外に飛び出る、玄関から門まで走る瞬間、タイヤを鳴らして車が走り去っていく。通りに飛び出した藤沢の視界に、ポンコツ軽自動車のテールランプが見えた。近所の家々の玄関の明かりが点きだし、次々と野次馬が出てきた。

藤沢が玄関の方へ向かうと、「出て行け!犯罪者!」と誰かが喚いた。

―――第一の襲撃だ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ