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六道輪廻のうた  作者: 村松康弘
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地獄ノ漆

実尋は女にしては背が高い方で痩せた体形だった、小顔でなで肩だから首がすらりとしていた。いくらか茶色がかった髪をポニーテールにしてくる時があって、白いうなじがきれいな女だった。

・・・藤沢は実尋の後姿を追いかける。が、もがいている足は一向に進まない。そして実尋はどんどん先に行ってしまう。・・・藤沢は、(多分夢だ)と思いながらも背中に「実尋!」と呼びかける。声を張り上げても口から発せられる音はわずかなものだ。やがて実尋は暗闇に消える・・・。

藤沢は目を醒ました、障子を開け放したままの外には、もう朝日が差し込んでいる。(この夢はもう何度見ただろうか・・・)


和彦は現場を若い衆に任せて、藤沢の社会復帰のための準備につきあってくれた。市役所・警察署・携帯電話会社・・・一応の準備は出来た。

午後3時、市街地の北側の高台ある寺に向けて、白い軽ワゴンが坂を登っていく。和彦を現場に下ろして借りてきたのだ。寺の砕石敷きの駐車場に車を停める。苔が生えそうな石段を数段上がり瓦屋根の山門をくぐる。大して大きな寺ではないので山門から本堂まではわずかな距離だった。

本堂の煤けた木の扉を叩くと、着物姿の中年女が出てきた。多分住職の女房だろう。藤沢が土屋家の墓地の場所をたずねると、「じゃあこちらへ・・・」と先導してくれた。寺の裏手一面に墓石が立っている。

住職の女房はきれいに区画された小道を歩いて行く。あちこちから線香の匂いがしてきた、平日でも墓参りに来る人はいるのだろう。「こちらです」と片手で案内してくれた先に『土屋家』の墓石があった。

藤沢は女房に丁重に頭を下げた。・・・頻繁に手入れに来てるらしい土屋家の墓場は草一本生えてなく塵ひとつも落ちていない、墓石はきれいに洗われて水垢もついていなかった。手桶の水を柄杓ですくって墓石にかける、来る途中の花屋で作ってもらった仏花を左右の花立てに活ける。黒い背広のポケットから線香の束を出してジッポで火を点け手向ける。

・・・掌を合わせて目を閉じる、藤沢は逮捕されてこの地を去った7年前から今日までのことを、実尋に報告した。脳裏にまた今朝見た夢が浮かんでくる。ポニーテールの振り返らない後ろ姿・・・。

(実尋、今日またお前の夢を見ちまったよ・・・悲しかったよ・・・)掌を合わせたまま閉じた目から、自然に涙が流れる。そのまま10分も15分も立ち尽くしている。

『武彦、もう悲しまなくていいんだよ・・・もう悲しまなくていいんだよ・・・』脳髄に直接声が響いた。霊というものの存在を信じたことなどない、そういう現象にも遭遇したこともない藤沢だが、少しかすれたボソボソとした声は確かに実尋に間違いないと感じる。しばらく目を閉じたまま心で語りかけたが、それ以降はなにも聞こえてこなかった。


翌日、2万円で手に入れた中古のスクーターに乗って和彦に教わった山野井の会社に向かう。県や市の機関が立ち並ぶ通りの一角に、5階建ての『ヤマノヰビル』があった。いくつもの業種をやっている会社のようだが、ビルを見ただけではわからない。

RC造の清潔な建物の玄関に入ると受付があって、若い受付嬢は藤沢に「おはようございます」と愛想のいい笑顔を見せた。(・・・鳶なんかとは無縁の、商社かなにかに感じるが)藤沢は名前を名乗り、山野井社長との面会をお願いした。

受付嬢は内線で短い応対ののち、「4階の社長室へどうぞ」とエレベーターを手で示す。静かなエレベーターで4階フロアーに立つとつきあたりに『社長室』が見える。ノックをすると、「どうぞ」と低い太い声が返ってきた。

中に入ると全面ガラス張りの明るい部屋に男が立っている、「藤沢と申します」ちょっと逆光状態なので男の容姿が見えないまま挨拶した。

「やあ、藤沢君ね、フジさんから聞いていますよ。さあどうぞ」男は応接用のソファーを指差す、やっと男の姿が見えた。向き合って座ると男は名刺を差し出した。

『(株)ヤマノヰ 代表取締役社長 山野井祥造』・・・山野井は40代後半ぐらいに見えた、短く濃い頭髪に日焼けした顔は整っていたが、いくつかの傷跡がある。背は高い方でスマートな体形だが、がっしりした骨格だった。

「フジさんの甥っ子さんだそうで、・・・だいたいのことは聞いていますよ。うちの職人部門は人手不足で、しょっちゅう『藤興業』さんに応援を頼んでるぐらいだから、明日からでも来てもらえたらありがたいね」山野井は快活な声と笑顔で言うと、ハイライトに火を点ける。

(・・・だいたいのことって俺の過去のことなのか・・・結構な身分のくせにハイライトなんか吸ってるのか)山野井は藤沢の視線が、自分の手元に注がれているのに気づき笑った。

「ところで、初対面で立ち入った話をするのは失礼かもしれないが、君のことを話してみてくれないかね?」藤沢は(・・・やっぱり叔父貴から聞いてるみたいだな)と思いながらも、山野井に話すことにあまり抵抗を感じなかった。・・・山野井は人の警戒を解かせる妙な魅力を備えている。


藤沢は今までのことを包み隠さずに、すべてを打ち明けた。そして最後に野沢組の組長が原島に代わったことを告げると、山野井は如実に怪訝な顔をする。「・・・原島か、あの男は執念深くて、関わると厄介だよ。・・・もっとも俺より君の方が詳しいか」また笑顔に戻り、ハイライトの青い煙を吹き上げる。

しばらく雑談をすると、・・・話しかけるのはもっぱら山野井だが。自分のデスクから『ヤマノヰ鳶組』の事務所の場所をコピーした紙を持ってきて、「じゃあ明日から頼むね。・・・それからなにかあったらいつでも」と、コピーの紙に自身の携帯番号を書き込んだ。


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