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六道輪廻のうた  作者: 村松康弘
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地獄ノ伍

―――昨年の春。刑期を終えた藤沢は、千葉刑務所をあとにした。穏やかな陽射しが注ぐ暖かい日だった。

総武本線千葉駅まで歩き、最寄のコンビニでポールモールと使い捨てライターを買って、店頭の灰皿の前で一服する。久々のタバコで頭がくらくらした。電車に乗る、荷物は右手にぶら下げたボストンバッグひとつだった。電車を乗り継いで、途中ちょっとした買い物のために都心の街に降り立った。

6年ぶりに街中を歩くと、自分が浦島太郎にでもなったような気になる。渋谷の巨大なスクランブル交差点に立つと、目の前の巨大なビジョンから見たこともない若手アイドルだか芸能人が、歌って踊っている映像と爆音が流れていた。それは繰り返し垂れ流される洗脳的なCMだった。

いつも混みあってるらしい都心の電車に乗り、吊革につかまって週刊誌の中吊り広告を見ても、知らない名前ばかりが並んでいた。理解できない単語も数多くあった。同じ日本の中にいて同じく時間が経過しても、塀の中と外ではまるっきり違う速度で時が進んでいる気がする。・・・周囲の若者が持って操作している携帯電話も、前に自分が持っていたそれとは形状も大きさも違う。多分、機能もまるで違うのだろう。若者は画面を指でなぞっていた。


藤沢は長野に向かうが急ぐ旅でもないので新幹線には乗らず、松本行きの特急に乗った。松本で長野行きに乗り換える。車窓に見える景色はみるみる『内陸部』という印象に変わる。・・・長野駅に到着して電車を降りると、千葉や東京との温度差におどろいた。自分の身体はすっかり首都圏の空気に染まっていたのだ。

そして冷えた空気の中に独特の匂いを感じた、それは言葉にするのは難しいほどのかすかな匂いだが、確かに存在する匂いだった。・・・地元の領域に帰ってきた、そんな気がした。

一度深呼吸をしてから近くの公衆電話に硬貨を入れる、頭の中に覚えている番号をプッシュする。・・・コール音は2回鳴ってから途切れ、またコール音が鳴る。さっきと少し違う音だ。普通の電話から携帯電話に転送されたらしい。

4回鳴ってつながった。「もしもし・・・」電話の向こうは金属がぶつかるような音と、クレーンの旋回警報の音が響いている。「武彦です」それだけ言うと、相手は少し沈黙のあと、「おうおう!出てきたか!」と、周囲の音に負けないぐらいの大きな声がした。


・・・電話の相手は死んだ父親の弟の和彦だ。数少ない親戚の中で藤沢が唯一腹を割って話せる相手だ。・・・和彦以外の親戚はすべて、藤沢が事件を起こして逮捕されるとともに絶縁したが、和彦だけは見捨てなかった。両親の死亡の際にもすべて取仕切ってくれたのは和彦だった。

今年56歳になる和彦は若い衆を5人使って、鳶工の会社をやっている。自分も親方としていつも現場に出ている。「今どこだ?」向こう側は作業中なので聞き取りづらい、「長野駅に着いたところです」藤沢は電話口で大きめの声を出した。「わかった。俺は3時の一服で上がるから待ってろや」電話が切れる、頭上の時計は2時30分だった。

駅前のロータリーでポールモールに火を点けて、煙を吹き上げる。駅舎は最近建て替えたらしく、前の建物の面影はなかった。・・・近くの横断歩道の信号のメロディーは前のままで、懐かしさを感じる。

しばらくすると立っている藤沢の前に白い軽ワゴンが停まり、「ピッ」とホーンを鳴らした。和彦だとわかり藤沢は助手席に乗り込む。後ろにワイヤーの束やチェーンブロックなどを満載して重くなった軽ワゴンは、苦しそうなエンジン音をたてて発車した。

和彦は日焼けした健康そうな顔に笑顔を浮かべた。自分なんかよりよっぽど若々しく精力的に映る、前向きに生きてる男の明るさが顔にも態度にも顕れていた。

次の交差点の信号待ちの時、和彦はやっと口を開いた。和彦の頭には逡巡する思いもあったのだろう。「つとめ、ご苦労だったな・・・」

塀の中に年に数回届いた手紙は、いつも和彦からだった。箇条書きのように長野で起こったことや連絡事項を淡々と綴っていた。しかし文末には必ず、格言であったり教訓であったり、なにがしかの一文が付け加えられていた。藤沢は和彦からの手紙が届いた日は心底嬉しくて、両手の掌を合わせてから封を切った。


「前に手紙でも書いたが、お前のアパートは引き払って荷物は全部実家に運んである。・・・今日は実家に行くか?」和彦は赤いラークに火を点けて言った。「なにからなにまですみません、お願いします・・・」藤沢は助手席で深々と頭をさげた。

20分ほど走った住宅地に藤沢の実家がある、20坪程度の古い木造住宅だ。到着すると和彦は車のキーホルダーから鍵をひとつ外して、実家の玄関を開ける。ボストンバッグひとつぶら下げて藤沢も家に入る。懐かしい匂いが記憶まで甦らせそうだ。

整然として埃もたまっていないところを見ると、和彦が定期的に掃除をしていてくれたようだ。居間の障子を開けると狭い庭先の石燈篭に留まっていたヒヨドリが、声を上げて飛び立った。

テーブルひとつだけの居間で、藤沢は畳の上に土下座した。「叔父貴、迷惑ばかりかけて本当に申し訳ありませんでした」額を畳に押し付けて言った。

「ばかやろ、そういう真似はやめろよ・・・」和彦は藤沢の肩を叩いて上体を引っぱる。和彦の目は赤くなっていた。「つとめ、本当におつかれさん・・・」和彦は言いながら天井に顔を向けた。


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