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六道輪廻のうた  作者: 村松康弘
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地獄ノ参

―――7年前の10月22日

福岡からかけた電話に出たのは、実尋の兄だった。・・・電話の向こうがやけに騒々しい。兄は偽名を名乗った藤沢の素性に関心も示さずに、痛々しいほど沈んだ声で言った。

「・・・実尋は昨日亡くなりまして、今夜が通夜です・・・」(・・・!)後頭部を鈍器で殴られたような衝撃が走った、藤沢は耳を疑う。受話器を握りしめたまま、硬直して動けなくなった。

「・・・すみません。・・・もう一度お願いします」藤沢は震える声でたずねたが、兄が返した言葉はさっきと一字一句変わらなかった。それ以上何も聞けなくなった藤沢は「失礼します」と言って電話を切った。

潜伏先の安モーテルを飛び出し、福岡空港から松本行きの飛行機に乗って長野に向かう。同日夜に長野駅に到着した藤沢は、タクシーで実尋の自宅へ急ぐ。・・・そこで見たものは、玄関先に明々と『土屋家』と灯った燈篭だった。藤沢はがっくりと肩を落とす。

だがまだ信じられない、一度玄関に向かったが、いつか実尋から聞いた、「武彦とつきあうことは反対されてるんだ、ヤクザ者とは関わるなって・・・」の言葉を思い出して足を止める。藤沢はしばらく立ち尽くしていた。そのうち焼香を済ませたらしい黒服の弔問客が出てくる、その中に藤沢と実尋の共通の旧友の顔が見えたので近づく。

「実尋が死んだって聞いた。・・・いったいどういうことなんだ」藤沢が聞くと、友達は沈痛な面持ちで重い口を開いた。


藤沢が野沢組から行方をくらました翌日、実尋は行方知れずになる。夜になっても帰宅しない実尋を心配した家族が、翌日捜索願を出した。実尋はその2日後、自宅から少し離れた公園で警察官に発見されたが、明らかに様子がおかしくなっていた。派出所に連れて行き事情を聞くと、どうやら何者かに拉致されていたことが判る。

その日は迎えに来た家族とともに自宅に帰ったが、実尋は気がおかしくなったように、ひと言も口をきかなかった。家族が「明日、病院へ連れて行こう」と決めた矢先、実尋はまたいなくなる。

・・・そしてその日の夕方、駅近くの商業ビルから飛び降りて死んでいる実尋が、通行人によって発見された。・・・全身を強打して即死だったという。

現場に遺書らしきものはなかった、ただ飛び降りる前日、兄が、「もう生きていく自信がない」ともらしている実尋の言葉を聞いたのが最後だったという。


藤沢はその場にへたりこんだ。(・・・すべては俺のせいだ、野沢の野郎は俺が行方をくらました仕返しに実尋を拉致したのだ。・・・そしてきっとひどい目に遭わせた、肉体的にも精神的にも。・・・俺が後先のことも考えずに行動したからだ。・・・)

立ち直れないほど落ち込む、しばらくは当時住んでいたアパートに引きこもって自分ばかりを責め続けた。自殺も考えた、・・・しかしやがてその深い悲しみは、行き場のない激しい怒りに変わる。

無関係な実尋を死に追いやった野沢のカバのような顔が、脳裏に浮かんでくる。(野沢・・・あの畜生を殺す!)藤沢は怒りに燃える瞳で、ヤツの殺人計画を立てる。

・・・高台に立っている野沢の屋敷は高さ2mもある白い擁壁に守られ、用心棒がわりの若い衆を3人常駐させているから付け入る隙もないが、2号を住まわせているマンションに出かける時は玄関先で送りのセンチュリーを帰すらしいという話を聞いたことがあった。

藤沢はかすかな記憶を呼び起こしてマンション名を思い出す。(三輪・・・エスポ・・・エスポワール三輪だ)藤沢は黒づくめの服装で、市街地のマンションの玄関先の植え込みの陰でじっと待つ。午後7時から翌日の明け方まで、ひたすら待ち続けた。・・・1日目は現れなかった。

2日目も同じ時間に到着する。藤沢の青白い怒りの炎は、待ち続けるほどに激しく強くなる。(・・・あの野郎は簡単には殺しやしねえ、最大の恐怖と痛みを味わわせてから殺る。・・・それが実尋への弔いだ、そして野沢を殺って死刑になったら、俺も実尋のところへ行ける。実尋、待っててくれ・・・)

そして2日目の午後11時、エスポワール三輪の玄関前に黒いセンチュリーが現れた。真っ黒なフィルムを貼った後部ドアから、でっぷりと肥えた身体が出てくる。年齢は60歳、だいぶ後退した額にギラギラと脂が浮いている。陰険な細い目に厚ぼったい唇。・・・ダブルのスーツでもったいぶった歩き方をしていた。

どこかで飲んだ帰りか足元はふらついている。野沢が降りるとセンチュリーは音もなく動き出す。野沢はぼんやりとセンチュリーを見送って踵を返して歩きはじめた。

・・・藤沢は猫のように足音を消して暗がりから滑り出す、野沢が玄関ドアに手を掛ける寸前に、後ろから背広の襟首をつかんで引き寄せる。意表を衝かれた180cm110kgの巨漢は、藤沢の強靭な腕力で仰向けに引き倒されて頭部をコンクリートにぶつけた。


「藤沢、貴様!・・・」野沢は仰向けになったまま藤沢を睨みつける。「てめえ、なにをしてるんだかわかってやってんだろうな!」野沢は右手をついて上体を起こす。・・・その瞬間、藤沢の右足が野沢の頬を蹴り飛ばす。「ぶっ!」頭が真横に吹っ飛び口から折れた歯が飛ぶ。

藤沢は野沢の襟をつかんで立ち上がらせ、マンションの陰まで引っぱっていく。その間に野沢はみるみる蒼ざめてきた。「貴様、いったいどうするつもりだ!」頬はすでに腫れあがり、歯が折れたせいで滑舌が悪い。困惑の顔には冷や汗がびっしり浮かんでいる。

藤沢は暗がりまで引き込むと手を放し、ふところから匕首を出して鞘から抜き出す。マンションの外灯の青白い光がはね返っていた。「貴様が実尋になにをしたか、話してもらおうか」藤沢の声は低く重く、ささくれている。

「ミヒロ?誰だそれは、知らねえな・・・」野沢は横を向いた、藤沢は黙ったまま匕首を上段に構える。気づいた野沢はあわてて、「ま、待て!」と両手を広げて前に向ける。藤沢は遠慮なしに匕首を振り下ろした。野沢の右手の中指と薬指と小指がすぱっと切断されて、バラバラと落ちる。・・・野沢は悲鳴をあげながら、左手で右手首をつかんでのたうち回る。

しばらく様子を見ていた藤沢は、野沢の腰を強く蹴りつけた。「貴様が実尋になにをしたか、話してもらおうか」さっきと同じことを聞く。

「き、貴様が逃げ出しやがったからこうなったんだ!・・・女をかわいがってやったのは当然の落としまえ・・・」言い終わる前に、藤沢は野沢の腹に匕首を突き刺した。野沢は眼窩から目玉を飛び出させるように見開く。

「キャーッ!」背後で悲鳴があがる、振り返るとマンションの住人らしい若い女が、口を押さえて震えている。逃げ出そうとするが腰砕けになって動けない。やがて連れらしい男がやってきて、「人殺しだー!」と叫んで逃げ出して行った。

藤沢は野沢に向き直り、もう一度腹部に匕首を突き立てた。ゆっくりと肥満体が仰向けに倒れる。

(・・・実尋、かたきは討った。野沢を殺ったよ・・・これでお前が戻るわけじゃねえ、気が晴れるわけでもねえが。・・・俺は早くお前のところへ行きたいよ・・・)

遠くからサイレンが響いてきた。藤沢は全身に返り血を浴びたまま、呆然と立ち尽くしていた。


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