修羅ノ陸
藤沢の左手の指先から絶えず血がしたたり落ちている。アーミーコートの腕の裂け目から下は、まるで赤い服のように袖全体が染まっていた。左の二の腕の肉は2cmほど銃弾で吹っ飛ばされたようだった。絶えず流れ続ける出血で藤沢の意識は朦朧としてきた。
藤沢は瀧井の死体のそばによろよろと腰を下ろす。・・・ポケットに細めの麻ロープを突っこんでいたのを思い出し、つかみ出す。それもまるではじめから赤いロープのようになっていた。川上、牛尾、瀧井、そして自分の血を吸った因縁にまみれたそいつを解き、右手で傷口より上の部分に巻きつける。途端に激痛で叫びそうになった。
奥歯を噛みしめて唸りながら左の二の腕に3回巻きつけ締め上げる、なんとか固定するとホルダーからナイフを取り出して、余分なロープを切断した。脂汗が目に流れ込んで沁みる、右腕の袖で拭うと胸ポケットからポールモールの箱とジッポを取り出した。ポールモールの箱は赤なので、血で汚れているのかどうかわからない。
中身を1本抜き出してくわえ、小刻みに震える指でジッポの火を点ける。(・・・もたもたしちゃいられねえ、俺がくたばる前になんとしても原島をぶち殺さなけりゃ、・・・死んでも死にきれねえ)ポールモールを半分ほど灰にした藤沢は、大量の血を吸い込んだペルシャ絨毯の上でひねり消す。・・・水溜りに投げたそれのようにジュッと音がした。ゆっくり立ち上がり、めまいがする頭を振って歩きだす。
応接間から廊下に出ると、その奥側にふたつのドアが見えた。廊下をはさんだ向かいには3つのドアが見える。・・・もし原島が2階にいたとしたら、この騒ぎの中でじっとしているはずはないと思うが、念のため一番近い部屋から確認をはじめた。
ドアを開けてマグライトの光を差し込む、・・・シングルのベッドが間に通路を開けてふたつ並んでいた。窓に近いところには簡易なテーブルと椅子が置いてある。ありきたりのホテルの部屋のようだった。ドアを閉めて隣の部屋を覗き込む、さっき同様のレイアウトでベッドやテーブルが並んでいる。思わずため息が出た。(・・・まごまごしてりゃ、野郎に逃げられるかもしれねえ・・・)
藤沢はふらふらする身体を奮い立たせて、2階の各部屋を順に確認して歩く。・・・どこにも人の気配はなかった。
・・・廊下の一番奥でため息を吐いた時だった、頭の中が渦巻くようにボーッとなる。(・・・また、めまいが来やがったか)藤沢が頭を振ろうとすると、『武彦・・・』と、脳に直接響く声が聞こえてきた。(・・・前に実尋の墓地で聞いた実尋の声だ・・・!)藤沢は後ろを振り返る、暗い照明の下の少し向こうにボンヤリと立つ人影があった。暗くて表情は見えないが、すらっとして頭部の小さいシルエットは実尋によく似ている。
藤沢は思わず、「実尋!」と呼びかけた。シルエットは動かずに藤沢を見つめているように感じる。藤沢はもう一度呼びかけた。・・・シルエットは語りかけてきた。『・・・武彦、もうやめようよ。・・・ねえ、死んじゃうよ。・・・武彦には死んでほしくないよ。・・・ねえ、お願い』
シルエットから来る声はあの時と同じく、耳じゃなく脳に語りかけてくる。藤沢は、(心の中から返そう、そうすれば実尋に届くはずだ・・・)と思い、シルエットを見つめながら語りかけた。
(・・・実尋、心配してくれてありがとう。・・・でもこのケジメだけは、どうしてもつけなきゃならない。・・・お前を死に追いやってからも、原島は数々の卑劣な真似をしやがった。俺のことはどうでも、大事な家族だったケンを殺し、和解させようとしてくれた叔父貴までも轢き殺そうとした。・・・とうてい許せることじゃないんだ。・・・だから、原島だけはなんとしても・・・殺るよ)
・・・シルエットの声が返ってくる、『武彦・・・私を今でも愛しているのなら、生きてほしいよ。・・・お願い・・・』そう聞こえると、あとはすすり泣く声だけが脳に響いた。
(実尋、・・・俺が目的を果たしたあとは、たとえ生き延びても死刑が待ってるだけだ。・・・早かれ遅かれ、それで俺は実尋の元へ行けるんだよ)藤沢は念じながら涙がこぼれてきた。・・・すすり泣く声は次第に遠くなり、シルエットも薄くなってやがて消えていった。
藤沢は相変わらず、心霊とか幽霊の存在は信じていないが、現れたのは確かに実尋の魂だと信じた。
2階には猫一匹いないことを確かめると、階段に続く廊下を進む。・・・藤沢は不意に天井を見上げる。(・・・!)そこには小型の監視カメラがぶらさがっていた。踵を返して廊下の奥の方へ戻る。暗がりの天井には、やはり同じ物がぶらさがっていた。(ちくしょう!こいつが映し出す映像を、どこかで原島が監視しているとすれば、・・・俺の動きは筒抜けじゃねえか)藤沢は気づかなかった自分を悔やんだ。
・・・朦朧とした頭のまま点検して歩く。2階には廊下の2箇所だけだった。・・・瀧井が死んでいる応接間に戻ると、転がっているゴルフのドライバーを拾い上げる。廊下まで来ると、ドライバーでカメラを叩き潰した。奥に行き、もう1台も叩き潰す。カメラは粉々になって落ちてきた。
そのまま階段へ向かうが、めまいは一層強くなり手すりを伝わなくては転落しそうになる。・・・ゆっくり下りて1階にたどり着くと、先ほどと変わらずシンと静まりかえっている。まずは天井を点検して歩く。廊下の各所に4台のカメラを発見し、片っ端から叩き落とした。それだけで藤沢の息は上がり、ぶっ倒れそうになる。
藤沢はさっき点検しなかった部屋を確かめはじめた。物置の前まで行き、ドアに耳を寄せて内部の様子を窺う。何の音もしなかったが警戒してドアを開ける。暗闇は静まっていた、マグライトを翳して丹念に確かめる。・・・怪しい物はなにもなかった。
・・・藤沢が物置の中で立ち尽くしている時、遠くの方でカチャリとドアが閉まる金属音がかすかに聞こえた。




