餓鬼ノ漆
藤沢は和彦の質問に答えずにビールを注ぐ。和彦は藤沢の固い表情を見ると、それ以上は何も聞かなかった。無言でコップを合わせると、ふたりともひと息でビールを飲み干した。
和彦はテーブルにカタンとコップを置くと、「そういやこないだ、理恵子が赤ん坊を産んでなあ」と、目を見開いて身を乗り出してきた。
・・・理恵子という女は和彦のひとり娘で、3年ほど前に嫁に行っていた。藤沢とは同い年の従姉妹にあたる。「それは、おめでとうございます」藤沢は和彦にビールを注ぐ、和彦は半分ほど空けてから、「男の子でなあ、・・・孫は自分の子供よかかわいいわあ」と言って、日焼けした顔をしわくちゃにした。
「そんでな、俺に名前をつけてくれって言うもんでな、今考えてるとこだがさあ。・・・お前の一字を取って『武』にしようかなって思ってるんだわ」藤沢は冷蔵庫に行きビールを1本と、ミックスナッツと乾物のつまみを持ってくると、「それはやめた方がいいですよ。・・・俺みたいなならず者になったら大変ですよ」と言いながら栓を抜く。
(・・・男として人として、真面目に働いてひたむきに生きている人間は、こうして幸せにめぐまれる。ささやかな喜びや悲しみを繰り返し生きていく中に、幸せはある。・・・それにくらべて俺の人生は・・・)
瓶ビールを4本空けてから、和彦がビニール袋から焼酎を取り出した。「奄美の黒糖焼酎ってもんだわ、俺もはじめて飲むだがなあ」和彦は皿のアーモンドをかじりながら栓を開け、藤沢のコップに注ぐ。瓶に書いてあるように黒砂糖の香ばしい香りがした。飲んでみると、香り同様香ばしく深みのある味わいだった。
和彦は自分で注いでひと口呷ると、「たまにはこういうのもいいなあ」と目をトロンとさせた。藤沢は『グリーンオリーブの実』の瓶詰めを持ってきて小皿によそった。しばらく珍しい酒を堪能していると、奇妙な沈黙が訪れる。
「・・・武彦、お前変な気起こしてねえだろうな・・・?」和彦は突然声音を落として聞いてきた。藤沢は黙って目線を下に落とした。「もう、ヤクザの世界には戻らねえ、野沢組とは関わらねえって約束したよな」藤沢は黙ったままだ。沈黙の重たい空気が漂ってくる。
「はあ・・・」和彦はため息をひとつ吐くと、胸ポケットから赤ラークを取り出して火を点けた。「・・・大丈夫ですよ、叔父貴」藤沢は顔を上げ和彦を見つめてつぶやいた。「俺はヤクザに戻ることはありません」・・・また沈黙の時間が流れる。
やがて和彦は灰皿でラークをもみ消す。「・・・わかった。お前も子供じゃねえんだ、いろいろ聞かねえさ、・・・だがお前、本当に頼んだぞ」和彦は藤沢に真剣な眼差しを注いできた。藤沢はうなづいたあと、「わかりました」とだけつぶやく。
焼酎を瓶半分空けた頃和彦が居眠りをはじめたので、部屋の隅のローソファーに導くと、すぐにいびきをかいて眠った。藤沢はテーブルに戻りコップに焼酎を半分ほど注いで、ポールモールに火を点ける。・・・青白いため息を吐き出す。
和彦の親心ともいえる真心が胸に突き刺さる。・・・しかし今までの襲撃や、何よりケンを惨殺された黒い怒りはずっと腹の中で滞留し渦巻いている。・・・やり切れない葛藤のど真ん中で、藤沢の心は折れて崩れ落ちてしまいそうだった。・・・目の前のコップの焼酎をひと息で空けた。
・・・翌日の昼間、藤沢はジープで山道を下りて市街地へ向かう。国道沿いにある石材屋の展示場を訪れた。・・・墓石の展示場だ。ずらりと並んだ墓石は大半が普通のタイプのものだったが、隅のほうに変わったデザインのものが陳列されている。・・・美術館にありそうな手の形をしたオブジェのようなもの、サッカーボールを模したもの、石の前面に『座右の銘』を彫りこんだもの・・・。藤沢が眺めていると、前掛けをした店員らしき若い男が近づいてきて、「デザイン墓石をお考えでしょうか?」と声をかけてきた。
藤沢は携帯電話で撮った半年ほど前のケンの画像を見せて、「ほぼ等身大で作ってほしいんだが」と言った。店員は画像をのぞきこみ、「柴犬ですね、わかりました。・・・それでは石の種類をお選びください」と言い、石材のサンプルコーナーへ案内する。
藤沢はその種類の多さに驚く、店員はひと通り説明した。藤沢は石を選んで見積もりを出してもらう。「3週間ほどお時間をいただきますが」と言うので承諾し、手付金を払って店を出た。
ジープに乗り込み発車させる、藤沢の頭には庭に作ったケンの墓に、さっき製作を頼んだ墓石が載っている光景が浮かぶ。(・・・これで俺は、いつもお前が待ってる家に帰ることができるよ)・・・ラジオをつけた、地方のパーソナリティーが毎日やってるらしい番組が流れた。区切りがいい時間にニュースがはじまる。
『・・・今朝早く長野市内の用水路で、中年男性が溺死しているのが発見され、所持品から身元が判明した。男性の体内から多量のアルコールが検出されたので、酒に酔って誤って水路に転落したと思われるが、事件の可能性も調べている』といった内容だった。
藤沢は男の名前を聞き、(やっぱりこうなったか・・・)と、昨夜の光景を思い出した。(・・・酒に酔って転落して溺死したのではない、これは間違いなく『ふたり目の六地蔵』が殺ったのだ)と思った。
(正体不明のふたりの六地蔵は、きっと何らかの組織の人間だろう。・・・しかし背後にどのような人間がいて、何の目的で俺に関わってくるのかさっぱりわからない。・・・そして昨日の六地蔵はしらばっくれたが、梶浦との接点は否定できない)
藤沢は考えこんでいて信号が青になったのに気づかず、後ろの車にホーンを鳴らされた。




