餓鬼ノ陸
キャップの男はマスクをつまんで口の下まで下ろし、パーカーのポケットからKOOLを取り出してくわえた。薄い唇から煙を吐き出す。
「・・・マンションには武装した野沢組の若い連中が7人、そして原島や女は当然いねえ。・・・本当だよ。・・・原島はわざとあんたに襲撃させて『事実』を作り、おおっぴらにあんたを叩き潰そうって魂胆らしい。『藤沢はヤクザに戻り、これは下克上の行為だ』とすれば、他の組織にも大儀が立つ。汚ねえ野郎らしいね」
藤沢は黙ったまま男を見据える。(・・・なんでこいつも昨日の覆面も、俺の行動を先読みしてるんだ。そしてやけに詳しい。・・・まるで誰かが空から俺を監視していて、こいつらに指図しているようだ・・・)
藤沢ははっとなり男に聞いた、「お前ら、梶浦さんとつながっているのか」男はKOOLの灰を丁寧に落としながら、「梶浦さん?知らないな。・・・あんた、焼き鳥屋の匂いがするね」と言った。男はまたパーカーのポケットに手をつっこみ、「マンションに原島はいない、それは真実だよ。だから行っても無意味だ、いや、迂闊な動きをすれば、『飛んで火に入る夏の虫』さ。行かねえ方がいい」と言って、くわえたKOOLを足元に吐き飛ばして靴で踏みにじる。「じゃあ」と言って踵を返した。
藤沢は男の背中を見送ったあと、マンションへと向かう。人通りの少ない道を歩いて行くとじきに見えてきた。・・・8階建ての高級な部類に入るマンションの玄関先が見通せる、暗い路地の角に身を隠して様子を窺う。一見、人がいそうな気配はない。そのままじっと動かずに監視を続ける。
・・・15分経った頃、玄関左横の植え込みの中に赤い点がポツンと浮かんだ。それは明るさが増したり暗くなったりしている。(タバコの火だな・・・)そして今度は建物の右の陰から携帯電話の呼び出し音が鳴り、あわてて止める様子が聞こえてきた。(・・・さっきの男が言ったように、ここに何人か潜んで待ち伏せているのは事実だ。・・・だとすれば、原島がいねえというのも事実か・・・)
藤沢ははっとなる、焼き鳥屋で情報屋に話を持ちかけ金を渡した時に、情報屋は『ちょっとションベン』と言って席を立ったことを思い出す。(・・・あの時、原島に連絡をした可能性は高い。でなければこんなにタイムリーに部下が待ち伏せしているわけがない。・・・あの野郎!金を取っておきながら俺をはめやがったな!)藤沢は情報屋に激しい怒りを覚えたが、かつての親交を信用して疑わなかった自分にも腹が立ってきた。
玄関先に潜伏してる連中に気づかれぬよう、足音を消して現場を離れる。歩きながらさっきのキャップとマスクの男のことを考える。(覆面をした昨夜の『ひとり目の六地蔵』と、さっきの『ふたり目の六地蔵』は多分似たような年齢だろう。・・・俺と同じぐらいか少し下)不意に『そうか六地蔵ね、そう言ったかヤツは』の言葉が頭によぎった。(・・・とするとヤツらは仲間のような間柄だろう)
ちょうど男と遭遇した場所まで戻ってきた。藤沢は立ち止まり、ポールモールに火を点ける。『あんた、焼き鳥屋の匂いがするね』の言葉を思い出す。(それでヤツはじきに立ち去った・・・)藤沢は男の背中を思い出すと、はっとした。(もしかしてあの男は・・・)藤沢は思わず駆け出した、ポールモールを指で弾きとばす。目的地は『鳥よし』だ。
(もしかしてあの男は、情報屋の存在をかぎつけて探しに行ったんじゃないだろうか・・・)走り続けたので5分足らずで『鳥よし』にたどり着いた、息を整えてから店の前に立つ。ちょうど中から客が出てきて藤沢は入れ替わりに店内に入った。
カウンターの一番奥を眺める、情報屋は消えていて台の上はきれいに片付けられていた。・・・親父がカウンターに首をのばして、「なにか?」と聞いてくる。藤沢は「いや、別に」と言って店を出た。
やり切れない思いを抱えたまま、藤沢は山道を戻っていく。(・・・この状況では原島はますますガードを固めているだろう、ちくしょう!原島の野郎にたどり着く手立てはねえのか・・・)藤沢の脳裏に原島の陰険な笑みが浮かぶ。義理も恩も屁とも思わない男の顔だ。
ジープのヘッドライトが家の庭を照らし出した時、白い軽ワゴンが停まっているのが見えた。(叔父貴の車だ・・・)ジープを庭に停めて下りると、ワゴンから下りた和彦が近づいてくる。「・・・よう、おはるかだな」和彦は少し疲れたような顔に笑いを浮かべている。
藤沢は頭をさげて、「お疲れさまです。・・・今夜はどうしました?」と尋ねた。和彦は一度下を向いてから、「うん、・・・今日、ヤマノヰ鳶と一緒の現場だったで、若え衆にお前のことを聞いたら、しばらく休むらしいって言ってたでさあ」
和彦は明らかに心配顔をしている。藤沢は咄嗟に言い訳が見つからず、「・・・まあ、中に入ってください」と言って促すと和彦はワゴンまで戻り、瓶らしいものが入ったビニール袋を提げてきた。「もらいもんだがさあ、うめえ焼酎らしいでお前と一緒に飲まあずかと思ってな」和彦はその時だけは屈託のない笑顔を見せる。
家に入ると藤沢は、木彫の板と削り屑を片付けてテーブルの上を拭く。「どうぞ」と言って和彦にイスを勧めた。・・・和彦がこの家に来るのは、もう半年振りだ。藤沢は瓶ビールとコップをふたつ持ってきてテーブルに置く。
和彦が家の中を眺め回す。そして、「・・・あれ?あのチビぞうがいねえな、どうした?・・・ケンって言ったっけかや?」藤沢は『ケン』の名前が出た途端、胸が締めつけられた。




