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六道輪廻のうた  作者: 村松康弘
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餓鬼ノ弐

・・・実尋の菩提寺の駐車場に着くと、いつもは閑散としている砕石の庭には多くの車が停まっていた。3月22日の今日は、春の彼岸の時期だったことに気づく。助手席には仏花の束が置いてあるので、ケンは荷台の鉄板の上で爪音を立てている。

山門を抜けて本堂の脇をすり抜けて墓地へと向かう道も、すっかり通いなれた気がした。・・・墓地の方々に墓参客が見え、そこら中から線香の匂いがたちこめている。家族で来ているらしい区画からは子供の声も聞こえてきた。

いつもきれいに手入れされている『土屋家』の墓石の前で、手を合わせて実尋に呼びかける。・・・あの日以来、実尋の声が聞こえてきたことはなかったが、いつかまた、あの頭に直接響いてくる声が聞ける日が来るとなんとなく信じている。

花を供え、ここひと月の報告をしていると近くで足音がした。手を合わせたまま藤沢が振り向くと、30を少し過ぎたぐらいの男女が花束と手桶を持って立っていた。藤沢を見つめる男の目元が実尋とよく似ていたので、実尋の兄とその女房だと直感した。

兄とは以前、偽名を使って電話で話しただけだから、向こうも藤沢を見ても誰だかわからない表情をしている。お互いに頭を下げたあと兄は、「失礼ですが・・・」と声をかけてきた。藤沢は少しためらったが、「・・・藤沢、藤沢武彦です」と答えた。兄は少し考えてから、はっとなった。途端に表情が曇る。

「藤沢さん、か」しばらく沈黙のあと口を開いた。「・・・毎月花を供えてくれていたのは君だったか」兄は肩を落として下を向く、女房も一緒になってうつむいている。兄は少しの間逡巡したあと、「・・・申し訳ないが、君にはここに来てもらいたくないんだ。・・・実尋の魂が穢される気がしてしまうんでね」と言った。

(・・・!)藤沢はその言葉に衝撃を受けた。(・・・実尋の魂が穢される・・・)返す言葉もなく呆然と立っていた。「悪いが二度とここへ来ないでくれ、ヤクザ者などには来てほしくないんだ。・・・それが我々家族の総意だ」沈黙のあと藤沢は、ふたりに深々と頭を下げるとその場を去る。

(俺も苦しみ続けているが、家族はもっと辛い思いをしている。何年経っても拭いきれない悲しみの中にいる・・・)穏やかな春の日差しの中で、藤沢の気持ちはいたたまれないほど暗鬱になった。


・・・その日の夜、藤沢は明かりを消して寝ようとしていた時、突然ケンが吠えた。今までケンが吠えたことなどほとんどなかったので、一度明かりをつける。ケンは寝床のソファーから立ち上がって、玄関の方を向いたまま吠えていた。

藤沢はドアのロックを解いて外に出てみた、そこには暗闇が漂っているだけで不審な物や人影はない。・・・玄関先にぶらさげてある懐中電灯を携えて、建物の周りを点検して歩いたが特に変わった様子はなかった。中に戻るとケンはまだ低い声で唸っている。「どうした、誰もいねえぞ」と頭をなでてやると、いくらか興奮が収まる。

藤沢は湯呑みに焼酎を3分の1ほど注いでタバコに火を点ける。ちびちびとやりながらケンをなだめてやると、ようやく眠りについた。(・・・野良猫の気配でもしたのかな)藤沢も飲み終えると眠った。

翌朝は乗り込み初日の現場だったので、起きるのも家を出るのも早かった。藤沢は早めにジープのエンジンをかけて出かける仕度をしていると、ケンがしきりに鼻で鳴く、そして藤沢のあとばかりついて歩く。それも普段しない行動だった。・・・昨夜めずらしく吠えたこともあり気になったが、ケンの頭をなでて「どうした?心配することなんかねえぞ」と言い聞かせて玄関を出る。

ダイヤル錠のナンバーをオール『0』に並べて出かけた。


鳶組のヤードに着くと仲間と一緒にハイエースに乗り込む。年配のふたりが、「昨日歯医者に行ったら、1本抜かれちまってよ。残り少ねえ歯なのによ」と言って笑っていた。普段通りの和やかな雰囲気で1日がはじまる。

今日の仕事は、社長の山野井と親交がある食品会社工場の設備機器入れ替え作業だ。本来なら重量屋の仕事だが、ヤマノヰ鳶組は社長の顔の広さで専門外の仕事もどんどん入ってくる。・・・午前中は搬入口の2階の扉の前に足場ステージを組んで、まずは古い機器を台車で運び出す。ステージからはクレーンで吊り上げてトラックに載せる。

午後からは新しい機器を積んだトラックからクレーンで吊って、同じように搬入する。初日の工程は予定通りに終わったが、あわただしい一日だった。ハイエースに乗り込んで帰路につく間、藤沢は車窓の外を眺めながら、(・・・今日はケンに豪華なエサを買ってってやろうかな)と思う。

ヤードに着いて仲間と別れるとペットショップに向かい、少し値の張るレトルトのドッグフードを3つ買って帰る。山道のひなたの雪はだいぶなくなってきていた、(・・・もう、ふきのとうも出てるかもしれねえな)藤沢はふと、春先になると実家の食卓に載っていた『ふきみそ』を思い出していた。


日差しも強くなり夕暮れも遅くなったと思いながら、自分の家である敷地にジープを突っこむ。庭の根雪も面積を狭くしていた。・・・ふと見上げると玄関先の床にケンが寝ている。一瞬目を疑った。(そんなはずはない・・・)藤沢は心臓の鼓動が早くなってきた。

ジープをそのままにして、玄関までの木の階段を駆け上がる。(・・・!)ケンはドアの前に横たわっていた、そしてその腹部には黒い金属の棒のようなものが突き立っていた。・・・ケンは目を閉じたまま舌を出して死んでいる。

藤沢は呆然と立ち尽くす、凍りついたように動けなかった。屍のそばには強力な力で切断されたらしいダイヤル錠が、無残に転がっていた。藤沢の全身から怒りが沸きあがる。そしてそれは身体を小刻みに震わせてくる。全身の毛が逆立ってきた。

(・・・昨日吠えていたのは外に何者かがいたんだな、朝、鼻で鳴いていたのは俺に『こわいよ、こわいよ』って言ってたんだな。・・・誰かがここに来た時、お前は俺が帰ってきたと思ってドアを掻いただろうな。・・・しかし)

藤沢は立ち尽くしたままケンを見下ろすことしかできなかった。(・・・俺のせいでまた、大事な命がひとつ消えた・・・)


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