表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
六道輪廻のうた  作者: 村松康弘
12/34

餓鬼ノ壱

―――話は現在に戻る。(地獄ノ弐部 中盤)


藤沢は風呂場から出ると、黒いラベルの芋焼酎を大きな湯呑みになみなみ注ぐ。それを無垢のテーブルに持っていく。テーブルの上には三尺四方の厚めの木の板が載っている。板の上には絵が描かれて一部は彫られている。

藤沢が仕事から帰ると毎晩やっている作業、というか趣味だ。・・・仕事場の仲間に、表面をきれいに磨かれたケヤキの無垢板をもらったのがキッカケだ。藤沢は美しい木目を見ていると、そこに何かを彫りたくなった。文具屋へ行き15本の彫刻刀セットを買ってくる。藤沢は昔から惹かれていた俵屋宗達の『風神雷神屏風画』を彫ろうと決めた。


・・・国宝である風神雷神屏風画は、オリジナルである俵屋宗達の作品が有名だが、のちに尾形光琳が模写した重要文化財の作品もよく知られている。宗達の作品では風神雷神ともに、二曲一双の屏風の両端ギリギリに配された構図で、足元や周りの『たらし込み』で描かれた雲に於いては屏風に収まっていない。それは宗達が外に広がる空間を意識してそうしたと云われている。

それに対して光琳の作品は、風神雷神とも屏風内にきれいに収まっており、構図的にはかなりまとまっている。足元や周囲の雲も宗達のそれに比べて色彩も黒く、全体的なイメージを変えている。・・・宗達の雷神の視線は下(地上を見下ろしていると思われる:著者推測)に向けられているのに対し、光琳の雷神の視線は風神の方に向けられており、両神が見つめあう構図になっている。


藤沢は両作品とも好きだが、宗達のオリジナルの方が迫力の点で優っていると思う。・・・古書店で日本の美術品写真集を買ってきて、ケヤキ板に模写する。板は5枚もらったので1枚に1神ずつ模写する。まったくの自己流なので1枚の模写だけでも2日かかった。そして今はその1枚目の雷神を彫りはじめて3日目だった。

ケヤキの木質はかなり硬いので彫りだすのに手間と力が要る。柔らかい木を彫るのに比べて当然、彫刻刀の切れ味が悪くなるのも早い。藤沢は切れ味がひどくなる前に中砥と掛けて切れ味を戻し、仕上げ砥を掛ける。はじめると一心不乱に作業を続ける。

・・・もうじき1歳になるケンはもう成犬の大きさに成長していたが、甘ったれな性格は子犬の頃と変わらない。藤沢が帰ってくると尻尾を振ってずっと『遊んで遊んで』とばかりにじゃれてくるが、彫刻に没頭しだすと相手にしてもらえないのでリビングの隅のソファーに寝てしまう。

・・・3時間ほどで今日の作業をやめた。3杯目の焼酎をちびちびやりながら、小さなイビキをかいて眠っているケンを眺める。ほろ酔いが心地よかった。(・・・明日は日曜日だから、こいつを思い切り遊ばせてやろうか)と思った。

つまみのナッツ類をかじる、(・・・しかし、俺みてえな人間がこんな人並みな考えや暮らしをしていいのか)とも思う。和彦や梶浦、山野井のおかげで安定した生活にどっぷり浸かっていると、心に余裕が出てくる。藤沢はそんな自分にいつも罪悪感を感じているのだ。

(・・・来週は実尋の月命日だな・・・)壁掛けの暦を見て思う。出所以来、月命日には欠かさずに実尋の墓参りをしていた。


・・・翌朝、ジープの助手席のドアを開けるとケンは飛び乗り、ビニールレザーの扁平のシートに行儀よく座る。車で出かけるのが大好きなのだ。朝はまだマイナスの季節だからしばらく暖機運転をしていたので、機密性の悪いジープでも車内はだいぶ暖まっていた。

ジープは晴天の山道を一度下りてから北西へと走る、くねくね曲がりながら県道はずっと登り坂だ。30分ほど登る、巨木が立つ神社のカーブを曲がりスキー場入り口をすぎると、勾配はいくらか緩やかになる。しばらく行くと目標の牧場にたどり着いた。

砂利の駐車場にジープを停め助手席のドアを開けると、ケンは勢いよく飛び降りる。久々に広大な場所に来た喜びではしゃぎ、走り回る。藤沢はしばらく様子をみてから、普段はつけたことのない首輪とリードをつけた。

標高1200m以上の高地なので晴れていても吐息は白かった。近くに流れる透明度の高い湧水の小川につれていくと、ケンは水に鼻先をつっこんで水を飲む。藤沢が手を入れてみると1分も入れていられないほど冷たかった。

牧場内にあるドッグランでフリスビーを投げる、ケンは尻尾を振って追いかけ回す。そんなことを2時間以上していた。普段はやらない昼飯を与えるといつも以上の早さで食い尽くした。自分もコンビニの握り飯を食う。・・・帰り道、ケンは走り疲れたのか、車が動きはじめるとさっさと眠ってしまった。


藤沢は昨日襲ってきた鳶姿の男のことを思い出していた。服装も持っていた道具も身のこなしも本職に違いなかった。藤沢を襲ってくるまで1日仕事をこなしていたわけだから間違いない。(・・・カタギの職人がなぜ原島の『命令』をきかなきゃならねえ。・・・借金か、それとも何らかの弱味でも握られていたか。・・・自分じゃケンカの腕に自信を持っていたようだったが)

昨年6月のボクサー崩れ以来の襲撃だった。藤沢は正直な話、昨日までは原島のことも半ば忘れていた。・・・どういうつもりかわからないが、またもや動き出す気配を感じる。黒い胸騒ぎが渦巻きはじめた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ