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六道輪廻のうた  作者: 村松康弘
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地獄ノ壱

風が吹いていた。緑と白の縞の吹流しが、真横になって暴れている。・・・幅20cmの赤い梁の上で、藤沢は声を掛けられた。

・・・5階建てマンションの建設現場、午後5時。鳶職の藤沢は梁と柱を接合するボルトを確認し終わり、下に降りようとしていたところだった。

4人の仲間は10分前に降りてしまったので、藤沢以外は誰もいないはずだった。

「てめえ、藤沢だよな?」声を掛けてきたのは、応援という形で今日初めてこの現場に来た鳶だ。朝、『新規入場者教育』で書いた履歴が本当だとすれば、28歳の藤沢よりいくらか年下のはずだ。

職人業界は横の連携が多く、忙しい現場には他会社の人間が応援に来るのは当たり前なので、藤沢はさして気にも留めていなかった。


男は三白眼を光らせて、ガムを噛んでいる口元をゆがめて、懐から匕首を出した。「ちょっくら てめえを痛めつけてこいと言われたもんでな。お前に恨みはねえが、命令なんで勘弁してくれや」

言葉とは裏腹に男は楽しそうだ。ニヤニヤ笑いながら匕首の鞘を抜いた。

(またか・・・こいつで3人目だ。いくらで雇われたのか知らねえが・・・)藤沢は黙ったまま男を見据える。鳶といえど風速10m近い5階の狭い梁の上で、地上と同じように激しい動きは出来ない。スタンション同士をつなぐ命綱は張ってあっても、安全帯を掛けたまま乱闘というわけにもいかない。

・・・男は匕首を構え、地下足袋を履いた足でジリジリ詰め寄ってくる。「殺る気はねえが、お前が誤って転落して死んでも俺の責任じゃねえからな」男はそう言いながら、藤沢の手前2mのところで立ち止まる。

(よくしゃべる男だ。・・・黙らせるには仕方ねえか)藤沢は相変わらず無言のままだ。

男が間合いを見計らって、勢いをつけて匕首を突き出す。ヒュッと空気が裂けた。藤沢は身をよじりながら2歩後退して刃物をよける。と同時に腰袋のカラビナにぶら下げたシノを抜き出す。・・・鉄骨のボルト穴を合わすためにこじる、先端の尖った道具だ。反対側はボルトの頭を締めるレンチになっている。

素早くシノを振り出す。男は咄嗟に後退してかわす、余裕の表情だ。少しの間を置いてまた匕首を構える、どうやら腹を刺す気らしい。

男の瞳がスッと細くなった瞬間、踏み込んできた。藤沢の脇腹スレスレに匕首が通過する。・・・シノを振り下ろす。男の右手首に鋭く衝突した。「うっ」男は呻いて匕首を落とした。それは梁に当たり硬い音を立ててバウンドする。藤沢は一度跳ね上がった拍子に、地下足袋の足で匕首を踏みつけた。右手首を押さえた男が半歩後退した隙に、素早く匕首を拾い上げる。


今度は藤沢が構える。男は目を見開き、明らかに狼狽した様子で後ずさりした。・・・藤沢は薄手の革手袋をはめた右手に匕首を握り、間髪入れずに男の左太ももに突き刺した。

男は柄まで刺さった匕首を呆然と見つめている、悲鳴が上がるのは少し経ってからだろう。

藤沢は踵を返すと、梁の上をゆっくり歩いて昇降ハシゴをつたって降りていく。一度も振り向きはしなかった。


仮設コンテナの現場事務所に顔を出し、現場を出た。隣接する砕石敷きの駐車場へ向かう。車はもう数台しか停まっていなかった。一番奥にうずくまっているジープの助手席の鍵を開ける。

三菱ジープの最終型のJ55だ。・・・きゃしゃな骨組みに幌布を貼り付けただけの軽い簡易ドアを開けて、ヘルメットや腰袋を放り込む。

運転席に回りイグニッションを回すと、三菱ディーゼルらしい黒煙がボンと噴出す。ガラガラやかましいアイドリングで車体は小刻みに揺れ、ポールモールを指にはさんだ右手をハンドルに載せると、灰が足元に落ちた。

タバコ1本吸い終わるまでの暖機をすると、ジープを発車させた。・・・3月中旬ともなると、だいぶ日も長くなったと感じる。ヘッドライトを点灯させるまでまだ余裕があった。

通りは混雑のピーク時だから、市街地を抜けるまではかなり時間が掛かった。手持ち無沙汰の藤沢は、ラジオをつけてどうでもいいニュースに耳を傾ける。気を引く話題はなにもない。

ようやく流れが生まれて動き出す。・・・道の先にホームセンターを認めた藤沢は、(あ、忘れるところだった・・・)と、ジープをホームセンターに入れる。




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