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第三話 甘く酸っぱくほろ苦い

 サッカー部顧問でもある英語教師の柳田実は非常に満足していた。今年に入った山崎信也はなかなかの逸材だ。監督が言うには、粗削りなところはあるがそれは言い換えればまだまだ伸びる余地があるということで、将来は日本でも指折りのストライカーになるかもしれないとのことだった。


 そんな逸材がピタッと動きを止めた。そしてニカッと笑うと猛ダッシュで敵陣に突っ込みゴールにボールを叩きこむ。はぁぁぁ……まただ、これがなければ本当に言うことは無いのだが。そう思って背後に目を向ける。


「やっぱり……」


 そこにはマネージャーの正田と彼女のクラスメイトである羽生若菜が立っていた。


「羽生ちゃーん!! 今のゴール、羽生ちゃんに捧げるよーん!!」

「こら山崎!! 紅白戦だからと言ってふざけるなっ!! 真剣に試合に臨めっ!!」

「やだなー、俺はいつでも真剣にやってるぜーっ!!」


 どこが真剣なんだどこが。確かに全力でプレーしてはいるが何か違う気がする。そんなこちらの困惑をよそに山崎は二点目のゴールをもぎ取った。


「お前達、あれでいいのか」


 試合を見ている他の生徒達に声をかけた。


「もう慣れました」

「あれが山崎ですから」

「奥の手としては有効です、羽生ちゃんターボ。うちがピンチになったら彼女に声援を送らせましょう、きっと十点ぐらい直ぐにもぎ取ってくれます」


 似たような答えが次々と返ってくるのを聞きながら溜息をつく。試合終了のホイッスルが鳴り、走り回っていた生徒達が戻ってくる。もちろんその先頭を走ってくるのは山崎だ。しかも奴はまったくこっちを見ることなく羽生の方だけを見ている。ここまではっきりした行動に出られると怒る気にもなれない。


「羽生ちゃーん、練習を見に来てくれるなんて嬉しいよ、俺!!」

「あたしに感謝しろ、山崎ぃ? あたしが若菜に頼んで来てもらったんだからね?」


 黒幕は正田、お前なのか……。


「感謝する、正田。俺、羽生ちゃんが来てくれるだけで嬉しい」

「えっと……レモンの蜂蜜漬け、作ってきたよ? 正田さんに頼まれたから……」


 気の毒になあ羽生……完全に外堀が埋められていることに気がついているか? 青春を謳歌する生徒達を羨む気持ちが無いではないが、この山崎の一途な猪突猛進さはどうなんだと少しばかり心配というのが正直なところだ。


 そんなこちらの気持ちなど知りもしない羽生はベンチに座ると、紙袋の中からタッパを二つばかり取り出した。レモンの蜂蜜漬け。俺も昔はお世話になっていたなあと懐かしく思った。



+++++



「えっと、残ったハチミツは氷水と一緒にして飲めば美味しいから、正田さんが冷たいお水を用意してくれました」

「悪いね、マネージャーでもないのに手伝ってもらって」


 三年生の飯島先輩がニッコリと笑いかけてくれた。学校の女子の中では野球部の杉本先輩と一、二を争う人気のある先輩でバレンタインのチョコレートも半端じゃないらしい。


「いえ。レモン切って蜂蜜に漬けるだけなので」

「羽生ちゃん、この小さいタッパは?」


 山崎君が紙袋の中を覗いている。


「それ、入りきらなかった半端な分だから……」

「そっか。だったら俺、こっちの貰っていいかな」

「うん、どうぞ」


 小さいタッパを片手にベンチに座った山崎君がこちらを見てニッコリと笑うと自分の隣をポンポンと叩いた。他の部員さん達をうかがうけど皆、なんだか不自然に話しこんでいるし背中向けてるし、目が明後日の方向を向いているし、それってどうして? 何で誰も私を助けてくれないの?


「羽生ちゃんも食べなよ」

「え……うん、でも山崎君からどうぞ?」


 仕方なく隣に座ると差し出されたタッパを押し戻す。夏の日差しで本格的に暑くなってきたグラウンドを走り回っていたのは山崎君達だ。水分もミネラルも十分に補給しなければならない。スプーンでプラスチックの使い捨てのコップに蜂蜜を入れると、魔法瓶に入っていた氷水を入れてかき混ぜる。


「はい、これも」

「感激だなあ、羽生ちゃんに手ずから作ってもらえるなんて。この際、サッカー部のマネージャーになってくれると嬉しいんだけどな、あ、それすると俺だけの羽生ちゃんじゃなくなっちゃうか」


 いつから山崎君だけのものに? なんだか私の知らないところで事態がどんどん進んているのはどういうわけ? しかも私自身の意思とは全く関係なく。


「やっぱ今のままがいいかな、俺としては。んじゃ、はい、あーん」


 フォークに刺さったレモンの輪切りが目の間に差し出される。フォークを手にしようとするとダメダメ、あーんして?と言われる始末。こんなところであーんしてと言われて素直に出来る訳が無い。


「山崎君……」

「ほら、ハチミツが垂れてくるよ」


 彼には羞恥心ってものが無いのかな……。


「大丈夫、誰も見てないから、ね?」

「う……」


 仕方なく口を開けると、そこにレモンの輪切りが滑り込む。甘くて酸っぱくて、そしてほろ苦い。まるで今の私のグチャグチャの心境みたいだ。顎に垂れてきたハチミツを慌てて指ですくうとその手を山崎君が掴んで自分の方に引き寄せ、指が山崎君の口の中に。


「なななななっ」

「ななな星人でも見つけた?」

「ゆ、指っ!! な、な、な」

「うん、舐めちゃった。ごめんね?」


 ニッコリ笑った山崎君は、そこで再びごめんねと言って私の両耳を塞いだ。だから耳は触らないでほしいのに……。ピクッと体が震えたのを見た山崎君はとっても嬉しそう。耳の中は自分の鼓動の音でいっぱいになって、山崎君が私の後ろにいる人と何か喋っているのは分かったんだけれど、何を喋っているのかまでは最後まで分からずじまいだった。


 それよりも、指、舐められちゃったよ。なんだか私、お嫁にいけないって叫びたくなる心境だった。あれ? 山崎君がこっちを見て笑ってる。何? 何か言ってるんだけど耳を塞がれているせいで聞こえない。塞いでる手をどけようと手をあげると、こちらの意図を察してくれたのか手が耳から離れた。


「山崎君、今、なんて言ったの?」

「ん? 何?」

「今さっき、何か言ってたよね?」

「ああ、羽生ちゃんに言った訳じゃないから大丈夫だよ、分からなくても」


 その割にはこちらを見ていたよね? 本当に私に何か言った訳じゃないの? 何だか怖いんだけど。


「羽生、ご苦労だったな。正田がまた何か頼むかもしれないから、その時は頼む」


 いつのまにか私達の横に立っていた柳田先生の言葉に渋々ながら頷いた。


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