第二話 恋に落ちた王子様
彼女の視線に気がついたのはサッカー部に入ってすぐの練習中のことだった。視線が刺さるなんて言葉があるけど、まさにアレ。ボールを追いかけていても何をしていても彼女がこちらに視線を向けると、何故か体に衝撃が走る。見られて喜ぶなんて変態だよな……とか思いつつ、だったら俺も彼女、羽生若菜をちょっと観察してみようと思った。
「声をかけることも寄ってくることもない彼女にハートを射抜かれちゃったってやつか?」
コンビを組む安原にからかわれること数度。他の女子に告られてからかわれるのは嫌だったが、彼女のことでからかわれるのは不思議と嫌じゃない。それどころか誇らしい。彼女の視線を独占しちゃってる俺って凄い?なんて、我ながらどう考えても頭にお花でも咲いたんじゃないかってなぐらいに能天気な思考だ。
「羽生さんに見られているって思うだけで俺、嬉しくて舞い上がっちゃうんだよね」
「なんか変態の域に入ってきたな、それ」
何を言われても気にしない。彼女が俺を見ていてくれるなら俺は喜んで変態になる!! そして今日も感じる彼女の視線。
「なになに羽生はぶちゃん。俺の顔ってそんなに見とれるぐらい超イケメン?」
彼女はギョッとした顔でブンブンと顔を横に振っている。
「いえ、山崎君を見ていた訳ではなく、その向こう側の窓の外を見ていただけなのでお気遣いなく」
そんなの嘘だって分かっている。俺の体は彼女の視線を確かに感じたのだから。
「またまたー! そんなに照れなくていいよ? 俺がイケメンなのは周知の事実ってやつだし? それに、俺は羽生ちゃんのこと愛しちゃってるから幾ら見詰めてくれてもOK!」
「いえいえいえいえ……お気遣いなく……私のことなんて捨て置いて下さい」
ちょっと顔を赤らめたところが非常に可愛くて思わず抱きついて頬ずりしてそのまま押し倒したくなる。でも我慢だ俺。彼女がその気になるまでは我慢我慢。そう、俺はあの日、彼女がその気になるまではって約束したんだから。
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その日の彼女は珍しく授業中に居眠りをしていた。窓際で日当たりのいい俺の席に座りでもしたら爆睡しそうな感じだ。何とか頑張っていたようだけど、そのうちに少し俯き加減になって本格的に夢の中へと突入しそうな感じになった。けど今は鬼の神崎が教壇に立っている数学の時間。居眠りだなんて自殺行為に等しい。だからこっそり起こそうと思って耳元で囁いた。
「羽生さーん、起きて下さーい」
「うきゃあぁぁぁ!!」
予想外の展開に俺も周囲もちょっとびっくり、いや、かなりびっくりだ。こっそり起こそうとした結果がクラス全員の視線を集めることになってしまった。当然のことながら教壇に立つ鬼の神崎の視線も。コーンッと投げられたチョークが羽生さんのおでこに命中した。
「いい根性だな、羽生。俺の授業中に居眠りとは」
「すみません……」
小さくなって謝る羽生さんだけどそれで許してくれないところが神崎が鬼と呼ばれるゆえんだ。
「寝るぐらいの余裕があるなら、前に来てこの問題を解け」
「はーい……」
少し赤くなったおでこをさすりながら羽生さんは黒板の方へと歩いていく。けれど未だボーっとしているのか、鬼の神崎の視線をまともに浴びているのに怯んだ様子も無い。そしてチョークを手に書かれた問題を見上げるばかり。
「おい、羽生。ボーっとしてないでさっさと解け」
「……」
そして羽生さんはそのまま倒れた。もしかして本当に具合が悪かったのか? そんな心配をしながら思わず駆け寄る。
「先生、俺が羽生さんを保健室に連れていきます」
「山崎、お前は保健委員じゃないだろ」
「でも内田さんには運べないっしょ」
保健委員の内田さんは女だし、小柄とは言え意識を失って倒れた羽生さんを抱いて連れていくのは不可能だ。そして俺としては先生だろうと他の男が羽生さんを抱くなんて絶対に許せなかった。俺の独占欲は既にゲージMAXらしい。
「俺、体力だけが取り柄で羽生さんぐらい余裕だから」
「……そうか、だったら頼もうか。気をつけろよ、運ぶ途中で二次災害なんて御免こうむるからな」
「山崎君に任せなさーい♪」
羽生さんは小柄だ。俺の見立てでは154センチぐらい。体重は標準より少し軽い程度? 抱いた感じではもう少しふっくらしている方が俺の好みかも。うむ、これからは頑張って食べさせよう。
保健室に運びこむと校医の小泉先生に許可を取りベッドに寝かせる。そのまま教室に引き返すべきなんだけど、俺にも責任の一端がある訳だし、せめて目を覚ますまでは側にいようと椅子を引き寄せた。小泉先生は用事が済んだらさっさと教室に戻れよと言うと、そのまま保健室を出ていってしまった。おい、いいのかよ、男子と女子を二人っきりにして。まあ俺としては有り難いけど。
「……あれ、私ってどうしたのかな」
しばらくして羽生さんが目を覚ました。寝顔を思う存分堪能していた俺としては、もう少し眠っていてくれても良かったんだけどな。けれど目を覚ましてちょっと安心したのも事実だ。
「気がついた? 授業中に倒れたんだよ、羽生さん」
「山崎君はどうしてここに?」
「俺が保健室に運んだ。ごめんな。俺が脅かさなかったら神崎に怒られることも倒れることも無かった訳だし、まさかあんな悲鳴をあげるとは思わなくて、本当にごめん」
頭を下げると羽生さんは気にしないでと呟いた。そして付け加えるように言った。
「……これからは耳元で囁くのは禁止ね」
そんな言葉で、どうして彼女があんな悲鳴をあげたのかピンと来た。
「もしかして、耳、弱いの?」
「え?」
俺が言っていることが理解できないらしく戸惑った顔をして俺のことを見詰めてきた。その可愛い顔にたまらなくなって思わず手をのばして羽生さんの可愛らしい耳に触れてみる。触れた途端にヒクッと体が震えたのが分かった。
「やっ……」
可愛い声。こんな声、他の奴にはとても聞かせられないな。
「……そうみたいだね」
「くすぐったいだけだから……」
「違うよ、羽生さん。それは、くすぐったいんじゃなくて感じてるの」
「か、感じてる?」
なんだか凄く嬉しい。いつも視線だけで俺の体を熱くして心臓をバクバクさせている彼女の弱点を知ることが出来た。これは是非とも利用させてもらわなければ。
「試してみる?」
そう言って羽生さんが答える前に彼女に覆いかぶさるようにして耳元に口を近づけると息を吹きかけた。
「ひゃっ」
ビクッと体が跳ねた。ああやっぱりだ、間違いなく耳が彼女の弱点。そのまま耳たぶをカプリと食べたかったけど我慢した。いきなりそんなことしたら嫌われるのは間違いないし。
「ほらね?」
「やだ、耳元で話さないでっ」
「くすぐったいのとは違うでしょ?」
「やだー」
こんなに可愛く悶えている彼女の様子を見ている内にその耳元であれやこれやしながら淫らなことを囁いたらどんな反応をするだろうと、思春期の青少年らしい衝動が沸き上がってきた。これは不味い、直ぐに離れないととんでもない事態に陥るぞと慌てて体を起こすと、ね?と無理に笑いかけた。真っ赤になった顔が本当に可愛い。俺は間違いなく落ちたと思った瞬間だった。
「羽生さん、今の他の人で試したら駄目だからね?」
俺の羽生さんにそんなことをした男は片っ端からボコるつもりではいるけど、それは秘密だ。
「そんなのしないよお、今のだって気持ち悪かったもの……」
「酷いなあ、俺、優しくしたのに」
「山崎君も二度とこんなことしないで?」
「んー……羽生さんがその気になるまでは二度としないって約束する」
羽生さんが未知の感覚に戸惑っているのが分かったから俺はそう約束した。
「その気になんて絶対にならないよー」
「そんなの分からないよ?」
約束はしたけど俺は守りに入るつもりはない、ましてや他の男になんて絶対に渡さない。絶対に卒業までに彼女の愛とその存在を丸ごとゲットする。そんなことを固く決心した初夏の午後だった。