第十話 ファーストキスは塩辛い
競技場を出たところで立っていると山崎君が大きなカバンを片手に競技場の建物の中から出てきた。
「お疲れ様~。残念だったね、あと一点だったのに」
いつもなら「羽生ちゃーん俺を慰めてー!」とか言って笑いながら走って来るのに、今日の山崎君は何故か怖い顔をして黙ったまま私のそばにやってきて、腕を掴むと競技場の関係者以外は立入禁止ってプラカードが下げられていた通用口の方へと向かった。負けてしまってガッカリしているのとはちょっと違う雰囲気に戸惑ってしまう。どうしたのかな?
「山崎君、そっちは入っちゃいけないとこだよ?」
そう言ったのに全く無視でドアを開けると私の腕を掴んだまま中へと入った。人もいなくて薄暗いしドアの閉まる音が廊下に反響して何だか不気味な感じ。
「あれ、誰?」
「え?」
急にそんなことを聞かれても何のことか分からなくて山崎君の顔を見上げる。今までに見たことないような顔をしてこっちを睨んでるし何だか怖いよ。思わず後ずさりをしたら廊下の壁に押し付けられて気が付いたら彼の腕の中に閉じ込められていた。
「試合中に隣にいたヤツ。なんで手を握らせてたりしたの」
そう言われてすっかり忘れていたカメラを持った謎の人のことを思い出す。
「それは……あの人、デイリー東都の記者さんらしいんだけど何故だか声をかけられて、写真を撮らせてくれないかって……」
「それって手を握りながら話すようなことじゃないよね?」
山崎君の顔がますます怖いものになってきた。
「あれは違うの。名刺を押し付けられた時に勝手に握ってきて……」
「名刺?」
「うん」
「それ見せて」
「……うん」
ゴミ箱が見当たらなくて仕方なくコートのポケットに放り込んでおいた名刺を取り出した。山崎君はそれを乱暴に奪うと怖い顔のままでそれに目を落とすといきなり大きな溜め息をつく。あれ? なんだか想像していた反応とちょっと違うかも……。
「羽生ちゃん……」
「なあに?」
「これ、デイリー東都じゃない、週刊東都」
「え?」
どう違うの?と首を傾げて山崎君の顔を見る。なんでそんな変な顔をしているの? そりゃ怖い顔じゃなくなったら少しホッとしたけどなんだか微妙な顔……。
「羽生ちゃん、水着とかコスプレの写真を撮られても良かったの?」
「なに、それ……」
水着? コスプレ? なんで? サッカー大会に参加している学校の取材なのに何で水着やコスプレなのか理解できなくて頭の中でクエッションマークが飛び回っている。
「こいつ、そういう雑誌のカメラマンだよ。こんな奴にほいほいついて行ったら、そういう写真を撮られていたってこと。まったく、羽生ちゃん、もっと警戒心持たないと。見ず知らずの男に言い寄られて手を握られて何で嫌がらないのさ。警戒心無さ過ぎにも程があるよ」
べ、別に言い寄られていたわけじゃなくて気が付いたらあっちが勝手に隣に座っていたんだよ? それに手だって好きで握られたわけじゃないし。それにあそこで騒いだら試合が中断しゃったかもしれないじゃない、私だって色々と気を遣って我慢していたのに山崎君てば酷い……。
「この名刺、柳田先生に渡しておくから二度とあいつには……羽生ちゃん?」
まるで私が悪いみたいに言われてショックだ。私だって好きであの人と喋ったわけじゃないのに! なんだか悔しいやら悲しいやらで涙が溢れてきちゃった……。
「わわっ、泣かないで羽生ちゃん、ごめん、きつく言い過ぎた」
「嫌だったんだよ? しつこくて怖いし、手を握られて気持ち悪かったし。でも騒いだら試合に影響出るかもって思ったから我慢してたのに、山崎君、酷いよ……」
「ごめん、本当にごめん。だから泣かないで。羽生ちゃんに泣かれると俺、どうしたらいいか分からなくなるよ」
それまで怖い顔をしていたのに一転して慌て出した山崎君のことを見てちょっと気になることが出てきた。
「もしかして後半出られなかったのは、そのせい? なんかゲームに集中してないって柳田先生が言ってたけど、もしかして私のせいで下げられちゃった……?」
「違う違う。断じて羽生ちゃんのせいじゃない! 単に俺が試合に集中できない未熟者ってだけで絶対に羽生ちゃんのせいじゃないから!」
「ごめんなさい……」
やっぱり私のせいなんだ……。私のせいで全国大会の夢が叶わなかったのかと思うと、山崎君だけじゃなく他の皆に対して申し訳なくなってしまった。最初からもっと毅然とした態度で拒絶すれば良かったんだよね、それか他の子みたいにさっさと移動して逃げちゃうとか……。
「謝るのは俺の方だ。ほんとにゴメン。羽生ちゃんがどんな気持ちでいたかなんて考えもしてなくて、自分の気持ちしか考えてなくて……まじにゴメン。羽生ちゃんは悪くないから」
「怒ってない?」
「怒ってない。悪いのは一方的に責めた俺の方だから」
目を擦りながら山崎君の顔を見上げると、彼は何とも言えない表情で私のことを見詰めている。そして気が付いた時には抱き締められていて私の唇に山崎君の唇が押し付けられていた。
私にとっては初めてのキス。ファーストキスは甘酸っぱいとか言うけどそんなことなくて塩辛いキスだった。人の気配に顔をあげた山崎君は私の手を取り通用口から外へと出ると、そのまま何事もなかったように手を繋いだまま歩きだした。
「謝らないから」
「え?」
駅の改札口を抜けてホームで電車を待っている時にポツリと山崎君が呟いた。
「キスしたこと」
「えっと……」
「羽生ちゃんがその気になってくれるまで待つって約束だったけど。その約束、破っちゃったことになるけど俺は謝らない」
「……うん」
「君はさっきの。探したよ」
そんな時に聞こえてきたのは試合中にしつこく声をかけてきたあのカメラの人だ。まだ諦めずにホームで待ち伏せていたのかと思うとちょっと気味が悪くて、山崎君の手を握っていた手に力が入る。
「大丈夫だよ、羽生ちゃん」
そう耳元で囁かれた。いつもは変な感じがして声をあげてしまうのだけれど、今日はそんなふうに感じることはなく逆に山崎君の声がとても頼もしく感じられた。
「誰ですか、おっさん」
「いやいや、おっさんは酷いな。俺、これでもまだ三十前だよ」
人懐っこそうな笑みを浮かべて見せているが、手を握られた時の気持ち悪さが忘れられず、近寄ってくる相手に体が強張った。
「高校生の俺達からしたら十分におっさんですよ。で、俺の彼女に何の用です? 週刊東都の木崎さん」
普段とは全く違う冷たい口調に思わず山崎君の顔を見上げた。彼は相手の人を威嚇するようにジッと見詰めていた。相手の方も山崎君の口調に何かを感じたのか足を止めた。
「グラビア週刊誌のカメラマンさんがサッカー場に取材だなんて珍しいですよね。もしかして他の女子にも声かけてました? 彼女から相談を受けたので学校の方にも報告するつもりなんですが」
「ああ、いやあ、その……」
「御丁寧に名刺までいただきまして。お陰でそちらの会社にもきちんと抗議が出来そうです」
「参ったなあ……そんなつもりはなかったんだけど」
「そんなつもりもないのに名刺を渡すってどんなんですか。会社の名刺をナンパの道具にしてるんだったら、尚のこと会社に知らせないとね」
相手が降参だとばかりに両手を上げるとタイミングよく電車がホームに入ってきた。私達はその電車に乗り込み、相手は溜息をつきながらホームで私達が乗った電車を見送った。
「山崎君?」
「なに?」
「学校に報告するって本当?」
「雑誌が雑誌だからね。名刺という証拠もあることだし、ちゃんと報告しておいた方が良いと思う。」
「そっか……」
「別に羽生ちゃんが怒られることは無いから安心していいよ」
「それは心配してないんだけど。それよりもあのね山崎君、週刊東都がグラビア雑誌だってどうして知ってるの?」
「え?」
一瞬だけど山崎君が固まったような気がした。あれ、聞いちゃいけなかったかな。
「えーと……オヤジが何度か駅のホームで買ってきてたのを見た気がするんだ」
「そうなんだ。私が見ても大丈夫そうな雑誌?」
今度は明らかにギョッとなったみたい。水着はともかくコスプレってちょっと興味があるよね?って言ったら山崎君は全力で頭を横に振ってきた。
「駄目だよ羽生ちゃん。あんなの見たらきっと卒倒するよ?」
「でも山崎君は見たことあるんだよね? 水着とかコスプレの写真がどうとかって言ってたし」
「まあ何度か……?」
あれ、なんで山崎君の顔が赤いんだろう。
「とにかく、俺は羽生ちゃんには穢れて欲しくないから、あんな雑誌は読まないでほしい」
「……分かった、見つけても読まないようにする」
なにがどう穢れるのかよく分からないけど……。




